「データ不備で開発に2年の遅れ」会社に巨額の損失を出した私に上司がくれた"ひと言"
プレジデントオンライン / 2021年9月17日 8時15分
■入社とともに「出産は実績を積んでから!」宣言
「液体ブルーレットおくだけ」「ブレスケア」「のどぬ~る」「熱さまシート」など、ユニークなネーミングとともに、長く家庭で愛用されてきたものが多い小林製薬が掲げるスローガンは、〈“あったらいいな”をカタチにする〉こと。暮らしの中から生まれるアイデアを活かす社風に魅かれたという御厨さんは、今でも新人時代の思いがよみがえるという。
「入社時の研修では、『しっかり仕事の実績を積み、復帰を望まれる人材になってから出産する!』と宣言しました。それまでに自分自身が納得できる成果を出さなければという思いがあったんです」
■予想外の妊娠と、期待してくれていた上司への報告
2001年に大阪本社の小林製薬へ入社。研究・開発職として、洗浄・家庭用品グループに配属された。今でこそ男女共に担当している業務だが、当時はまだ、ブルーレットの開発は力仕事で危険な作業もあるため、男性が担当するのが通例だった。しかし、御厨さんは熱烈に志願。その思いが通じてか、上司が部長会で「御厨にやらせてください!」と推してくれ、担当できることになったという。
この年、同期の男性と結婚。仕事にも意欲満々で取り組んでいたが、思いがけず妊娠したことがわかる。うれしさはあっても、心は大きく揺れたという。
「まだ何も実績を積んでいないという焦りがあり、わたしを推薦くださった上司には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。叱られても仕方ないと思っていたのですが……」
上司はとても喜んでくれ、グループの先輩も身体を気遣ってくれた。社内の女性の先輩たちは出産激励会を開いてくれ、育児と子育ての両立のコツを教えてくれた。
■「過ごす時間が増えれば子どもは喜ぶ」ワケじゃない
入社2年目に出産、8カ月の育休を経て復帰したものの、子育てとの両立は想像以上に厳しかった。入社後すぐの新入社員研修で「男性初の育休を取る!」と宣言していた夫が結局育休を取らず、保育園の送り迎えも一人でこなすことになったのだ。子どもが母乳しか飲まなかったので、昼休みも会社を抜けて授乳に行かなければならない。別れ際に泣かれるのがつらく、後ろ髪引かれる思いで会社へ通う毎日だった。
「あの頃はいつ辞めようかと常に考えていました。目の前で泣くわが子にどうしても感情移入してしまうので、育児に専念したほうがいいのではと。仕事は私がいなくてもまわるけれど、子どもは母親の私がいないと生きていけないと、ひたすら悩んでいました」
それでもママ友や保育士の先生の支えが心強かった。子どもを通わせたのは、働く母親たちが有志でつどい「自分たちがやりたい子育てをする」ためにつくられた保育園。仕事と育児の両立に悩んでいるとアドバイスをもらえた。
例えばその園では夜間保育があり、夜9時まで預けられたが、御厨さんはずっと利用をためらっていた。少しでも子どもと過ごす時間を増やすため、残業や日帰り出張もあきらめ、定時で仕事を終わらせなければと気を張りつめていたが「必要なときには上手に夜間保育を使えばいい」と保育士の先生に助言されたのだ。
「いつもぎりぎりまで働いて慌てて迎えに行って、いら立った顔を子どもに見せる方が良くない。仕事をきちんと終えて、すっきりした顔で9時に迎えに行けば、子どももうれしいはず。保育園でもおいしいご飯を食べられるし、他の子との交流もできるからと言われたのです。そこで気づいたのは、子育てで大事なのは“子どもとどんな気持ちで向き合うか”ということ。仕事との両立では目を向けられる時間も限られます。でも、子どもがひとりで動いているときは急かさずに褒める、泣きわめいているときはちゃんと話を聞いて認めてあげる。そうして自分は大事にされていると感じられることが、子どもの心の根っこを育てるために大切なことなのだと教えていただいたのです」
■育児経験で仕事の効率が上がった理由
御厨さんは3女1男と4人の子どもを授かり、同じ保育園に18年通う日々が続いた。そうした育児の経験は仕事にも活かされている。その一つは「効率」を考える癖がついたことだ。
もともと二つの仕事を並行して進めるのが苦手で、一つのことをきちっと終えてから次へ行きたいタイプ。だが、子どもがいれば急な事情で数日休まなければいけないことも起きる。そのため幾つかの仕事を同時に進めることを意識し、隙間を埋める計画の立て方を心がけるようになった。エクセルでテーマごとに進捗状況を記録してスケジュール管理をする。それによって効率が上がり、その日に終えた仕事が一目でわかるので、日々の達成感も得られるようになった。
■データ不備で多額の治験費用が無駄に
さらに子育ての失敗は数々あるが、それをいかに次につなげるかを模索してきた。仕事の現場でも「失敗」と向き合う覚悟をあらためて問われる出来事があったという。
入社以来、家庭用品の開発や基礎研究に携わってきた御厨さんは、2009年にドラッグストアや薬局で販売するOTC医薬品の開発に携わる部署へ異動となった。臨床試験(治験)の体制を一から立ち上げ、承認難度の高い医薬品を開発するという大任を拝したがこれが前途多難な道のりのはじまりだったという。
承認をとるにあたり、はじめに行うのが当局への申請だ。当初は4人のメンバーで着手し、2年がかりで準備して治験データを収集した。何度も壁にぶつかり苦労したもののようやく当局に申請が出せると思った矢先、そのデータに不備が発覚。多額の治験費用が無駄になっただけでなく、さらに継続する場合、多額の追加費用が必要となったのだ。
「猛烈にショックでしたね。それまでいろいろ失敗も重ね、今度は必ず!と社内にコミットしておきながら最後の段階でまたつまずいてしまったことが本当に申し訳なくて……。けれど、経営陣のひとりが『もう一回やってみたら、ええやんか! 勝ち目があるならやったらいい』と激を飛ばしてくださった。だから、この失敗は必ず次につなげようと気持ちを切り替えたのです」
治験を継続して2年後、ついに当局への申請が完了。つづいて承認に必要な「GCP適合」を受けるべく、その先の治験へと進むことになった。
■チームの体制強化をミッションに課長に抜てき
そんな御厨さんに臨床開発グループの課長の辞令が下る。2020年1月のことだ。前回のことをふまえ、社内トップから、治験の実施体制を強化するというミッションも課され、メンバーも11名に増えた。しかし、当初の治験経験者が2人抜けてしまい、若手と専任職社員、急きょ採用された中途社員というチーム構成に。誰もが新たな環境で自信をもてず、業務も受け身になりがちだったという。
「私に課長の役割が務まるのだろうかと不安で押し潰されそうになり、皆も弱気だったと思います。そんな中で人事部長に『課長の役割は、グループの成果を上げることと部下のモチベーションを上げること』と言われ、道が開けました。まずは部下のモチベーションを上げて、個々の力を活かすことを意識しようと思ったのです」
■「交換日記」と「ガントチャート」
子育てにも通じるものがあると、御厨さんは考えた。そこで始めたのが、部下との「交換日記」だ。ウェブ上の交流ツールを使い、両者で書き込んでいく。御厨さんは、そこで日々気づいた良い点や成果を褒めて、期末には他のグループ員からのコメントも添えたサイン帳を作って渡すようになった。会議の中で良い発言をしたなどのささいな気づきでも、小さなところから褒めることを心がけることで、「今日も良いところを見つけよう」と部下の様子を細やかに観察する習慣がついた。
一方、業務についても、子育てのなかで始めたスケジュール管理を活かした。具体的なゴールに向けた実行項目を日付と進捗率で記録する「ガントチャート」を各自に作ってもらい、日々確認していくことに。それによって達成感を感じてもらい、部下の目先の不安を解消することを目指した。
■「賢くなろうとするな」
こうした取り組みを通して、部下のモチベーションを上げることが、各自の成長支援にもつながっているという考えから、小林製薬では、社内でも上司と部下が話し合う「成長対話」という場を定期的に設けているという。「成長対話シート」というツールを用いて、部下が思い描いている「ありたい姿」について一対一で話し、そこへ向かうためのアイデアを一緒に出し合うという取り組みだ。御厨さん自身も、ゆっくり成長を見守ってくれる上司の言葉に支えられてきたという。
「もともと仕事も母親業もこうあるべきと、完璧を目指そうとする気持ちが強かったと思います。うまく両立できないと自分を責めたり、何とか成果を出そうと焦ってしまったり……。でも、そんな私を見ていた研究所の所長に言われたのです。『しょせん、御厨は御厨でしかないから、あんまり気負うな』と。そして『自分が賢くなろうとするな。人を巻き込み、賢い人に助けてもらえばいい。賢くなり過ぎず、助けてもらえる人間になれ』と言われて、すごく安心しました。所長はたぶん身の丈に合った闘い方を見つけなさいと教えてくださったんですね。『おまえさんがそんなに成長するまで、待ってられへんわ』とも(笑)。きついようでも愛のある言葉をかけてくださいました」
そして課長となり1年半経った今、新体制にて実施した治験が無事審査を通過。ついに治験の「GCP適合」を受けた。これは2009年から取り組んできた、御厨さんが担当する全ての治験が終わりを迎えたことを意味する。
「無事に審査を通過したことがうれしいのはもちろん、今のメンバーで治験を乗り切れたこと、何よりグループ員一人ひとりが自分に自信を持ち、自らの意見を私と戦わせてくれている今が、私の大きな財産になっています」。
■「働く意味」を問い続けた先にあったもの
4人の子どもたちは大きく成長し、末っ子の長男も今年から小学校へ。足かけ18年の保育園生活が終わり、ホッとしているという御厨さん。育児と仕事の両立は厳しかったが、「子どもがあっての仕事、仕事があっての育児」でもあったと懐かしむ。その渦中で「働く意味」もたえず問い続けてきたという。
実は長女が小学校へ入ったときのこと、「どうしてみんなのお母さんは家にいるのに、うちのママは遅くまで帰ってこないの?」と泣かれたことがあった。朝になると自家中毒を起こして熱を出し、学校を休む日が続く。母として精神的にまいり、子どもにいろんなトラブルが起きる度に「私が働く意味は何だろう」と自問自答が続いた。
その先にたどりついたのは「子どもに自慢できる仕事をしよう。楽しそうに育児も仕事もする姿を見せることが、私の働く意味だ」という思いだった。
「娘たちも母親が働くことを受け入れてくれるようになりました。長女が5年生のとき、将来の設計図を書くという授業があったのです。すると長女は〈小林製薬に入社して、30代で部長になり、40代で親の介護をする〉と書いていて、私も60歳そこそこで介護されるなんてと驚きましたけど」
娘たちにはよく「仕事は楽しい?」と聞かれる。その度に、母は「めちゃくちゃ楽しいで!」と明るく答える。御厨さんにとっては、今も子どもたちの存在が仕事に励む原動力になっているようだ。
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ノンフィクションライター
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。
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(ノンフィクションライター 歌代 幸子)
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