「東京にいると上場を目指してしまう」稀代のヒットメーカーが福岡移住を決めたワケ
プレジデントオンライン / 2021年9月22日 10時15分
※本稿は、佐渡島庸平『観察力の鍛え方』(SB新書)の一部を再編集したものです。
■人はネガティブな情報に注意を向けやすい
『ドラゴン桜』を連載している頃、認知バイアスのことを調べる中で、自分はネガティビティバイアスに大きな影響を受けていると気づいた。
未来のポジティブなことは漠然としたイメージしか抱くことができないけれど、ネガティブなことは、すぐに仔細に思い浮かぶ。からといって、ネガティブなことがそれだけ起きやすいかというとそんなことはない。なのに、悲観的になってしまう。人はポジティブな情報より、ネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすい。これは「ネガティビティバイアス」と呼ばれる。
哲学者アランが『幸福論』で指摘した「悲観主義は気分だが、楽観主義は意志である」という有名な言葉は、人間とはネガティビティバイアスに影響されている状態が一般的で、悲観を抑え、楽観的に思考するには意志の力が必要だということを簡潔に説明している。
■失敗の姿が多様なことと、失敗する確率が高いことは別
自然の中で暮らしていてどこに危険が潜んでいるかわからない時代は、悲観的であることが、人の生存を助けたのだろう。バイアスが、判断の時間を短縮し、人を助けた。しかし、社会は基本的に安全になった。なのに、ネガティビティバイアスがはたらき、必要以上に人を不安に陥れ、行動を阻害している可能性がある。
とくに、しっかりと勉強ができる人は、失敗のあり方も多様に想像できる。だから、より怖くなって、行動しない理由を論理的に説明できてしまう。たとえば、自然災害が起きるかもしれない、事故に遭うかもしれない、お金がなくなるかもしれない、死んでしまうかもしれない、といったように。しかし、うまくいく姿は、凡庸でどれも似たようなものになってしまう。目指す成功に多様性はない。
トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と綴っているが、家庭だけに限った話ではない。人生も同じである。今に集中できず、未来を想像するとき、頭の中を埋めるのは失敗ばかりだ。
ここで重要なのは、失敗の姿が多様なことと、失敗する確率が高いことは別である、と知ることだ。思い浮かぶ幸せの姿が1%で、残り99%が失敗の姿だとしても、確率99%で失敗するわけではない。思い浮かぶ失敗の姿の多様さに、そればかりを想像して行動を控えがちになってしまうが、いざ動いてみるとあっさりと実現し、拍子抜けすることは多い。
■「起きていることは全て正しい」
僕自身、ネガティビティバイアスの影響を受けすぎないようにするために、意識して取り組んだことがある。それは、「振り返り」の時間をしっかりとること。行動の前に、自分の不安な心にたっぷり向き合う。その上で行動に移し、振り返ってみる。
すると、「イメージしていた不安」は、実際には起きないことがほとんどだった。ネガティビティバイアスは、視点を変えると、「準備する力」とも言える。心配性の人が抱えている問題は、心配性なことにあるのではない。予測外の出来事が起きたときに、うまく対応できないことにある。事前に様々なパターンを予測し、準備をする。予測通りにいかなかったときに、現実を受け入れることができないと行動を控えるようになってしまう。僕自身もそんなにうまく動けていたわけではなく、よく憤っていた。
僕が20代の頃、その様子を見ていた、早逝してしまった瀧本哲史さんから、こんなことを言われた。
「『起きていることは全て正しい』と思うことは大切ですよ」
■予測外のことを楽しめると、行動が怖くなくなる
そのときは、そんなはずがない、正しくないことを正していくことが大事だ、と思ったけれど、この言葉はいろいろな場面で頭をよぎるようになった。そして、納得がいかない場面では、心の中で「起きていることは全て正しい」と一度、口にするようにした。すると、正しくないと思わせているのは、自分のこだわりでしかないと気づかされた。その状況をすっと受け入れ、次にどうするか、考えることができるようになった。
最近は、瞑想をするので、お坊さんの話を聞く。お坊さんからは、どんなことが起きても「そういうものだ」と一度、心の中で唱えてみるといいとアドバイスを受けた。僕が経験することなど、たいてい誰かがすでに経験している。特別に悲惨な目にあっているわけでもない。人生とはそういうものだ。なのに、なぜか自分だけ都合よくことが進めばと思ってしまっている。
「そういうものだ」とつぶやくと、目の前のことを受け流せる。僕は「ちょうどいい機会だ」と心の中で唱えることも習慣にしている。起きた出来事を変化のきっかけにしてしまうのだ。
ネガティビティバイアスを使って、不安になることをたくさん想像して、事前の準備はしっかりしておく。そして、本番では「予想外のことが起きるのは正しいこと、そういうものだ」と思い、その瞬間を楽しむようにしている。想像通りにいかないことを楽しめるようになると、行動することが怖くなくなる。
■「上場を目指すほうがいいのではないか」と思ってしまう
僕はコロナ禍で、福岡に移住した。移住の理由は、複合的なのだが、同調バイアスを意識したことも理由の一つだ。
「日本は同調圧力が強い国だ」とよく言われる。しかし、同調バイアスの影響を受ける人が多い国民性、というのが正確ではないかと考えている。
同調バイアスとは、自分の持論に反したとしても、「みんながそう言っているから」と大勢の意見を支持することだ。これは、どんな人でも例外ではいられない。国や企業のトップであっても影響を受ける。しかし、みんなの意見がいつも正しいとは限らない。バイアスについて調べてきた僕も、気づくと同調バイアスに陥っていて、ハッとすることがある。
コルクを起業してから、ベンチャー起業家との付き合いが増えた。この10年、ベンチャーをめぐる環境は、飛躍的に良くなり、友人が次々、会社を上場させている。彼らとの付き合いからは、いい刺激を受ける。親友になった人もいる。誰も僕に上場をすすめたりはしない。なのに、そのコミュニティにいると、上場を目指すほうがいいのではないか、という疑念が湧いてくる。
僕自身はコルクを上場させようとは思っていない。「物語の力で一人一人の世界を変える」というミッションのために、上場という手段をとる必要はないと今は判断しているからだ。上場に関する問いは、一度しっかりと考えているはずなのだが、ベンチャーコミュニティにいると自然と同じ問いが何度も去来してきてしまう。ついには、上場を目指さないことは、自分の甘えではないか、という考えさえ頭をよぎる。僕にはそれをコントロールすることはできない。
■軸からブレないために、福岡に移住した
人は誰しも同調バイアスから逃れることができない。
できることは、その影響をなるべく受けず、本当に自分がやりたいことは何か、そのために今自分は何に時間を使うべきか、など大切にしている軸からブレないようにすることだけだ。
40代の10年間は、不惑の10年である。自分が何をする人なのか、自分で深く理解するために時間を使いたい。そのためには、住む場所から変えてしまうのがいいのではないか。そんなふうに考えて、福岡に移住した。
また、同調バイアスの影響について、自分だけでなく、周りの人が受けていないかにも意識的であるようにしている。ものづくりは、孤独な作業だとよく言われる。同調バイアスの影響を受けない中で作られるから、個性的なものができる。今まで、マンガ家と編集者は、一対一で話し合いをしていた。その環境も同調バイアスが生まれにくい。しかし、今の僕は、コルクスタジオという仕組みの中で、マンガ家たちとチームになって、一つの作品を作っている。クリエイターであっても、同調バイアスの影響は受ける。複数人で作っていると、よりいいものができるのではなく、同調バイアスで凡庸なものができあがってしまう危険は高まる。
■心理的安全性のあるチームに変わりたい
それは、コルクという組織においても同様だ。社長という立場になり、年齢が上がって、周りには年下が増えた。僕としては「あなたを対等と認めて議論している」という気持ちで、今までと同じ感覚で発言していたのだが、そうすると組織に同調バイアスがはたらき、僕の意見がなんとなく正しい雰囲気になる(本書で説明するハロー効果もはたらいている)。
世間を驚かす創作をするためには、全員が率直に意見を言って、アイディアを磨き合う必要がある。その場にいるメンバーの心理的安全性をどのように確保するのか。どんな発言、行動をしても、チームから存在を否定されないと感じるのが、心理的安全性だ。心理的安全性を感じて、発言できているときは、同調バイアスから自由であると言える。最近の僕の興味は、自分がどうすれば同調バイアスから自由になれるかではなく、心理的安全性のあるチームにどう変われるかになってきている。
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コルク社長、編集者
1979年生まれ。中学時代を南アフリカ共和国で過ごし、灘高校に進学。2002年に東京大学文学部を卒業後、講談社に入社し、「モーニング」編集部で井上雄彦『バガボンド』、 安野モヨコ『さくらん』のサブ担当を務める。03年に三田紀房『ドラゴン桜』を立ち上げ。 小山宙哉『宇宙兄弟』もTVアニメ、映画実写化を実現する。伊坂幸太郎『モダンタイムス』、平野啓一郎『空白を満たしなさい』など小説も担当。12年10月、講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社・コルクを創業。『宇宙兄弟』『インベスターZ』『テンプリズム』『修羅の都』『オチビサン』『マチネの終わりに』『本心』などを担当。インターネット時代のエンターテインメントのあり方を模索し続けている。コルクスタジオで、新人マンガ家たちと縦スクロールで、全世界で読まれるマンガの制作に挑戦中。
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(コルク社長、編集者 佐渡島 庸平)
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