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「出産日まで予測できる」家族ですら気づけなかった女子高生の妊娠をとある企業が知り得たワケ

プレジデントオンライン / 2021年9月9日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

いまやスマートフォンは生活に欠かせない。だが、それは新しいリスクと隣り合わせだ。作家の藤原智美さんは「情報のデータ化が漏れないはずの個人情報を露出させ、気づかぬうちに『デジタルな私』が作り出されている」という――。

※本稿は、藤原智美『スマホ断食』(潮新書)の一部を再編集したものです。

■「リアルな私」に替わってスマホの中に「デジタルな私」が形成される

スマホはとても便利な情報ツールです。「スマホのない暮らしなど考えられない」というのが、一般的な生活感覚でしょう。スマホはツール=道具という言葉では、もはや言い表せないほど大切なものといえるかもしれません。それは私たちの心身に密着したもので、まるで身体の一部分であり、「情報」を操る臓器となってしまったかのようです。

長文のメッセージを両手の親指でまたたく間に仕上げてしまう若者などを目にすると、私はその指さばきに驚嘆します。そんなスマホのヘビーユーザーである大学生から、興味深いセリフを聞きました。

2020年、コロナ禍のせいで彼女は、まったくといっていいほど大学に通えませんでした。その間、講義もレポートの提出もネットですませたということです。友人とのコミュニケーションもほとんどはネットになりました。学習塾のアルバイトもなくなり、余暇時間はスマホに浸っていたといいます。21年になると、大学が再開し、コロナ禍以前の学生生活がもどってきましたが、彼女の気分はすんなりとは元に戻りませんでした。

彼女の心境をひと言で言い表すと「リアルな私は重い!」だそうです。

コロナ禍では、講義への出席も友人との交際もスマホの中の「私」が代行してくれました。しかし、大学が再開してアルバイトも始まると、生身の私の出番が圧倒的に増える。それが「面倒で重い」というのです。スマホの中の「私」は、自宅で自由にくつろぎながら友人と交わり、満員電車に揺られて大学に通う必要もない。しかしリアルな私は何をするにも相応の時間とエネルギーをようする。さらに他者へのリアルな対応は、スマホ上とは違って、ひどく気疲れするといいます。

コロナ禍で「他者とのリアルな交わりが失われると人は孤独感を覚える」。これが普通の感覚かと思っていたら、反対に「リアルは重く面倒」といわれて、私は驚いたわけです。

スマホの能力が向上するほど、人はスマホの虜(とりこ)になっていくようです。これからも私たちはますますスマホの中の「私」に自己をゆだねていくことになるのでしょうか。はたしてそれでいいのか? 疑問が残ります。

私という存在が「リアルな私」から「デジタルな私」へと入れ替わっていく。そういう時代に人はどうやって人生を送っていくのか不安です。

そもそもスマホの中につくりあげられるもう一つの私、デジタルな私とはどんな存在なのでしょうか?

■デジタル化された「私」が誰かに見られる時代

都内のあるフィットネスクラブでのことです。私は受付カウンターで会員証を提示しました。すると係の女性はなんのためらいもなく、私に女性用のロッカーキーを渡しました。そこに通って3年ほどたちますが、女性用のキーを渡されるのはこれで4度目です。きっと彼女は、パソコン画面に映しだされた「智美(ともみ)」という私の名前を見て、勝手に女性だと判断したのでしょう。そのとき私は、自分が透明人間になったような不思議な気分になります。彼女は笑顔で「こんにちは」と私にたしかに挨拶をし、その私からじかに会員証を受けとっている。私の風体はどう見ても中年男なのに、どうしてこんなことが起こるのか。

受付カウンターの彼女にとって重要なのは、画面上に表示されるデジタル・データであって、生身の私ではないということなのでしょう。血の通った目の前の人間は意識から消されて、画面上のデータ処理に意識が集中したのです。これは悪気のないささいなミスですが、ネット化した社会において人の存在が「データ化」しつつあるということを象徴しているようにも思えます。

こうして私たちは、目の前にいる生身の他者が目に入らず、ネット上のデータとしての他者を見るようになっていくのでしょうか。

その個人データが他者に利用されたり、また売り買いの対象となる事件が、あとを絶ちません。最初に大規模なデータ流出事件が起こったのは、2014年7月でした。ベネッセホールディングスの顧客情報が大量流出したのです。その規模は2000万件を超えます。なかにはベネッセの通信教育である進研ゼミを利用していた子どもたちの情報も多く含まれていました。

流出した情報は転売を重ねられて、数百社もの企業に渡ったといわれました。デジタル情報はコピーが簡単ですから、一度外に出ると、それをすべて回収したり消去したりすることは不可能です。よってこの情報は長く利用されることになります。とくに子どもの情報は10年以上は使えるといわれていますから、長期間にわたってさまざまなビジネスの手がかりとして「活用」されるばかりか、住所などが特定されている場合は犯罪の対象となることさえ心配しなければなりません。思わぬかたちで不安を抱えこんでしまった親御さんが全国にたくさんいたことでしょう。

こんな大規模な事件にもかかわらず、犯人はたった1人のシステムエンジニアでした。もしこれが30年前だと、犯人は大型トラックを用意して、膨大な量の紙の束を盗むしかなかったでしょう。そもそも、これだけの数の顧客情報を収集し書類で管理することは、並の民間企業ではむずかしかったかもしれません。そんな大量の記録が、今では手の平にのる1台のスマートフォンに入ってしまうほど、いとも簡単に取り扱えるようになったのです。

その後も19年12月には、神奈川県庁からサーバーのハードディスクドライブ(HDD)が持ち出される事件がありました。また21年にはLINEの個人情報が中国の委託企業で閲覧できるようになっていたことが大問題になりました。SNS上でデジタル化された「私」が、海外の見知らぬだれかによって見られる可能性があるという時代になったのです。

スマートフォンの画面
写真=iStock.com/samxmeg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/samxmeg

■デジタル化された個人情報は目に見えない

情報のデータ化とネット化が、ほんらいは他人には漏れないはずの個人のプライバシーを露出させています。さらにこれからは、個人の内面に属するような情報すら流出してしまうということも起こりうる。こんなことをいうと、大げさに危険性をあおっている、と反発されるでしょうか。

たしかにデータ化、ネット化といっても、言葉や情報がすべてデータ化しネットに流れているわけではありません。たとえば私の仕事部屋を見回してみます。うんざりするほど溜まっていく本が所狭しと積まれています。資料や書類の束が棚から今にもこぼれ落ちそうなほど差しこまれていて、リサイクルゴミに出す新聞や雑誌も床に放置されている。すべて紙とインクのアナログ情報ばかりです。

ではデジタル情報はどこに? ありました。電子書籍の端末、CD、DVD、そしてなにより2台のパソコン、スマホ、そればかりか冷蔵庫や洗濯機、エアコン、テレビに組み込まれたマイコンにもデジタル情報がつまっています。パソコン、テレビ、スマホなどはスイッチを入れると、たちまち無限大ともいえるデジタル情報とつながります。現在、世界に流通している情報のうち、紙とインクによるアナログ情報はわずか1パーセントにすぎないともいわれています。将来この数字は限りなくゼロに近づいていくでしょう。

こうしてあらためて自分の周囲を眺めると、本や新聞と違って、デジタル化された言葉や映像はスイッチを入れてアクセスしないかぎり「見えない」のだということに気づきます。実はここに落とし穴があります。ふだん隠れている膨大な量の情報で、私たちの暮らしは構成されている。そのなかに守られるべき個人情報もあるのですが、それらは目には見えない。私たちがうかがい知れないどこかに「保管」されているのです。

■個人情報は常に監視され、漏れ出る可能性がある

2013年のことですが、自宅に一本の電話がかかってきました。利用しているクレジットカードの会社からです。「◯◯で家電製品など買い物をされましたか?」

突然のことでびっくりしました。私のカードが盗まれて他人に悪用されたようなのです。あわてて財布を調べてみると、該当のカードは無事に入っていました。ネット上でショッピングした際に誰かに盗み見られたか、もしくはレストランなどの支払いでスキミングによって情報を読みとられたのかもしれません。

クレジットカードのトラブルが発生している様子
写真=iStock.com/martin-dm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/martin-dm

それにしても不思議でした。なぜカード会社には、その不正使用が分かったのでしょうか。当たり前のことですが、会員によるカード使用の全データを会社は把握しています。それをさまざまな方法で分析して、不正使用を見抜けるように、その規則性を見つけだそうとしています。おそらく私のカード情報を盗んだ「犯人」は、不正な使用パターン通りにカードを使って、監視の網に引っかかったのでしょう。おかげで私は、買ってもいない腕時計や金のブレスレットの支払いに追われることもなくすみました。この一件は重要な個人情報が常に誰かに監視されていて、場合によっては簡単に漏れ出てしまうということを示しています。

■ポイントカードは企業に消費行動を引き渡している

最近は、コンビニやレストランなどで支払いをするときに、当たり前のように「◯◯ポイントカードをお持ちですか?」ときかれます。カードを提示するのを忘れていたとき、「なんと親切なことか」と、ありがたい思いがしますが、店員さんは顧客サービスのためだけにやっているわけではありません。企業は私のデータが欲しいのです。ポイントカードはそれを引き出す重要な道具になっている。もしあなたがポイント集めに熱心で、いつも支払い時にポイントカードを差しだす人ならば、あなたの消費生活はデータ化されて、丸裸状態になっているかもしれません。

たとえば昼にコンビニで卵サンドと缶コーヒーを買い、夕食時には一人でレストランに入ってエビチャーハンと餃子を食べ、その足でビデオショップに行ってDVDを借り、コンビニに寄って週刊誌を買ったとします。そのたびに同じポイントカードを提示したとすると、あなたがどこで何をいつ買ったかがデータ化されたということになります。このデータを積み上げていくと、あなたの読書傾向、家族構成、さらに年収などを推測することも可能で、こうしたカード類を使うということは、自分のデータを渡しているということでもあるのです。

少し想像を巡らしてください。自分の情報はどれくらい他者に把握されているのか。銀行やカード会社には収入と支出が、ネットで本を買えば、その時々の関心事から思想傾向まで推測されるし、ドラッグストアで薬を買えば、あなたの病歴がデータ化されることになります。米国のあるディスカウントストアは、購入履歴データの分析から、妊娠した客の消費パターンを導き出しています。これによって顧客の出産日まで予測できるようになり、特定された妊婦向けに、さまざまな商品の売込みをしているということです。

米国で作られたテレビドキュメンタリー番組『あなたは利用条件に“同意する”?』では、高校生の娘に妊産婦向けのクーポンを送りつけてきた企業に抗議した父親のことが紹介されています。「まだ子どもの娘に妊娠をそそのかすのか」と父親は憤っているのですが、実際に娘は妊娠していたのです。会社は彼女の購入履歴で、身近にいるはずの父親よりも早く、妊娠に気づいていたというわけです。

ベビー服のクーポンを持つ妊婦
写真=iStock.com/vgajic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vgajic

■大規模であるほどデータは有効で利益を生む

このように個人情報が、国や企業に筒抜けになってしまう事態を危惧する意見は多くあります。これに対して「私には秘密にしなければならないようなやましいところはないから、オープンになってもかまわない」という声をよく耳にします。

しかしたとえば、あなたがウイルス性肝炎にかかったとします。それは職場などでは伏せておきたい情報かもしれない。あるいは転職しようという時に、借金があることは知られたくはないでしょう。やましいところはないという個人情報も、場合によってはあなたにとって不利な情報になります。

データ化されネットで行き交うようになった個人情報の根本的な問題点は、単にその一部が流出するということにとどまりません。ベネッセの情報流出事件は、ネット社会の落とし穴のほんの一部をかいま見せたにすぎないのです。ほんとうに怖いのは、さまざまな場所に分散されている個人情報が一つにまとめられることです。まとまると、たちまちあなた以上にあなたらしい「デジタルな私」ができあがります。

データというのは集合し塊をつくる性格を持っています。なぜならデータは大規模になるほど有効性を増し利益を生むからです。データを活用する側は、それが規模の大きなものであるほど価値があるということを知っていますから、できるかぎりかき集めようとします。いま「ビッグデータ」という言葉を頻繁に耳にしますが、データはビッグであるほど有効なのです。それは個人情報も同じです。だから企業やネットのサイトは、バラバラに存在する個人のデータをできるかぎり一つに統合しようとしています。

たとえばコンビニで弁当を買うとき、多くの店では鉄道会社が発行する乗車カードで支払いができます。電子マネーの機能が付加されているわけですが、さらにこれにクレジットカード機能も加わったものも出てきました。航空会社の会員カードも同じです。ケータイやスマホも一台にさまざまな機能をつめこんでいます。利用者からみると便利で得をするという感覚ですが、その裏で個人のさまざまなデータがまとめられつつあるわけです。

今後、もしこの統合が究極まで進み、あなた自身を物語る全データが一元化されたとすると、どうなるでしょうか。もう一人のデータ化された自分ができあがるわけです。しかもその「個人の完全データ化」とでもいうべき実態を、自分の目で直接見ることはできないところが怖いのです。実際、私もあなたも、自分のデータがどこにどれだけ収集されているのか、皆目わからないのですから。

■ネット時代は個人情報の全データ化を可能にした

米国では個人の完全データ化とその活用に向けて、状況がより早く進行しているようにみえます。これは9・11テロの直後に愛国者法が成立したことが大きく影響しています。国家が個人メールや電話などをチェックすることができるようになり、それが拡大しドイツのメルケル首相さえも電話を盗聴されていたことが判明して国際問題となりました。こうしたどさくさの中で、グーグルなどはプライバシーポリシーを変更して、利用者の個人情報を第三者に提供することを可能にしました。

藤原智美『スマホ断食』(潮新書)
藤原智美『スマホ断食』(潮新書)

ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ著『ビッグデータの正体』はこう述べています。

「アマゾンはショッピングの好み、グーグルはウェブサイト閲覧の癖を調べているし、ツイッターは我々の心の動きを手中に収めている。フェイスブックもこうした情報に加えて、交友関係まで押さえている」

ツイッターの「心の動き」とは、ツイートされる膨大なメッセージに心理学的な手法を加えて分析すること。フェイスブックの「交友関係」とは、ソーシャルグラフといわれる公開交友録のことで、こちらは世界の人口の10パーセントが網羅されています。今ではこれらの情報とSNSのメッセージなどから、第三者が個人を特定して住所を割りだしたりすることも不可能ではなくなりつつあります。

ネット時代はDNA情報から人間関係にいたる個人情報の全データ化を可能にしました。将来、人はことごとくデータ化され、常に誰かに「見られる」ことになるかもしれません。

一部の国では、大勢の群衆の中から特定の個人を監視カメラと顔認証システムによって選び出し、その個人情報をすべて呼び出すことが可能になっています。

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藤原 智美(ふじわら・ともみ)
作家
1955年、福岡県生まれ。『王を撃て』で小説家デビュー。92年、『運転士』で芥川賞受賞。『「家をつくる」ということ』がベストセラーに。『暴走老人!』『検索バカ』では現代社会の問題の本質を説く。

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(作家 藤原 智美)

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