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元証券マンが45歳で脱サラして「ハリウッドのCGアーティスト」になるまで

プレジデントオンライン / 2021年9月2日 10時15分

成田昌隆さん - 筆者提供

58歳の成田昌隆さんは、45歳の時に大手証券会社を退職し、妻と子供2人を養いながらCGアーティストを目指した。いまでは、『スター・ウォーズ』シリーズなどのCGモデラーとして活躍している。なぜ成田さんは成功できたのか。自著『ミレニアム・ファルコンを作った男』(光文社)からお届けする――。(第1回)

■集中特訓で10年分のギャップを埋める

2008年9月、45歳の私は大手証券会社を辞め、ハリウッドにあるCGスクールの学生となった。目標は、1年以内にCGでお金を稼げるようになり、5年以内にハリウッド映画のエンドロールにクレジットされること。

大それた目標だと思われるだろうが、勝算がまったくないわけでもなかった。10年前、会社勤めをしながらCGを学び、CGスタジオに採用される一歩手前まで行ったことはあるのだ。

しかし、CG黎明期だった10年前とは違い、2008年にはCG人口も爆発的に増え、生半可な腕では業界に入れなくなっていた。全力でCGに取り組んで、10年分のギャップを埋め、さらに業界へのコネクションも作る必要がある。

趣味でのんびりとCG制作を楽しむのとは違う。妻と子供2人を養っていかなければならないのだ。

私が受講したのは3カ月の集中特訓コースで、クラスメートは私を含めて10名(1人は初日で脱落)。イタリア人、ドイツ人、フィリピン人、スイス人、タイ人、インド人、アメリカ人、そして日本人の私という国際色豊かな構成だ。

■イタリア人のライバルに舌を巻く

クラスメートは切磋琢磨し合うライバルでもあり、戦友でもある。いっしょにランチを食べながらたわいない話をする一方、わずかなチャンスを巡って争うことになる。

スクールに通っている間、私は脇目も振らずCGで取り組んでいたが、その甲斐あって講師にも注目されるようになった。CGコースの講師は自分のプロジェクトのために「使える」学生をスカウトすることがあり、私もある講師に声を掛けられた。ギャラはなくクレジットだけ入れてもらえる案件だが、CGでの初仕事だから私は舞い上がった。

すると、クラスメートであるイタリア人の1人が「アンフェアだ」と騒ぎ出し、結局私以外にクラスの4名も手伝うことになった。彼らの図々しさには辟易(へきえき)したが、同時にチャンスをものにしようという強い意志には感服したのも事実だ。

コースの終わりには、CGスタジオのリクルーターに対して学生が自分を売り込むイベントが開催される。私はいくつかのCGスタジオとやり取りはしたものの、あえなく玉砕。一方、イタリア人のクラスメート2人は、スクールの就職斡旋(あっせん)担当者に強引に取り入ってCGスタジオを紹介してもらい、ちゃっかりインターンとして採用されていた。イタリア人の行動力と、コミュニケーション能力には舌を巻くしかない。

■人とのつながりが、幸運を呼び込む

スクールのイベントでは玉砕したものの、気を取り直して私は作品制作に取り組み、完成したデモリールをCGスタジオ30社に発送した。自分でも渾身(こんしん)の出来映えだと感じた「仁王像」などが評価されたのだろう、あちこちのCGスタジオから仕事が舞い込むようになってきた。

デモリール用に製作した仁王像
筆者提供
デモリール用に製作した仁王像 - 筆者提供

そんな中、デジタルドメイン社から電話があった。同社の共同設立者は『タイタニック』などで知られるジェームズ・キャメロン監督である。打診された仕事は映画ではなくコマーシャル関係だったが、当時私が一番働きたいと思っていたスタジオだった。

何としてでもデジタルドメイン社の仕事は請けたい。何か手はないか。

思い出したのは、10年前に出会った日本好きなアメリカ人男性リチャードだ。彼とはCGソフトウェアのイベントで出会い意気投合したが、その後デジタルドメインのスーパーバイザーになったと言っていたような記憶がある。

彼のウェブページを探し、10年ぶりに連絡を取った。図々しいが、ダメもとである。自分のデモリールがデジタルドメインで評価されそうになっていること、できればプッシュしてほしい旨を書いた。すぐに、彼から返事が返ってきた。「覚えているとも! ゲンキ⁉ 実はその評価者は僕なんだ」

なんという偶然か。あっさりと憧れのデジタルドメインで働けることになったのだ。

■ハリウッド映画のエンドロールにクレジットされることに

デジタルドメインの仕事は4カ月で終わり、私はまた職探しを再開することになったが、以前に比べて状況はよくなっていた。半年前の私は、プロのCGアーティストになれるかどうかわからず、何者でもなかった。だが、今はプロとして何本かの仕事をこなし、モデラーとしての腕も認めてもらえるようになり、仕事を通じて業界とのコネクションもだいぶできていた。CGイベントなどの就職イベントに参加すると、いくつかオファーももらえるようになっていた。

そんな時、携帯電話にかかってきたのが、メソッドというスタジオからのオファーだ。メソッドからは一度オファーがあってその時は断ったのだが、今回はなんと『エルム街の悪夢』のフレディのCGモデルを担当しないかというのだ。

『エルム街の悪夢』のプロジェクトにおいて、メソッドのモデラーは私一人という状況だったから、目もくらむような忙しさの数カ月を送ることになった。

2010年4月末に公開された『エルム街の悪夢』、最後に流れていくスタッフロールにモデラー「Masa Narita」の名前を確認したときは、感極まって涙が出た。「5年以内に、ハリウッド映画のエンドロールにクレジット」という2008年3月の誓いは、予定よりも早く達成できたことになる。

メソッド社のメンバーとの集合写真
筆者提供
メソッド社のメンバーとの集合写真 - 筆者提供

■『アイアンマン3』のリードモデラーに

『エルム街の悪夢』の後も次から次へと仕事がやって来た。

勤務時間中まったく無駄口を叩かずひたすら作業をこなしていく私を、メソッドの同僚は変人だと思っていたようだ。そのうち、彼らから「Mawesome!」と言われるようになってきた。これは、アーティストにとって最高の褒め言葉「awesome」(すごい)と、私の名前「Masa」を合体させた言葉である。この言葉を聞くようになって、自分が本当に仲間として迎えられたんだという実感が湧いた。

ただし、メソッドが取って来る仕事には不満もあったから、別の会社からの契約オファーに心が動いたのも事実だ。その会社はスタッフ(正社員)として私を雇ってくれるという。スタッフになれば、健康保険にも入れるというメリットがある。ただしオファーはコマーシャル部門だった。

悩んでいてもしょうがない。意を決してメソッドの上層部に他社から誘われた事実を伝え相談したところ、あっさりスタッフにしてもらうことができた。

その後もメソッドでさまざまな作品に関わったが、仕事に対する違和感は大きくなっていった。モデリングの仕事自体は充実していたものの、VFX全体としての出来が他社に劣っていると感じることも増えてきた。もっと達成感の得られるところで、自分の腕を試したくなってきたのだ。

そんな頃、デジタルドメイン(以前コマーシャル部門で短期の仕事をやったことがある)が大作『アイアンマン3』のリードモデラーを募集しているという情報が流れてきた。作品の中でも一番目立つ「ヒーローモデル」を担当する、まさにCGスタジオの花形だ。スタッフ待遇ではあるものの、期間限定の契約だと言うことが気にかかったが、ダメもとで応募してみたところ、無事採用。主人公のトニーが装着するアーマーを担当することになった。アーマーの内部構造を自分で作り込み、さらに6名のモデラーに対しても指示を出す。

■ツテを辿って大胆に自分を売り込む

ところがプロジェクトの途中で、デジタルドメインが倒産するという憂き目に遭う。幸い、作ったモデルは別会社へと引き継がれて映画でも活躍したものの、私は再度無職になってしまった。

2012年から2013年にかけて、ハリウッドには本当にVFXの仕事がなくなっていた。コストの低いロンドンやバンクーバーに仕事が流れていったものだ。

アメリカで仕事をするには、どうすればいいか。

悩んだ末に出した答えが、『スター・ウォーズ』のVFXを担当しているILMに応募することだった。ほかで真似のできない、最高難易度の仕事を手がけるからこそ、ILMはハリウッドで唯一ともいえる大手VFXスタジオになっていた。

もちろん、ILMで働きたいアーティストは山のようにいるから、競争は激しい。応募自体はサイトのフォームから簡単にできるが、それで見てもらえる確率は天文学的に低いだろう。これまでに仕事をしたツテを辿って、ILM社員に何とかコンタクトを試みる。自分の作品をまとめたデモリールを送って、リクルーターにプッシュをお願いする。SNSでつながっているリクルーターにメッセージを送る……。

できるだけのことをやったら、あとはひたすら返事を待つだけだ。その間、家のリフォームをすることにした。雑用をこなしていないと、不安で押しつぶされそうだったのだ。

■ILMのマネージャーたちと電話面接

1カ月以上経っても、ILMからの反応はなかった。

さすがに我慢できなくなって、もう1回だけ催促してみることにした。どうせダメもとだ。それに何より、デモリールには私の4年間が詰まっている。プロのモデラーになってから、一度たりとも仕事で手を抜いたことはない。誰に見せても恥ずかしくない出来だという自負はあった。

思いが通じたのか、スーパーバイザーの1人が、CG展示会に講師として参加する際に少しだけ時間を作ってくれることになった。

面接場所は、展示会場の入口わきのベンチで、人通りもある。

私はiPadを片手に説明したが、スーパーバイザーはすでにデモリールをチェックしてくれていたようで、ふんふんと軽く相槌(あいづち)を打ちながら聞いている。面接は10分ほどで終わった。こんな面接で、十分にアピールできたのだろうか。

1週間ほどして、ILMのリクルーターから連絡があり、5名のマネージャーたちと電話面接をすることになった。

対面の面接であれば、実際の画像を見せながら説明することもできるが、電話だとそういうわけにもいかない。面接ではあまりにも緊張していて、何を聞かれ、自分がどう答えたのかもよく覚えていない。自分は大の映画好きで、10歳の時に『シャレード』を観たのが転職のきっかけだとか、とりとめのない話をしたような気はする。1つ覚えているのは、ハードサーフェイスかオーガニックかどちらが得意かと聞かれ、どちらもできると答えたところ、どっちなんだ? と押し問答になったことくらいか。

■憧れのILM初出社の日

電話面接から4日後、1通の電子メールが送られてきた。

本文の最初に書かれていたのは、「Welcome to ILM!」。

2013年8月19日から11月29日までの約3カ月間、私はILMで仕事をすることになった。

そして迎えた、ILM初出社の日。

ILMは、プレシディオと呼ばれる旧陸軍基地跡地の一角にある。4棟あるレンガ色のビルは以前あった陸軍病院の廃材を有効活用して造られた。そのため、夜幽霊を見たという噂が絶えない⁉ ILMは4棟のうち2つを占有している。

9時に受付を済ませると、オリエンテーションが始まる。入社関係の書類とともに、ルーカスフィルムのロゴが入ったモレスキンのノート、R2-D2が頭についたレゴのペンなどが配られる。

オリエンテーションのあとは、社内の見学だ。通路には、『ダイ・ハード2』や『E.T.』などで使われた実物のマットペイントが飾られている。2つの建屋をつなぐ空中通路には、『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で使用された小道具の模型などが置かれており、遠くにはゴールデンゲートブリッジが見渡せる。そう、ここが憧れだったILMなのだ。

■『フォースの覚醒』で最初に担当することになったのがファルコン

『スター・ウォーズ』をはじめとして、『インディ・ジョーンズ』『ジュラシック・パーク』『アイアンマン』『アベンジャーズ』など、ハリウッドの超大作を生み出してきた。これまで15のアカデミー視覚効果賞、33のアカデミー科学技術賞を受賞している。

この日入社したのは私を含めて3名で、2名はスタッフ職、私だけがフリーランスである。いい仕事をして認めてもらい、一刻も早く健康保険付きのスタッフになるぞと心に誓う。

スターウォーズのグッズ溢れるILM社
筆者提供
スターウォーズのグッズ溢れるILM社 - 筆者提供

その後フリーランス契約の仕事が評価され、晴れてスタッフ契約となり、2014年5月、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のVFXプロジェクトがスタートした。

『フォースの覚醒』に参加するハードサーフェス系モデラーは、私を含めて4名。私が最初に担当することになったのは─―ミレニアム・ファルコンだった。まさにヒーローモデル中のヒーローモデル。

さて、ミレニアム・ファルコンだが、実はいくつかのバージョンがある。最初に制作された『エピソード4/新たなる希望』では、直径1.5メートルもある巨大なミレニアム・ファルコンの模型が作られた。これは少し大きすぎて撮影に使いづらかったため、『エピソード5/帝国の逆襲』では80センチメートルほどの小型版模型が作られた。

■SF映画における最高傑作の宇宙船を任される戸惑い

これらの模型は、キットバッシングという手法で作られていた。ベースとなる円盤の上や側面のごちゃごちゃした装飾(グリーブリーズと呼ばれる)は、市販のプラモデルからそれらしいパーツを流用して使っていたのだ。

タミヤの戦車部品があちこちに使われているし、前部側面に貼り付いているのはマツダのロータリーエンジンだったりする。1.5メートルと80センチメートルの模型では、縮尺が違うため同じパーツを使えない。だから、2つの模型は細かな部分がかなり違っている。この2つ以外にも、(半分だけの)実物大セットや手のひらサイズの模型も存在し、それらはそれぞれディテールが異なる。

CGで作成するエピソード7のミレニアム・ファルコンは、やはり世間で決定版と呼ばれている直径1.5メートルのエピソード4版をベースにすることになった。エピソード4から30年以上かけてハン・ソロとチューバッカがあちこち改造を加えたという設定で、形を変えず、ディテールのみアップグレードするという方針が決まった。

仕事始めの5月5日、デイブが、模型の3Dスキャンから作ったベースモデルを私に渡してこう言った。

「これをベースにして、ディテールをかっこよく作り込んで」

SF映画における最高傑作の宇宙船を、自分のデザインで作り込んでいいと言うのだ。

喜びと同時に、「私なんかが自由に作っていいのか?」という戸惑いに襲われた。
こうして『スター・ウォーズ』漬けの1年間が始まった。

■プラモデル作りに励む週末

オフィスで作業する8時間の勤務時間以外も、どうやったらミレニアム・ファルコンが「リアル」に見えるようになるかをひたすら考える。この時はまだ家族と別れたままの単身暮らしだったので、週末にはミレニアム・ファルコンやスター・デストロイヤーといった『スター・ウォーズ』のプラモデルを作り始めた。手を動かすことでアイデアを得ようとする試みである。

成田昌隆『ミレニアム・ファルコンを作った男』(光文社)
成田昌隆『ミレニアム・ファルコンを作った男』(光文社)

ミレニアム・ファルコンのプラモデルは、ファインモールド社の72分の1スケールを組上げ、丁寧に塗装して汚しを入れる。スター・デストロイヤーは、オークションサイトでレジンキットを買い、2000本の光ファイバーを仕掛けてLEDで照明が点くようにした。ついでに、自分の担当ではないXウイングまで作ってしまった。実はこの私が作ったXウイングの模型、出来が良かったので映画にそのままミニチュアとして登場させる話もあったのだが、結局CGが使われた。残念!

CGモデルのミレニアム・ファルコン制作でも、プラモデルの経験は大いに役立った。

例えば、オリジナル模型の後部側面には、丸が2つ付いた部品が4つ並んでいる。これはタミヤのマチルダ戦車のサスペンションを流用したものだ。こういう装飾はそれらしく見えればいいものだから、模型の制作者もきちんと考えて作り込んだとは限らない。

けれど、その意味や機能を自分なりに考える。リアルに見える造形というのは、そこに何らかの機能性が感じられるということだ。ただゴテゴテしているのではなく、燃料を輸送するためにパイプが走っていたり、熱を逃がすために穴が空いていたりする。そういう構造を見た時、人は「リアルだ」と感じるものなのだ。

■細部にこだわったファルコンのモデルが完成

では、丸が2つ付いた4つの部品は何なのだろう。

これは、プロトン魚雷の発射口にすると面白そうだ。子供の頃に遊んだ魚雷戦ゲームに出てきた砲台のイメージか。このようにして、オリジナル模型の部品に意味付けし、プラモデルのパーツを一つひとつ作るように、マヤを使って部品をモデリングしていく。

我々のCG制作と並行して、プロダクションでは実物大ミレニアム・ファルコンのセットも作られていた。こちらは全面的に新たな部品が使われていて、パイプが船体を縦横無尽に走っている。セットとCGで見た目があまりにも異なっているとまずいので、セットと同じようなパイプをCGモデルにも走らせ、目立つ大型部品も取り込む。2カ月ほどかけて、私は円盤側面や上部と下部に空いている四角い大きな穴のディテール、上下に付いている機関砲の砲撃室内部、乗降口とその内部、着陸用の脚などをモデリングした。その後、仲間のモデラーに引き継ぎ、これまでで最も緻密なミレニアム・ファルコンのモデルが完成した。

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成田 昌隆(なりた・まさたか)
ルーカスフィルム/ILM シニアCGモデラー
1963年、愛知県生まれ。名古屋大学工学部を卒業後、NECを経て日興證券へ転職。1993年から米国赴任。会社勤めのかたわらCGの独学を始め、米VFX業界への転身を決意し退職。専門学校を経て2009年、46歳にしてハリウッドのVFX業界にプロデビュー。メソッドスタジオにて『タイタンの逆襲』のモデリングスーパーバイザー、デジタルドメインにて『アイアンマン3』のリードモデラーなどを経て現職。『スター・ウォーズ』エピソード7-9ではミレニアム・ファルコンやスターデストロイヤーなどのCGモデリングを担当。

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(ルーカスフィルム/ILM シニアCGモデラー 成田 昌隆)

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