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「宮内庁のおかしな理屈」京都御所や桂離宮が文化財指定を受けずに朽ちていく恐れ

プレジデントオンライン / 2021年8月13日 15時15分

「唐獅子図屏風」を鑑賞される高円宮妃久子さま=2019年5月21日、東京都台東区の東京国立博物館[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

7月16日、宮内庁が収蔵する絵画4件と書跡1件が国宝に指定されることがわかった。歴史評論家の香原斗志さんは「これまで宮内庁は管轄する文化財や歴史遺産の文化財指定を拒んできた。今回の対応は異例だが、京都御所や桂離宮などの処遇は決まっていない。宮内庁の縄張り意識が文化財を危険にさらしている」という――。

■国宝級なのに重文でもなかった名画

文化審議会が、皇居東御苑にある三の丸尚蔵館が収蔵する絵画4件と書跡1件を国宝に指定するように文部科学大臣に答申したという報道が、7月16日に流れた。

その絵というのは、桃山時代を代表する画家、狩野永徳の代表作「唐獅子図屏風」や、鎌倉時代の元寇を描いた「蒙古襲来絵詞」など、歴史の教科書でもおなじみで、以前から第一級というお墨付きを得ていた作品だった。

意外なことに、これまでは重要文化財(重文)にさえ指定されていなかった。文化財保護法では、重要文化財のうち「世界文化の見地から価値の高いもので類いない国民の宝」が国宝に指定される。ところが、このたび国宝に指定される5件は、いずれも重文を飛び越え、いきなり国宝になるのだ。

■暗黙のうちに文化財保護法の対象外に

急遽、出世を遂げることになった5件について、「三の丸尚蔵館の収蔵品での国宝指定は初めて」と報じられた。

事実、同館の収蔵品は9682点もあるのに、これまで1点も国宝どころか重文にも指定されていなかった。価値がなかったからではない。宮内庁の有識者懇談会が全収蔵品を精査したら、そのうち2484点は「国宝、重要文化財の候補になるレベルの質をもっているもの」などが該当する、Aクラスの優品に分類されている。

それなのに、国宝はおろか重文でさえなかったのは、三の丸尚蔵館が宮内庁の管轄下にあるからなのである。

実は、皇室が私有する絵画や書跡、刀剣などの「御物」や、宮内庁が所蔵または管理する文化財や歴史遺産は、文化財保護法にもとづく国宝や重文、史跡などの対象外なのだ。同法に明文規定こそないが、この慣例は戦前から長く踏襲されている。

芸術新潮編集部編『国宝』(新潮社)に収められた小論「『国宝』という物語」に、評論家の松山巌氏はこう書く。

「(1929年制定の)国宝保存法にあっても、皇室が所有する、いわゆる御物は指定から外されている。そして御物を国宝から外す措置は戦後の文化財保護法でも暗黙のうちに踏襲されている」

戦後、御物の一部は国有財産になったが、宮内庁が管理しているかぎりは、やはり指定から外れてきた。だから今回、宮内庁所管の文化財が国宝指定されたのは異例だといえる。

これまでは1997年、東大寺にありながら宮内庁が管理している正倉院正倉が国宝に指定されたのが、ここ数十年間の唯一の例外だった。

ただ、そのときは特別な事情があった。「古都奈良の文化財」がユネスコの世界文化遺産に登録されるにあたり、正倉院正倉は「登録物件が所在国の法律で文化財として保護されている」という条件を満たしていないため、除外されそうになったのだ。

このため、正倉1棟が急ぎ国宝に指定されたのだが、その際も宮内庁は「あくまでも正倉院正倉は例外」と釘を刺した。正倉の収蔵品だった天平以来の貴重な宝物の数々は、いまも御物なので原則非公開であり、1点も国宝や重文に指定されていない。

■整備が十分に行われていない歴史遺産

宮内庁の管下にあるため文化財保護法で保護されない歴史遺産も多い。京都御所や桂離宮、修学院離宮は、建物が国宝でも重文でもないばかりか、名高い庭園も名勝や史跡の指定を受けていない。

旧江戸城に現存する建造物も同様だ。環境庁が管理する外桜田門、清水門、田安門は重文指定を受けているが、宮内庁が管轄する皇居とその周囲は、事情がまったく違う。天守焼失後は代用天守とされてきた三重の富士見櫓をはじめ3棟の櫓、一層の多門櫓3棟、それに平川門や内桜田門、旧西の丸大手門(皇居正門)など数棟の門、3つの番所は、いずれも一切の文化財指定を受けていない。

京都御所や桂離宮、修学院離宮は、文化財保護法による管理外にあるため、適切な修繕が行われていないことがたびたび問われてきた。2017年には自民党行政改革推進本部が、「整備が必ずしも十分に行われておらず、経年劣化により美観が損なわれている施設がある」と指摘している。

皇居京都御苑の門入口の外観と近くを歩く人
写真=iStock.com/ablokhin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ablokhin

■発掘どころか立ち入りも許されない陵墓

さらには全国に896あり、歴代天皇をはじめ皇室の祖先の墓とされる陵墓も文化財保護法の対象外になっている。この問題は、これまで国会でも取り上げられてきた。

「古墳の学術目的の調査に対して非常に大きな壁となり、史実等の解明の支障となっている」(2012年、吉井英勝衆議院議員)

「我が国の古代史においては未解明の部分が多く、陵墓の持つ学術的価値が高いにもかかわらず、宮内庁の管理の下、陵墓への研究者等の立ち入りは厳しく制限されてきた」(2018年、津村啓介衆議院議員)

陵墓が史跡に指定され、学術調査の対象になれば、日本の古代史は書き換えられるかもしれない。発掘どころか立ち入りさえ拒む宮内庁の姿勢に、考古学者や歴史研究者の批判は根強い。

仁徳天皇陵古墳が見える景色
写真=iStock.com/sangaku
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sangaku

ちなみに2019年に世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市の古墳群」も例外ではない。文化財に指定されないまま世界遺産に推薦されているのだ。

宮内庁は、所蔵または管理する歴史遺産、文化遺産についての指摘や批判には聞く耳を持たず、「十分に管理しているので、文化財の適用は不要」という趣旨の説明を一貫して繰り返している。

■作品の価値をわかりやすく示すことの意義

宮内庁のかたくなな姿勢に、三の丸尚蔵館の収蔵品の国宝が指定されることで、風穴が開くだろうか。

ここで三の丸尚蔵館の収蔵品の由来を確認しておきたい。昭和天皇の没後、遺品のうち御物のまま遺族に継承された品以外の、国庫に寄贈された美術品など約6000点が収蔵されたのが最初で、その後、1996年に秩父宮妃、2001年に香淳皇太后、2005年に高松宮妃、2014年に三笠宮崇仁親王と、それぞれの遺品が寄贈された。

その価値について、宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品の保存・公開の在り方に関する有識者懇談会の第4回における「提言」は、こう記した。

「三の丸尚蔵館の収蔵品は、教科書等にも登場するような優れた貴重な作品が多くあるが、それらは、文化財保護法上の国宝又は重要文化財の指定を受けておらず、多くの人々にそれら作品の価値を分かりやすく示すことになっていない。一方、多くの人々にとっては、国宝や重要文化財に指定されることが、文化財の価値判断の基準として広く理解されている」

これを受けて宮内庁と文化庁が協議し、はじめて5件が国宝に指定されることになったのだが、「作品の価値を分かりやすく示す」という視点は重要だ。

昨秋、東京国立博物館平成館で開催された特別展「桃山——天下人の100年」には、狩野永徳の作品として、このたび国宝に指定される「唐獅子図屏風」と「檜図屏風」(東京国立博物館蔵)が並んで展示されていた。

しかし、後者は「国宝」と明記されていたのに、前者にはそうした表記がなかったから、入場者の多くは、「唐獅子図屏風」のほうがずっと有名でも、「檜図屛風」にくらべれば価値が劣ると勘違いしたのではないだろうか。

■文化財の価値を後世に伝えるために

多くの国民は、国宝が最も価値ある文化財で、その次が重文だと思っている。また、史跡や名勝に指定されているエリアのほうが、それ以外のエリアよりも歴史的価値が高いと思っている。宮内庁は、既得権益を守る縦割り行政の弊害がこんなところに生じているとは思っていないだろう。

結果として、文化財の価値が誤解されれば、棄損される危険性も高くなってしまう。

だが、問題はそれだけではない。すでに記したように、文化財保護法の対象から外れていると、学術調査が行えず、国民の目に触れる機会が制限され、さらには整備が行き届かないことにもなる。

「提言」の別添資料には、個々の有識者の意見として、次のような文言も記されている。

「文化財指定をすることによって、天皇陵や修学院、桂離宮などにもその問題は波及するので、その前に宮内庁としてどうするか考える必要がある」

宮内庁管下の歴史遺産や文化遺産は、御物をふくめて、皇室用財産である前に国民共有の財産である。その価値は国民の前に、わかりやすく示されるべきだし、適切に保存および整備され、後世に伝えられなければならない。

宮内庁に尋ねると、「十分に管理してきたため文化財の適用をしてこなかった。今後については現時点で公表している以外は不明です」とのこと。

これを機に、皇室の権威をかさに着て、自らのテリトリーを必死に守ることの愚かさに気づいてもらいたい。

今回の国宝指定が、宮内庁が姿勢を改める第一歩になればいいのだが。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)がある。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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