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「1着5万円の表彰台ジャケット」を提供するアシックスがウエアづくりで絶対に守ること

プレジデントオンライン / 2021年8月7日 10時15分

東京2020日本代表ウェア - 提供=JOC/JPC/ASICS

東京オリンピックで表彰台に立つ日本人選手はオレンジ色のジャケットを着ている。これはアシックスが作製した「ポディウム(表彰台)ジャケット」だ。価格は約5万円。なぜそんなに高いのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■夢は前回東京大会から始まった

アシックスの常務、松下直樹は今大会の商品開発責任者だ。生まれたのは1959年。5歳の時に前回の東京大会が開かれた。小学校に上がる前だったが、それでも鮮明に覚えている。

それは三宅義信選手が男子フェザー級重量挙げで優勝し、金メダルを取った瞬間のことだ。

日本チームにとっての金メダル第1号だったから、優勝シーンは繰り返し放送された。三宅選手は東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボールチーム、マラソンの円谷幸吉選手と並んで、あの大会のヒーローだ。

興奮した松下少年はクレヨンで三宅選手が表彰台(ポディウム:podium)に上がった絵を描いた。母親は絵を誉めた後、古びた箪笥の横に貼り付けた。松下家では長い間、重量挙げを描いたクレヨン画がお茶の間のギャラリーを彩ったのである。

少年はもうひとつのシーンも忘れられなかった。

それは閉会式。各国選手は整列せずに国立競技場にひと塊になって入場してきた。他の国の選手と腕を組んだり、肩を並べたり、お互いに記念撮影をしたり……。開会式とはまったく違う種類の楽しそうな交歓シーンだ。堅苦しさを感じない式典で、選手たちは言葉ではなく、態度でスポーツの世界には国境がないことをリアルに表現した。

閉会式は終幕に近づく。国立競技場の電光掲示板には「SAYONARA(さよなら)」と「WE MEET AGAIN IN MEXICO(次はメキシコで)」と表示が出た。少年は文字を見ながら胸がいっぱいになり、涙が流れて仕方なかった。

■スポーツを一生の仕事にしたい

十数年後、同志社大学に入った少年は陸上競技部に所属し、ハードル選手として活躍する。オリンピックにこそ出場しなかったけれど、競技に明け暮れた学生時代だった。大学を卒業した後はスポーツを一生の仕事にすることにし、アシックスに入社する。

現在は同社常務執行役員として、日本代表選手団のポディウムジャケット、シューズ、バッグなど17種類の製品を作製する責任者である。

松下は言った。

「日本代表選手団のオフィシャルスポーツウエア、オリンピックもパラリンピックも担当します。ポディウムジャケットというのは表彰台に上がる時のウエアのこと。シューズもやります。日本代表選手が表彰台に上がる時に履きますし、選手村でも使用します。この他、Tシャツ、帽子、バッグも作りましたし、応援グッズやボランティアのユニフォームも当社製です」

アシックスが作製するのは日本代表選手団の選手、監督・コーチなどが使うウエア、シューズ、グッズである。選手が競技に出場する時のユニフォームはそれぞれの競技団体のオフィシャルサプライヤーが担当する。また、サッカー選手のシューズなどは個々の選手がそれぞれスポンサーと契約している場合がある。

■開会式、式典、選手村、本番…着る服は実に豊富

そうして考えると、東京大会に出場する日本選手のワードローブは実に豊富だ。

まず選手村のクローゼットに吊るすのは開会式用と式典用の服だ。そして、選手村内で着るアシックス提供のTシャツ、ポディウムジャケット、パンツとシューズ、バッグなどがある。各競技団体が配る練習用と本番用のウエアとシューズとバッグもある……。

かつての東京大会でマラソンに優勝したアベベ・ビキラは選手村でも本番でも同じウエアにトラックスーツを羽織るだけだったが、そうした時代はすでに過去となったのである。

現在のオリンピック・パラリンピックではウエア、シューズ、グッズが次々と開発され、種類も増えている。新しい技術に裏打ちされたスポーツウエアは大きな大会が開かれるたびに注目度が上がる。各スポーツメーカーは大会に向けて新製品を出す。ワールドカップ、各種世界大会は新製品の見本市となっているのだが、最大規模のそれがオリンピック・パラリンピックなのである。

国立競技場
写真=iStock.com/ebico
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ebico

■「ジャージ」を作ったのはオリンピアンだった

松下は「ご存じでしたか?」と尋ねてきた。

「ジャージを日本で初めて作ったのはうちの子会社のニシ・スポーツで、社長の西貞一(故人)さんがその人です。西さんは同志社大学陸上競技部出身で、オリンピック選手でした。僕は後輩なんです」

ニシ・スポーツに確認すると、「1954年に、日本初、前開き式ファスナー付きのトレーニング・ジャケット及び脚側部にファスナーを付けたパンツを発表」という記録が残っていた。また、アシックスの前身、オニツカタイガーには「タイガーパウ(ジャージの上下を)1974年に販売」という記録もあった。

編地でできたスポーツウエアを指す「ジャージ」は和製英語だ。語源はニット生地の平編みであるジャージースティッチ(jersey stitch)のこと。イギリス海峡にあるジャージー島の漁師が着ていた厚手の編地で、漁師がスポーツをするためのウエアではなく、寒さを防ぐための厚手のセーターだ。それをニシ・スポーツは細い糸を使ったジャージー編みの運動着に仕立てたのである。

当初はトレーニングウエアという名称だったのが、いつの間にかジャージと呼びならわされるようになった。なお、海外ではむろんジャージとは言わない。トラックスーツと呼ばれている。

ジャージは開発されて短期間のうちに普及したわけではなく、中学校、高校、大学の運動着になったのは1970年代に入ってからだ。

■「人間の動きを解放する」ウエアづくりを重ねてきた

松下は思い出す。

「僕が中学生になった頃(1974年)、体育の時間には、みんな布帛の白いトレパンを穿いていました。普通のズボンと同じつくりでしたから四股を踏んだり、スクワットしたりすると股のところが破れてしまうんですよ」

「白いトレパン」は布帛生地を縫い合わせたものだった。現在、病院の看護師が穿いているような白いパンツを思い浮かべればいい。手足を大きく動かすには窮屈な衣料で、膝を屈伸したり、大きく足を上げたりするには向かない。白いトレパンの上に着るのは丸首の綿シャツだった。肌着と同じ編地だから伸縮性がある。あの頃の中学生、高校生は夏になると丸首シャツとトレパン、冬になったら、丸首シャツにセーターを着たりしていた。

そんな時代にデビューしたジャージは機能性において優れていた。上下ともに編地だから伸縮性がある。四股を踏もうが、スクワットをやろうが、股が裂けたりしなかった。上は前開きのファスナー付きで、下は脚の膝下部分の側面にファスナーが付いていた。ジャージは「人間の動きを解放する革命的スポーツウエア」(松下)だったのである。

ジャージはたちまち日本中の学校体育で使われるようになり、修学旅行の時はパジャマ代わりにもなった。大学の運動部、社会人も使うようになり、一般の人々もトレーニングウエアと言えばジャージと認めるようになった。

ジャージは革命的ですよとつぶやきながら、話を進めていた松下はぽつりと言った。

「東京大会で、もっとも苦労したのはポディウムジャケットですね。当社の機能性追求の歴史とノウハウをすべて投入しました」

■朝日をイメージしたジャポニズムデザイン

ポディウムジャケットとは選手が表彰台に上る時に羽織るトラックスーツのことで、ジャージの延長線上にあるウエアだ。柔道の選手も、陸上、水泳、球技、室内競技の選手たちも、メダル授与のセレモニーではポディウムジャケットを着る。スポーツウエアでありながら競技そのものに使用するものではなく、羽織るものだ。

アシックスは2017年の初めから同ジャケットを含むウエア、シューズ、バッグなどの開発に入った。

同社の神戸本社8階にはディシジョンルームという役員用のミーティングルームがある。その部屋で開発を決定し、日本代表選手団を派遣するJOC/JPCと確認の上、方向性を決めた。その後は企画立案からレプリカ製品の販売企画まで50人のチームで行っている。2000人弱の従業員のうち、50人の代表がスタートからダッシュしたわけだ。

「ポディウムジャケットは選手の着用感、使用の快適性、機能性を重視して作りました。カラーは朝日が昇る力強さをイメージしたサンライズレッド。非常に発色のよい色ですので、表彰台に立つと目立つウエアになっています。デザインテーマはジャポニズム。『折形』や『かさねの色目』など日本の伝統文化を表現に取り入れてあります」

■原材料は「思い出のユニフォーム」を使った再生糸

特徴はそれだけではない。

可動性、着脱のしやすさに加えて、夏の大会を考えた通気性のよさに重きを置いている。

原材料には昔のユニフォームを再生した繊維を使った。これまでにはまったく考えられなかった試みで、全国から思い出のスポーツウエア(主にポリエステル100パーセント製品)を回収し、糸に再生。再生した糸を生地にして、ウエアの原材料にしている。

松下は「これこそやりたかったこと」と強調した。

「スポーツウエアのリサイクルは応援キャンペーンです。日本人がワンチームになって応援できるような企画なんです。

陸上の桐生祥秀選手、レスリングの吉田沙保里選手といった選手たちも昔のウエアを寄付してくれました。加えて一般の方々が協力してくれました。自分たちの想いをオリンピック選手に託して、来るべき東京大会で頑張ってもらおうというキャンペーンで、サスティナブルという考え方につながる企画でもあります。

思い出の詰まったスポーツウエアを持ってきていただいたのですが、なかには小学生もいました。できるだけポリエステル素材をお願いしたのですけれど、綿100パーセントのものもありましたし、他社製もありました。材質よりも、思い出が大事。受け入れたのは、みなさんの想いだからです」

野球
写真=iStock.com/pkripper503
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/pkripper503

■実際に着てみて分かった細かいくふう

「今回の大会のためにいちばん苦労したのはポディウムジャケットです」

そこで、ポディウムジャケットのレプリカを試着した。

上着には通気性をよくするためのメッシュがいくつも空いている。確かに涼しい。よく見るとメッシュの分布は一様ではない。

「アシックススポーツ工学研究所で立証されたボディ・サーモ・マッピングに基づき、体温が上昇する場所を特定し、温度を下げるための効果的な構造になっている」。つまり、メッシュの位置は汗をかく量が多くなる箇所だ。クーリングスポットを研究し、メッシュをその位置に重点的に配置したのである。

メッシュの位置を確認すると、「へえ、人間はこんなところに大量に汗をかくんだ」とわかる。お腹の部分より、背中に汗をかく。

汗をかきにくい構造で、しかも、早く乾くし、水をはじくという。いずれも新合繊の特徴で、加えてメッシュの位置と数で通気性を向上させ、新合繊の特質をさらにブラッシュアップしてある。

ポディウムジャケットを着た途端、中学生の頃、真夏に木綿の丸首シャツと白いトレパンで校庭をぐるぐる走ったり、うさぎ跳びをしたりして、全身が汗だくになったことを思い出した。あの頃のスポーツウエアと現在のそれはまったく別の種類の衣料だ。

さて、話はポディウムジャケットの着心地に戻る。一部のパラリンピック選手にとって動作が楽になるのが新感覚のファスナーだろう。

ファスナーを閉めるのは通常、両手だ。ところが、アシックスのポディウムジャケットについているファスナーは片手でも閉められるし、開くことができる。そして、金具の摩擦を低減してあるので着脱がスムーズだ。量産品に採用されたのは世界で初めてだ。手に障がいがある選手でも脱いだり着たりが楽に行えるようにという配慮である。

■市販価格は5万円弱でも「リーズナブルです」

そんなポディウムジャケットのレプリカの市販価格は5万円弱だ。

「結構な値段ですね」と伝えたら、松下は「いや高くはありません、リーズナブルです」。

「非常に限られた数を作っているからですし、また、量産するとはいっても何万枚という生産ロットで作っているわけでもないんです。そして、この価格は過去の大会のウエアとほぼ同じです」

市販されるレプリカについてだが、過去の大会でも、主に買っていくのはインバウンドの観光客だという。海外からやってきた観光客の需要が非常に高く、彼らはこれを買って、高揚した気分で自国の選手を応援する。ただ、今回の大会では海外からの観光客は参加できない。その分、国内の観戦客が買っていくのだろう。

いずれにせよ、スポーツウエアには機能だけでなく、気分を高揚させ、スポーツに没入させる役割もある。選手たちはそうした応援を受けて発奮する。記録を向上させる。ウエアがスポーツや運動に占める位置はわたしたちが考えるよりもはるかに広く深い。

■「使う人の意思を尊重しないといけない」

松下たちの配慮はシューズにも表れている。シューズにもさまざまなくふうがあるのだが、ふと見るとベルトではなく、紐で結ぶ方式になっている。ジャケットのファスナーのように片手で扱えるものにはなっていない。

手に障がいのあるパラリンピック選手のことは考慮しなかったのか?

「いえ、ちゃんと考えたのです」と松下は首を振った。

「選手にヒアリングをしました。『ワンタッチで履けるベルトにしたらいかがですか?』。

すると、『ベルトで着脱する靴はカッコ悪いから嫌です』と言われました。パラリンピックの選手は専用の道具を作っても、それがカッコ悪いものだったら、一切受け付けないんです。思えば、彼らは普段から靴の紐を結ぶ場合はくふうしているんです。そうした選手たちに不格好な道具を渡しても使ってくれませんし、かえって選手のモチベーションやテンションを下げてしまう。僕たちはつねに使う人の意思を尊重しないといけないのです」

■スポーツウエアはどんどん進化する

松下は別れ際にこう言った。

「スポーツウエアの進化は一般の衣料を超えています」と訴える。

「進化は他のアパレルより間違いなく速い。絶えず、新しい機能を探して、それを付け加えていかないと競争に勝てませんから。ニシ・スポーツの西さんが作ったジャージは僕らの原点です。当時、伸びる繊維は画期的だった。そこに今度は通気性が出てきた。吸汗、速乾、接触冷感、蓄熱、つまり保温力、加えて透湿性。スポーツウエアには非常に矛盾する性質をすべて入れていかなくてはいけない。

トラックで走り始める準備をしている男性アスリート
写真=iStock.com/Inside Creative House
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Inside Creative House

通気性を担保しながら保温力を高めるのは基本的には矛盾する話です。ビニール製で通気性のない表面素材のなかが綿入りのジャケットを着たと思ってください。ちょっと走っただけで、体は汗でびしょびしょになります。それは通気性がないから起こる。僕らは中綿を入れながら通気性を担保するにはどうすればいいかを考える。だからといってビニールでなくただの布にしたら、今度は雨が降ったら濡れてしまう。では、どんな素材を使おうか、メッシュの配置はどうしようかと考える。

靴でも同じです。テニスシューズの場合、ジョコビッチのように非常に踏み込みが強い選手に対して、ソールをデザインするとします。踏み込みを受け止めるだけではなく、最後に靴をちょっとすべらせるというデザインが必要です。ほんのちょっと滑らせないと、足を痛めてしまうから」。

■「4年に1度の舞台」への情熱はメーカーも同じ

「矛盾をひとつひとつ解決していくのがスポーツ用品の基本的なモノ作りの考え方なんです。特に当社の場合は、ひとりひとりの選手にあわせて物を作っていく。ひとりひとりの意見を聞いて改良をしていきます。今度の大会に合わせた製品は夏のスポーツに対しては100パーセント快適であるように作りました」

野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)
野地秩嘉『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』(KADOKAWA)

フリースやヒート性のアンダーウエアが登場してから、一般の衣料も機能性を追求することが当然のようになってきた。同時に「今年の流行は何々」といった外形デザインの流行という勢いが失われてきた。一般の人でも「流行りの服」ではなく、ストレスの少ない楽な機能性衣料をまとうようになった。

楽な服とは、つまり伸縮性に富み、軽く、吸汗、冷涼感があり、しかも保温性のある服のことだ。それはスポーツウエアである。スポーツウエアが現在のファッションの主流となった。

そして、アスリート用スポーツウエアと一般のカジュアルウエアの違いと言えば、前者はひとりひとりの選手を見つめたオーダーメードになっていることだろう。代表選手が着るウエア、シューズは極め付きのサービスからできあがっている。

オリンピック・パラリンピックは4年に1度、開かれる。アスリートはそれに向かって練習を積み、試合に出てパフォーマンスを上げていく。スポーツウエアのメーカー、公式服装のメーカーもまた4年に1度の舞台で開発の成果を発表するために研究を重ねている。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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