「試合は勝つためにある」ドーピング疑惑が拭えないロシアが五輪を徹底的に利用する本当の狙い
プレジデントオンライン / 2021年8月16日 10時15分
■「君たちを圧倒してやる」とスポーツ大国ぶりを誇示
組織的なドーピング違反で主要国際大会から除外されているロシアは、東京五輪に「ROC」(ロシア・オリンピック委員会)の名称で、違反歴や疑惑のない約330人の選手団を送り込み、金20、銀28、銅23のメダルを獲得した。メダル総数では、米中に次ぐ3位だった。
ロシア外務省のザハロワ報道官は開会前、英ロックバンド「クイーン」の大ヒット曲「We Will Rock You」(君たちを圧倒してやる)にちなんで、「We Will ROC You」とInstagramに投稿していたが、注目競技で多くのメダルを獲得し、スポーツ大国ぶりを誇示した。
ロシアといえば、旧ソ連時代から五輪のたびに世界を驚かせる行動が目立ってきたが、今回もミシュスチン首相が7月26日、開催国・日本を挑発するかのように、北方領土の択捉島を訪問した。開催中には最大の同盟国、ベラルーシの陸上女子、クリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手のポーランド亡命事件もあった。ロシアには、五輪のたびに世界を驚かせる数奇な因縁がつきまとう。
■五輪に政治問題を持ち込むのは旧ソ連の伝統
旧ソ連は戦後、五輪に政治問題を持ち込み、スポーツの祭典を動揺させてきた。
1964年、前回の東京五輪期間中、最高指導者フルシチョフが失脚し、政変が起きた。中国はその直後、敵対したフルシチョフの解任を祝福するかのように、五輪さ中に初の核実験を実施した。
1968年のメキシコ五輪直前、ソ連はチェコスロバキアに戦車を投入して自由化運動を弾圧し、五輪で世界の総スカンを食った。
ソ連が初めて開催した1980年モスクワ五輪は、前年末からのソ連軍アフガニスタン侵攻で日米中西ドイツなど主要国がボイコットし、冴えない大会となった。
東側諸国は報復として、1984年のロサンゼルス五輪をボイコットしたが、ソ連から不参加を強要された東欧諸国には不満が強く、東欧革命の導火線になった。
ソ連邦崩壊直後の1992年バルセロナ五輪では、新興独立国の五輪委員会が未整備なことから、バルト三国を除き連邦に属していた12カ国が「EUN」(フランス語で「統一チーム」)の名称で参加。「冷戦の敗者」ながら、世界トップの45個の金メダルを獲得した。これに対し、「冷戦の勝者」といわれた日本の金メダルは3個で、振るわなかった。
■「地元開催」で国家ぐるみのドーピングが発覚
プーチン時代のロシアも、五輪お騒がせ体質は変わらない。
2008年8月の北京五輪開会式の日、ロシア軍はジョージア(旧グルジア)の挑発に反発して同国に侵攻。激しい戦闘が1週間続き、平和の祭典を蹂躙された開催国・中国は両国に二度も停戦を要求した。
2014年にロシアが五輪史上最高の約5兆円を投入して開催したソチ冬季五輪では、閉会式と並行してウクライナ情勢が緊迫し、反政府デモ隊が親露派大統領を追放。プーチン大統領は対抗措置としてウクライナ領クリミアを併合し、東部でも親露派勢力に独立を宣言させた。
そのソチ五輪でロシアは13個とトップの金メダルを獲得して国威が高まり、過度の愛国主義がウクライナ介入につながった形だ。
しかし、ソチ五輪で国家ぐるみのドーピングをしていたことがドイツのメディアによって暴かれ、世界ドーピング機関(WADA)がロシアの資格停止を決定。多数の選手が永久追放され、数個の金メダルを剥奪された。
国際オリンピック委員会(IOC)は制裁として国歌と国旗の使用を禁止。東京五輪では、国歌の代わりに、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」が使用された。ロシアは第二次世界大戦中に愛国歌として広まった「カチューシャ」を提案したが、IOCは政治利用として拒否した。
東京五輪では処分はやや緩和されたものの、ドーピング震源の陸上競技は10人、重量挙げは2人に選手を制限された。処分は2022年12月16日まで適用され、ロシアは来年2月の北京冬季五輪や6月のカタールでのサッカー・ワールドカップ(W杯)も国として参加できない。
![横浜三塔を背景にした五輪マークのモニュメント。赤レンガ倉庫前から象の鼻パーク越しに三塔が見える](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/b/670/img_cb50c2f62c858230ea93812c111adc16363496.jpg)
■国威発揚の「ステート・アマ」は今でも存在する
旧ソ連は国策として、有望選手を小さい頃から英才訓練で育成し、五輪での国威発揚に利用してきた。プーチン大統領も「柔道で五輪選手を夢見たこともある」と話したことがあり、スポーツをロシア大国化に国策利用する。
有望選手が国から報酬や身分保障がなされる「ステート・アマ」の扱いを受ける伝統は変わらない。今回、ロシアは男女の体操団体で金を獲得したが、女子体操団体優勝の立役者、アンジェリーナ・メルニコワは「私たちは1年半、閉鎖された訓練キャンプに閉じ込められ、家族に会うこともなく練習を重ねた。普通の生活は送れなかった」と告白していた。
テニスの混合ダブルスで優勝したアンドレイ・ルブレフは「東京五輪の数週間前から、テニス・チームはサハリンで合宿した」と明かした。ロシア各地に専用施設があるが、ウラジオストクにも15競技のトレーニングを行う「五輪村」がある。選手団は極東の施設で練習し、時差調整をしたようだ。ロシアは累計約650万人の新型コロナ感染者を出しているが、極東の感染者は比較的少ない。
プーチン大統領は毎回、メダリストをクレムリンに招いて盛大に顕彰する。2018年の平昌冬季五輪の金メダリストには、トヨタのランドクルーザーなどが贈られており、報奨金は米国の3倍に上るといわれる。
■「レースはおそらくクリーンではなかった」
とはいえ、「史上最悪の国家ぐるみのドーピング・スキャンダル」(英紙フィナンシャル・タイムズ)にもかかわらず、ロシア選手団がメダルを次々獲得したことには反発もあった。
米国の女子ボート選手、メーガン・カルモイはロシア・チームが2位に入った後、「ここにいるべきでないクルーが銀メダルを獲得するのは嫌な気分だ」とツイッターでつぶやいた。競泳男子200m背泳ぎ決勝でロシア選手に敗れた米国のライアン・マーフィーは「レースはおそらくクリーンでなかった」と書き込んだ。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(8月4日付)は、「各国選手の多くは、ロシア人選手が国旗とともに東京五輪から追放されるべきだと思っている」と書いた。
これに対し、ロシアの国営メディアはマーフィーのつぶやきを「負け惜しみだ」と非難。ペスコフ大統領報道官も、ロシアへのドーピング批判は一切無視し、競技に集中するよう選手団に求めた。
政府系メディアは連日、逆境の中で健闘するロシア選手団の活躍を英雄のように報道。返す刀で、「米男子バスケットボール・チームの1992年以来の敗北」「100年ぶりのテニスでのメダル獲得ゼロ」などと米国の不振を面白おかしく伝えていた。
■国営テレビがLGBTQを「倒錯者」と中傷する異様さ
競技場外でも、ロシアの愛国主義的突出が目立った。
食事など選手村の快適さは各国の選手も高く評価していたが、ロシア・フェンシング・チームの監督だけが部屋が狭すぎるとして「中世のようだ」と噛みついた。
ペスコフ大統領報道官は、東京五輪公式サイトに掲載されている地図でクリミア半島がウクライナ領になっていることを問題視し、適切な措置をとるようロシア大使館に命じた。
ロシア国営テレビは、五輪に出場したLGBTQ(性的少数者)の選手を「性的倒錯者」と中傷するなど差別発言を繰り返し、欧米諸国から批判された。ロシアでは昨年、同性婚を事実上禁じる改正憲法が成立し、性的少数者への逆風が強まっている。
前述のベラルーシの女子陸上選手亡命事件をめぐっても、政府系メディアは「欧米の陰謀」説に言及していた。
■なぜこれほどまで五輪を利用するのか
五輪のたびに、世界の顰蹙(ひんしゅく)を買うロシアの行動は、五輪を国威発揚に利用する政権体質に起因する。これは専制主義国に共通する現象で、ベラルーシの独裁者、ルカシェンコ大統領も今回、自国選手団のメダルが7個と、過去最多だった北京五輪の半分にとどまったことに「最悪の結果だ」「ハングリー精神が欠けている」と酷評した。
プーチン大統領も金メダル3個にとどまった2010年バンクーバー五輪の後、「良い試合を見せることが重要だという意見は誤りだ。試合は勝つためにある」と述べた。選手へのドーピングは、関係者が大統領に忖度して実行した可能性がある。
世界注視の五輪での活躍は、「強いロシア」を誇示して欧米との対立で心理的優位に立つ狙いに加え、近年は、生活苦や格差への国民の不満をそらす国内的配慮もあるようだ。
■択捉島訪問も開催国日本への嫌がらせだった
五輪に合わせた威信行為は、開催国・日本への北方領土問題の嫌がらせにもみられた。ミシュスチン首相は7月26日、択捉島を訪れ、北方領土への投資に対する免税措置など経済活性化策を打ち上げた。
![北海道根室市の納沙布岬。眼前には北方領土の歯舞群島が広がっている。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/d/670/img_cd835fec563e84b1e615be35bd3b57b9549023.jpg)
同首相は「西側の投資家にとって興味深く、日本も共に働ける」と述べたが、日本側はロシア法を前提とした政策に反発した。ロシアの首相は2、3年に一度北方領土を視察しているが、このタイミングでの訪問は、東京五輪最中にロシアの実効支配を世界に誇示する狙いがうかがえる。
4月には、五輪出場を目指すサーフィンのロシア・チームが国後島で合宿を行っている。ロシア軍は2月と6月、北方領土周辺で軍事演習を行ったが、6月の演習は1万人が参加し、爆撃訓練を含む大規模なものだった。一連の挑発行動には、対日関係への改善意欲は見られない。
こうして、プーチン政権が煽る愛国主義高揚政策は、東京五輪を通じても突出し、「ロシア異質論」を高める形になった。
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拓殖大学海外事情研究所教授
1953年、岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社。バンコク、モスクワ、ワシントン各支局、外信部長、仙台支社長などを経て退社。2012年から拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『北方領土はなぜ還ってこないのか』、『北方領土の謎』(以上、海竜社)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミア新書)などがある。
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(拓殖大学海外事情研究所教授 名越 健郎)
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