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「バカと天才は紙一重」が脳科学的に見ても大正解である理由

プレジデントオンライン / 2021年8月11日 9時15分

出所=『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』

天才たちの頭のなかはどうなっているのか。デザインストラテジストの太刀川英輔氏は「脳科学的にみても、バカと天才は紙一重であるようだ。重要なのは狂人性と秀才性を葛藤させながら思考させることだろう」という――。

※本稿は、太刀川英輔『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』(海士の風)の一部を再編集したものです。

■バカと秀才の実像

天才をめぐるバカと秀才の議論は、歴史のなかで数え切れないほど語られつづけてきた。いったい天才とは「孤独な狂人」なのか、それとも「努力を惜しまぬ秀才」なのか。創造性の本質として語られるこの2つの資質をもう少し精密に整理してみよう。

ここでいう狂人性とは、人のやらないことをやること、すなわち常識からの変異度を指していると考えてよいだろう。それにたいして秀才性とは、状況を把握して本質を理解するためのプロセス、すなわち状況への適応度だと考えられる。

もしそうならば、同居しないように見えるバカと秀才は、実は相反していないことになる。エジソンやテスラのように「努力によって培った知識や実証を武器に、前例のない行動に踏み込む人たち」は、この定義でいえば「秀才的狂人」であり、2つの資質を兼ねそなえているのだ。

狂人性と呼ばれてきたものが未知に挑戦する躊躇のなさのことなら、それは新しい方法(HOW)への柔軟性とも呼び替えられるだろう。そして秀才性と呼ばれてきたものが状況を理解する力のことなら、それは物事の本質(WHY)の理解力に他ならない。これらは両方とも、創造性にとって不可欠な思考であるのは間違いないだろう。こう考えるとあらためて、創造性には「バカ=変異=HOW」と「秀才=適応=WHY」という二面性の思考があると考えるのがしっくりくる。この2つの思考を両立させる方法がわかれば、誰でも天才のような力強い創造性を発揮できるのではないか。

■創造性と年齢の関係

年を追うごとに頭が固くなるとよく聞くけれど、本当にそうなのか。一方で、経験があるから創造できるのも間違いない。年齢と創造性の関係はどうなっているのだろう。変異と適応をめぐる仮説を補ってくれる理論が、心理学や脳科学でも研究されている。

心理学者のレイモンド・キャッテルは、人の知能には2つの異なった性質があることに気づいた。それを彼は「結晶性知能」と「流動性知能」と呼んだ。結晶性知能とは、学校での学習や社会での規範など、経験によって培われる知能をさす。いっぽう、流動性知能は、新しいアイデアを考えだしたり、新しい方法で課題を解決したり、新しいことを学習したりするための知能だとキャッテルは定義している。

この2つは、分類の軸の差はあるが、私がこれまで指摘した天才のなかにある秀才性と狂人性の2つの概念に呼応しているように見える。

キャッテルの研究によれば、図表1のように、流動性知能は10代で急激に発達するが、20歳前後をピークに、その後は徐々に下がっていく。逆に、結晶性知能は、経験を積んで、年を重ねれば重ねるほど高まっていくという。

さらに調べていく中で発見した興味深い事実は、図表2のように、この流動性知能の曲線が、犯罪をどの年齢で犯しやすいかを調査した「年齢犯罪曲線」のピークとほぼ一致することだ。まさに、狂人性と流動性知能の一致をここに見ることができる。

年齢犯罪曲線。犯罪率の年齢のピークは19歳。流動性知能のピークとほぼ一致する
出所=『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』

■平均年齢36.8歳で研究を始めたノーベル賞受賞者たち

成長とともに危険を冒さなくなる代わりに、私たちは創造性の一部を失っていく。もし社会が安定していて状況の目的(WHY)が変わらないなら、結晶性知能を備えた熟練者は効率的に活躍できるだろう。だが、世界は急速に変わり続けている。つまり時代とともにWHYも変化してしまうのだ。この変化に対応するには新しい方法(HOW)を取り入れる柔軟な流動性知能が必要だ。

太刀川英輔『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』(海士の風)
太刀川英輔『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』(海士の風)

しかし年をとるにしたがって流動性知能は減少し、信じているWHYもHOWも固定化するため、熟練者ほど、変化の激しい時代には適応できない。つまり、かつてないほど変化が激しく先の読めない現在の社会では、年功序列の組織では立ち行かず、変化に対応できる世代に危険を承知で意思決定の権限を与えたほうが良い結果を導くということだ。

2018年の日本の大手上場企業100社の経営者の平均年齢は、57.5歳。一方でアメリカの主要企業100社の経営者の平均は46.8歳。この差が、日本が高度成長期以降の変化に対応できなかった理由の一端かもしれない。アメリカと日本の平均株価を比べると、1990年代初頭はほぼ差がなかった。

しかしそれ以降は、日本株がほぼ横ばいなのに対して、この30年でアメリカ株は約10倍まで伸び、決定的な差がついてしまったのは、日本にとって本当に残念なことだった。

ちなみにノーベル賞受賞者を調べてみると、受賞した研究を開始した平均年齢は36.8歳だという。創造性が発揮される変異と適応の思考におけるベストバランスは、本来そのあたりの年齢なのかもしれない。

■狂人型の思考と秀才型の思考の両立は難しい

キャッテルはたしかに、流動性知能は年を重ねるごとに減少すると指摘した。しかし先述したように、そもそも私たちは創造性の構造を理解しておらず、どんな教育が必要かもろくにわかっていない。つまり流動性知能を維持し、高めるための教育をまったく受けていないのだから、単純に年齢のせいにしてあきらめる必要はないのではないか。

もし私たちが変化への柔軟性を磨く方法を知らないだけなら、新しい教育を生み出すことで、老いてもなお新鮮な発想をする人を増やすことができるかもしれない。平均的ではないものの、実際に新鮮な思考力のまま生きている高齢者を私はたくさん知っている。

また結晶性知能が熟すのに時間がかかるからと言って、若者には物事が分からないと切り捨てるのは軽率だ。好奇心を持って観察する子どものなかには、大人も舌をまくような驚異的な知性を発揮する子がいることも私たちは知っている。物事の本質を理解するための教育があれば、結晶性知能のピークはもっと早く訪れるかもしれない。

創造性教育をアップデートするためにも、これらを両立する思考プロセスが知りたい。そう思って2つの思考の両立に挑戦してみると、これが口でいうほど簡単ではない。「流動性知能=変異的な狂人型の思考」と「結晶性知能=適応的な秀才型の思考」は、すぐに互いにつぶしあいを始める。

なぜなら秀才型の思考は、つねに狂人型の思考が集中を邪魔してくるし、狂人型の思考は、秀才型の思考の不自由に縛られるからだ。2つの思考の両立はなかなか難しい。そして問題なのは、これら2つの思考プロセスを考慮した教育が、現在に至るまでまったく重要視されてこなかったことである。

■学校教育の中でバカでいるのは大きなリスク

あらためて、現代の学校教育が変異的思考と適応的思考に基づいているかを考えてみよう。まず変異的思考の教育に関しては絶望的な状況だろう。「はい、今からバカになりましょう」なんて授業は聞いたことがない。カリキュラムは前例がある問題しか教えず、評価軸も一律だ。そのため生徒は極度に平均化され、偏った秀才性が要求され、前例のないことに挑戦する変異的思考は評価されない。学校に狂人なんて論外というわけだ。

人と違えば白い目で見られ、その違いが原因でいじめに遭ったりする。その不自然さゆえに、子どもたちは思考の自然状態を求めて暴れるのかもしれない。もちろん、暴れた子どもたちは、教育の仕組みから排除されてしまうのだ。本来、誰もが持っている創造性を、偏った教育が奪っていることに社会は気づいていない。

こうして子どもたちの狂人性、すなわち未知へ挑戦しようという創造性の牙は、学年を重ねるごとに鈍っていく。この仕組みのなかで、バカでいるのは大きなリスクだからだ。また、こうした状況を見れば、適応側の思考も教えられているようには思えない。

本当に国語・算数・理科・社会は、世界を捉えるフレームワークだろうか。これを覚えて何になるんだろう、とすら思われてしまっている。そんな試験範囲にだけ強い秀才になるよう型にはめられていくのだ。十数年の「学校研修」を終え、めでたく一流の会社に入る。そしてエスカレーターを上った先で突然、命令が下される。

「これまでにない商品企画を提案してくれ」
「斬新な発想で新規事業を構想してほしい」
「新規性ある研究テーマを考えてください」

彼らが茫然自失するのも無理はない。そんなことは今まで一度たりとも求められなかったからだ。まったく新しいことを臆せず考える変異性も、状況を分析し方針を導く本質的な意味での適応性も、評価軸になかったのだから。

2020年に学習指導要領が改訂され、「生きる力」を養うために、学びに向かう人間性と、思考力・判断力・表現力や、社会で実際に役立つ技能を身につけるべき、という内容が追加されたらしい。ここには少し希望を感じた。逆に言えば、今までこうした教育本来の目的に立ち返ってカリキュラムが制定されていなかったのも不思議だが、そうした教育をどのように実現するのかはまだ語られていない。

創造性を実現する「変異と適応の両立」という私の仮説が正しいなら、子どもたちが創造的な知性を獲得するために必要な教育の方法を、1から考えるための軸線を与えられるかもしれない。

■必要なのは努力より好奇心や探究心

では、狂人性=変異の思考のように、固定観念を外してバカのように考えるにはどうすればいいか。なにか、コツがあるのか。また、前例のない行動には勇気や無謀さが欠かせない。そんな行動への心理的障壁や恐れを乗り越え、常識の壁を突破する考え方を手に入れるには、どうしたらいいか。これは現在の教育が提供していない探求となる。

そして物事の本質を捉える力を身につける本質的な意味での秀才性=適応の思考は、どうすれば獲得できるのだろう。世の中の不思議を解き明かしていく思考力と言い換えてもいい。

未知の出来事に向かい合って、その周囲にある関係性を読み解く力だ。この力を考えるには、努力という言葉よりも、好奇心や探究心という言葉のほうがよく似合う。これについても、ずいぶん現在の学習とはかけ離れてしまっている。

好奇心を持った人にとって、知るための努力は苦行を意味しない。むしろ没頭して楽しむ人のほうが状況を深く理解し、成果をあげることを、私たちは経験的に知っている。しかし現在の教育は、好奇心を持って適応的な関係を読み解く方法を教えているのか。首をかしげざるをえない。

創造性は教育の本質的な目標にもかかわらず、やはり私たちは、創造性を高めるためにどんな教育をすればいいのかを、ほとんど何も知らないのかもしれない。むしろ教育と創造性のあいだには深い溝がある。

ヒトの創造も自然現象であるはずだ。であるならば、本当に創造的な教育を実現するには、創造に近い構造をもつ自然現象の理解から始めて、その性質から創造性の構造を理解し、それに則って必要な教育の構成自体を再構築するのが本筋のように思えてくる。

あらためて創造性の正体を探求するために、自然のなかにある知的構造に目を向けてみよう。生物科学的な観点で脳のなかに宿る創造的な知性や、種が生き残るための知的な習性をひもといてみると、そこにはバカと秀才の構造との興味深い一致が見られた。

■脳内の葛藤と対話

脳科学の分野でも、キャッテルの研究と呼応するように、狂人性と秀才性の往復的なプロセスが脳の構造に現れている事実はすでに証明されている。脳科学者のロジャー・スぺリーやマイケル・S・ガザニガは、左脳と右脳のあいだにある脳梁が切断された人(分離脳)を詳しく調べた。

その結果、図表3のように、右脳と左脳には部位ごとに独自の働きがあり、互いに往復しながら思考を補い合っていることがわかった。現在よく知られている「感覚的な右脳」と「論理的な左脳」の違いは、彼が発見した理論を基にした考え方だ。

人は大昔から、煩悩や葛藤を「天使と悪魔のささやき」というたとえ話で語ってきた。このたとえ話が、実際に脳の思考プロセスのなかで起こっていることを、右脳と左脳の働きの違いによって証明したのだ。

脳は、葉といわれるさまざまな領域に分かれて、それぞれの場所が別々の思考を担当する。それぞれの葉は連合線維というネットワークで互いにコミュニケーションをとっている。この「会話」に脳機能の90%が使われているというのだから、いかに私たちが日々の思考のなかで葛藤しているのかがよくわかる。

右脳・左脳で分けるのはいささか乱暴だが、天使と悪魔のごとく、脳内には「変異的な右脳=狂人的な思考」と「適応的な左脳=秀才的な思考」が、別々の部位の働きとして存在している。こうして、狂人性と秀才性を絶えず葛藤させることによって、はじめて人は思考できるというわけだ。脳科学的に見た場合、それが「思考の自然状態」といえそうだ。

脳はそれぞれの部位で別のことを考えていて、つねに思考同士が葛藤している
出所=『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』

■発想と取捨選択を超高速度で繰り返す

こうした考察を通して、私はひとつの結論に達した。

創造性とは、「狂人性=変異」と「秀才性=適応」という2つの異なる性質を持ったプロセスが往復し、うねりのように螺旋的に発揮される現象である、という考えだ。

歴史上の天才と呼ばれる発想豊かな人たちは、時には常人には想像すら及ばない数々の偉業を成し遂げてきた。しかし、彼らだって、身体や脳の構造は私たちと違っているわけではない。天才の頭のなかで起こっているのが、この往復だとしたらどうだろうか。

天才たちは、狂人的な変異の思考を全開にして、前例のない発想を無数に生み出しながら、それらを秀才的な適応の思考によって取捨選択している。こうした発想と取捨選択を超高速度で繰り返しているのが思考の構造なら、私としては大いに納得がいく。天才と呼ばれる人たちは、誰でもできることを、高速で繰り返す癖がついているのではないか。

もしそうだとすれば、創造性とは、天才だけに再現可能な、秘密のベールにつつまれた魔法ではなくなり、実習可能な技術となる。私自身、長年にわたってデザイナーとして何かを作る仕事をしてきた。そんな私にとっても、この変異と適応の往復が、アイデアを考える頭のなかで起こっている感覚が確かにある。そんな感覚は、きっとみなさんの頭のなかにもあるのではないか。

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太刀川 英輔(たちかわ・えいすけ)
NOSIGNER代表、進化思考家、デザインストラテジスト、慶應義塾大学特別招聘准教授
デザインで美しい未来をつくること(デザインの社会実装)、発想の仕組みを解明し変革者を増やすこと(デザインの知の構造化)を実現するため、社会的視点でのデザイン活動を続ける。プロダクトデザイン・グラフィックデザイン・建築・空間デザイン・発明の領域を越境するデザイナーとして、グッドデザイン賞金賞(日本)やアジアデザイン賞大賞(香港)など100以上の国際賞を受賞。デザインや発明の仕組みを生物の進化から学ぶ「進化思考」を提唱し、変革者を育成するデザイン教育者として社会を進化させる活動を続けている。

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(NOSIGNER代表、進化思考家、デザインストラテジスト、慶應義塾大学特別招聘准教授 太刀川 英輔)

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