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「不安の9割は起こらない」驚くほど嫌なことが減る下町和尚の教え

プレジデントオンライン / 2021年9月23日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/daruma46

身勝手な隣人や同僚のせいで、いつも損をする。「許せない」という気持ちが抑えられない。いったいどうしたら? 下町和尚として人気の名取芳彦住職は「“怒り”はあっていい、でも“自分の怒りのツボ”を知ろう」と言います。セブン‐イレブン限定書籍『不安の9割は起こらない』より、心穏やかな毎日を手にするマインドセットのコツを特別公開します──。(第2回/全4回)

※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■イヤなことの大半は起こらない

2500年前、北インドの王国の王子であったお釈迦様がその地位を捨て、妻も子どもも捨てて出家した、その理由をご存じでしょうか。それは、人間にとっての「四苦八苦」をどうにかしたいと思ったからでした。

すべての人間が逃れることのできない「四苦」と「八苦」。まず「四苦」とは、「生・老・病・死」という基本的な4つの苦のこと。この4つの苦に、愛する者と別れ離れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」、嫌な人間と会わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない「求不得苦(ぐふとくく)」、心身を構成する5つの要素に執着してしまう「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という4つの苦を加えて、合計で八苦。

これで「四苦八苦」です。

では「苦」とは何か。仏教における「苦」の定義は実にシンプルです。「自分の都合通りにならない」ということです。

たとえば、「老」。たとえば「死」。「自分の都合通りにならない」ことは言うまでもありません。私たちが、辛い、苦しい、嫌だ、めんどうだといった「ネガティブな感情」を抱くのは、すべて「都合通りにならない」ことに対してです。

■「自分の都合通りにしたいから」苦しむ

「生」についても同じことで、いつ、どの親から生まれるのかは、私たちの「都合通り」ではありません。このように「都合通り」にいかないことは、すべて「苦」であるということになります。

さらに考えを進めれば、「都合通り」にならないことが私たちにとってなぜ「苦」なのか、という疑問の答えが分かってきます。それは、私たちが「都合通り」にしたいから、なのです。

私は、この「苦」を解消する方法はふたつあると考えています。ひとつは、AIなどの活用です。歴史的に見ても、人間は機械化というかたちで、洗濯機とか冷蔵庫、飛行機などによってある種の「都合」をかなえてきました。

もうひとつは、「考え方」の変換です。たとえば仏教的なアプローチでの逆転の発想で、自分の都合通りにしようと思わなければいい、それでノープロブレムだ、とすることです。

たとえば、コーヒーが飲みたいという「都合」があります。でも、コーヒーがない。どうするか。別の飲み物でいいか、ということにすれば、何も「苦」は発生しません。

「ずっと若くいたい。年を取りたくない」という人は、「年を取るのも悪くないかもしれない。けっこう面白いかもしれない」というふうに発想を変えれば、「老」は「苦」ではなくなるでしょう。

この世は思い通り、都合通りにいかないことばかり。でも、「ネガティブな感情」が発生したら、これは「自分の都合」のほうが都合悪いのではないか、と考えてみてください。驚くほど嫌なことが減って、心穏やかな時間を手に入れることができますよ。

■心の天気は自分で晴らす

雨に降られ続けているような、心を閉ざしたくなるような日々があります。どうしても晴れ晴れとした気持ちになれない日々があります。自分の上に「暗雲」が立ち込めているからです。それが人物であれ状況であれ、その「暗雲」がある限り、心の天気は晴れない。

私は、そんな日々に向かい合うときに、自分に言い聞かせる言葉があります。

「曇りや雨の日には、その雲の上にある太陽を思おう。お日様が思い浮かんだら、頭の上にある暗雲のことを受け入れよう」

ただ、そうして、「暗雲」を受け入れようとしていても、結果的に辛い状況におちいってしまう。そういうことも再三あります。人生は甘くありません。でも、私は幾度かのきわめて辛い状況から立ち直ることができました。そのときに行き着いたのが次の言葉。

「心の天気は自分で晴らす」

なんだかんだ言っても、結局、自分の心の天気を晴らしたのは、自分自身の心の有り様だったんだ、と気がついたのです。

■私たちはみんな「お天気屋さん」

はっきり言って、人からのどんなアドバイスもきっかけに過ぎません。アドバイスをいただくのは、とてもありがたい。でも、最後は自分自身です。

気分がころころ変わる人のことを「お天気屋」などと呼んだりします。でも、ころころ変わるか、ある程度時間がかかったあとに変わるかは別にして、気分が変わるのは誰にでもあること。

だとすれば、私たちは誰もが自分の心を晴らしたいと思っている「お天気屋」さんなのです。

青空の下、勢いよくこいだブランコで両手を離している女性
写真=iStock.com/by-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/by-studio

晴れ晴れとした気持ちで、陽気に、そしてさわやかに生きていくために、「お天気屋」でも何屋でもかまいませんから、自分で自分の心の天気を晴らしていこうではありませんか。

■人生のほとんどは「ささいなこと」

1日は24時間、1週間は7日間。私たちの日常生活は、自分の都合の良いようにいかないことで溢(あふ)れています。ただ、そのほとんどは、ささいなこと。たいしたことではないことばかりといってもいいでしょう。

たとえば、朝出かけるときに、履いていこうと思った靴が汚れていた。思わず舌打ちしてしまう。通りを歩いているうちに今度は靴のひもがゆるんできた。あーあ、とため息が出る。駅に着いたら着いたで、電車が事故か何かで遅れている。

「まったく、どうなってるんだよ」と毒づきたくなる。こんなことは毎日のように起こります。それに対して、いちいち怒ったり、イライラしたり、ムカムカしたりしていては、まったくエネルギーの無駄。

そんな無駄を省くために、私はとりあえず、「心の動き、感情がマイナスの方向に動くのは、自分の都合通りになっていないからだ」という自己認識の大原則を思い出すようにしています。“とりあえず”というのは、遭遇したことについてあれこれ考えず、放っておいていい、という意味です。

■小さな不都合なんか放っとけ、放っとけ

そうして心が鎮まったら、舌打ちしたくなるのも、ため息をつきたくなるのも、毒づきたくなるのも、すべて、自分の都合通りになっていないケースなんだな、という認識の仕方に納得がいきます。自覚が生まれたということです。

名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)
名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)

つまり、「世の中、そんなモノだ」という納得ができる。もう全然、こだわらない。そうすると、小さなことにいちいち心を動かすのは、なんとバカバカしいことかが分かる。そんなもの、放っとけ放っとけ、ということになるわけです。

言い方を変えれば、靴の汚れも、ひものゆるみも、電車の遅れも、全部「私のせいじゃないもんね」という受け止め方。

一種の「責任回避」かもしれませんが、それで「自分のせいじゃないから、どうしようもないか、仕方ないか」という、これまた一種のあきらめのつけ方ができます。そうして、心が平穏にもどる、心が鎮まるのなら、もうけもの。

小さな不都合なんか、放っとけ放っとけ。

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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。大正大学を卒業後、英語教師を経て、25歳で明治以来住職不在だった密蔵院に入る。仏教を日常の中でどう活かすのかを模索し続け、写仏の会、読経の会、法話の会など、さまざまな活動をしている。著書に『気にしない練習』(知的生きかた文庫)、『いちいち不機嫌にならない生き方』(青春新書プレイブックス)などがある。

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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)

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