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「10年の実績が雲散霧消」急成長中の工務店が全契約をあっさりと失った"ある行動"

プレジデントオンライン / 2021年8月24日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokoroyuki

不動産会社シーラホールディングスの杉本宏之会長は、2009年に自らが代表を務めていたエスグラントコーポレーションの経営破綻させたことがある。なぜどん底から復活することができたのか。『たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣』(扶桑社)から一部をお届けしよう――。

■出資先の杜撰な工事が明らかに

以前に友人が経営する社員五人ほどの工務店に出資をした時の事です。

杉本宏之さん
シーラホールディングス会長の杉本宏之さん(提供=扶桑社)

元々仕事は丁寧で価格も安く、当社の仕事を何度かやっていた事もあって、その会社に出資を決断しました。私達もせっかくなので良い会社を周りに広めたいという想いもあり、次々に取引先を紹介して行きました。

すると、元々の実力に加えて当社の信用補完が重なり、売上は2年で3倍以上となったのです。当初は素晴らしい資本業務提携が出来たと感じていました。そして、私たちもオフィスを移転する際に彼らに工事を任せることにしたのです。

社内には、大きな工事を立て続けに受注をしているので、工期が間に合うのか? という心配な声もありましたが、出資先で伸び盛りの企業に任せてみることにしたのです。

しかし、工事が始まってみると、杜撰(ずさん)な工事の実態が明らかになっていきます。工期も全く間に合う気配は無く、ついには工事中に職人さんが激務で退職し、工事が一旦止まるという事態まで起こりました。

私は不安になり、これを期に今までの取引先にもヒアリングをすることにしました。すると、私達の工事と同じく、クレームの嵐だった実態がわかったのです。急成長する会社に大きな歪みが生じ、人手不足や資金難などを放置したまま工事を受け続けていた事が主な要因でした。

ではなぜこうなるまで気付く事が出来なかったのか。それは、周りが私達との関係を気にして、工務店の社長にもクレームを言えなかったという顚末(てんまつ)でした。「杉本さんの紹介だから言いづらかったけど、現場に社長は一切来たことがないよ」「見積もりを出す時も、スーツでも作業着でもなく派手な私服で来ていたけど」など、多くの取引先から寄せられる声に、私は大変反省をしました。

■「臭い物に蓋」していたことへの猛烈な後悔

実は、その工務店が急激な成長をしていく過程で、社長の生活や飲み方が派手になっていくのは知っていました。しかし、長年の友人関係もあり、私は文句一つ言わなかったのです。「いつか気付いてくれるはず」そんな人情を持って、待ち続けていましたが、結局友人の社長は気付くどころか、工期の遅れや工事の失敗にも謝罪はありませんでした。遂には「安く工事をやってやってんだから文句を言うな」と言う始末でした。

言うべき場面が何度もあったにも関わらず、私は臭い物に蓋をするように無視をしてきました。実態よりも大きく膨れ上がってしまった会社に、自分自身が付いて行けなくなるのは、私が経験した痛恨の失敗の筈でした。猛烈な後悔と共に、私は事ここに至ってようやく全ての取引先への謝罪と共に、契約の打切りを頼みました。そして、私達もこの会社から手を引く事を決断したのです。

オフィスの廊下で話し合うビジネスマン
写真=iStock.com/stockstudioX
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/stockstudioX

もしも、私に情ではなく、本当の愛情があったのなら、面倒臭がらずに本人ときちんと向き合い、駄目なものは駄目だと諭していた筈です。人生において何が大切かを思い知らされた出来事でした。のちに社長が反省し、謝罪をしてくれたのですが、残念ながら取引先が戻ることはありませんでした。

積み重ねた10年の実績は、一瞬で雲散霧消したのです。しかし、人生という名のゲームは、諦めない限り負けはありません。今ではその会社の復活を心から願っています。

■「小さな事の積み上げ」に違和感があった

愛情というと、必ず思い出すエピソードがあります。

エレベーターの保守管理を行う会社で、ジャパンエレベーターサービス(これ以降JES)という、シェア日本一の会社があります。私達は、全てのエレベーターの保守管理をJES社にお任せし、共に歩んできた会社です。

お付き合いが始まったのは14年ほど前に遡ります。エレベーターメンテナンスの成長企業として評判だった事、そして石田克史社長自らが営業に来ていただいたご縁もあり、お取引きが始まりました。

しかし、当時の私と石田社長の交流は頻繁ではありませんでした。石田社長の「経営は小さな事を一つ一つ積み上げること」と常に言い切る経営姿勢に、個人的には少し違和感があったのだと思います。なぜなら、当時の私は小さな事の一つ一つの積み上げなど、考えている場合ではないと思っていたからです。

上場をしてからいつも業績に追われ、株主の目を意識した経営に固執するあまり、短期的な結果ばかりを追い求めていたのです。はっきり言えば、何千円というメンテナンス料をひたすら積み重ねる石田流経営に、学ぶ事がそれほどあるとは思えなかったのです。そして、お取引が始まってしばらくした頃、あのリーマンショックが起こりました。

■リーマンショック後に呼び出され、かけられた言葉

不動産業界がメインの取引先となる石田社長は、様々な人間模様を見ていたのだと思います。2008年の終わりに、私はJESの本社に呼び出されました。当初は、「会社は大丈夫なのか」などと詰問をされるのではないかと、本社に行く足取りはとても重く感じられました。

当時のわが社エスグラントの状況は、連日倒産の危機などと報道され、信用不安による取引打ち切りやクレームなどが続いていました。そのため、私は常に疑心暗鬼になってしまっていたのです。

しかし、本社に足を運んでみると、私の予想とは裏腹に、陽気な石田社長の一言から面談が始まりました。「すぎちゃん、大変だと思うけど、どうだい?」なんだか、拍子抜けしてしまった私は、思わず「どうもこうもないです。めちゃくちゃ大変です」と言ってしまったのです。

そこから自分の窮状をまくし立てたことだけは覚えています。次々に押し寄せる債権者、下がり続ける不動産価格、裏切った銀行、全ては自分の責任にも関わらず、気付くと恨み辛みを言い続けていました。

最後に自分自身の個人資産も会社に提供して全財産を失い、それどころか連帯保証人にもなって十数億円の個人の借金も背負っていることなどを一通りまくし立てた後、「本当に会社は潰れてしまうかもしれません」私はそう言いました。

■渡された封筒の中には数カ月分の生活資金が

すると、石田社長はゆっくりと口を開きました。「大変だったんだなあ。すぎ」そう呟いた後に、引き出しから取り出した封筒を私に差し出しました。中を見ると、数カ月分の生活資金になるであろう1万円札が入っていました。

杉本宏之『たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣』(扶桑社)
杉本宏之『たとえば、謙虚に愚直なことを継続するという習慣』(扶桑社)

石田社長は私の目を見ると、一言だけ言いました。「黙って持って行け」私は一言も発することができず、しばらく固まっていると「お客様おかえりだよ」石田社長は内線でそう告げると、私をエントランスまで見送ってくれました。のちにお礼のメールを送った時の返信は一言、「あくまでも仕事で、エレベーターを任せてくれたお礼です」でした。

あれから10年、JES社は圧倒的日本一のエレベーターメンテナンス会社となりました。そして、時価総額は、1000億円を超え、東証一部上場企業となったのです。石田社長には、今でも公私共に変わらぬお付き合いをいただいています。あの時の恩は、返しても返しきれるものではありませんが、再び全てのエレベーターをお預けするようになったことが、少しだけ恩返しになったとは思います。

「情けは人のためならず」。石田社長から教わった、人生の大きな教訓だったと感謝しています。

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杉本 宏之(すぎもと・ひろゆき)
シーラホールディングス会長
1977年、神奈川県生まれ。高校卒業後、宅建主任者資格(現・宅地建物取引士)を取得し、不動産会社に就職。22歳でトップ営業マンに。2001年に独立し、エスグラントコーポレーションを設立。2005年、不動産業界史上最年少で上場を果たす。2010年にシーラホールディングスを創業。現在はプロップ(不動産)テックグループを掲げ、クラウドファンディング事業、マンションデベロッパー事業、CVC事業など、グループ売上高197億円までに成長させる。

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(シーラホールディングス会長 杉本 宏之)

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