妊婦の優先接種に自宅療養…「最悪の事態」が起きないと何も動かない根本原因
プレジデントオンライン / 2021年9月15日 11時15分
■女性だからという理由で暴力の対象に
8月、小田急線の電車内で30代の男が複数の乗客を襲う事件が起こりました。特に重傷を負ったのは20代の女性で、犯人は「(その女性が)勝ち組の典型に見えた」「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」などと供述したと報道されています。
この供述に、恐怖を感じた女性も多いのではないでしょうか。女性だというだけで、ある日突然暴力を振るわれるかもしれないわけですから当然ですしょう。しかし、SNSなどでは「弱者男性の苦しみの表れ」などと犯人を擁護するような論も見受けられます。
■擁護論が起きる理由
暴力はあらゆる人への人権侵害であり、それは被害者が男性でも女性でも同じです。犯人が弱者であろうがなかろうが、許されるものではありません。それなのになぜ、擁護論が起こるのでしょうか。擁護論を唱えている人が男性であれば、それは女性が抱く恐怖感への想像力が決定的に欠けているからだと思います。
この事件にはまだ不明な点もあるので、背景や犯人の心理について論じるのは時期尚早でしょう。ただ、女性が「女性だから」という理由で狙われる暴力事件があるのは事実で、実際これまでにいくつも起きてきました。ここでは、女性に対する暴力をどう考えるか、男性はどう捉えるべきかを考察していきたいと思います。
■男女不平等がデフォルトだという誤った認識
女性への暴力について考えるとき、男性はまず、自分が経験し得ないことをいかに想像するかが重要になってきます。自分より腕力で勝っている者が自分に暴力を振るってくるかもしれない――その恐怖を想像し、理解できるかどうか。もしこれを男性全員が理解できていれば、擁護論など起こらないはずなのです。
擁護論の根底には、女性蔑視や女性嫌悪がある可能性もありますが、それ以上に大きいのは、今の社会に存在する男女不平等を「デフォルト(初期設定)」だと思っている可能性です。
女性が不平等に扱われている場面は、女性であることを理由とした暴力だけでなく、賃金格差や家事育児負担など枚挙にいとまがありません。でも、この状態を不平等ではなく普通だと思っている男性は意外に多いのです。
■「区別であって差別ではない」という誤解
こうした、完全に間違った認識の人を見るたび、僕は「やっぱりジェンダーという言葉はまだあまり理解されていないんだな」とがっかりしてしまいます。僕たちジェンダー研究者は、男らしさや女らしさは社会的につくられたものであり、それがジェンダー問題の本質だと考えているのですが、まるで逆の考え方をしている人も少なくありません。
代表的なのは、男らしさや女らしさは男女それぞれが生まれ持ったものであり、その違いは人間の本質的なものだという考え方です。中には、女性は男性をケアすべき存在だと思っている人もいます。
彼らにとってはこれが社会のデフォルトなのです。男女の違いは人間の本質なのだから、不平等とか女性差別とかさわぎたてて無理に変えるべきではないと。こうした人たちがジェンダー問題に関してよく言う言葉が、「男女を分けて考えることは区別であって差別ではない」というものです。
しかし、それは事実ではありません。このコロナ禍では、日本社会がいかに男性中心であるか、そしていかに女性を無視してきたかが明らかになりました。
学校が休校になったとき、子どもの面倒を見るために仕事を休まざるを得なかったのは圧倒的に女性でした。感染の不安があっても出勤せざるを得なかったエッセンシャルワーカーも、その多くは女性でした。誰かがやらなければならない育児やケアの仕事の多くをいかに女性が担っているか、それがコロナ禍であぶり出されたのです。
■自分が経験し得ない事柄に対する想像力の欠如
コロナ禍では多くの女性が不安を抱えることになりましたが、そうなるであろうことに、ほとんどの男性はピンときていませんでした。男女不平等をデフォルトと捉えていたためで、今も女性に起きている問題に対しては取り組みの優先度が低い状態が続いています。これは政治家に男性が多いことも関係しているかもしれません。
例えばコロナワクチンの妊婦優先接種問題です。本来なら真っ先に取り組んでしかるべきなのに、男性の多くは「妊娠」という、自分が経験し得ない事柄に対して想像が及びませんでした。赤ちゃんが亡くなるという最悪の事態が起きるまで動かなかったのです。
![妊娠中の女性と病院の医師](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/670/img_6bd126a9990bdbc92378e834881f8ad2669215.jpg)
自宅療養についても同じことが言えます。今の日本はまだ、働く夫と専業主婦という家庭も多いわけですが、夫がコロナに感染して自宅療養になったらどうなるか。職場に感染を広げるのは防げるかもしれませんが、妻や子どもに感染するリスクは大きく高まってしまいます。自宅療養は、夫や職場のことは考えても、妻や子どものことは頭になかったからこそ出た方針と言えるでしょう。
これらは結局、男性中心の社会が、男女不平等がデフォルトであり、女性の優先度は低いものと捉えているからではないでしょうか。だからこそ、女性が抱えるであろう問題や痛みに想像が及ばないのです。
■国の取り組みは本格化してきた
女性に対する暴力の問題も、根っこは同じだと思います。ただ、最近は男女問わず声を上げる人も増えており、国もさまざまな取り組みを始めています。
例えば、昨年発表された第5次男女共同参画基本計画は、特に女性に対する暴力への取り組みを重視しており、「安全・安心な暮らしの実現」という項目の中で「女性に対するあらゆる暴力の根絶」を取り上げています。内容も基本認識から成果目標、具体的な対策案までがしっかりと書かれています。
地位・関係性を利用した犯罪や性交同意年齢、性的な撮影行為などについても言及があり、かなり踏み込んだ内容です。また、暴力を容認しない社会づくりや、被害者支援への姿勢も明確にしています。とてもよく練られた、意義も効果も大きい計画だと思うので、皆さんにもぜひ目を通してほしいと思います。
11月12日からは、内閣府による「女性に対する暴力をなくす運動」期間が始まります。期間中は、女性に対する暴力根絶のシンボルであるパープルリボンにちなんで、東京スカイツリーなどを紫色にライトアップする「パープル・ライトアップ」も実施されます。
こうした政府の取り組みはあまり知られていません。女性に対する暴力への関心は、残念ながら社会の中ではまだ低いのかなと感じます。それでも、こうした取り組みは暴力根絶への一歩になるはずです。政府の出した基本計画がしっかりと実行されるよう、皆で注視していきましょう。
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大正大学心理社会学部人間科学科准教授
1975年生まれ。博士(社会学)。武蔵大学人文学部社会学科卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。社会学・男性学・キャリア教育論を主な研究分野とする。男性学の視点から男性の生き方の見直しをすすめる論客として、各メディアで活躍中。著書に、『〈40男〉はなぜ嫌われるか』(イースト新書)、『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)『中年男ルネッサンス』(イースト新書)など。
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(大正大学心理社会学部人間科学科准教授 田中 俊之 構成=辻村洋子)
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