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「申し出なければ病院はやってくれない」死の間際の苦痛と無縁になる"緩和ケア"という選択肢

プレジデントオンライン / 2021年9月15日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

医者は病気を治すのが仕事だ。それでは末期がんなど、治せない病気のときには仕事がないのだろうか。緩和医療医の大津秀一さんは「医療は『治す』だけではない。病気は治せなくても、苦痛を和らげることはできる。そうした『緩和ケア』の専門医はまだ少なく、知名度も十分ではない。緩和ケアという選択肢をより多くの人に知ってほしい」という――。

※本稿は、大津秀一『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

■「緩和ケア」の歴史はまだ50年ほど

「緩和ケア」という言葉は一般的にはまだなじみがないかもしれません。医療というと「病気を治すもの」と誰もがイメージしているかと思います。しかし現代の医療は、完治しない慢性病や、そもそも完全に以前の状態に戻すことは難しい老いの問題と向き合っています。その過程で、「治す」とはまた別のもう一つの重要な考え方である「苦痛を和らげ、心身をより良く保ち、元気に生活できる」ことを支える医療が育ってきたとも言えましょう。それが緩和ケアなのです。

歴史をさかのぼると、まず1950年代に、亡くなってゆく方が人らしく過ごせるようにするための「ターミナルケア」が米・英で生まれました。1960年代に入ると全人的な、つまり身体だけではなく精神的・社会的な側面も重んじるホスピスケアに発展していきます。

近代ホスピスの代表的施設であるセントクリストファー・ホスピスが設立され、1969年にはエリザベス・キューブラー・ロスが、それまではあまり注目されていなかった「亡くなってゆく人の心理」に焦点を当てた著書『死ぬ瞬間』を発表し、話題となりました。今から50年以上前の出来事となります。

その後、苦痛を和らげる分野として発展し、薬物療法なども進化しました。1970年代になると積極的に薬などを用いて症状緩和を行う「緩和ケア」がカナダで提唱されました。つまり近代の緩和ケアはかれこれ50年ほど前に生まれたということになります。

■2012年から「早期からの緩和ケア」が国の施策に

日本においても、1970年代から淀川キリスト教病院で末期がんの患者さんへのチームアプローチが開始され、1981年には聖隷三方原病院に日本初のホスピスが開設されています。1990年に診療報酬として緩和ケア病棟入院料が新設され、ホスピス・緩和ケア病棟が日本に少しずつ増えることにつながりました。

このように主として終末期がんから始まった緩和ケアですが、2002年には緩和ケア診療加算が新設され、治療病院においても緩和ケアチームが活動することで診療報酬を得られるようになるなど、終末期の施設ばかりではなくがん治療病院においても緩和ケアの専門部署が設けられる礎となりました。そして2012年、第二期がん対策推進基本計画において「がんと診断された時からの緩和ケアの推進」が明記され、「早期からの緩和ケア」はいわば国の施策になったのです。

現在日本ではがんと末期心不全、AIDS(後天性免疫不全症候群)のみの保険適用ですが、今後ますますの拡大が望まれるような途上にあると言えるでしょう。

いずれにせよ、誰もが自分の望む人生を送りたい、と願う現代において、より良き生を支え、また特に医療・介護分野の意思決定も支える緩和ケアは、ますます求められている要素・分野であると考えられます。また老いによる不可避の機能低下を前に、どこまで治療やケアを行うのかという観点からも、その選択や決断を支える緩和ケアは重要でありけると予測されます。

■「病気を治せば苦痛も緩和される」が従来の考えだった

私が医師になった2000年代初頭は、まだまだがんの患者さんの痛みや苦しみに対して、今のようにあの手この手で緩和策を講じるというのが一般的ではない時代でした。

医療用麻薬などの鎮痛薬の使い方も、今に比べれば、洗練度はまだまだというのが一般的な臨床現場であったのではないでしょうか。

それは偶然の出会いでした。

たまたまナースステーションに『最新緩和医療学』という緩和ケアの教科書が置いてあり、それを読んでみると目から鱗でした。

病気を治せば症状も緩和される――これが旧来の考えでした。しかしそれだと、治らない病気の人の苦痛はどうすればよいのか? という話になります。実際、2000年代初頭の末期がんの患者さんは苦しんでいました。しかし苦痛はなかなか取り除けませんでした。

『最新緩和医療学』は、症状の緩和ケアに特化した本でした。

今の常識からすると考えられませんが、私は緩和ケアという名前を知らずに医師になりました。医学部時代の麻酔科の講義で痛みについては習いました。しかし緩和ケアという苦痛全般を、体だけではなく心も、治療・ケアする専門科があるということを知らずに医師になったのです。

そのため、その本の記載は大変インパクトのあるものでした。すぐさま、それに記してある通りに緩和ケアを開始してみました。

■臥せりがちだったがん患者が歩けるようになった

結果は驚くべきものでした。60代女性の、非常に重い肺がんだったIさん。少し動くだけで息が上がりました。胸水という胸の水が肺を広く覆っていたからです。私はステロイドや医療用麻薬などの症状緩和薬を調節しました。

するとどうでしょうか?

病棟の廊下で、他の患者さんの車椅子を押す彼女の姿を見かけるようになったのです。昨日まではベッドで臥せりがちだった人がそれほど元気になったわけですから驚きも大きかったです。実は、薬の使い方次第で患者さんの苦痛のレベルは激変するのです。

さらにそれにとどまりません。緩和ケアは患者さん本人だけではなく、ご家族にも提供することがうたわれています。Iさんは深刻な家庭不和のまま末期の状態を迎えていました。試行錯誤ではありましたが、看護師とも協働しながら、家族が何とかIさんと一緒に過ごせる時間を確保するように努めました。不和を残したまま最期まで過ごすことは、Iさんにとってはもちろん、家族にも必ずや悔いが残る結果になると思ったからです。

家族の方との対話を重ねた結果、残り少ない時間に、せめてものことをしてあげたいと思ってくれたご主人、息子さんや娘さんの力で、Iさんは一時ご自宅に帰ることもできました。

そして当時は大変苦しい症状となりがちであった末期肺がんの患者さんであったにもかかわらず、最後は鎮静下で穏やかに生を全うされました。

■生活の質を保って生きる術はあった

通例、それまでの同じ病態の患者さんがこのように穏やかに逝かれることは少なかったのです。それが緩和ケアを行ったことで激変したわけですから、大変驚きました。

Iさんの例は、私が診てきたがんの方の経過とはまったく異なっていました。苦痛をこれほど和らげられる、ということが最大の驚きでしたし、何が本人にとって最良なのかという視点で何度も皆で話し合いを重ねたことも強く印象に残りました。結果として、本人も苦痛が緩和され、そして本人の意思に沿う形で医療を上手に使えたこともそうでした。

つまり、より苦痛が少なく、生活の質を保って生きる術はあったのです。それが知られていないために、治らない病気にはなす術がない、という従前の状態と理解であったということです。以後も、緩和ケアを提供するたびに、それまでより患者さんの状態が良い方向に変わることがほとんどでした。当時の常識で、それは驚くべきことでした。

■どのような重篤な病気でも、できることは必ずある

私は消化器内科医の道を進んでいましたが、この医療をもっと広げる必要がある、そしてそれにより、多くの方を助けられればと思い、緩和ケア医として歩むことを決意しました。その後は、専門病院で研修し、在宅や大学病院、様々な場で緩和ケアを提供してきました。直に関わったがんの患者さんは3700人以上で、末期の患者さんも2000人以上拝見しています。

その中でより痛感したこと。

それは、どのような重篤な病気であろうと、本人が納得した人生の終わり方を迎えるために「できることは必ずある」ということです。

ケアを受ける高齢女性の手
写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn

「もう手がありません」そのように医療者から告げられたという嘆きや悲しみを聞くことは今でもしばしばあります。確かに病気を治すための治療がもう難しい場合だってあるでしょう。しかし、人生の与えられた最後の一分一秒まで、それをより良くするために支える手段は何かしらあるのです。そのような意味で「できることは必ずある」のです。

ある人にとってそれは会いたい人に会うことだったり、行きたいところに行くことだったり、やり残したことをやることだったりするでしょう。それを支える方法は何かしらあるものです。そして実際にそれがもし叶わなかったとしても、悔いが残らないように、相談し一緒に悩むということが大切なのです。生活の質を上げるため、症状を緩和するため、その方策というのは、どんな状況においても存在するのです。

大切なことは、それを緩和ケア医と患者さん、そしてご家族の方々と一緒に考えることです。

しかしながら、緩和ケアは看取りだけの医療と捉えられていたり、死ぬことと同義に思われていたりなど、まだまだ誤解も絶えません。

■緩和ケア医は全体のたった0.3%程度

早期から緩和ケアが受けられないことは決して珍しいことではありません。

実際に名前を挙げることは避けますが、非常に有名ながんの専門病院であっても、早期から緩和ケアを受けられるかどうかは担当医の裁量に委ねられています。

全国に医師は30万人以上いますが、緩和ケアを専門で行っている医師は大変少ないのです。

2021年4月1日現在で、日本緩和医療学会が認定している専門医は270人、認定医は731人、暫定指導医は125人です。合計して1126人です。

つまり、緩和ケア医は全体の0.3%程度しかいません。これだけでも少ないのが伝わると思いますが、この数字にはあるからくり(?)があります。

それは、緩和ケアの資格を持っていても、専従として緩和ケアに取り組んでいる人は必ずしも多くない、ということです。

特に地方部などは医師不足であり、緩和ケアだけをしていては病院の診療が回らないため、資格はあってもそれだけを行っているのではない、という場合は少なからずあります。

そのため、緩和ケア一本で仕事をしている医師の数というのは1000より少なくなります。

緩和ケア病棟は主として高度進行期や末期の患者さんを入院診療する場で、医師は非常に密なケアを要求されます。もちろん緩和ケア医の在籍が必要です。

■緩和ケアを受けたくても受けられないことが多かった

高い熱意をもって早期からの緩和ケアを積極的に受け入れている病院もありますが、主として終末期のケアに全国で数百人の医師が従事していることになります。

また最近でこそ少し事情が変わってきましたが、大病院は自院に通院中の患者さんを診療することで手一杯(緩和ケアの従事者も少ないです)であり、他院通院中の患者さんへの緩和ケア外来が提供できない、という病院も少なからずありました。

そのため、自分が思う水準の緩和ケアを受けたいと思っても、断られてしまったり、自分が治療を受けている病院に部門がなかったりして、受けられないということは枚挙にいとまがなかったのです。

大津秀一『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』(講談社現代新書)
大津秀一『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』(講談社現代新書)

そこで、緩和ケアだけ、それも早期からの緩和ケアに完全対応したクリニックを私が先駆けて設立しました。

オンライン方式での相談も行うなどして、緩和ケアの地域偏在をカバーするための試みも行っています。

ただそれでも早期からの緩和ケアに対する周知の不足から、緩和ケアが十分に広く全国的に提供できているかというとまだまだ……というのが正直なところです。

今現在では、知っている人は早期から利用して恩恵を受けられ、そうではない人はいよいよ末期やかなり進行した病状になってようやく利用できることを知る、という格差が存在する状況です。

皆さんには、現状では知っている人だけがメリットを享受できる早期緩和ケアをうまく活用してほしいと思います。

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大津 秀一(おおつ・しゅういち)
緩和医療医
1976年、茨城県生まれ。岐阜大学医学部卒業。2010年より東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンターに勤務。同センター長を経て、日本初の早期からの緩和ケア外来に特化した診療所「早期緩和ケア大津秀一クリニック」院長。著書に『死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)、『「幸せな人生」に必要なたった一つの言葉』(青春出版社)、『死ぬまでに決断しておきたいこと20』(KADOKAWA)ほか多数。

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(緩和医療医 大津 秀一)

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