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特定秘密保護法"生みの親"が今だから語る「逆風が強くても日本に必要だった理由」

プレジデントオンライン / 2021年9月14日 9時15分

首相官邸前のデモで、特定秘密保護法反対を訴える人たち=2014年12月9日夜、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

2014年12月、世論の激しい反発を受けながら特定秘密保護法が施行された。その目的は何だったのか。“生みの親”である元国家安全保障局長の北村滋さんに聞いた――。

※本稿は、北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

■情報交換には「同水準の仕組み」が必要

――2014年12月、特定秘密保護法が施行されました。一部のメディア、世論は激しく反発しましたが、情報を「守る」ことは「使う」ことの前提。同法の意義について、生みの親としてお聞かせください。

おっしゃるように、重要な情報の交換に当たり、相互に漏洩防止の安心感を持たせるということです。例えばあなたがオレンジジュースを、私がグレープフルーツジュースを、それぞれコップ一杯ずつ持っている。それをそのまま互いにグラスごと渡す。これは交換の一つの在り方です。違うもの同士の交換です。

もう一つは、私は何も持っていないが、あなたから自分の空のコップに注いでもらう。そしてそれを少し甘くして、つまり付加価値を付けてあなたに返す。情報のギブ・アンド・テイクの原則もこうしたことに似ている。ただその前提は、コップが同じ強度でないと、この交換は成り立たないということ。つまり情報保全の仕組みが互いに同水準で制度化されていることが、情報交換の出発点なわけです。

特定秘密保護法は、外交、防衛、防諜、テロリズムという四分野における非常に機微な情報について、かなり高い刑罰法規で守られる仕組みです。これができて初めて、情報を託す方も安心するでしょう。このことは既に述べたように、米国当局からは強く要請されてきた。法施行によって情報交換の質・量とも格段に上がったと思います。

■母親からの一言「世の中を暗くしないでくれ」

特定秘密保護法に対する逆風は非常に強かった。法案の成立の日には国会議事堂が「人間の鎖」で取り囲まれようとしました。大変申し訳ないことでしたが、安倍政権の政治的リソースも消耗させました。一部のメディアは、法が施行されると監視され、取り締まられて映画も撮れなくなるなどと書き立てていた。ただ、施行された現状を見てほしい。全然変わらないでしょう。

――当時、お母さまからも小言を言われたそうですね。

言われました。一部のメディアは、治安維持法の時代に逆戻りすると書き立てましたから。世の中を暗くしないでくれと。ただ、本当に暗くなりましたか。何度も言うようですが、安全保障に関する情報交換の枠組みは法整備でやっと出発点に立ったということなんです。情報を提供され、こちらも提供する体制が、かなりの部分できつつある。特定秘密保護法の施行によって初めて、情報保護協定も各国と結べているのです。

■北朝鮮を巡る米国との安全保障連携

――米国は我が国にない情報の収集・分析体制を持つわけですが、例えば2016年から17年にかけ、核実験や弾道ミサイル発射で挑発を激化させた北朝鮮を巡る安全保障連携にも活かされたのでしょうね。

米国の国家安全保障問題担当大統領補佐官だったボルトン氏が、米朝関係はキューバ危機にも匹敵すると形容した時期ですね。

16年の1月6日に4回目の核実験、2月7日に衛星打上げと称するいわゆる「テポドン二派生型」の発射。これに始まり2017年11月29日の「火星一五」まで、2年間で3回の核実験と40発を超える弾道ミサイルの発射を実行しました。

――米国領を射程に収めるほどのミサイルまで発射、挑発していましたね。どのような人がカウンターパートでしたか。

内閣情報官の相方として最も長くお付き合いをしたのは当時、国家情報長官(DNI)のジェームス・クラッパー氏で、現在も私信のやりとりを継続しています。トランプ政権の誕生で、2017年には、大統領の信頼が厚く、後に国務長官となるマイク・ポンペオCIA長官(当時)が主たるカウンターパートになりました。トランプ前大統領当時はDNIよりもCIA長官の方が重視されていたように思いました。北朝鮮による大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を始めとする各種の挑発に際しては、発射の2、3時間後に米国と緊急連絡ということも頻繁にありました。去る6月1日のニクソン・セミナーに、ポンペオ氏がやはりカウンターパートであったオブライエン前国家安全保障担当大統領補佐官と出席して、当時の私との協議について言及されており、深い友情を感じました(※1)

※1The Nixon Seminor-June1,2021-Chaired by Mike Pompeo and Robert O’Brien

■「情報をもらうだけ」の関係ではない

――米国にとっても、核搭載のICBMを自国領域に打ち込む能力を、北朝鮮が得たかもしれないという状況です。米国も真剣だったのでしょうが、短時間で情報を整理、分析して提示しなければならないというのも大変ですね。日米では総合的な情報能力も違うし、認識差もあったのではないですか。

我が国も様々な情報収集手段が発達してきているので、核実験とかミサイルの発射で米国と見方が大きく異なるということはないと言っていいと思います。

机上の星条旗と日の丸
写真=iStock.com/MicroStockHub
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MicroStockHub

――米国側が我が国を重視したポイントは何でしょうか。

まず地理的な理由から米国よりも我が国の方が精度の高い情報が入手できる場合があること。また、近隣国として長年渡り合ってきたわけですから、その蓄積に基づき、事象の特徴を素早く分析するインテリジェンスが形成されつつある。こうしたリソースを総動員して付加価値を付けて返す。ミサイルとか核兵器とかの情報については、そういう関係になっていると思います。我々が一方的に情報をもらうだけということではないと理解してもらって構いません。

■国民への情報提供スピードが上がっている

――2017年に日本海に着弾したスカッドミサイル四発同時発射の折には、専門家が、日米の迎撃・対応力を超える「飽和攻撃」の可能性を指摘していますが、協議ではこうした点も議論されたわけですね。

様々な問題について議論をしました。一般的に飽和攻撃がなされた場合には、迎撃が困難になることは事実でしょう。また1000キロを超える高高度から落下することで弾頭速度が高速になるロフテッド軌道についても、そうなのかもしれません。

――そういう場面では得られた情報を正確に評価し、政策決定者、首脳に早く、強く、端的にインプットする必要が生じるわけですね。

当時の安倍内閣では、危機管理が政権の一つの大きな柱でした。その意味でも、総理、官房長官のセンシティビティも非常に高かったし、北朝鮮のミサイル発射や核実験の度に国家安全保障会議(NSC)を開催しました。

なにより、情報保全体制を構築して日米での信頼関係を深めていた。そして、早期の情報共有体制ができていたので、こうしたことが可能だったのです。菅義偉総理も、官房長官当時には非常に早いタイミングで記者会見をされていました。

2019年10月2日、島根県沖の排他的経済水域内に着弾した北朝鮮の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)とみられる飛翔体の発射時には、7時10分ごろ発射され、記者会見まで1時間もかかっていません。発射の把握から国民への情報提供までのレスポンスは格段に早くなった。こうしたことも2013年の国家安全保障会議、14年の国家安全保障局の発足以降、整えられてきました。

■トランプ前大統領の当選には準備不足だった

――朝鮮半島がきな臭くなる中で、米朝緊張のもう一方の当事者であるトランプ政権誕生(2017年)も我が国の外交安保政策に大きく影響しました。

当時留意したのは、トランプ前大統領のアンプレディクタビリティ(予測不可能性)ですね。ニクソン元大統領の日本頭越し外交とか、ニクソン・ショック等といわれた共和党の外交姿勢がトランプ外交の主軸となるのではないかという見立てもありましたから、かなり心配しました。というのも、2016年の米国大統領選では、直前まで我が国の外務省はヒラリー・クリントン氏の当選を予測していた。トランプ氏の当選には正直に言えば驚いたし、官邸としてもトランプ氏の人脈や思考傾向の把握等の点で準備不足でした。そこで、当時、首席内閣総理大臣秘書官の今井尚哉氏と打ち合わせて、なるべく早い段階で安倍前総理にトランプ氏に会ってもらおうという方針を固めました。

■世界に先駆けて大統領就任前に会談を実施

結果的に安倍前総理は、まだトランプ氏が当選者でしかなかった同年11月の段階で世界に先駆けて会見を実現することになります。

大統領就任前に会見するというのは、最終的には安倍前総理の決断ですが、従来の外交の常識でいえば、あり得ないことです。一種の大きな賭けだったわけですが、アンプレディクタビリティを克服する唯一の手段は、首脳同士の人間関係構築しかないと安倍前総理も我々も思っていたんです。

――その賭けの結果をどう評価しますか。

結局、大統領就任前の会談は非常に中身も濃く、良かったと思います。サシの話では、その多くの部分が安全保障に費やされたようです。

――トランプ政権の対北政策には安倍前総理の助言が影響したんでしょうか。

多分、最初の安倍・トランプ会談のときに、インド太平洋地域の安全保障の話は出ています。トランプ前大統領自身は、インド太平洋地域の安全保障環境にそんなに深い認識はなかったと思うんですが、安倍前総理は詳しく説明されたのでしょう。

■安倍前総理はインド太平洋地域の「最も優れたブリーファー」だった

安倍前総理と非常に頻繁に会談する中で、トランプ前大統領はインド太平洋地域の安保問題に関心を強めたと思います。特に北朝鮮については、2017年2月、初の日米首脳会談で米国マール・ア・ラーゴに滞在中、SLBMを発射されている。トランプ前大統領就任後初めてのミサイル発射でしたが、そのとき既に安倍前総理を大統領へのブリーフィングに同席させるぐらいの信頼関係が形成されていました。一方トランプ前大統領にとっては、このような経験と知識の積み重ねが、最終的にシンガポールやハノイでの米朝交渉におけるぎりぎりの決断を助けたと思います。

北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)
北村滋『情報と国家 憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』(中央公論新社)

――まるで、安倍前総理がトランプ前大統領のインド太平洋地域安保のアドバイザーみたいですね。

基本的に、当初インド太平洋地域にそれほど大きな関心はなかったと思うので、安倍前総理が最も優れたブリーファーだったことは間違いないと思います。

――安倍前総理のトランプ前大統領へのブリーフィングはどんな内容から始まったのですか。

日米安全保障条約は何のためにあるのかとか。かなり本質的かつ始原的部分から始まったと思います。何しろ在日米軍の駐留経費がもったいないから撤収だと言っていた人ですから。

――しかし、米国情報機関や側近らは情報の伝え方に困ったでしょうね。

聞くところによれば、トランプ前大統領がどういうリアクションをするかよく分からないので、難しい話だとホワイトハウス関係者から、安倍前総理側に「大統領にこう言ってもらえませんか」といった要望もあったやに聞いています。

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北村 滋(きたむら・しげる)
前国家安全保障局長
1956年12月27日生まれ。東京都出身。私立開成高校、東京大学法学部を経て、1980年4月警察庁に入庁。83年6月フランス国立行政学院(ENA)に留学。89年3月警視庁本富士警察署長、92年2月在フランス大使館一等書記官、97年7月長官官房総務課企画官、2002年8月徳島県警察本部長、04年4月警備局警備課長、04年8月警備局外事情報部外事課長、06年9月内閣総理大臣秘書官(第1次安倍内閣)、09年4月兵庫県警察本部長、10年4月警備局外事情報部長、11年10月長官官房総括審議官。11年12月野田内閣で内閣情報官に就任。第2次・第3次・第4次安倍内閣で留任。特定秘密保護法の策定・施行。内閣情報官としての在任期間は7年8カ月で歴代最長。19年9月第4次安倍内閣の改造に合わせて国家安全保障局長・内閣特別顧問に就任。同局経済班を発足させ、経済安全保障政策を推進。20年9月菅内閣において留任。20年12月米国政府から、国防総省特別功労章(Department of Defense Medal for Distinguished Public Service)を受章。2021年7月退官。現在、北村エコノミックセキュリティ代表。

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(前国家安全保障局長 北村 滋)

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