日本ゴルフ初の銀メダル…稲見萌寧が「緊張したことがない」と言い切れる3つの理由
プレジデントオンライン / 2021年9月11日 12時15分
銀メダルを獲得した日本の稲見萌寧選手(左)と銅メダルを獲得したニュージーランドのリディア・コー選手(右)。東京五輪・ゴルフ女子最終ラウンド2位決定プレーオフにて=2021年8月7日、川越・霞ヶ関カンツリー倶楽部 - 写真=AFP/時事通信フォト
■1年前までは「普通の選手」だったのだが…
褐色に焼けた肌。真っ白な歯。大きな黒い瞳。鍛えられた肉体。抜群の健康美を誇る稲見萌寧が緑の舞台で躍動する。
鋭いショットでフェアウェイセンターに飛ばし、ピンをデッドに狙う。ショットの正確さは今や女子プロナンバーワン。その精度で至難のコースを次々に制していく。
「わたし、完璧主義者なんです。ショットは100%完璧でないと納得できない」
22歳になった稲見はそう言うが、4年前の18歳で受験した18年7月のプロテストは20位のぎりぎり通過。数少ない出場試合を粘り強くものにして、1年後の19年7月に初優勝を遂げる。しかし2勝目まではさらに1年以上かかり、ここまでは並みの選手だった。
ところが21年の今年、稲見は突然ブレイクする。3月に3勝目を挙げるや、4月に連続優勝を含む3勝を挙げ、5月、8月に勝利し、夏の終わりまでに6勝を挙げ、通算8勝。この間には7月の東京五輪の銀メダルがある。
この躍進の秘密はどこにあるのか?
■“はざま世代”と呼ばれた高校時代
まずはジュニア時代を見てみよう。9歳からゴルフを始め、1カ月後にはプロになると宣言した稲見。それ以来、1日10時間以上という猛練習を重ねてきたが、その割には中学高校で大きなタイトルは皆無。高校2年の関東ジュニアでは、2日目を終えて1打差の2位だった稲見が最終日にスコアを伸ばせずに4位に終わり、クラブハウスで泣きじゃくっていたのを私は思い出す。
この年の日本ジュニアは12位タイ、高校3年の最後の夏の日本ジュニアは24位タイで終わっている。負けず嫌いの稲見にとって、思い出したくもない苦い高校時代だったろう。
稲見の1学年上はいわゆる黄金世代。畑岡奈紗、渋野日向子、勝みなみ、原英莉花、小祝さくらなど錚々たる選手たちがひしめき合う。稲見の1年下の学年はプラチナ世代やミレニアム世代と言われ、安田祐香、吉田優利、西村優菜、古江彩佳とこちらも煌めく選手たちが揃っている。
ところがその間の稲見ははざま世代と呼ばれ、稲見以外は鶴岡果恋くらい。上下の学年の圧倒的な強さに挟まれ、高校時代は力を発揮できなかったのかもしれない。それはプロテストでも同様だったし、翌年の試合出場を決めるファイナルQTでは103位と振るわなかった。この時点までで誰が今の稲見を予想していただろう。
しかし、稲見本人だけは「絶対に強くなってやる」と決意していた。こんなところで負けてはいられない。「トップに立つ。それも世界のトップに」。しかし、それは奢りでも自信過剰から来るものでもなかった。しっかりとそのときの自分を見据えての決意だった。
そしてその自分というのは「決して私はゴルフが上手くない」。「下手だ」と言う認識だったに違いない。下手だからコツコツと練習するしかない。練習して練習して、「誰にも負けないショットメーカーになる」ということだった。
■強気の発言、謙虚なプレー
勉強では自分は頭がいいと思った途端に伸びが止まる。スポーツなら自分が上手いと思った途端に成長が止まる。「自分は馬鹿だ、下手クソだ」と思っている人間はいつまでも伸びる。特に1打1打の積み重ねのゴルフは謙虚な者が強くなる、スコアがよくなることが多い。稲見は発言こそ強気だが、プレーはいたって謙虚だ。それがミスのない正確なショットに表れてくる。
稲見がショットにこだわるのは、初めてクラブを振った9歳の時から上手くボールを捉えられたからに他ならない。
「空振りをまったくしなかった。振れば上手く当たる。一緒にいた父は驚くし喜ぶしで、ショットが好きになりました。それ以来、ショットでは負けたくないんです」
クラブの真芯でボールの真芯を捉えたときの快感。それは何とも言えない気持ちよさである。こうして単にナイスショットが打てるレベルから、思ったようにクラブが振れて、頭に描いた弾道でボールが飛んで、狙ったところに落ちるという、ボールコントロールにこだわるようになっていった。操縦士が飛行機を操るように、レーサーがクルマを操るように、稲見はボールを自在にコントロールしたいのだ。
「私が理想とするショットの完璧を100としたら、今の私は40。ノーボギーで試合に勝ったときでも、70〜80くらいの満足度です。ほんと、私ってめちゃめちゃ完璧主義者なんです」
■稲見を変えた体と腕がシンクロする新スイング
稲見がオリンピックで銀メダルを獲ったとき、キャディをしていたのが奥嶋誠昭コーチ。18年の暮れに出会い、19年から稲見を教えている。奥嶋はゴルフスタジオでレッスンを開始し、18年からツアーコーチとなり、谷原秀人らを指導している。
稲見を初めて見たとき、持ち球はドローボールで、稲見が目指すコントロールができていなかった。ドローボールは飛距離は出るが予想だにしない球も出やすい。奥嶋は稲見にドローからフェードに持ち球を変えることを提案、習得するや一気に球筋が安定し、狙いどころにキープすることができるようになった。
稲見はフェードに変えた自分のスイングを見つめる。
「体と手の動きを同調するように心掛けています。こうすると思ったようにクラブを動かすことができる。フェースの動きをコントロールしやすいんです」
体と手をシンクロする。永久シードの倉本昌弘もスイングで心掛けているポイントだ。これは素人であれば、クラブのグリップエンドがいつも自分のへそを向いているスイングといってもよい。松山英樹はそれを超高速スイングでやってのける。フェースコントロールができればボールもコントロールできる。描いた弾道が打てるようになる。
稲見は子供の頃からやっていた1日10時間の練習で、新しいスイングを3カ月でものにする。こうしてほぼ半年後の7月に初優勝するのだ。自分のショットに自信がついた稲見はドライバーでしっかりとフェアウェイをキープできるようになる。良いライから打てるのでピンを狙うショットも思い切って打てる。スコアは必然的によくなっていく。
■東京五輪で示した“安定したコントロール”
オリンピックでは至難の霞ヶ関カンツリー倶楽部を自分の描くコースマネジメントで攻略していった。その結果、4日間のフェアウェイキープ率は驚異の85.7%の第1位。1ラウンド14回ドライバーを振るとして、2回しかフェアウェイを外さないことになる。グリーンをパットのしやすいところに狙うことができる。スコアを縮めていき、遂にオリンピックではトップを走っていたネリー・コルダを最終日の17番ホールで捕まえる。
惜しくも最終18番ホールでバンカーに入れてボギーを打ったが、その差は僅か1打。金メダルは手が届くところにあった。
「難しいコースだけに、ティショットで行ってはいけないところには行かないように丁寧に打った。敢えて必要以上に飛ばそうとは思わず、気持ちを抑えながら打てました」
ゴルフは飛ばしたほうが有利になる。ピンに近づけば短いクラブで打てる。バーディチャンスが増えるのは当然だ。しかし飛ばしても曲がれば致命傷にも陥る。
霞ヶ関カンツリー倶楽部は松林でホールがセパレートされている。曲げて松林に入れば出すだけがやっと。たとえ林に入らずとも張り出した枝がピンへのショットを邪魔する。ラフも長いので、容易に長いクラブでは打てない。すぐにボギーになり、ダボにもなりやすい。しかし、稲見は4日間、一度もダボはなかった。
とはいえ、抑えて打つのは口で言うのはたやすいが、やるのは高等技術が必用だ。
「稲見選手は1番手大きなクラブを持って、1番手下の距離が打てる」と言うのは、上田桃子をコーチする辻村明志である。「これができるからこそボールを落ち着いて飛ばせる。自分が描く弾道のライン出しができる。しかし、これは相当な練習を積まなければできない技。稲見選手はフェースの動きが見え、ボールをコントロールできるのです」とも語る。
稲見のスイングは縦に入ってきて縦に抜ける。フェースが目標に対して直角となるスクエアになっている時間が長く、だからこそ思ったところにボールを飛ばせる。これを可能とするために、練習ではティペッグやボールの箱を立てて、クラブの通り道を一定にするよう努力している。常に同じスイング、同じフェース向き、同じ弾道となるように心掛けて猛練習を繰り返しているのだ。
■練習したショットを本番で可能とする集中力の作り方
猛練習によって新しくつかんだフェードボール。練習では体と手をシンクロさせて、思ったような弾道を打てるようになった稲見。しかし、これを本番の試合で確実に実践するのはさらなる至難の業である。
ゴルフでは「練習場シングル」という言葉がある。練習場ではナイスショットを連発できても、本番の試合になるとミスショットばかりになる人をさす。野球でいえば「ブルペンエース」。ブルペンではいい球を放るのに、試合になるとからっきしの投手のことをいう。稲見は「練習場シングル」とは大違いのパフォーマンスを試合で見せる。重圧がかかる場面でも、まさにこれこそがプロというショットを見せつけていく。
「わたし、緊張したことがないんです」
そう言い切る稲見はなぜ練習場でできたことを本番でできるのだろうか。
それは限りなく1打に集中できる力を持っていることにある。そしてその集中力はいくつかの要点をつかむことで手に入れられる。
まずはリラックスと集中のメリハリ。稲見はスイングするとき以外はリラックスし、ボールを打つときだけ集中する。集中力はせいぜい50分しか持続できないと言われ、5時間もプレーするゴルフではラウンド中、常に集中することはできない。ショットの時だけ集中できればいいのである。それも他の人よりも高い集中力を発揮するには、オンとオフの切り替えが重要となる。稲見は証言している。
「コースを歩くときは一緒に回っている選手とおしゃべりします。内容はたわいのない事でも、笑えばうんとリラックスできる。そうしてボールに近づいたら、ライを確認して狙いどころを決めてクラブを選択。スイングですべきことだけに集中してボールを打ちます」
■「狙いは1点に絞る」まるでアーチェリーや射撃の選手
おしゃべりして笑う。この愉快なおしゃべりが稲見にリラックスをもたらしている。その後にスイングやショットに集中しようと思えば、その集中力は高次元のものとなる。思ったスイングがしっかりとできるのだ。
「オリンピックではフェアウェイの狙いをさらに絞り込み、5ヤードの幅の中に打つつもりでスイングしました。そうしないと、次のショットでピンを狙うことができなくなるからです」
狙いは1点に絞り込む。しかも稲見はその誤差を5ヤードと狭くしていく。ティグラウンドから240ヤード先の目標をどんどん絞り込んで5ヤードの幅に縮めながら、そのど真ん中の1点に焦点を定める。まるでアーチェリーや射撃の選手と同じである。
しかし、ゴルフがそれらの競技と違うのは目標を見てショットを打てないところにある。稲見は目標を定めたら、集中をスイングに切り替える。
「クラブのフェースを目標にしっかりと向け、ボールが目標に飛ぶように体の向きをセット、アドレスしたら、体と手が同調するようにワッグルを繰り返します。同調しづらいときはインパクトでの腰の向きをチェックして、その腰の向きでボールを捉えられるようにワッグルします。そうしたら、その腰の1点にだけ集中して、スイングします。そうすれば体と手が同調できますので」
スイングも1点に集中するところが稲見の素晴らしいところ。目標に集中してそのまま打つというプロゴルファーが多い中、目標は頭に描いておきながら、スイングに集中するのが稲見流である。正確無比のショットを誕生させる集中の仕方である。
■重要な場面こそポジティブに考える
さらに稲見は勝負のカギを握る最も重要なポイントで、最高の集中力を発揮する「ゾーン」に入ることができる。それは絶対にできると自分を強く思うことから始まる。
「大事な場面では絶対にいいショットを打ってやる。ピンを刺してやると思って打ちます。勝負が掛かったパットなら絶対に決めてやると思って打ちます」
これは重要な場面こそポジティブに考えるということ。オリンピックの17番ホールの4mのパットを、雷雨で中断したのにもかかわらず、ど真ん中から沈めたのも、打つときの決断の強さと集中力にある。「中断したのによく集中力を保てたものだ」と言う人がいたが、中断したときはおしゃべりしてリラックス、打つときに最大の集中力を発揮したということである。さらにオリンピックではプレーオフになったとき、稲見は次のように言ってのけた。
「わたし、プレーオフで負けたことがない。絶対に勝つと思って臨みました。そのときには18番でボギーを打って金メダルを逃したことなど、少しも考えていませんでした。ティショットも集中できて、その前に打ったときよりも10mも飛んでフェアウェイど真ん中でした」
相手のリディア・コーは稲見の気迫に負けたのか、ティショットを右にふかしてクロスバンカーに入れ、ボギーを叩いた。稲見は楽にパーを取って銀メダルを確定させたのだ。稲見は言っている。
「わたし、追い込まれるほうが集中できます。それも追い込まれれば追い込まれるほど集中力が増します。そういうときってゾーンに入ってしまうんですね。集中しているのに周りがよく見えてるし、いろいろな声や音なども聞こえている。それなのに目標の1点に没頭しているんです。もう、すべてが上手く行くとしか思えない。そうなるときに自分とは思えないようなミラクルなショットが出てしまって優勝してしまうんです」
まさに集中力の申し子、稲見萌寧である。稲見の最大の武器は正確なショットと言うが、実はそのショットを生み出す集中力にある。集中力を高いレベルで発揮でき、ゾーンにまで入れるからこそ、難しいアプローチも寄せることができ、大事なパットも決められるのだ。
■疲れていては集中しようにもできない
そしてもう一つ、稲見の武器は体力である。1日10時間も練習することはよいショットを生み出すだけでなく、体力を強化していた。毎朝4時半から河川敷のゴルフコースを18ホール周り、学校から戻ったら再び日没までコースを回ったり練習場でボールを打ったりを繰り返す。今はこうしたオフの練習に加え、筋力強化のトレーニングも行っている。
今年1月から始めたのがキックボクシングを採り入れたトレーニング。稲見のハイキックは見事なものだ。キックボクシングでも何かしらの大会で勝てそうなくらい。このトレーニングは女子ツアーが始まってからも欠かさない。
試合翌日の月曜にはジムに通っている。こうした体力強化が酷暑の中で実施されたオリンピックでも、疲れをまったく見せずに戦えたことが銀メダルに繋がっている。集中力も体力が伴っていなければ発揮できない。疲れていては集中しようにもできないからだ。
もしも集中力がなくて仕事が思うようにできないと言っている人がいるとしたら、稲見のように体力を強化し、仕事の段取りを整え、目の前の仕事に没頭すること。普段からダラダラとすごしているのに、「集中力が続かない」と愚痴るのは都合がよすぎるということだ。
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『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター
1956年東京生まれ。スポーツライター。武蔵丘短期大学客員教授。1998年に創刊した『書斎のゴルフ』で編集長を務める(2020年に休刊)。倉本昌弘、岡本綾子などの名選手や、有名コーチたちとの親交が深い。著書に『中部銀次郎 ゴルフの要諦』(日経ビジネス人文庫)、『トップアマだけが知っているゴルフ上達の本当のところ』(日経プレミアシリーズ)、訳書に『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(日経ビジネス人文庫)など多数。
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(『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター 本條 強)
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