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「モンゴル相撲、自衛隊、茶道」柔道・大野将平が五輪連覇のために"異色の稽古"を続けたワケ

プレジデントオンライン / 2021年8月8日 13時15分

東京・日本武道館で開催された「東京2020オリンピック」の柔道男子73キロ級決勝戦に出場した日本の大野将平(白)とジョージアのラシャ・シャヴダトゥアシヴィリ=2021年7月26日 - 写真=AFP/時事通信フォト

柔道の大野将平選手が、東京五輪の男子73キロ級で2大会連続の金メダルを獲得した。スポーツライターの本條強さんは「その道のりは険しかった。リオでは完璧な柔道で優勝を果たしたが、東京五輪ではその自分を倒す精神力が必要だった」という――。

■小さくて泣き虫だった大野の金メダル

ゆっくり時間をかけ、深々と一礼すると、天井を見上げた。

「柔道の聖地、日本武道館の景色を目に焼き付けておきたかった」

溢れ出そうになるものをグッと堪えた。

東京五輪を制し、リオ五輪からのオリンピック2連覇を果たした大野将平は、そのとき、今日一日の闘いをしみじみと思い出していた。

「リオを終えてからの苦しくて辛い日々を凝縮したそんな1日の戦いでした」

小さくて泣き虫だった大野が柔道によって強くなり、自分に自信を持ち、24歳の時に出場したリオ五輪で悲願だったオリンピックに優勝する。

「世界選手権に何度勝っても世間は認めてくれない。オリンピックに勝たなければ真の柔道家とは言えない。私は金メダルしか求めない」

右の組み手を強化し、内股と大外刈りの得意技に磨きをかける。密着戦にも動じない強靱な肉体を作り上げ、前に出て投げ切る自分の柔道を作り上げた。ウェイトトレーニングでパワーアップ、力で真っ向勝負を挑む大野将平柔道である。毎日1000本の打ち込みを行うなど猛練習は激しさを増し、井上康生監督が止めに入るほどの異常さだった。

リオ五輪では人間を超えた獰猛な野獣と化していた。決勝まで準々決勝以外すべて一本勝ちを収め、圧倒的な強さを示して金メダルを獲得したのである。

■完璧な柔道で夢を叶えた苦しみ

リオ五輪で優勝した直後に大野は言った。

2016年リオオリンピックの表彰式にて=2016年8月12日
2016年リオオリンピックの表彰式にて=2016年8月12日(写真=KOICHI NISHINO/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons)

「観ている人に柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを伝えられたと思います。勝負事は運が必要と言いますが、運に左右されない実力をつけたいと稽古に励んできました。それを証明できたと思います」

金メダルを獲得できる実力がありながら、運がないために負けた先輩を観て、大野は圧倒的な実力をつけようと精進する。実際にその実力はリオ五輪でほとんどの試合を1本勝ちにすることで証明された。

当時、筑波大学准教授だった山口香は「大野の柔道は長らく絶版になっていた日本柔道の新しい教科書だ。『こうした柔道をしましょう』と内外に示した。接近戦では相手に一歩も譲らず、『日本人が柔道をするのに何を譲ることがある』と言っているようだった」と語っている。「正しく組んで、正しく投げる」という日本柔道の基本を踏まえた大野の強く美しい完璧とも言える新しい柔道で金メダリストになったのである。

しかし問題はそうした完璧な柔道で金メダルを獲ってしまったことで生じてしまった。

人生を賭けた夢が叶ってしまい、目指すものがなくなってしまったのだ。都民栄誉賞をもらい、紫綬褒章までいただいてしまった。もはや求めるものは何もない。そんなときに古傷の足首や膝まで痛めて試合に出られなくなってしまう。柔道に対する熱意が急速に冷めて行ってしまった。

「好きで始めた柔道が嫌いになった。何のために稽古しているのか、自問自答する日々だった。自分は何者なのだろうと思った」

■燃え尽き症候群で自分を見失いかけた

こうしたことは目指すものこそ違い、誰にでもあることだろう。目指す大学に入れた。目指す職業に就けた。子供の頃から憧れていたプロスポーツ選手になれた、などなど。そこがゴールであった場合、人は先に進めなくなってしまう。ある人は五月病になり、ある人はスランプになり、ある人は鬱病になってしまう。

大野も同様だった。何もする気がなくなってしまった。バーンアウトである。

好きなことで世界を目指しているときには夢がある。しかし、その夢が達成されたら、次の夢を見つけるのはたやすいことではない。好きなことが嫌いになった途端、自分は何のためにそれをやっているのかがわからなくなるのは当然のことだ。とすれば、「自分は何者なのか」ということになる。柔道が嫌いになるなら、自分は柔道家ではないかもしれない。そう思う大野は自失してしまったということなのだ。

しかも金メダルによって、周囲は大野が世界一強い選手だと思い込んでしまう。もはや負けることは許されない。辛く苦しい稽古も夢があったときは何でもなかった。しかし、今や何倍にもなって辛く苦しく重いものに変わってしまうのである。

「次の目標はオリンピック連覇でしょうと人は言います。単純に考えればそうなるのでしょうが、自分の中では一向にそうはならない。もやもやするばかりでした」

オリンピックに勝つことを目標に、ぎりぎりまで自分を追い込んで心技体を磨いてきたからこそ、オリンピックの2連覇は簡単に目標とはならない。あまりに高い壁をもう一度登らなければいけないと思えるからである。

■完璧な自分を超える強い精神力

高い壁を登り切るには強靱な精神力が必要になる。しかし、一度途切れてしまった精神を再び取り戻すのは容易なことではない。それは体力や技術とは異なる世界だからである。

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写真=iStock.com/uladzimir_likman
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/uladzimir_likman

ならば、どうやって大野は最悪の精神状態から脱出することができたのか。それは具体的な敵を目の前に見つけることができたからだ。

「敵は自分です。リオで金メダルを獲った完璧な自分。その自分を倒すことです」

リオ五輪での完璧な自分を倒すことができればオリンピックの2連覇も可能になると思えたに違いない。自分を倒して、今の自分を乗り越える。それには体も技もレベルアップしなければならないし、何よりも精神を鍛え上げなければならない。

そのために大野はモンゴルに行き、自分よりも上の階級の選手と稽古を行い、モンゴル相撲まで取った。自衛隊に体験入隊して高いところから降下訓練も行った。さらには茶道まで体験する。武士が死を賭けて試合をする前に茶をいただく。その心境を体得しようと思ったのかも知れない。

自分を超えるためには新しいことに挑み、どんなことでもやるということだったに違いない。自分という人間をひと回りもふた回りも大きくしたかったのだ。

しかし、実際にリオ五輪の自分を倒すとなれば、それは柔道でなければいけない。そのために敢えて自分に不利な組み手をつくって攻めの繰り返しを行った。

右の組み手なのに、敢えて左の組み手で一日中稽古を行ったりした。まともに組み合おうとしない相手に組み勝って、両手で投げ技を決める日本柔道の伝統を踏襲する稽古も怠らなかった。リオ五輪の自分を倒す、さらなる自分を作り上げていったのである。

■東京大会というモチベーション

武道の聖地、日本武道館で東京オリンピックが行われることもモチベーションとした。

おそらく一生に一回しかチャンスがない出来事。リオ五輪では両親を招くことができなかったが、東京五輪では自分の柔道をその目で見てもらおう。そうしたことも気持ちを上げていくことになった。

ならば、私たちが目標を達成して自失した場合はどうしたらよいだろう。まずは大野のように、これまでやったことのないことにチャレンジしてみることだろう。少しでも興味が湧くことならやってみる。スポーツや音楽などの趣味の分野でもいい。

下手でも何でもやってみる。体に汗をかき、脳を刺激することなら、精神はリフレッシュする。そうして新しい自分を作ってから、自分のやるべきこと、またはやって来たことに再挑戦するのだ。学問や仕事に向かっていけばいい。それも何かモチベーションとなる夢を見いだして。きっと大野のように前進することができるだろう。

大野は再び魂を込めて柔道に向かっていった。深遠な柔らの道を究めたいと前に進み出したのだ。

■大野を襲う悲観と不安

2019年8月、東京で行われた世界選手権に3度目の優勝を成し遂げる。さらに2020年に入るや2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会で優勝、強化委員会の満場一致で東京オリンピックの日本代表に内定した。

柔道
写真=iStock.com/klikk
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/klikk

「自分、そして周りが思っている以上に2連覇は難しいこと。やるべきことは今までと変わらない。覚悟をもって準備するだけ」

大野は「覚悟」という言葉を使う。茶道で得た武士道にも通ずる、命懸けを意味しているのだろう。命懸けで稽古し、命懸けで試合に臨む。国を代表する選手として自分がするべきことはただそれだけというわけである。

しかし大野のそうした思いを打ち砕くような世界情勢が日本を襲う。コロナウイルスである。覚悟を持って臨んだ東京オリンピックが1年延期することになったのだ。

コロナによって相手と密着する柔道は試合はおろか乱取りさえできなくなる。自分一人だけの稽古。孤高を標榜する大野がまさに「孤高の人」となった。それでもオリンピックは近づいてくる。2021年に入ると、コロナが一向におさまらないことから、そのオリンピックさえ開催が危ぶまれる。こうした状況の中で、絶対的な強さを身につけてオリンピック2連覇を目指す大野はいかなる心境だったのか。

「昨年からずっと悲観的な気持ちで過ごしてきました。不安でいっぱいでした」

■9分26秒にも及ぶ激闘

圧倒的な実力を持つ大野でさえ、大きな不安を抱えた東京オリンピックだった。開会式のあと、競技は柔道から始まる。男子は60kg級で髙藤直寿、次の66kg級で安部一二三が金メダルを獲得し、いよいよ大野の出番、73kg級となった。

1年半ぶりの対外試合。まさにぶっつけ本番だった。緒戦となる2回戦を得意技の内股で一本勝ちすると、3回戦は横四方固めで一本勝ち、準々決勝はリオ五輪決勝の相手だったアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフを内股と大内刈りの合わせ一本で退けた。

準決勝はモンゴルのツォグトバータル・ツェンドチルを延長のゴールデンスコアで小外掛けの技ありを奪って勝利する。決勝はロンドン五輪と直近の世界選手権の覇者であるジョージアのラシャ・シャフダトゥアシビリ。大野は指導をふたつもらい後がなくなるが、延長の末、支え釣り込み足で技ありを奪って金メダルを獲得した。9分26秒にも及ぶ激闘だった。

ガッツポーズもなく、喜ぶこともなくも、静かに畳を下りる大野。畳の上で喜びを表すのは敗者への思いやりに欠ける行為。敗者に敬意を表すのが柔道の礼儀である。

「準決勝、決勝の延長戦は、これまで感じたことのない恐怖の中で闘っていました。勝ちを拾って来れたのは、実力以外の部分も在ったかもしれません」

■敵は自分にあり、自分の心にある

このまま勝負が決することなく、永遠に試合が続き、勝つことはないと思ったのかも知れない。ふたつめの指導を取られたときには、不運によって負けると感じたのかも知れない。リオ五輪の時には「運に左右されない実力によって勝てた」と言った大野が、運が味方したと思えたのだ。謙虚さが大野の柔道をより一層、神がかったものに変えたのだろう。

そうした大野が畳を下り、コーチを見てようやく表情が緩んで笑顔になった。大きく息を継ぎながら、インタビューに答える。まずはオリンピックが開催されたことに感謝した。開催されなければ金メダルを取ることさえ叶わなかったからだ。その思いが滲み出る。

「1年の延期を乗り越えて今日までやって来ました。我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば光栄に思います。苦しく辛かったこの1年が報われたとは思いません。まだまだ自分の柔道人生は続きます。自分を倒す稽古を継続してやっていこうと思います」

インタビューを終えて井上康生監督と抱き合った。大野は大泣きに泣いた。苦く辛かった5年の思いがどっと湧き出た瞬間だった。

「自分が何者であるか。確かめるため、証明するために闘うことができました」

敵は自分にあり、自分の心にある。ようやく自分が柔道家であったという実感がつかめた東京オリンピックだった。

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本條 強(ほんじょう・つよし)
『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター
1956年東京生まれ。スポーツライター。武蔵丘短期大学客員教授。1998年に創刊した『書斎のゴルフ』で編集長を務める(2020年に休刊)。倉本昌弘、岡本綾子などの名選手や、有名コーチたちとの親交が深い。著書に『中部銀次郎 ゴルフの要諦』(日経ビジネス人文庫)、『トップアマだけが知っているゴルフ上達の本当のところ』(日経プレミアシリーズ)、訳書に『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(日経ビジネス人文庫)など多数。

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(『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター 本條 強)

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