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「嫌われてもかまわない」と思えるようになる仏教の"ある教え"

プレジデントオンライン / 2021年9月25日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/filadendron

身勝手な隣人や同僚のせいで、いつも損をする。「許せない」という気持ちが抑えられない。いったいどうしたら? 下町和尚として人気の名取芳彦住職は「“怒り”はあっていい、でも“自分の怒りのツボ”を知ろう」と言います。セブン‐イレブン限定書籍『不安の9割は起こらない』より、心穏やかな毎日を手にするマインドセットのコツを特別公開します──。(第3回/全4回)

※本稿は、名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「裏切ったり、裏切られたり」は人の世の常

半生を振り返ると、私など、親の期待や信頼を裏切り、任せてもらった仕事をしくじるなど、多くのあやまちを重ねながら過ごしてきた60余年であったと言わざるを得ません。

このことは、見方を変えれば、自分でやろうとしたことができていないという点で、自分で「自分を裏切っている」ことにもなります。

こうした不本意な裏切りや、故意の裏切り、あるいはやむを得ない裏切りなど、この世には、「裏切ったり、裏切られたり」が当たり前に存在します。人の世で生きていく限り、避けられないことです。

「当たり前」と思うことは、心穏やかに生きていくうえで、非常に大事なキーワードです。こういうのは当たり前だ、と思うことで、人は傷ついたり落ち込んだりしないで生きていけるのです。

■絆は切れるときには切れるもの

どういうわけか分かりませんが、中には「自分が信頼している人は、決して自分を裏切らない」と、かたくなに思っている人がいます。

どんなことがあっても自分を裏切らない人、そういう「信頼できる人」が欲しくて仕方ないのかもしれません。信頼に足る人物がこの世にきっといるはずだ、という大きなロマンを夢見る人かもしれません。

でも、どんなに強い絆でも、切れるときは切れるのです。人の世から裏切り、裏切られ……はなくなりません。

ですから、自分からはなるべく人を裏切らないようにしたいと願い、同時に、人は何か縁が加われば裏切ることもある、と思い定める。そういう覚悟をしておくこと。そうすれば、今よりずっと強くなれるはずです。

■「みんなに好かれたい」のが人間だが…

人間は「みんなから好かれたい」と思う動物のようです。たとえば赤ちゃんは、笑うことで大人に好意を持ってもらい、自分に危害が及ばないようにしているのだと聞いたことがあります。「笑顔に向ける刃なし」という名言もありますよね。

もう少し大きくなって、幼稚園の頃のエピソードにこんなものがあります。幼稚園でままごとをすると、パパやママの役よりも、犬や猫、つまりペットの役になりたがる子が多いとか。ペットならば、無条件にみんなから可愛がられるからなんだそうです。

なんだかなあ、というエピソードですが、やはり現実は、ペットでも誰にも好かれるというわけにはいきません。噛まれる恐怖感を持っている人もいれば、毛がつくのがイヤだと毛嫌いする人もいます。

人間についてもその通りで、生きている限り、私を好きな人もいれば、どうしても嫌いだという人もいると思います。もちろん、好きも嫌いもない、何とも思ってないという人もいるでしょう。

■あなたを嫌う人はあなたの良さに気づくセンスがないだけ

はっきり言って、誰からも好かれるということは、まずあり得ない。ただ、それでも好かれたい、という人はいます。

気持ちは分かります。でも、好かれることにだけ神経を使っていると、本来の自分の姿を忘れて、「好かれる自分」を演じ続けることになり、結局くたくたに疲れ果ててしまいます。

とくにこの「好かれたい」が「嫌われたくない」気持ちの裏返しの表現である場合、症状はかなり重いといっていいでしょう。

実は、好かれたいという思いから始まって、好かれなくても嫌われなければいいという段階、さらに、嫌われてもかまわないと思えるようになるところまでの過程は、「他者からの評価に左右されないようになる自己肯定」の過程とシンクロしています。

仏教では、自分が仏さまと変わらぬ性質を持っていると気づいて、自己を大肯定せよ、と説きます。

ですから、もし嫌われたとしても気にしなくていいんです。あなたを嫌った人は、あなたを全否定できるだけの材料を持っていません。あなたの良さに気づくセンスがないだけなんです。

■全員に好かれなくてもいいじゃない

「いい人」と言われて、気分を悪くする人はいないでしょう。私も結婚するまでは、やみくもに「いい人」を演じていたような気がします。その頃の私は、「いい人でないと結婚してもらえない」と思っていたんですね。

当時の私がイメージしていた「いい人」とは、「みんなを楽しませ、喜ばせる人」でした。そして、「いい人」になれば、嫌われることも少なくなるし、したがって他人と衝突すること、トラブルを起こすこともなくなるだろう、と思っていました。

今、「いい人になれば」と言いましたが、よく考えると、この場合は「いい人だとほかの人に思ってもらえれば」というのが正確で、何をするにしても「今の発言はどう思われたのだろう」と気にし、一人になると「みんなにどう思われただろう。嫌われたのではないか」と不安になっていたわけです。

ところが、私の周りにいる「いい人」をよーく観察してみると、その人たちは「人を喜ばせること」よりも、「人の嫌がることをしないこと」に重きを置いている、そういう人ばかりなんだということが分かりました。

これは、いささかショックでした。冗談を連発したり、ユーモラスなパフォーマンスをすることにばかり気を取られていた私。これではとても「いい人」にはなれないと分かったのでした。

美しい女性が草原で深く息を吸い込む
写真=iStock.com/Nicholas Shkoda
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nicholas Shkoda

■いつも心穏やかでいられる人が「本物のいい人」

同じ頃、仏教が目指しているのは、私がイメージしていたような「いい人」になることではなく、いつでもどんなことがあっても「心穏やかな境地」でいられる人(仏)であることも知りました。

また、私が「いい人」になろうとしていたのは、人に「嫌われたくない」というネガティブな感情の裏返しだったことにも気がつきました。「嫌われない」ことが「好かれる」ことへのいちばんの近道だと思い込んでいたわけです。

人から好かれれば心は穏やかでいられます。逆に嫌われたら心穏やかではいられません。しかし仏教では、いつでも、どんなことがあっても、つまり嫌われている状況でも、「心穏やかな境地」でいることを目指すというのです。

■周りの人は3パターンしかいない

そんなことが可能なのか。それは、たとえば会議などで同席したメンバーが、自分のことをどう思っているのかを想像してみれば、すぐに分かると思います。

そのメンバーたちは、私のことをどう思っているか。次の3パターンしかありません。

①好きである。
②嫌いである。
③好きでも嫌いでもない(何とも思っていない)。

つまり、メンバー全員から好かれることはない、ということ。たとえば、地味で控え目なところが好きだという人もいれば、それを消極的な態度と見て敬遠する人もいるでしょう。理路整然と話を進めるタイプに好感を持つ人もいれば、四角四面な感じがして嫌だという人もいるでしょう。もちろん、それらを何とも思っていない人もいます。そんなものです。

ここが納得できれば、たとえ好かれなくても、「まあ、私を嫌う人もいるでしょうよ。それは仕方ないよなあ」ということで、心穏やかでいられるのです。

相変わらず「いい人」になろうとしている人は、それは他人の目を気にしているだけであって、「みんなに好かれるのはあり得ない」ということに気がついていただきたいと思います。

■「いい人」をやめればうまくいく

お面をずっとつけていると息苦しくなる。これは、どんな小さな子どもでも分かっている事実です。ですから、お面、大人っぽく言えば「仮面」ですが、仮面をかぶり続けていると生き方そのものが辛くなるのは当然のこと。

周りを見渡してみると、「いい人」「いい子」「いい親」「いい妻」「いい上司」などなど、相手や他人からこうあってほしいと思われる「期待される人物像」に合わせて行動している人がいますよね。

こうした行動は、人の好みに合わせる、あるいは期待に応えることを自分の使命のように感じてやっているのかもしれません。

しかし、「期待される人物像」などというものは、作られた偶像でしかなく、いわば「仮面」をかぶっているようなものなのです。本来の自分の顔ではないのですから、そのうちに辛くなるのは当たり前です。

世間で言うところの「いい人」「いい子」などは、まったくあてになりません。人なり、時代によって、その「いい」という基準、価値観はころころ変わるのです。

それに振り回されてあれもこれもと追いかけていたら、そのうちのひとつも実現できない結果になるのがオチ。結局、中途半端な人物像をあれこれ演じているだけ、ということになりかねません。

もっともつまらないのは、あれこれ演じているうちにわけが分からなくなって、本来自分が持っている「良さ」まで失ってしまい、疲れ果てた無気力な人間になってしまう、という結末。

だいたい、家で「いい子」、会社で「いい部下」、家庭で「いい夫」とか、さまざまな人物像を普通の人間が演じるのは無理。不可能。無理、不可能なことをやろうとするから疲れるのですよ。

■「仮面」を外そう

もし、あなたが、「これは仮面をかぶって演じているのかもしれない」という気がしたならば、今すぐその仮面を外しましょう。そして、周りから期待される人物像を演じるよりも、自分が理想とする人物像を思い描いて、それに近づけるような努力をしたほうがいいと思います。

もし、自分が理想とする人物像を描けないならば、今すぐ「自分の理想の人物像探し」を始めたほうがいい。

名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)
名取芳彦『不安の9割は起こらない』(プレジデント社)

昔のお坊さんたちは、親を捨てて「出家」しました。なぜか。彼らは決して自分の親が嫌いだったわけではありません。ただ、親の肩を揉むとか、一緒に旅行に行くとか、お金持ちになって家をプレゼントするとか、そういうのは「小さな親孝行」だと考えたのです。

それよりも、世の中の人々を救うことこそ「大きな親孝行」であり、世の人々を救うことに関わる人間を「自分の理想像」だと考えて、出家したわけです。

今の自分は、どうも仮面をつけているようだ、と感じたならば、「自分の理想像」を考えてみてください。すると、つけていた仮面も自然に外れ、あなたの素顔が現れ、あなたの素の魅力、本来の才能が発揮できるようになると思いますよ。

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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。大正大学を卒業後、英語教師を経て、25歳で明治以来住職不在だった密蔵院に入る。仏教を日常の中でどう活かすのかを模索し続け、写仏の会、読経の会、法話の会など、さまざまな活動をしている。著書に『気にしない練習』(知的生きかた文庫)、『いちいち不機嫌にならない生き方』(青春新書プレイブックス)などがある。

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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)

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