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「サイトの豪華さは消費者に伝わらない」高級ブランドの販売サイトが驚くほどチープな理由

プレジデントオンライン / 2021年9月3日 10時15分

YOOX JAPAN 公式サイトより

イタリアのファッションECサイト「YOOX(ユークス)」は、ハイブランドを中心に展開しており、中には100万円クラスの商品もある。だが、サイトはチープで、高級品を扱っているようには見えない。なぜこのような仕様なのか。「Screenless Media Lab.」による連載「アフター・プラットフォーム」。第5回は「高級ブランドがサイトの作り込みをあきらめた事情」――。(第5回)

■100万円を超える商品もあるのに「不親切でチープ」

海外に本店を持ち、富裕層向けにグローバルに商品展開する通販サイトがある。例えばイタリアの「YOOX(ユークス)」は、高いものでは100万円クラスの高額商品がふつうにあり、商品数も数万点を扱う世界的なハイブランド通販サイトだ。グッチ(GUCCI)やプラダ(PRADA)、ロエベ(LOEWE)といった有名ブランドが揃(そろ)い、商品数も多く、日本からオーダーしても数日で商品が届く。2000年の創業以来YOOXは成長を続けており、2017年時点で売上高は2700億円を超えている。

他にも、エシカル&サステナブルに力を入れている「Farfetch(ファーフェッチ)」など、同様のサイトもいくつか存在しているが、いずれもサイトデザインは概して出来がいいとは感じられない。また、検索も使い勝手が悪く、使われている写真のクオリティーも高いとは言えない。

日本人が見慣れたユニクロやゾゾタウンのような、きめ細やかに作り込まれたファッションサイトと比べると、「チープなつくりだな」という印象を受けてしまう。しかしこうしたサイトは続々と数を増やしており、もはや高額ファッションECについてデファクトとなりつつある勢いだ。

ハイブランドの販売店ではブランドイメージを高めるために、店舗の内外装や商品のショーアップに凝り、見た目を豪華につくっている。同じ傾向はネットでも初期には見られたが、今ではそうしたマーケティングはほとんど見かけなくなった。

ではなぜ、買い手はチープで使い勝手もいいとは言えないサイトで高額商品を購入するのだろうか。

■サイトで商品価値をアピールする必要がない

伝統的なマーケティング論では、「集客し、体験させ、価値理解をさせて、購入契機を与えるというプロセスを踏まなければ、商品をユーザーに買わせることはできない」というのが通説となっている。

同種の製品に比べて際立って価格が高い商品は、その価格で購入してもらうために、それなりの「価値付け」を必要としている。言い換えれば、商品の「価値を理解」させないかぎり、ブランド品は売れない。

しかし上記のようなハイブランド販売サイトでは、セール等で購入契機を与えることはあっても、サイトユーザーに商品の価値を理解させるための努力は何もしていない。

ここから推察されるのは「ハイブランド販売サイトの利用者は、自分が購入する商品の価値をあらかじめ知っている」ということだ。ブランドの価値理解が済んでいるのであれば、通販サイトはそれぞれの商品価値を訴求する必要はなく、サイトは純粋に物流機能に徹していればよいからだ。

■これまでの広告設計の常識は的外れだった?

ハイブランド品販売に特化したサイトの対極には、多くの一般人が日常的に利用する、アマゾンに代表される大手通販サイトがある。

そこではユーザーの購買行動データを分析し、それぞれの価値観に沿った商品をリコメンドすることで、反射的な購買行動を誘発するアプローチが追求されている。そのシステムは、熟考させ納得させて買わせるのではなく、「いいな」と感じたその瞬間に購入ボタンを押させることにフォーカスが置かれている。

ハイブランド特化型サイトと大手通販サイトではターゲット層も扱う商品層も異なる。しかし共通しているのは、従来の広告戦略において最重要視されてきた「商品(もしくはブランド)の価値理解」というプロセスを、購買導線の中から省いていることにある。

つまりハイブランド特化型サイトにおいては、「価値理解はファッションショーやメディアでの露出、インフルエンサーによる投稿等を通じて、サイト外で済まされている」という前提がある。

大手通販サイトでも、それまでユーザーが知らなかった商品の価値を理解させる努力は放棄されている。この場合は必要な価値理解が別ルートによって果たされているわけではなく、ひたすら購入導線のショートカットに特化している。つまり「価値理解は必要ない」という姿勢だ。

こうした通販サイトの現状が提起するのは、「購買導線の中に商品価値理解のステップを含めなければならない」という広告設計の常識が、実は的外れだったのではないか――という疑念である。

■ハイブランド市場にも広がる「サブカル消費」

彼らが購買導線の中から価値理解のステップを外したのは、データ分析を通じて「そうした過程は不要である」と結論したからだろう。

広告関係者の間では「広告設計における商品の価値理解がいかに重要か」が繰り返し語られてきた。しかしそうした理解はブランド品においても日用品においても、間違っていたのかもしれない。

では広告や通販サイトの代わりに商品の価値理解を担っているのは何なのか。

ハイブランドが今売れているのは、「他人に差をつける」という過去によくあった顕示的消費ではなく、ブランド独自の価値観を中心にマーケットが回っているからである。その証拠にハイブランド商品も、一部を除いてはかつてのような大きなロゴマークをつけなくなっている。そこでは「価値を理解する者が自らの満足のために購入する」という、サブカル(=オタク)消費と同じ文脈で市場が成立している。

ルイ・ヴィトンのショップ
写真=iStock.com/TkKurikawa
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TkKurikawa

オタク消費であれハイブランドであれ、コアなファンがいて価値の訴求がその内部で調達されている場合には、実際に購買が動いている。そこで重要なのは、SNSなどで結ばれている比較的少数のセグメントの中で共通する価値観の存在である。それは「文化」と言い換えてもよい。

■日本は「生み出す能力」を育てる発想ばかりだが…

今はモノがあふれている時代である。ただ生きていくためだけであれば、ほとんどの人にとって自分が今持っているものだけで十分だろう。しかしそれでは消費は拡大しない。経済合理性ばかりを追求していくと、無関心化が進行し、経済は衰退する。それを補うのが新しい価値観の獲得である。

同じジーンズでも作り手の物語に心惹かれれば、「服は着られればいい」という無関心的合理主義を脱して、安価な定番品の代わりに高価なブランドジーンズで満足を得ようとする。買い手に新たな価値観、新たな関心を持ってもらわなければ、作り手に未来の展望は開けない。

新しい価値観とは、新しい文化である。

オタク消費でもハイブランド通販でも、局地的な消費の拡大を支えているのは、実は広い意味での買い手の「文化」なのである。

日本ではしばしば、「日本経済が衰退している原因は、すぐれたモノをつくる人材、アイデアを持った人材が出てこないからだ」といった説が唱えられる。それに対処すべく、「小学校からプログラミング能力を鍛えよう」「英語力を身につけよう」といった教育改革が提案され、実行されている。

だが、そうした発想は本当に正しいのだろうか。

日本では社会全体が作り手側の視点に固着している。学校も企業も、英語にせよプログラミングにせよ、「生み出す側の能力」ばかりを育てようとしている。それは日本が工業立国を目指した、高度経済成長期の発想である。

■ユーザーの要望に応えるだけでは成長に限界がある

しかし経済には、つくる側の問題だけでなく買う側の問題もある。

買う側を育てなければ市場は広がらず、経済も伸びない。消費の成長と経済の成長は表裏一体である。

高度成長期には「いいモノをつくれば、みんなそれを買うはず」という、プロダクトアウトの考え方が主流だった。当時は実際に作り手主導で流行が作られ、市場が拡大していったかもしれない。しかしマーケティングの世界でプロダクトアウトが否定され、「消費者側のニーズを汲みとって商品開発していく、マーケットインこそ重要」と言われるようになって久しい。

モノ不足の時代に従順だった消費者が、モノ余りの時代になってどんどんわがままになっていった。作り手はもはや消費者をリードすることができなくなり、市場ニーズに即した商品を開発していくことに専念するようになった。

しかしユーザーの要望に応えるマーケットインだけでは成長の限界があることを、企業は理解すべきだろう。

マーケットインによって市場が拡大するのは、消費者が新たな価値観を獲得して成長を続けるときのみである。

今日のようにユーザーの無関心化が進むと、ユーザーのニーズをいくら調査しても、めぼしい答えは見つからなくなる。そうなればマーケットインは効力を失う。

■新たな価値観を育てる努力をしてこなかった

日本経済の根本的な問題は、実は作り手の能力不足とは別のところにある。

日本はバブル崩壊以降、消費者を文化的な面で育てることに完全に失敗した。というより、育てる努力すらしないできた。企業は消費者の関心の拡大、新たな価値観の獲得に注意を払ってこなかった。実はそれこそが日本経済衰退の真の原因だったのではないか。

少なくとも今のマーケットの実態を見ていると、買い手側の文化的成長の停滞が市場の停滞に強くリンクしていることが、如実に感じられる。

教育学者の神代健彦は、その著書『「生存競争」教育への反抗』で次のように主張している。日本では長年、生産能力の強化・効率化ばかりが訴えられてきた。しかし、モノ余りの時代は、例えば美的なものを鑑賞する感性を養い、「きれいなものが欲しい」といった気持ちが自然と湧いてくるような、消費者としての文化を育てるべきだった、と。これは、的を射た指摘だ。

銀座の街並
写真=iStock.com/yaophotograph
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yaophotograph

■「ユーザーの無関心化」を生む遠因にも

学校が「役に立たないから」といって美術の時間を英語に置き換えたり、国語の時間をプログラミングに置き換えたりすることは、子供の感性や教養を殺す教育を志向することであり、消費者としての日本人の可能性を殺すことなのではないか。

われわれがこの連載で繰り返し指摘してきた「ユーザーの無関心化」も、実はそうした「作り手優先思想」に遠因があったと言っていい。

企業は本来、買い手の間に新たな文化を育て、発展させることにコミットしなければならない。その努力を怠れば、市場そのものがシュリンクしてしまう。

今の時代は多くの分野で市場のシュリンクが起きているが、内部にいる関係者たちはその真の原因に思い至らず、頽勢(たいせい)から脱却できないままでいるように見える。

■企業はメディアを単なる販促ツールにしてはいけない

企業が今、市場の成長のために考えるべきは、新たな価値観、新たな文化を育てることであり、それにコミットして投資すべきなのである。

例えば「メディアを単なる広告媒体、販売促進ツールとして使い倒すのはまずい」と理解しなくてはならない。

メディアのほとんどがコンテンツの販売よりも、広告収入を頼りに経営を支えている。そうである以上、広告主側の強い要望があればメディアは商品カタログ化するしかなくなる。

だがメディアには「カルチャーを支える」という文化的な役割がある。広告する側のメディアへの理解が「販売促進のためのツール」という視点に寄ってしまうと、文化のゆりかごとしてのメディアは機能しなくなる。

新たな市場は広告のみでダイレクトに創り出すことはできない。より広い文化的なトレンドに乗ることで、初めて生まれてくるものである。企業は文化の養育器としてのメディアをサポートし、「メディアとともに新たな文化を育てる」という視点を取り戻さなければならない。

■「新たな消費文化を育てる」という命題に向き合う必要がある

メディア自身も、「潜在的な購買者にリーチできます」といった短絡的な売り込みは改め、「消費者の価値理解を広げ、新たな消費文化を育てる」という命題にきちんと向き合う必要がある。

強力な購買導線としてのネットが台頭しているからこそ、既存のマスメディアは新たな価値理解の文化を醸成する機能を強めていかねばならない。新たな価値理解と関心の誕生がなければ、市場はやせ細り、ついには死んでしまう。

文化をつくり、それによって新たな市場を創造していく。企業はそうした観点から自分たちの広報戦略を見直す必要があり、メディアも「文化を育てる」という自分たちの役割をきちんと認識し、広告主に対してもそれを訴求していかねばならない。

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Screenless Media Lab. 音声メディアの可能性を探求し、その成果を広く社会に還元することを目的として2019年3月に設立。情報の伝達を単に「知らせる」こととは捉えず、情報の受け手が「自ら考え、行動する」契機になることが重要であると考え、データに基づく情報環境の分析と発信を行っている。所長は政治社会学者の堀内進之介。なお、連載「アフター・プラットフォーム」は、リサーチフェローの塚越健司、テクニカルフェローの吉岡直樹の2人を中心に執筆している。

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(Screenless Media Lab.)

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