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「両親の幽霊には会えますか?」怪談ツアーのお客の質問に稲川淳二が出した答え

プレジデントオンライン / 2021年8月19日 15時15分

撮影=横溝浩孝

「怪談家」として活動している稲川淳二さんは、全国ツアー「怪談ナイト」のお客から「両親の幽霊には会えますか?」と聞かれたことがある。そのとき稲川さんはどのように答えたのか。ロングインタビューの後編をお届けする――。(後編/全2回)

■「もう一度聞きたいと思わせる面白さ」がなければならない

(前編から続く)

――稲川さんの怪談ツアー「稲川淳二の怪談ナイト」は今年で29年目を迎えたそうですが、長年、続けてきた原動力はなんだったのでしょう。

暗闇で怪談を話す稲川さん
「稲川淳二の怪談ナイト」で公演を行う稲川淳二さん

ツアーをはじめた頃私、まだ45歳でした。その頃、すでに80いくつのおじいさんが、自分が体験した不思議な話をつづった原稿をくれたんだ。父親よりも年上の人が、私のような若造に話を託してくれた……。あれは本当にうれしかったなぁ。

ツアーの当初は、タレント業も続けていたんだけど、そんなファンの人たちを裏切れないな、怪談の魅力を本気で伝えていこう、という気持ちになり、怪談に専念したんですよ。

そしたら、もう29年でしょう。

この前なんて、最初の頃にお母さんに連れられてきていた、ちっちゃな女の子が、赤ん坊を連れてきてくれましたからね。怪談には世代を超えて、人を惹きつける魅力があるんだな、と改めて思いました。

客席に手を振る笑顔の稲川さん
「稲川淳二の怪談ナイト」で公演を行う稲川淳二さん

それにね、私のツアーにきた方たちは、否応なしにジェットコースターに乗せられているようなもんだから。

――ジェットコースターですか?

そう。知らない人間同士が同じジェットコースターに乗せられて「カタン、カタン」とレールを上っていくように怪談がはじまる。「わー!」「きゃー!」とみんなが悲鳴を上げる。みんな知り合いじゃないんだけど、同じ空間で怪談の面白さを分かち合うんですね。

で、ジェットコースターって降りると「あぁ、おっかなかったぁ」って言ったあと、すぐに「もう一回乗ってみる?」ってなるじゃない。あれと同じ感覚。だから怪談はただ怖がらせるだけじゃなくて、もう一度聞きたいと思わせる面白さがなければならないんですよ。

■怪談は亡くなった人ともつながれる

実は、私の怪談ナイトで知り合った人、5組ぐらい結婚しているんです。毎回結婚式には「ご結婚おめでとうございます」って、ビデオも送ってますよ。

「稲川淳二の階段ナイト 2021」のフライヤー
「稲川淳二の怪談ナイト 2021」のフライヤー

なんでも、怪談ライブが終わったあと、お客さんがみんな興奮して、近くの居酒屋で飲むらしいんだ。怪談ツアーのチラシやグッズを持っているから互いに、怪談好きって分かる。そこで「今日のあの怪談はどうだった」なんて話して、意気投合するらしいの。そんな光景を、私の知人が、ライブの帰りに目撃したそうですよ。「怪談は人をつなぐんですね」と驚いていました。

そもそも怪談って、人と人とをつなぐものでしょう。生きている人同士だけでなく、生きている人と亡くなった人をつなぐ力も持っている。

ちょっと前にね、ツアーにきた若い女性に「稲川さん、幽霊に会えますか?」と聞かれたんですよ。私は「誰に会いたいの?」と何気なく聞いたんだ。そしたら「両親に会いたい」って。ドキッとしちゃって……。若いのに、ご両親を亡くされているのか、と。それで、私、こう話したんですね。

「実際に会うことはできないけど、会いたいと思えば、会えるかもしれない。自分のなかにきっとご両親は生きていますから。あなたも、もう少し年齢を重ねれば、自分のなかにいるご両親に気づけるはずですよ」

そうなんですよね。生きているこちら側が、相手を思っていれば、亡くなった人はずっとこちらに残っているんです。

■会ったことのないおじさんを身近に感じることができた理由

私は、戦争の怪談をよくするんですが、それも同じなんですよ。うちのオヤジは5人兄妹の長男で、弟3人はみんな海軍に行って亡くなっている。3番目が「ショウゾウ」という名前で非常に優秀な人だったそうです。

稲川さん
撮影=横溝浩孝

ある日、私のおばあちゃんが玄関に男の人がきているから、私のオフクロに見に行ってくれと言った。オフクロが行くと誰もいない。そんなことが何日も続いた。

そして、ある朝、おばあちゃんが「ショウゾウが死んだ」と言った。夢で、真っ青な広い海に沈みかけた船から、白い服を着たショウゾウが私に向かって手を振っていた。そのとき「ドーン」って大きな音がした、と。

不思議だったのは、戦争が終わったあとにうちを訪ねてきた戦友が話してくれたショウゾウおじさんの最期と、おばあちゃんが見た夢が同じだったこと。

おじさんは船が攻撃されたあとも、最後まで残って無電を叩いて救助を呼んでいた。戦友たちが味方の船に助けられたとき、おじさんがようやく甲板に上がってきた。だけど、船はほとんど沈みかけていた。「稲川、乗れー!」と叫んだ戦友たちに向かっておじさんは、手を振ったそうですよ。

私は、戦後生まれですから、ショウゾウおじさんにはもちろん会ったことはないんだけど、おばあちゃんや、オヤジにそんな話を聞いていたから、私もおじさんを身近に感じることができたんですね。

稲川さん
撮影=横溝浩孝

■日本の怪談が語り継がれてきた原風景

――怪談には、戦争や事故で亡くなった人の記憶や、遺族の気持ちをつないでいく役割もあるんですね。

稲川さん
撮影=横溝浩孝

それはとても大きいですよね。

ただね、怪談として語るのなら、丁寧に調べる必要がある。時間が経って、戦争のことを知らず、勉強もせずに、怖がらせてやろう、驚かせてやろう、という気持ちだけで、事実関係を調べもせずに、戦争や実際に起きた事件にまつわる怪談を語る人もいます。

そんな怪談を聞くたび、日本の怪談が語り継がれてきた原風景を思い出してほしいなぁ、と思うんです。昔の冬は、いまと違って、2メートルも3メートルも雪が降ったでしょう。そんな雪国で、お父さんとお母さんは出稼ぎや仕事に行って、家にはおじいちゃんとおばあちゃんと子どもしかいない。

昔だから、家にはテレビも暖房もない。みんなが囲炉裏端に集まって、子どもたちが「じいちゃん、怖い話して」ってねだる。同じ話を何回も聞いているんだけど、子どもたちは聞くたびに「おっかねえ、おっかねえ」って、飛び回る……。それも人と人とのつながりであり、豊かな時間なんですよね。子どもたちが、大人になって故郷を離れたときに、そんな体験が、ふるさとや家族の記憶になっていったわけです。

■あの世に対して穏やかな思いが芽生えた

――怪談を聞きたいと思う根っこには、死に対する怖さ、関心があると思うのですが、怪談に親しむなかで、あるいは74歳まで年齢を重ねてみて、死生観の変化はありますか?

稲川淳二『稲川怪談 昭和・平成傑作選』(講談社)
稲川淳二『稲川怪談 昭和・平成傑作選』(講談社)

怪談の怖さが分からなくなっちゃったね。それはきっと私が半分くらい向こうの世界に行ってしまっているから(苦笑)。

むしろ、向こうの世界に対して、穏やかな思いというのが芽生えたかなぁ。

もちろん子どもの頃なんか、自分が死ぬなんて思ってなかったんだけど、おばあちゃんが亡くなって、両親も逝って……。みんな同じかもしれないけど、子どもって、おばあちゃんがずっと生きていて、両親もずっと元気で……って思っているじゃない。

でも、いろんな死を経験して、自分も年をとって、ずっと怪談を話してきて、こっち側とあっちの世界の境界が曖昧に感じるようになったと言えばいいかなぁ。そういう意味では、いまも私は、おばあちゃんや両親とつながっているんですよね。

ほら、こう話していくと怪談って、決して怖いだけじゃないでしょう?

『稲川怪談 昭和・平成傑作選』を持つ稲川さん
撮影=横溝浩孝

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稲川 淳二(いながわ・じゅんじ)
怪談家
タレント、工業デザイナー。1947年東京・恵比寿生まれ。桑沢デザイン研究所専門学校研究科卒業。深夜ラジオで人気を博し、「オレたちひょうきん族」「スーパージョッキー」などテレビ番組で、元祖リアクション芸人として活躍。また、ラジオやテレビでの怪談が好評を博し、1987年に発売されたカセットテープ「あやつり人形の怪 秋の夜長のこわ~いお話」が大ヒットとなり、以後「怪談家」としても活動。1993年8月13日金曜日にクラブチッタ川崎で行われた「川崎ミステリーナイト」に長蛇の列ができ、全国津々浦々をめぐる「稲川淳二の怪談ナイト」を開始。2021年で29年目を迎え、披露した怪談は約500話、動員数延べ61万人に達する。今年も50公演開催中。「稲川淳二の怪談ナイト」

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(怪談家 稲川 淳二 聞き手・構成=山川徹)

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