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7つの仏教法人に送った質問状「霊魂は存在すると考えるか?」否定派の意外な"言い分"

プレジデントオンライン / 2021年8月13日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sato

お盆の入りに迎え火を焚いて故人を迎え、送り火であの世へと戻ってもらう……お盆は日本に欠かせない夏の年中行事だ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「あまり知られていませんが、霊魂の存在に関して日本の伝統仏教界において捉え方がまちまちです。その存在を否定する宗派は意外に多い」。7つの宗教法人に対して送った霊魂の存在の認否に関する「質問状」への回答で書かれていた内容とは――。

■霊魂の存在を否定する仏教の宗派は多い

ご先祖様の精霊を迎えるお盆は、首都圏では先月終わったが、全国的には8月中旬である。お盆の入り(13日)には迎え火を焚いて故人を迎え、16日には送り火であの世へと戻ってもらう。

迎え火はあまり馴染みがないかもしれないが、墓地や自宅の庭先でささやかに実施する人も少なくない。

一方で、送り火のほうは、例年16日夜に実施される「京都・五山の送り火」が特に有名だ。コロナ禍で見物客が集まるのを考慮し、昨年および今年は点火の数を減らして実施される。

京都・五山の送り火の鳥居型(本来は鳥居型だが、2020年は「点」だけだった)
撮影=鵜飼秀徳
京都・五山の送り火の鳥居型(本来は鳥居型だが、2020年は「点」だけだった) - 撮影=鵜飼秀徳

このようにお盆は、死者の魂が可視化される時期である。各家庭でも仏壇に精霊棚を受けて、キュウリで「馬」を象り、ナスで「牛」をつくって祀る。これはご先祖様の精霊がなるべく早くこの世に戻るようにと、足の速い馬を、また、あの世に帰る時は名残惜しんでゆっくり戻ってもらうように、との願いを込めているからである。

さて、お盆は日本仏教共通の年中行事であり、弔いの主体は「精霊(霊魂)」である。実は、この「霊魂」、日本の伝統仏教界において捉え方がまちまちなのである。霊魂の存在を否定する宗派は意外に多い。お寺は先祖供養の場でもあるので、霊魂を否定していることに違和感を抱く人もいるかもしれない。

■「死後の世界はあるか?」の質問に釈迦は「語っても意味のないこと」

まず仏教の祖、お釈迦様は死後世界をどうとらえていたか。お釈迦様と弟子の問答、「毒矢のたとえ」という逸話が残されている。

精霊流し(京都市・廣澤池)
精霊流し=京都市・廣澤池(撮影=鵜飼秀徳)

ある時、お釈迦様は弟子から、「死後の世界があるかどうか」と問われた。

そこで釈迦は、

「弟子よ、たとえばある男が毒を塗られた矢で射られたとしよう。男はこう言う。『私を射た者の階級はバラモン(僧侶)か、クシャトリヤ(武士)か、ヴァイシャ(平民)か、スードラ(奴隷)か。あるいは、私を射た者の背は高いか、低いか。また、あるいは私を射た者が使用した弓や矢はどんな材質でどんな形状か…それらが分かるまで、この矢を抜いてはならない。それを私は今、知りたい』と。そうこうしているうちに、その男の命はなくなってしまうだろう。必要なのは、まず毒矢を抜くことなのに。お前の問いはそれと同じだ。お前の問いは、人間の本質的な苦しみや悩みとは関係のないことだ」――。

つまり、「語っても意味のないことだから、扱わない」というのがお釈迦様の回答だった。

■江戸時代以降、「霊魂」の存在を巡り宗派の解釈が生まれた

だが、6世紀に大陸から日本に伝えられた仏教は原始仏教の考えから、大きく変容した。古来の神道や中国の儒教など、積極的に霊魂の存在を認める宗教と混じったからだ。

江戸時代以降は先祖供養が庶民の間に普及すると、「霊魂」の存在をめぐって、各宗派のさまざまな解釈が生まれていった。

ここで少し日本の宗派仏教について、少し解説してみたい。

仏教が、インドや中国、朝鮮半島を経て日本に伝来したのは西暦538(欽明天皇13)年(一説には552年)のことである。7世紀には聖徳太子によって日本仏教の基礎が築かれた。

奈良時代に入れば、遣唐使によってもたらされた学問系の南都六宗(三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の各宗)が成立。

平安時代には唐に渡った伝教大師・最澄が天台宗を、同じく唐の留学生で、真言密教の秘法を伝授された弘法大師・空海が真言宗を立ち上げた。

仏教や日本古来の山岳信仰、神道、シャーマニズムなどと融合した修験道(山伏)が生まれたのも、平安期のことだ。

鎌倉時代にかけては末法思想の影響を受け、新仏教が次々と生まれた。それらは武士階級や民衆が好んで受け入れ、社会に広まった。禅宗系(曹洞宗や臨済宗)、浄土系(浄土宗や浄土真宗)、日蓮系(日蓮宗)の各仏教教団が続々、誕生。今につながる宗派仏教の大枠が完成したのがこの頃だ。

■「霊魂の存在の認めているか?」7つの宗教法人の公式見解

こうした歴史的な流れを受け、現在、日本の各宗派の教えはそれぞれが独自のものとなっている。私は過去、各包括宗教法人に対して霊魂の存在の認否に関して「質問状」を送って、回答を求めたことがある。調査は、2016(平成28)年から2017(平成29)年にかけて実施した。

鵜飼秀徳『「霊魂」を探して』(KADOKAWA)
鵜飼秀徳『「霊魂」を探して』(KADOKAWA)

具体的に代表的な宗教法人の公式見解をみていきたい。回答のオリジナルは鵜飼秀徳『「霊魂」を探して』(KADOKAWA、2018年)に掲載してある。ここでは、見解の概略のみをお伝えする。文末に各宗派の霊魂観をチャート図にしているので、参考にしてほしい。

【高野山真言宗】

霊魂の存在を認める。「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」と言うご詠歌があるように、阿字は全ての生命の根源であります大日如来を表し、人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還すると教えられている。

【天台宗】

日本仏教は日本人の霊魂観の上に成立し、それを継承することで日本民族に受け入れられてきた。死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない。一部に釈尊が霊魂の実在に対して否定的であった説を持ち出して、「本来の仏教は生きた人間を対象とする考えや救い」とする方もいるが、日本仏教はインド仏教と多くの点で異なっていることは勿論のこと、霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう。

【日蓮宗】

認めている。一例として、宗祖日蓮聖人が女性の信徒に宛てた手紙(息子に先立たれ、四十九日の供養の品を送ってきた事への返礼)には、死出の旅路の息子、霊山(りょうぜん)浄土にいる夫(故人)と現世の婦人が離ればなれになっていることへの哀れを思いやり、婦人も命終(みょうじゅう)の後には同じ霊山浄土で会えるように唱題(南無妙法蓮華経のお題目を唱えること)を勧めている。

【浄土宗】

浄士宗の教えは「阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰」だ。この教旨からいえば、直接的に「霊魂」に関する話題に触れることはない。教義の上では「霊魂」を取り扱うことはないが、葬儀・中陰といった社会習俗と密接にかかわる事項の面においては、世の中で一般的に理解されているような霊魂観を許容しているということになる。

【真宗大谷派】

親鸞聖人は、龍樹菩薩に拠りつつ、「ことごとく能く有無の見を摧破せん」(『正信偈』)あるいは「有無をはなる」(『浄土和讃』)と、存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れることを教えている。このことから考えると、自分や身近な人の死を怖れ、その死後を思うことは、とても自然なことだが、そのような私たちに向けて、「霊魂」や死後の存在の有無に対するとらわれから離れることを教えてくださっている。

【臨済宗妙心寺派】

臨済宗妙心寺派としては「断見(人の命はこの世限りのもので、死後は無になってしまうという考え方)」「常見(死後、肉体が滅びても霊魂は残り続けるという断見とは正反対の考え方)」のいずれも非仏説観点から、いわゆる「霊魂」の存在を積極的に認めていない。しかし、「人は死んだら終わり」と考えているわけではない。「霊魂」とは違う禅的な表現ですることはある。

それが何かと問われればそれぞれに様々な表現があり、なかなか一つにまとめるのは難しい。「霊魂観」については今後も続く課題と受け止め、じっくりと教学的にも研究、議論を重ねていきたいと思っている。

【曹洞宗】

曹洞宗宗制において、積極的、直接的に「霊魂」の存在に言及はしない。

ただし、葬送儀礼の中で戒を授ける対象を「霊位」、仏戒を受け諸仏の位に入った者を「覚霊」と位置付けたり、有縁無縁の先亡を「萬霊」とし、儀礼、供養において「霊魂」を対象にしている。曹洞宗が地方に展開する中で、僧侶は当時の民衆の要望に応える形で葬送をつとめていった。素朴な思い(亡くなった家族のみ霊を供養し、死後の安楽を願う思い)を、禅僧のもつ力でもって供養していった歴史の積み重ねが現代まで続いていることを強く受け止めねばならないだろう。教義には説かれない、民俗との複合の上に、葬送・供養が存在するのであり、「霊魂」もそうした民俗由来のものといえよう。

以上のように、同じ仏教でも宗派によって霊魂観は大きく異なることがお分かりだろう。

■霊魂を認める派認めない派の「言い分」(各宗派の霊魂観をチャート)

浄土宗の場合は宗門として霊魂の存在を明確には認めていない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗系も、浄土宗のスタンスと似ている。それでも浄土宗の場合はまだ、霊魂の捉え方に関して寛容なほうだ。

浄土真宗に至っては、霊魂そのものの存在を否定している。

他方、真言宗や天台宗、日蓮宗は明確に霊魂の存在を認めている。それらの宗派に属する僧侶は躊躇なく、鎮魂、除霊、加持祈祷といった作法を行う。

例えば真言宗など密教系宗派では、しばしば「護摩行」が行われる。護摩とは不動明王を本尊にした堂内に炉を構え、護摩木をくべ、燃え盛る炎とともに様々な願いを成就させるものだ。護摩行の手法のひとつに悪魔・悪霊を退散させる目的のものがある。これは霊魂が存在することが大前提での宗教儀式である。

【図表】各宗教団体の霊魂に関するポジション

各宗派の霊魂観をチャートにしてみると、このような分布になった。あくまでも私が総合的に判断したものだが、日本の仏教の奥深さを感じてもらえれば幸いである。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)など多数。近著に『仏具とノーベル賞 京都・島津製作所創業伝』(朝日新聞出版)。浄土宗正覚寺住職、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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