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驚異的な高視聴率「ポツンと一軒家」が都会の視聴者に刺さり続けている本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年9月6日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

僻地を巡るバラエティー番組「ポツンと一軒家」(ABC・テレビ朝日系)が人気だ。自身も山奥で暮らすノンフィクション作家の織田淳太郎さんは「これまでは『人と繋がりたい』と思う人が多かったが、SNSの普及で繋がりの弊害も明らかになってきた。『都会で群れることがいい』という価値観が崩壊しかけているのではないか」という――。

※本稿は、織田淳太郎『「孤独」という生き方』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■投資ブームも手伝った田舎暮らし・別荘ブーム

いまも静かに続く田舎暮らし・別荘ブームは、1980年代の経済の沸騰期からスタートしたと言われている。その主役となったのが、バブル期の一翼を担った「団塊の世代」。彼らは1970年代の高度経済成長期の真っただ中を生きた人たちであり、その一部が脱サラなどによって田舎での第二の人生を選んだ経緯が目立ったという。

顕著なブームが訪れたのは2000年以降。ちょうど団塊の世代が定年を迎える時期と重なり、彼らの多くが田舎に移り住んだ。その動きに触発されて、他の年齢層が移住先として田舎に目を向けるようになったのも、同じ時期だったという。

ただし、都会からの距離や交通網の普及などによって、ブームの到来に地域的なバラツキがあることも事実である。

たとえば、関東西部に広がる秩父地方(秩父市、横瀬町、皆野町、小鹿野町、長瀞町)。西武池袋線の池袋駅から特急で約1時間20分の西武秩父駅を主要駅とするこのエリアは、埼玉県全域の約4分の1の面積を占めるが、森林率は県全体の60%以上にも達する。秩父地方がいかに豊かな自然に恵まれているかを物語っている。

秩父鉄道・秩父駅の近くで「(株)増田不動産」を営む増田喜彦さんは、「この秩父地方に限って言えば、西武秩父駅へと至る西武秩父線が開通した1969年頃から田舎暮らしの静かなブームが始まったのではないか」と言う。

「その頃から観光客がやってくるようになりましたし、都心からわりと近いこともあって、都会から移住してくる人が出てきたからです。1980年代のバブル期には、投資ブームも手伝って、土地の購入や別荘の建築が一気に増えていきました。私も毎日のようにお客さんを現地に案内していましたが、なかには現地も見ないで先に契約する人もいたほどです。

いまではその評価額も10分の1程度にすぎませんが、当時は山の奥でも坪10万円ぐらいの土地がけっこうありました。それを購入して高く転売するという『土地転がし』が流行っていたんです。

ただ、都会の喧騒を離れてのんびりしたい。誰もいないところで一人孤独に浸りたい。そういう理由で別荘を建てる人が、当時でもいることはいました。自分で沢から山水を引っ張ってきたり、井戸を掘ったり、借りた重機で土地を整地して畑を作ったり……と、自給自足的な生活を始める人も目立った。そういう意味で、昔の移住者のほうが逞しかったかもしれませんね」

■経済が停滞する今も都会の生活に疲れた人が移住してくる

だが、経済の停滞が続く昨今、わざわざ土地を購入して上物を建てる人は、あまりいなくなった。バブル当時に建てられた別荘を「割安価格で」購入する人がほとんどで、移住に耐えない朽ち果てた物件になると、大幅な値下げをしても売れない場合が多いという。

バブル期に購入した上物のない別荘用地も、子供、孫、曾孫へと受け継がれていく。その過程で、長く放置されたままの所有地だけでなく、所有者が不明となった別荘用地も増え続けた。全国において、こうした用途を失った土地の総面積は、いまでは九州全域とほぼ同じ面積にも及ぶという。

「それでも」

と、増田さん。

「田舎暮らしのブームが終わったわけではありません。いまでもお子さんを自然豊かな環境で育てたいと引っ越してくる家族がいれば、奥さんを東京に残したまま、定年後の田舎暮らしを一人楽しむ男性も多くいる。若い女性が一人で移り住んでくるようにもなりました。

やはり、煩雑な都会生活で疲弊した人、人間関係の鬱陶しさに辟易した人たちが、心のオアシスを求めているのだと思います。それは昔もいまも同じでしょう。そのせいか、一人で山に移住してきた人のなかには、変わり者が多いのも事実です。彼らは近隣の住民とすれ違っても挨拶しない。話しかけても返事さえしない人もいるほどです。それほど独りでいることに飢えているのでしょう。お客さんに『人付き合いが煩わしいからここにきた』と言われれば、私のほうでも返す言葉がありませんが(笑)」

心のオアシスを求めて、自然豊かな環境に引き寄せられる。もちろん、オアシスは秩父地方に限ったことではなく、全国の保養地や景勝地に広がっている。

■純粋に田舎に住みたい人、人生の逃げ道として田舎を選ぶ人

福岡県鞍手郡で「田舎不動産(株)」を営む塚本實さん。「これまで500人前後のお客さんに田舎物件を仲介した」という彼によれば、田舎暮らしに踏み切る人には、おおよそ2つのタイプがあるという。

分岐点のイメージ
写真=iStock.com/ra2studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ra2studio

「1つは田舎に住みたいと純粋に思い続けてきた人たち。もう1つは人生の逃げ道として田舎暮らしを選んだ人たちです。逃げ道として選ぶパターンとしては、たとえば企業戦士として仕事に打ち込んできたつもりが、途中で出世コースから外れたり、左遷させられたりと、自分が思い描いていた未来像に裏切られた人たちです。そういった挫折感に加えて、『人生ってこんなもんか』という達観が、彼らを都会の雑踏から長閑な田舎へと向かわせるのでしょう。

団塊の世代で言えば、退職後は生まれ故郷に近い田舎に移住する人が目立ちました。生まれ故郷が懐かしい。かといって故郷に戻ったら人間関係が密になり、かえって煩わしい。それが故郷にわりと近い田舎に移住する理由だと思いますが、もちろん縁もゆかりもなく、遠くから九州の山に移住してくる人もいます。なかには、『寒いから』と、別荘地帯が豊富な長野県からわざわざ移り住んできた人もいたほどです」

■「ポツンと一軒家」の人気の秘密は群れへのアンチテーゼ

現在、こうした田舎志向の象徴の一つとなっているのが、2018年10月からテレビ朝日系で放映されている「ポツンと一軒家」という番組である。

僻地を巡るバラエティー番組「ポツンと一軒家」(ABC・テレビ朝日系)
画像=朝日放送テレビのウェブサイトより
僻地を巡るバラエティー番組「ポツンと一軒家」(ABC・テレビ朝日系) - 画像=朝日放送テレビのウェブサイトより

世間から隔絶された日本各地の僻地にポツンと建つ一軒家を衛星画像で探し出し、そこで暮らしている人たちを訪ね歩く。チャンネルの多様化や録画・ネットの映像配信の普及などによって、「視聴率10%超えなら大成功」と言われる放送業界において、同番組はつねに20%に肉薄する視聴率を稼いできた。

新型コロナウイルスの蔓延が深刻化した2020年の3月15日には、実に22.2%の高視聴率(ビデオリサーチ調査、関東地区)も弾き出している。

なぜ、同番組がこれほどまで人びとの関心を呼ぶのか。

「群れることへのアンチテーゼが、多くの人の意識に芽生えたからだと思います」

と、催眠療法の第一人者で、公認心理師の国家資格を持つ米倉一哉さん(日本催眠心理研究所所長)は分析する。

「意識的か無意識的かを問わず、人というのは自分のなかの淋しさもあって、人と繋がり、集まろうとします。ツイッターやフェイスブックなどSNSの爆発的な普及は、それをいかにも象徴しているでしょう。ところが、多くの人と繋がるということは、ある種の弊害も生むのです。つまり、『縛られている』『監視されている』という感覚です。

実際、書き込みや発言に対するバッシングは後を絶ちませんし、いくら『イイネ』をもらったとしても、そうした窮屈な感覚はほとんどの場合、潜在的に消えることはありません。すると、今度は煩わしさや鬱陶しさを覚えるようになる。いまのネット社会において、多くの人たちがそうした煩わしさをどこかで感じてきたのだと思いますよ。

ところが、その煩わしさから解放されて生きている人がいるということが、テレビ番組や雑誌などを通じてわかってきた。彼らはなぜ、ポツンと淋しい僻地に暮らしているのか。いったいどんな気持ちで毎日を生きているのか。そういった興味が多くの人のなかで出てきたのでしょう。裏返せば、それは多くの人びとが潜在的に抱えてきた『解放されたい』という欲求を物語っています。

これまでは人と繋がることが良しとされ、多くの人と一緒になることが善とされる価値観が続いてきました。それによって、逆に人びとが傷つけ合ってきたという側面も否定できません。そしていま、その価値観が崩壊しかけているのだと思います」

■「わざわざ人が蠢く大都市に出る必要がなくなった」

米倉さんによると、その価値観の崩壊に、良くも悪くも大きく関与したのが、新型コロナウイルスの蔓延ではないかという。多くの尊い命が失われ、深刻な経済的困窮を生んだ一方で、それを機に多くの人が群れることを控え、自分なりのスタンスを重視する方向へと導かれたのではないか、と。そして、それは人類が連綿と繰り返してきた集結と離散のリズムに他ならない。

たとえば、太古の狩猟時代、人々は個や少数での行動を常とした。農耕時代に入ると、村社会が生まれ、その集団化が肥大した結果、やがて人々が群れ集う都市文化が誕生した。そして、今度はその群れ集う社会のなかから、個の尊重を求める者たちが、一人二人と離れていき、それが広く伝播していく。こうした「くっついたり離れたりする」人間の歴史において、たしかに現在は「人びとが離れたがっている時代」に突入しつつあるのかもしれない。

「その兆候はすでにいくつかありました。一つがダイバーシティ、つまり性別や学歴、障害の有無を問わず、それぞれの特性を活かした人材発掘という、多様性重視の企業が多く誕生したことです。いわば、既存のものに周囲が合わせる社会から、個々の特性に立脚した社会へと変わりつつあることですが、そこにコロナが登場した。それによって、生活スタイルの変化が加速したことは確かだと思いますよ。

たくさんの人が亡くなっていますし、コロナを忌み嫌う人も多いので、軽率なことは言えませんが、なかには逆にストレスを軽減させた人もいることはいるんです。私のクライアントさんのなかにも、『コロナのおかげで、乗りたくもない満員電車に乗らなくて済むようになった』と言う人がいれば、『わざわざ人が蠢く大都市に出る必要がなくなってホッとした』と言う人もいます。

引きこもりの人たちにも変化が見え始めてきました。彼らの心の奥には、自分は世間からドロップアウトした存在だという負い目や罪悪感が、つねに隠されています。ところが、コロナが蔓延して、自宅待機が推奨されるようになった。言うなれば、引きこもりが推奨されるようになったのです。

そこでどうなったか。それまで引きこもっていた人の多くが、外に出るようになったんです。自宅待機する社会人たちに『仲間だよ』と言われているような感覚になり、自分は世間から外れたダメな人間だという負い目から解放されたからですね」

■コロナの蔓延によって「田舎物件」が売れるようになった

この新型コロナウイルスの蔓延は、田舎暮らしへの潜在的な願望も人びとのなかに喚起させている。

1カ月半に及んだ最初の緊急事態宣言が全面解除された2020年5月25日以降、内閣府が1万人を対象にコロナ禍による生活意識や生活行動の変化などについての調査を行った。それによると、リモートワーク経験者の24.6%が地方移住への関心を高め、64.2%が「仕事より生活を優先させたい」と答えるなど、ライフワークにおける顕著な志向の変化が浮き彫りにされた。しかも、この傾向は中高年層だけに見られたわけではない。東京23区在住の20歳代の35.4%が地方移住への関心を寄せるなど、若い世代にも顕著な傾向として現れている。

「たしかに」

と、前出の増田さん。

「最初の緊急事態宣言が解除されるまでの半年間は、田舎物件はほとんど売れませんでしたが、解除されてからというもの田舎暮らしを検討するお客さんがどんどん増えてきました。つい先日も70歳ぐらいの男性が、反対する奥さんをようやく説得して、都内から一人で秩父地方に引っ越してきました。そのお客さんは『コロナの件もあるからね』と口にした一方で、元々田舎で畑をやりたいという夢を持っていたようです。

また、バブル期こそ山を買うお客さんがいましたが、バブルが弾けてからは山を買う人などほとんどいなくなった。それが、ここにきて30〜40歳代を中心に、山そのものの購入を検討するお客さんも目立ってきました。うちでも最近、50歳ぐらいの男性が飯能の山2000坪を1000万円弱で購入しています。何でもそこにテントを張って、キャンプを自由に楽しみたいとのことでした。今流行りのソロキャンプに触発されたところもあるのでしょうが、こんな山を買って将来どうするのかな? と、仲介した私のほうが心配になるほどで(笑)」

ベンチに座る人
写真=iStock.com/RelaxFoto.de
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RelaxFoto.de

■移住者の中には極端に人との関わりを避ける人も

コロナ禍を機に、にわかに広がった田舎暮らしへの志向。米倉さんが指摘した通り、そこに「単なるコロナ対策ではなく、コロナが引き金となった潜在的な願望の表出」が、大きく関与しているのは、おそらく間違いないのだろう。

織田淳太郎『「孤独」という生き方』(光文社新書)
織田淳太郎『「孤独」という生き方』(光文社新書)

実際、私の山荘の近隣別荘地帯でも、2020年の後半になって、物件が突如として動き始めた。他の別荘地帯の一角に定住する下田寛さん(仮名)は、こう口にしている。

「自分の別荘地帯には、売り物件や廃墟の物件も含めて70軒ほどの別荘が建っているけど、コロナが蔓延してからというもの、売り物件の見学の出入りがやたらと多くなった。特に40歳前後ぐらいの若い世代が目立ち、住み始めた人も何人かいるよ。

感染力の強い変異株の登場も影響しているのか、今年(2021年)に入ってからは県外ナンバーの車だけじゃなく、地元ナンバーの車に乗った人も、よく見学にくるようになったね。おそらく地元の街中に住む人までが、もっと静かなところがいいと、山暮らしを検討し始めたんじゃないかな。

ただ、移住してくるのはいいけど、彼らの多くは自分と会ってもロクに挨拶を返さない(笑)。極端な人嫌いもいてね。何でも定年退職と同時に奥さんと離婚して、ここに移り住んだらしいけど、『人と関わりたくない』『自治会の回覧板も回さなくていい』と言うんだ。『頼むから放っておいてくれ』って。その男性は別荘地帯の一番上のひっそりしたところに住んでいて、いまだに誰かと交流している形跡はないね」

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織田 淳太郎(おだ・じゅんたろう)
ノンフィクション作家
1957年北海道室蘭市生まれ。スポーツや精神医療分野のノンフィクションを多く出版してきたが、2016年11月、先妻との一人息子を失ったことで執筆の方向性を大きく転換。「死」や「孤独」、「深層心理」、「精神世界」など人間存在の根幹に触れる普遍的なテーマに目を向けるようになった。主な著書に『「首都高に散った世界チャンプ」大場政夫』(小学館文庫)、『巨人軍に葬られた男たち』(新潮文庫)、『捕手論』『コーチ論』『医者にウツは治せない』『精神医療に葬られた人びと』(以上、光文社新書)、『ルポ 現代のスピリチュアリズム』(宝島社新書)、『ある精神科医の試み』『死が贈りものになるとき』(以上、中央公論新社)など。

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(ノンフィクション作家 織田 淳太郎)

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