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「93歳で老衰なのに40分間の心臓マッサージ」妻が泣いて止めるまで延命治療が続けられたワケ

プレジデントオンライン / 2021年8月27日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

93歳で老衰で亡くなった男性は、死の直前まで医師団による胸部圧迫を受けた。それは58歳の長男が「心臓マッサージをしろ!」と激高したからだ。胸部圧迫は40分間にわたり、最後は亡くなった男性の妻が「もうやめてください」と泣いて止めるほどだった。なぜそんなことになったのか――。

■「自分の死後は家族で勝手に決めてくれ」という考えが招く争い

自分が旅立ったあと、残された家族は仲良く、できれば豊かに過ごしてほしい。そう思わない人はいないだろう。そのために、大小、さまざまに準備するのが終活だ。自分の心残りを少しでも減らし、残される家族の先行きを思いやる。しかし、死後のことはなるべく考えたくない、家族で勝手に決めてくれという人もまた多い。そうした考えが何を生み出すか、事例を紹介しよう。

名古屋市に住むDさん(58)は、おととし、同居する父親を93歳で亡くした。父親は認知症を患い、死の数年前から認知機能が大幅に衰えて家族の顔を見分けられない状態で、ほぼ寝たきりになった。死因は老衰とされた。

Dさんには妹が一人いる。妹は父親が元気な頃から「いざというときに延命治療をするかしないかを言い残しておいてほしい」「できれば遺言を残して。正式なものが無理でも、財産の大まかな分け方だけでもいいから示しておいてほしい。兄ともめるのはイヤだから」と繰り返し父親に頼んでいた。

一方のDさんは「お父さんの死後のことを話題にするなんて縁起が悪い」の一点張りで、そのつど兄妹間でけんかが起き、それを見ていたためか、自分の死を考えたくないのか、父親は「延命治療の有無」にも「財産分与の方針」にも一切答えないまま、認知症が重くなり鬼籍に入った。

■胃ろうの造設をめぐって分かれた意見

認知症を発症して以来、父親の診療方針をめぐって、兄妹はずっともめ続けた。亡くなる3年前に自力で食事をとるのが難しくなりつつあったころ、Dさんは、少しでも長生きしてほしいと、チューブで父親の胃に直接食物を流し込む胃ろうの造設を提案。妹は「食事が自力でとれなくなったら、静かに見送ってあげればいい。胃ろうで延命させるなんて、逆に残酷だ」と反対した。

背中合わせで立つ男女のシルエット
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

担当医は「お父さんは腸が延びていて、現在主流のPEG(経皮内視鏡的胃ろう造設術)で胃ろうを取り付けると、おなかの皮と胃の間に腸が挟まって腸に穴が開く可能性がある」と難色を示した。Dさんは、知人から昔ながらの術式である開腹手術で胃ろうを造設する方法があると聞き「開腹手術なら、腸を避けて造設できるのでは」とあくまで胃ろう造設に固執した。「開腹手術が90歳近い体にどれくらい負担が大きいか、想像できないのですか。逆に命を縮める結果になりかねません。術部から万が一細菌が入れば、感染症で亡くなる可能性もあります」と言われて、渋々引き下がった。

さらに父親が亡くなる1年前に膀胱ガンがみつかった。Dさんは手術を強く希望、医師は「年齢から言って、このガンはほとんど成長しないはずで、命を脅かすことにはならないと思う。手術するといってもお父さんの場合は侵襲的手技しかないから、体への負担が大きすぎて死期を早める可能性がある」と反対した。妹も医師の意見に賛成し、手術は見送られた。

Dさんは父親の死後も「成長が遅いというガンが1年前に見つかったということは、何年も前からガンはあって、見過ごしていたということ。あの医者はだから信用が置けないのだ。侵襲的と言っても、ガンの手術をしていれば、もう少し長生きできたかもしれないのに」と今も愚痴を言い続けている。

■死の間際に修羅場が発生

修羅場は亡くなる寸前にやってきた。口をパクパクさせてあえぐような呼吸、いわゆる下顎呼吸が始まると、Dさんは「こんなに苦しそうにしているのに、なぜ心臓マッサージをしないのだ」と病室で激高した。

主治医は「これは下顎呼吸といって、亡くなる寸前に出る状態で、苦しみをあまり感じていないと言われています。お父さんにはもう心臓マッサージをする段階ではありません」と当初は渋ったものの、Dさんの勢いに押されて心臓マッサージを始めた。

若手の医師が代わる代わる心臓マッサージを行った。母親(89)は、長男であるDさんの最後の希望だからと好きにさせていたが、いつまでたってもDさんから「もう結構です。やめてください」という言葉は出てこなかった。

母親が「そんなに強くマッサージを続けたら、お父さんの胸の骨が折れてしまう。かわいそうで見ていられない」「あんた(Dさん)はお父さんがいつまでも死なないとでも思っているの。そんなはずないでしょう。もう諦めなさい」と叫び、「心臓マッサージをやめてください。お願いします」と泣いて止めるまで、医師団は仕方なく40分も心臓マッサージを続行した。

妹は「せめて、『心臓を長く動かすだけの無駄な延命治療は必要ない』とお父さんが言い残してくれていたら、死の間際にあんな修羅場を見ることはなかったのに」と肩を落とす。また「父を1分1秒でも長生きさせるために、兄があれほど懸命になるとは思っていなかった。父は十分生きたと思っている自分とは、考えが違いすぎて、ついていけない」と話す。

■財産分与をめぐって絶縁状態に

死をめぐる考えは個人差が極めて大きい。最期をどう迎えるかはそれぞれの死生観が絡むため、簡単に答えが出るものではないのも確かだ。

実際、妹が「お父さんの時のように、最期に延命治療をするかどうかでお兄ちゃんと争うのは絶対イヤだから、呼吸器をつけるかどうかくらいは明言しておいてほしい」と母親に頼んでも、母親は苦笑しながら「そんなことは、その場にならなければ本当のところは分からない。だから今は何とも言えない。お父さんだって、答えなかったのではなくて、答えられなかったんだと思うよ」と語るだけだ。

兄妹のいさかいは父親の死後も続いた。財産分与をめぐって折り合いがつかず、相続税申告の3日前になって、Dさんが4分の3、妹が法定相続分の4分の1を受け取ることで合意した。

Dさんの母親は土地持ちで資産が多い。母親に父の遺産を相続させると、母親が亡くなった後の二次相続で相続税がかなり増えるため、今回は母親への相続はほぼゼロにした。認知機能が衰えている母親に「生活は面倒を見るから」と納得してもらい、妹には「お前に渡すと、お父さんが一生懸命ためたお金をすぐに使ってしまうから」と理由をつけて法定相続分の4分の1のみとし、Dさん自身が4分の3を得た。

妹は反発したが、「兄に『申告期限が迫っていて、いまさら配分を変えられない』と言われ、仕方なく受け入れた。弁護士にも相談したが、『法定相続分は受け取るのだから、争っても勝ち目はほぼない』と言われた。時間切れを狙う兄の作戦にはまった」と納得できない様子。以後、妹は生死に対する考えの違いもあり、兄と絶縁状態になっている。

■終活をしなかったことで深刻な対立が生まれた

この家では母親の持つ財産が亡父より大きいため、妹は「母が亡くなるまでの間に、兄が母を言いくるめて、財産を兄名義に変えさせ、母の遺産を大幅に減らしてしまうに違いない。でも、現状は絶縁状態で手の施しようがない」と嘆く。二次相続の段階では「弁護士を雇い、裁判に訴えてでも戦うつもりだ」と今から争続を決意している。

「残された妻と長男、長女が争うはずはあるまい」と考えていた父親の対応が完全に裏目に出た形だ。妹が願ったとおり、せめて「延命治療は不要」「財産はなるべく等分に分けるように」程度でもいいから決め、エンディングノートに書くなり、口頭ではっきり伝えるなりしておけば、ここまでの深刻な対立を生むことはなかっただろう。

残される家族の平安を望むなら、延命治療の有無と財産分与の方向性を最低限でも示しておくことは、先に逝く者の義務と言ってもいいかもしれない。

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畑川 剛毅(はたかわ・たけし)
ジャーナリスト
1960年生まれ。慶應義塾大学文学部卒。1983年読売新聞社入社。89年朝日新聞社に転じる。経済部、オピニオン編集部、文化くらし報道部などを経験。85年に日航機墜落事故を現場取材し、 88年には、世界最高峰チョモランマ(エベレスト)の遠征隊を取材。96年から97年にかけて、返還直前の香港に駐在。著書に『線路にバスを走らせろ-北の車両屋奮闘記』(朝日新書)、『負動産時代』(朝日新書・共著)、『看取りのプロに学ぶ幸せな逝き方』(朝日新聞社・共著)などがある。

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(ジャーナリスト 畑川 剛毅)

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