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「包丁と土下座の30年」3歳から"暗闇牢獄"の家で父親に恐怖支配された独身娘の実録

プレジデントオンライン / 2021年8月28日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kaipong

現在、30歳の独身女性は、幼少期から暴力と暴言の限りを尽くす父親に恐怖支配されてきた。うつ病・糖尿病を患い、経営していた会社も倒産させた父親はこのひとり娘を生贄にするように身の回りの世話や介護をさせてきた――(前編/全2回)。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■父親との別居

関西在住の井上夏実さん(仮名・30歳・独身)は、当時37歳の会社経営(卸売業)をする父親、同じく37歳の自営業(エステサロン)の母親の間に生まれた。もともと自宅は母親の店舗兼住宅。父親は長年、自分の会社を経営してきたが、一向にうまくいかず、母親の稼ぎで家計が成り立っていた。

「父と母はまるで水と油。2人が結婚した経緯は知りませんし、知りたくもないので聞いていませんが、私が物心ついたときにはすでに父は母へDVをしていました。父は、いつも『自分が一番』でないと気がすまないので、自分を褒めたたえてくれる人以外は全員敵とみなします。母は、ポジティブで世渡り上手で、店も順調だったため、父は、母に対して嫉妬心や劣等感などがあって衝突していたのかもしれません」

井上さんは3、4歳の頃から父親を怒らせないように気を使っていた。

「父を怒らせると、母のように暴力を振るわれることは子どもながらにわかっていたので、できるだけ父を怒らせないように注意していました。今、幼い頃の自分を思い出そうとすると、母が夜中に正座をさせられて父に謝り続けていたり、怒った父がキッチンで床に皿を投げつけて割っていたり、包丁を振り回して怒鳴っていたり、母が父に平手で叩かれたり蹴られたりなど、父による母への暴力や暴言の記憶ばかりが蘇り、それ以外はあまり思い出せません。自宅が店舗兼住宅だったため、母には私を連れて家を出るという選択肢はなかったようです」

井上さんが小学生のとき、40代だった父親はうつ病と糖尿病と診断されて、それ以降、通院と服薬を続けている。

「父は基本的に、『かまってほしい』ので、それをやめると暴れます。そういう意味では、病院の付き添いや傾聴など、父への精神的サポートは、私はかなり幼い頃からしていたように記憶しています」

長年、父親を刺激しないように自分を押し殺してきた井上さんだが、思春期を迎える頃、父親の傍若無人ぶりに耐えきれなくなると、「それは違うんじゃない?」と言い返すことも。

すると、父親の表情はみるみる鬼の形相に変化し、井上さんを敵認定し、暴言を浴びせまくる。そうなると井上さんは、何度も頭を下げ、懸命に言葉を尽くしてなだめ、父親を落ち着かせるのだ。

2006年、井上さんが高校生になると、53歳になった父親が経営していた会社が倒産した。大きな借金を抱え、さらにうつ病が悪化。仕事はもちろん、食事も入浴もせず、オムツをして一日中、真っ暗な部屋で寝て過ごすこともあった。

一方、母親は必死に働いて家計を支えた。井上さんがまだ小学生の時分、母親は電車で15分ほどのところに住む70歳の実母の介護に備えるため、自宅から徒歩1分のところにマンションを購入していた。

ところが、それを知った父親は勝手にそのマンションに移り住み、乗っ取ってしまう。車の往来が多い大きな通りに面していた店舗兼自宅は、うつ病の父親にとって騒がしくて落ち着かず、耐えきれなかったようだ。

父親がマンションを乗っ取ってからというもの、井上さんは高校や大学から帰宅すると、何度も父親に電話で呼び出され、その度にマンションへ行き、父親の身の回りの世話をし、延々と続く父親の話に耳を傾ける日々が始まった(会社倒産後に乗っ取ったため)。

■父親の爆発

2013年4月、大学を卒業した直後の井上さんは、サービス業の会社に就職。販売員として働き始める。

それまで毎日のように父親に呼び出されては、マンションに行って父親の世話をしたり、話に耳を傾けたりしてきたが、初めての仕事の忙しさに、父親のことまで気にかける余裕がなくなっていく。

「父は一人でいるのが嫌な人。24時間誰かにそばにいてもらい、『自分は糖尿やうつでこんなに体調が悪いのに、誰も心配してくれない。誰もかまってくれない』という話を聞いて欲しいのです。しかし当時の私にはそんな余裕はなく、何度も電話がかかってきましたが、鬱陶しいとしか感じませんでした」

ストレスのたまった女性
写真=iStock.com/chinaface
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/chinaface

だんだんマンションへ足が向かなくなったが、その間も父親からの電話は途切れなかった。井上さんの代わりに母親が父親の世話に行っていたが、父親は母親のことが気に入らないため、「なんでお前が来ない?」と怒気を孕んだ声で何度も電話をしてきた。

井上さんがマンションへ行かなくなって数日経ったある夏の日、父親はついに「かまってほしい」感情が爆発したのか、包丁を持って井上さんと母親の暮らす家を訪れ、暴言を叫びながら2人を追いかけ回した。

命の危険を感じた井上さんは、すぐさま警察に連絡。駆けつけた警察を見ると、途端に父親は借りてきた猫のように大人しくなったが、荒れ果てた家の中の様子や床に落ちていた包丁を目にした警官は、「また危ないと思ったら、いつでも連絡してください」と言い、父親は精神科へ強制入院となった。

「父は、20年以上前、私が小学校高学年だった頃にうつ病と診断されていたようですが、躁鬱や自己愛性人格障害も併発していたように思います。プライドが高い父は、通院の送迎はさせますが、私や母を伴って診察室には入らなかったので、この事件をきっかけに父の精神科のかかりつけ医と初めて会いました。主治医は、『うつ病ではあるものの、もともと性格的に自己愛が強く、思い通りにならないとキレるという特性があるようです』と言っていました」

井上さんは、幼いころから暴れたり、母親に暴力をふるう父親の姿は何度となく見てきたが、他所の家庭と比べておかしいと思ったことは一度もなかった。だが、このとき初めて父親を「怖い」と感じたという。

「大人になって初めて父親に対して、『怖い』という感情が湧いてきました。それまでも漠然とは思っていましたが、目の前で起こっていることがメディアなどで取り上げられるような『事件』なのだと実感した瞬間、『この人は犯罪者なんだ』と認識し、恐怖を感じるようになりました」

それほど井上さんにとって、それは“日常”だったのだ。

■要介護状態に

3カ月後、父親は精神科を退院。

父親はその事件以来、自分のことを自分でできなくなった。精神疾患は症状に波があるため、それまでもうつ病の状態が悪いときは、食事やトイレ、入浴など何もできないときもあったが、事件以降、ベッドからほとんど動けなくなった。

一般的に介護というと、加齢による認知症や脳疾患で始まるケースが多いが、井上さんの場合は、精神疾患によって始まった。まだ60歳だった父親は、退院すると同時に、自宅で精神障害者居宅介護等事業のヘルパーと、自立支援医療(精神通院医療)の訪問看護師にサポートをしてもらいながら生活することになった。

井上さんは、仕事に行く前と帰宅後、必ず父親のマンションへ寄り、食事の準備や洗濯、掃除、そして傾聴を行った。

「父は、1日の中でも気分の浮き沈みが激しく、いつ機嫌を損ねるのか、また前みたいに包丁を持ち出すかと常にひやひやしていましたが、何より苦痛だったのが傾聴でした。1日中カーテンを締め切って、昼間でも暗く、夜になっても明かりもつけない真っ暗な部屋の中で、『死にたい』『お前なんか死ねばいい』『誰も心配してくれない』『誰も大切にしてくれない』など、私自身も闇に飲み込まれそうな言葉を聞き続けなければなりませんでした」

就職してから井上さんは、時々体調を崩すようになった。「体調が悪いからしばらく行けない」と父親に告げ、回復するまで母親が代わりに行ってくれることになったが、やはり母親と接すると父親はすぐに攻撃的になる。

目頭をおさえるうつ病の女性
写真=iStock.com/PATCHARIN SIMALHEK
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PATCHARIN SIMALHEK

そのため父親は、「なぜ来ない?」と毎晩電話をかけてくるが、仕事が忙しく、体調の悪い井上さんは、それを無視。すると数日後、夜中に突然自宅まで押しかけてきて、玄関で「鍵を開けろ!」と父親が叫ぶ。

気が弱く、世間体を気にするあまり、外ではおとなしい父親だが、他人の目がない家の中だといよいよ手が付けられなくなる。そのため井上さんは、仕方なく自分が玄関の外に出て、父親の興奮状態を落ち着かせながら、「今日で体調はだいぶよくなったから、明日から行くようにする。今後は体調が悪くても行くから」と言い、謝罪の言葉、父親を肯定する言葉などを何度も伝えると、1時間後にはようやく納得して帰って行った。

「いつも、『私がなだめて落ち着かせなければ、母やご近所、他人に迷惑がかかる。事件になってからでは遅い』そう思っていました」

父親の身長は180cm近くあり、体重は80kgちょっと。腕力では、女性の井上さんや母親ではかなわない。父親が興奮状態に陥り、危害を加えてきたとき、命の危険を感じたときは、迷わず警察を呼ぶように努めた。

「普通の実家暮らしの成人した娘が、親に何でもやってもらっていると、『甘え』に見えるかもしれませんが、母が父の介護をすると父が攻撃的になるので、父の介護はほぼ私。母は私の食事や洗濯など、生活のサポートをしてくれています。父には結構な借金がありますが、働けない状態なので、私と母で生活費を切り詰めて返済しています」

父親の借金、介護費用、生活費……。22歳で就職したばかりの井上さんは、それでなくても仕事で時間がない上に、父親の世話で自分に使える時間はない。加えて、自分が懸命に働いて稼いだお金が父親のために消えていく生活に、やるせなさや憤りを感じていた(以下、後編に続く)。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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