「86歳の現役介護士」子ども3人育て上げ、夫を見送り"70代で始めた就活"の中身
プレジデントオンライン / 2021年8月19日 11時15分
■両親と一緒に暮らした日は長くなかった
86歳で今なお現役ヘルパーとして働く千福さんが大切にしているのは、相手の心に寄り添うこと。それは、幼い頃から自然と身についてきたのだろうと顧みる。
「15歳のときに父を亡くし、母が再婚しましたけれど、それまでも一緒に暮らした日はあまり長くなかったんです。よその家で預かってもらうことが多くて、このおばちゃんはこんな風に思ってはるのや、と顔色をうかがっては、子どもなりにできることをすると喜んでもらえる。私は小さいときから大人の中で過ごしてきたから、わりと人の心を読み取れる気がするんです」
大阪市の淀川区で生まれ、長屋暮らしでにぎやかに過ごした少女時代。いろいろ仕事を経験し、工業用炉の設計会社に勤めていたときに24歳で結婚した。
夫は板金業を営んでいて、事務作業を手伝いながら家業を支えていく。工場で働く職人たちの食事をつくり、住み込みの人の世話もあった。2歳違いで授かった3人の子どもを抱え、「たいてい誰か一人背中におんぶしながら、何でもやってました」と懐かしむ。
■日曜日も休みなく働く
やがて60歳を過ぎてからは、娘が開業した薬局も手伝い始める。日曜も休みなく働いたが、苦にはならなかった。だが、そんな矢先、夫が脳内出血で突然倒れてしまう。幸い一命はとりとめたものの、脳機能を損傷した夫は要介護状態に。71歳の夫と68歳の妻、退院後に続く老々介護の日々は苛酷だった。
![豊中市内で1人暮らしをしながら、仕事を続ける千福さん。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/a/250/img_8a64c53cd937811b7c30a3f01aadaa84252456.jpg)
「夫は自分の名前や年齢、住所もわからなくなりました。それでも身体はちゃんと動くのでよけい困るんです。勝手に家を出ていくので、目を離せません。車の運転もできなくなったのに、私がキーを渡さないと外で暴れ出す。夜中に起きて『ご飯は?』と言うこともあり、食事を出さなかったら怒ります。何を言ってもわかってもらえないのはしんどかったですね」
薬局の仕事もあった千福さんは訪問介護を頼み、担当のケアマネジャーにとても良くしてもらったという。デイサービスに行っても「ここは嫌や」と辞めてしまう夫の気持ちを受けとめ、次のところを探して連れていってくれる。いつも笑顔をたやさず、支えてもらえることがありがたかった。
「でも、まさかその後、私もこういう仕事をするとは思っていませんでしたけど(笑)」
■工場をたたみ、薬局を閉店し、心に残った穴
夫を介護したのは一年半。最後の3カ月、夫は急変して意識を失くし、入院先で寝たきりになる。しかし自宅へ帰ることなく、2003年に他界した。
千福さんは悲しみに暮れる暇もなく、家業の後始末をしなければならなかった。工場をたたむと、薬局の仕事に力を入れる。しかし、ドラッグストアの台頭で薬局の経営は伸び悩み、2006年暮れに閉店。しばらく残務整理に追われたが、それも済むとぱたっと暇になる。心にもぽっかり穴が開くようだった。
「今まで毎日働いてきたのに、何もすることがなくなった。これは何かせないかんと思い、シルバー人材センターに相談に行きました。そしたら、『来られるのがちょっと遅いですね』と言われたんです。せめて70歳までなら仕事もあるけれど、それを過ぎたらなかなか難しいと。『それとも何か資格、もってますか』と聞かれ、『いえ、何ももってません』と答えたら、『ボランティアセンターがありますから、そこを紹介しますね』と言われて……。私はまだ仕事をして収入も得たかった。ボランティアをする気にはなれなかったんです」
■どこに行っても言われる「年齢が……」
このとき千福さんは72歳。それでも何か資格をとろうと考え、思いついたのが「ホームヘルパー」だった。これなら数カ月の研修を受ければ資格をとれる。夫を介護した経験があり、自分も誰かの役に立てるかもしれないと。市役所へ相談に行くと、窓口ではまたも「もう歳がいってるからねぇ……」と言われたが、「民間のところでどこか知ってはるところはありますか?」と聞くと、幾つかパンフレットがあるから問い合わせてみてはと勧められた。
![千福さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/c/300/img_1cd268fb5d8ed0b141c0022fb4a4a20b146522.jpg)
千福さんは並んでいるパンフレットの中のひとつに目がとまる。「プラスワンケアサポート」。亡き夫がお世話になった介護事業の会社だった。「ホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)養成研修」の受講生を募集していたのだ。
「あのときケアマネさんに良くしてもらったという思いが頭にありました。場所も近いし、費用も他より安い。“ここに決めた!” と、すぐ電話してみたんです」
すると年齢は問わないといわれ、秋から始まる研修に申し込んだ。3カ月の研修を受けて、2007年12月に資格を取得。73歳の「ホームヘルパー」が誕生した。
実際に介護の仕事はどのようにスタートしたのだろう。千福さんによると、思いがけない縁から始まったという。研修中に後ろの席に座っていた女性と親しくなり、修了日に肩をたたかれた。彼女の夫が介護タクシーの事業を始めたので、「年が明けたら、うちの仕事に来てくれへん?」と誘われたのだ。
■初めての訪問先は90代の夫婦の家
新年早々に連絡があり、介護タクシーに利用者を送迎する仕事が始まる。病院へ透析治療に通う車椅子の人の付き添いだ。さらにプラスワンケアサポートからも訪問介護の仕事が入った。
初めての訪問先は、90代の夫婦の家だった。千福さんの場合は73歳という年齢なので、最初にまず相手の人と面接をする。同行したスタッフが紹介したうえで、先方から「来てください」と言われたら、一人で訪問することになる。最初は掃除や炊事など家事支援が中心だった。
「家でやってきたことなので大変なことはありません。『ちょっと素麺炊いてください』とか。お年寄りが好む味は自分と同じようなものです(笑)。皆さん、昔話が好きなので、いろんな話をされますね。掃除機をかけているとなかなか聞き取れないけれど、手を止める暇もないから、声を張りあげて返事をします。『昔は良かったですねぇ』と相槌を打ちながら。まあ楽しいもんですよ」
■人生、何が役に立つかわからない
訪問するのは50分から1時間ほど。その間に体調や服薬の確認、食事の希望を聞いて近所のスーパーへ買い物に行ったり、家事をしたり、と、フル回転で動かなければならない。一日に数軒の家をまわれば、体力もきついと思うが、千福さんは「ずっと身体を動かしていましたから」と頼もしい。
![職場で開かれた誕生日パーティー](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/8/300/img_38fba5c41aa13a3d66baeb2a785aa8ef241362.jpg)
さらにおむつを替える排泄介助、身体に麻痺のある人をベッドやトイレに移動させる移乗介助など、技術をともなう支援も増えていく。
「それも介護タクシーで車椅子の人に付き添っていたでしょう。3年間やっていたから、あの経験が活かされました。だから、何が役に立つかわかりませんよ」
ホームヘルパーとしての経験を着々と重ねていった千福さん。その先にはまた次なるチャレンジが待ち受けていた(後編に続く)。
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ノンフィクションライター
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。
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(ノンフィクションライター 歌代 幸子)
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