「どれだけワクチンが広がっても『まだ油断するな』」これで日本の経済が回復するはずがない
プレジデントオンライン / 2021年9月15日 8時15分
■高いワクチン接種率を台無しにする「手段の目的化」
9月10日、日本におけるワクチンの部分接種率(1回以上接種した人の割合)が米国に並んだことが大きく報じられている。また、日次の100人当たり接種回数に至っては現在世界最速に至っている(9月9日時点で0.95回/日)。
河野太郎ワクチン担当大臣が「自治体、医療関係者に頑張ってスピードアップしていただき、米国に肩を並べるようになった」と述べるように、現場力の賜物である。しかし、周知の通り、経済・金融情勢に関する日米格差は縮まるどころから拡がっている。
二言目には「緩み」を理由に経済の活力を奪おうとする日本の防疫政策を見る限り、今後明らかになる7~9月期、10~12月期の成長率でも「突き進む欧米、置き去りの日本」という構図に大きな変化はないだろう。
年初来の展開を見れば分かるように、欧米では「高いワクチン接種率」という手段をもって「経済を回す」という目的が達成されているのに対し、日本は「高いワクチン接種率」という手段が目的化しており、相変わらず経済については自粛三昧にふけっている。
日本のワクチン接種率が米国のそれを追い抜いた今でも、この「手段の目的化」という根本的な問題は全く解決されていない。これは戦略の欠如とも言い換えられる。
欧米の場合、「いちはやくワクチン接種率を高め、行動制限を解除し、社会を正常化する」という戦略があった。そしてワクチン接種の迅速化はそのための戦術だった。目的と手段、戦略と戦術といった思考回路の欠如が年初来の日本経済大敗の主因だろう。
■ギャンブルではなかった英国
例えば、G7の中で当初からワクチン接種率が最も高かった英国はイングランド全土を対象とした行動制限解除に関する行程(ロードマップ)を今年2月下旬に発表している。その時点で「最短6月21日」の行動制限解除を「目標」とする四段階の行程が示されていた。こうしたロードマップ全体は日常回帰のための戦略とも言える。
この戦略の枠内における「目標」を目指して英国はワクチン接種という「手段」の活用に全力を尽くした。手段を効率的に行使する方法、要するに戦術は各国様々である。
例えば英国では打ち手不足により接種率上昇が止まらないように、所定の訓練を受けたボランティアの早期養成などの一手が取られた。結果、今年上半期を通じて英国の接種率は常にトップを走り、今も世界の先頭集団にある。
デルタ変異株の猛威によって「6月21日」の最短目標は逃したが、6月28日には「7月19日に大半の行動制限解除」を打ち出している。これに付随してテニスのウィンブルドン選手権も、サッカーの欧州選手権(EURO2020)も有観客で開催した。現在もサッカーのプレミアリーグが有観客で普通に行われている(ちなみにマスクもほとんどつけていない)。
■ワクチン接種を手段に、出口戦略を描いた欧米
こうして正常化する経済を受けてイングランド銀行(BOE)も年内に量的緩和を撤収させる算段をつけ、為替市場では英ポンドが米ドルよりも高いパフォーマンスを維持している。感染症という不透明感の強いリスクに対し、概ね当初の戦略通りに事態が進行している。
これは米国も同様でバイデン大統領が「独立記念日(7月4日)にはウイルスから独立する」と述べたのが3月11日の演説だった。これも概ね実現に漕ぎ着けている。突出した成長率と雇用増勢が何よりの証左である。
繰り返すが、「迅速なワクチンの開発・調達・接種」は手段、「行動制限の解除、社会の正常化」は目的である。この手段と目的を包含した戦略が「いちはやくワクチン接種率を高め、行動制限を解除し、社会を正常化する」だった。
国ごとにばらつきはあるが、2021年が明けてからの英米そしてユーロ圏の接種ペースは日本のそれとは比較にならないほど速く、それが奏功して米国や英国は1~3月期以降、ユーロ圏では4~6月期以降、成長率が加速している。
日本では英国の行動制限解除を「ギャンブル」と揶揄する向きも当初はあったが、さしたる出口戦略もなく局地的な消耗戦を続ける日本の対応の方がよほどギャンブルに思える。
■今の日本の接種率は4月時点の英国より上
片や、欧米でロードマップの話が出始めた4月、日本は3回目の緊急事態宣言を発出した。当時から「効果がないのに何度繰り返すのか」という失望が漏れていたが、それでも当時の日本のワクチン接種率は先進国の中でも群を抜いて低かったこともあり(4月1日時点で0.71%)、「ワクチン接種率が高まるまでの辛抱」との説明はまだ説得力があった。
7~9月期や10~12月期の成長率まで見通せば、欧米のような復活も可能という見立ては「そうかもしれない」という希望を抱かせるものではあった。
だが、蓋を開けて見れば、ワクチン接種率が米国を追い抜いた今も緊急事態宣言は続き、年明けから9月末に至るまでほぼ丸ごと自粛を強いられている。直近4~6月期について言えば、米国もユーロ圏もそれぞれ前期比年率+6%以上、+8%以上と潜在成長率の2~3倍のスピードを実現している。
これは春先以降の行動制限解除の賜物だが、4月1日時点のワクチン接種率は英国で45.92%、米国で29.60%、欧州で13.05%であり、今の日本と比べればかなり低かった。
一体、日本は何のためにワクチン接種率を必死に引き上げてきたのか。「ワクチン接種率が高まるまでの辛抱」は欧米のような戦略に基づいた希望ではなく、単に「つらい思いをすれば何か良いことがあるはず」という程度の根拠薄弱な希望にすぎなかったように見える。
■戦略の失敗は戦術で取り返せず
冒頭図の軌道を見れば分かるように、ワクチン接種ペースの軌道は欧米に比べても遜色なく、これは間違いなく菅政権の実績である。日本は現場が創意工夫をこらして効率化を図る段階に入ると力を発揮しやすいというイメージがあるが、今回もそれが当てはまったように思う。
コロナ禍は戦争に例えられるが、大まかな戦闘作戦が「戦略」だとすれば、現場の奮闘を成功に導くのは戦略を遂行する(時には誤算が生じても軌道修正できる)「戦術」である。しかし、いかに「戦術」が優れても、「戦略」が誤っていれば有益な戦果は得られないのは自明である。
戦争を語る際の格言に「戦術の失敗を戦略で補うことはできるが、戦略の欠如を戦術で補うことはできない」というものがある。今の日本経済はこの格言を地で行っている。いくら「ワクチン接種を世界最速で進める」という素晴らしい戦術を現場が発揮しても、それを活かす戦略が今の日本にはない。だから、日本の目覚ましいワクチン接種率向上も経済成長にほとんど寄与していない。
せっかく重症者・死者の数を劇的に抑制するという医療面で大きな成果をあげても「まだ油断するな」と分科会が繰り返すばかりで、全く日常が正常化しない。人流が増えれば、逐一メディアが「+○%増えた」と非難まじりの報道を展開する。これで消費・投資意欲が正常化するはずがない。
結果、続くのは実体経済の「見殺し」である。医療の素人が軽々に口を出すべきではないのだろうが、素人目に見ても日本の犠牲は一段階、いや二段階ほど抑制されているように見える(図表2、100万人当たりの死者数)。
接種率も米国を抜いた今、これ以上、何を求めるのだろうか。戦略として何を目指しているのか皆目見当もつかない中、効率的なワクチン接種や飲食・宿泊産業、学校を含めた教育の現場などが必死に戦術を工夫し奮闘している日々が続くが、これからも「見殺し」を続けるのだろうか。
誰も出口に手をかけられなかった1年前と現在では状況が全く異なる。既に、手本を示す好例が海外にある以上、その後追いに注力するのが普通ではないのか。
このままいけば日本のワクチン接種率は英国やイスラエルといった当初の先頭集団を捉えることになりそうだが、「戦略無き経済」にとっては宝の持ち腐れになってしまう。
■懸念されるロックダウン法制化議論
ここにきて10月以降の行動制限緩和が頻繁に報じられ始めている。そうであってほしいと願うばかりである。「菅政権の実績作り」と揶揄する声もあるようだが、難癖が過ぎるだろう。
上述したように、ワクチン調達と接種率向上は菅政権の紛れもない「実績」であり、これをもって経済正常化に舵を切るのは上述してきたようにグローバルスタンダードと言える戦略である。正しい政策の下、10~12月期はせめて潜在成長率並みの軌道に戻ることを期待したい(潜在成長率では全く足らないのだが)。
懸念されるのは、ここにきて、ロックダウンを法制化して機動的にこれを決断できるような流れが出てきていることである。既に河野行革担当相を始め総裁選候補者が前向きな検討を口にしている。ことここに至るまでの展開を踏まえる限り、「合法化したからと言って使うわけではない」という言い分を真に受けることはできない。
ロックダウン法制化は世論の支持を受けての議論であり、それを受けて自民党総裁に選出され、首相にまでなれば、そのオプションを行使しない方が政治的に間違っている。「世論は間違えることもある」という前提に正しい政治的判断を下してもらいたいと思うばかりである。
これまでの緊急事態宣言と同様の温度感でロックダウンが乱用されれば、日本経済を待つ未来はあまりにも暗い。年初来、金融政策効果の及ばない株式・為替市場では日本回避の潮流が根付いていてきた。菅首相の総裁選不出馬表明以降の急騰は報じられている10月以降の行動規制解除への期待含みだろう。
しかし、ロックダウン法制化に至れば、また株は反転下落するだろう。円相場は未だ実質実効ベースで1970年代前半並みの安値が続いているが、ロックダウンはこの動きを加速させるはずだ。
そこまでするほど日本にとってのCOVID-19の感染状況は甚大なものなのか。為政者には海外情勢を踏まえた上での冷静な判断を期待したい。
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みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、JETRO入構、貿易投資白書の執筆などを務める。2006年からは日本経済研究センターへ出向し、日本経済の短期予測などを担当。その後、2007年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、年2回公表されるEU経済見通しの作成などに携わった。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。著書に『欧州リスク:日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、14年7月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、17年11月)、『リブラの正体 GAFAは通貨を支配するのか?』(共著、日本経済新聞社出版、19年11月)。TV出演:テレビ東京『モーニングサテライト』、日経CNBC『夜エクスプレス』など。連載:ロイター、東洋経済オンライン、ダイヤモンドオンライン、Business Insider、現代ビジネス(講談社)など
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(みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト 唐鎌 大輔)
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