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「絶対に10月までに小室さんと結婚したい」眞子さまが30歳の誕生日までの結婚を急ぐワケ

プレジデントオンライン / 2021年9月22日 15時15分

婚約が内定し、記者会見される秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さん=2017年9月3日、東京都港区の赤坂東邸[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

■眞子さまの結婚時期を巡るスクープ合戦

秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚へ向けた加速が目覚ましい。

「年内に結婚する方向で調整」という9月1日のニュースが始まりで、結婚に関する儀式はせず、1億円を超す一時金も辞退、ニューヨークで暮らすというインパクトも大きかった。翌週(8日)に「10月にも婚姻届を出す方向」と報じられたと思ったら、その翌週(16日)には「小室さんが9月末までに帰国する見通し」というビッグニュース。10月にも眞子さまと記者会見などをするという。

最初は読売新聞、次が共同通信、最後がNHKのスクープで、水面下で事態は着実に動いているのだろう。21日には日本テレビが「小室圭さん、来週早々に帰国」というニュースを打ち、元新聞記者としては「宮内記者会のみなさんは、さぞや大変だろう」と勝手に同情している。

加速の背景には、小室さんの就職事情がある。NHKがこのあたりはリードしていて、就職の内定しているニューヨーク州の法律事務所は、日本人を弁護士として採用するのは初めての大手事務所だと16日に伝えていた。眞子さまとの生活基盤が整い、次に打つべき手は世論対策。だから「帰国→記者会見」。これがスクープの肝だろう。

そしてもう一つ、背景にあるのが10月23日に迫っている眞子さまのお誕生日のようだ。その日、眞子さまは30歳になる。

■本当に30歳の誕生日を意識しているのか

例えば朝日新聞(9月17日朝刊)はNHKのスクープを追いかけ、小室さん帰国後の眞子さまの日程(10月中に婚姻届提出、皇籍離脱など)を示し、こう書いた。「10月23日の眞子さまの30歳の誕生日や、コロナの状況などをみながら日程を検討していくという」。スポニチアネックス(9月17日配信)は、「眞子さま30歳までの結婚を意識」と見出しではっきり打ち出している。本文には、「『30歳までの結婚』を意識する眞子さまの誕生日前日となる10月22日までに婚姻届を提出し、結婚会見を開くとみられている」とある。

眞子さまは、30歳までに結婚したい――以前から報じられていたことだ。読むたび「そんなものなのかなー」と思ってはいたが、最近のスクープ合戦がまるで眞子さまの必死さの表れのようで、「そこまで切実だったかー」と不思議な気持ちになる。

「女はクリスマスケーキ」などと言われたのは、バブル真っ盛りの頃だったと記憶する。マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が主題歌のドラマ「29歳のクリスマス」がヒットしたのは1994年。24歳が限界か、29歳か。いずれにしても20世紀の話で、とっくに21世紀になり、令和になった。なのに眞子さまはなぜ「29歳での結婚」にこだわるのだろう。

■1980年代以降は30代で結婚した女性皇族もいる

人口動態統計によれば、2020年の女性の平均初婚年齢は29.4歳。それより遅くなりたくないという心境もあるかもしれないが、都道府県別を見ると東京都の妻の平均初婚年齢は30.4歳。過去の女性皇族の結婚年齢は、宮内庁ホームページ「ご結婚により,皇族の身分を離れられた内親王及び女王」という一覧表でチェックした。

朱鷺色の着物を召された女性の手元にはリング
写真=iStock.com/Phoenixproduction
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Phoenixproduction

7人のお名前がある。うち4人は昭和に結婚している。3人(1952年と1960年と1966年)は21歳または22歳での結婚だが、1983年の結婚は31歳。平成最初は2005年、秋篠宮さまの妹の清子さまの結婚で、36歳。次が高円宮家の次女典子さま(2014年)で26歳、続いてが三女絢子さま(2018年)で28歳。1980年代以降は20代での結婚と30代での結婚が同数だ。

■高市早苗さんの著書に思わぬヒントがあった

つまり国民全体のデータからも、皇室の記録からも、眞子さまを「29歳での結婚」に駆り立てる理由は見当たらない。眞子さまと同学年の女性に聞いてみたら、「子どもを産みたいと考える人は、20代の結婚にこだわるかも」と教えてくれた。なるほど、それはわかる。とはいえ、29歳と30歳がそれほど違うとは思えず、どうもすっきりはしない。と思っていたら、ごく最近、思わぬところからヒントを得た。

それは、高市早苗さんの著書『30歳のバースディ その朝、おんなの何かが変わる』(大和出版)。そう、あの、自民党総裁選に立候補した、サナエノミクスの高市さん。彼女が政治評論家時代に書いたエッセーを読んだのだ。

92年6月発行で、当時31歳。大学時代(下宿を許されず、奈良から往復6時間かけ神戸大学に通学)から始まり、自分探しの時(松下政経塾→米国の民主党女性下院議員事務所でのインターン)を経て、政治評論家としての活躍までが描かれる。節目節目に、赤裸々な恋愛話がはさまるのが特徴だ。「男かペットがいなくちゃダメな私」という見出しもあったが、高市さん=寂しがり屋だ。

男社会への違和感も抱えていた。朝のニュース番組のキャスターに抜擢されるなどテレビの世界で活躍してからも、セクハラパワハラ的なことは日常だ。女性評論家ならもっと感情的にコメントせよと言われた時は、「思想を曲げてでも、女として与えられた役割に従わなくてはならないのか」と怒る。彼女の原点は、まっとうで明確な上昇志向を持つ女性だとわかった。

■「30歳っていうのはすごい重みがある」

そんな高市さんだが、30歳の誕生日に過剰に反応する。10日前、「刻一刻とその日が近づく中で、私はもう、パニック状態」になり、「来る日も来る日も自分でパーティを企画して、友だちに電話をかけまくって」パーティーを次々開く。何軒もはしごし、24時間酒臭く、「ああ、これはちょうどいい。このノリで悲しみの三〇代に突入し、三〇歳のバースディを迎えるのもちょうどいいと思った」。

バースデーケーキの上には火のともった30の数字のろうそく
写真=iStock.com/efesan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/efesan

30年前、「結婚適齢期」をめぐる圧は今よりずっと強かった。高市さんは「どうにも結婚できない私」と書き、10回目のお見合いをしようかどうか迷っていると明かしたりする。が、一方で、こんな論も展開している。

「三〇歳っていうのはすごい重みがある。もはや、のんきに『経験ないからわかんないですぅ』とは口がさけても言えない。恥ずかしくてプライドが許さない(中略)。いままではテレビからお呼びがかかればホイホイ顔出して、タレントでも何でもないふわふわした存在だけど、チャラチャラやっていればそれで済んだ。でも、三〇代になると、『私はだれ? 高市早苗って何なの?』っていう問題を突きつけられるような気がした。それにきちっと答えられなければ、三〇代を乗り切れないゾと」

■30歳になるのは大変だけど早く30歳になりたい

高市さんは、「仕事の上ではずーっと年をとりたい、とりたいと思っていたのに」とも書いていた。現在の高市さんに共感することは少ないのだが、その文章を読み、私も早く30歳になりたいと思っていたことを思い出した。

実は私、高市さんと同じ1961年の早生まれ。今年還暦を迎えた同級生として、当時の彼女を解説させていただくなら、「仕事」というものが骨身に染みてきたのだと思う。「少年少女のノリの恋愛がもうできなくなるんじゃないかという、危機感もあった」とも書いていた。

気軽な恋愛を惜しむ気持ちの裏側に、恋愛も仕事も自分で責任を取るしかないという大変さ(と楽しさ)を実感していたのだと思う。この本を出版した翌月、高市さんは地元奈良県から参院選に無所属で立候補、落選。翌93年に無所属で衆院選(奈良全県区)に立候補、初当選している。

「私はだれ? 高市早苗って何なの?」と書きながら、もう高市さんは政治の道を見据えていた。少なくとも、どこに行けば答えがあるか、わかっていた。「私はだれ?」は30歳を前にした女性共通の思いで、実は答えが見えかけているのがその頃なのだと思う。振り返れば、私もそうだった。さて、眞子さまはどうなのだろう。

■眞子さまが小室さんとの結婚を熱望する真意は

眞子さまはずっと、徹底して小室さんとの結婚を望んでいた。愛あってのことだが、同時に「皇室を出て、自由になりたい」という思いがあったと思う。それは「自由に外出したい」程度の反発心ではなく、「私はだれ?」という根源的な疑問だったのではないだろうか。

そして眞子さまは、その答えを得るには結婚するしかないと思った。皇室という枠組みにいては見つからない答え。結婚すれば、枠組みから外れられる。「皇族女子は、天皇及び皇族以外と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と皇室典範で決められているからだ。だから結婚を求める気持ちに、こだわりにこだわった。

長く続く道路、手前にはスタートと描かれている
写真=iStock.com/BrianAJackson
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BrianAJackson

眞子さまにとって結婚が、「私はだれ?」への答えを探す旅の始まりだ。旅のパートナーが見つかったのに、パートナーの母の「金銭トラブル」が公になり、足止めを食った。その期間が長くなる中、当初はさほど意識していなかった「30歳」への思いが強くなったのではないだろうか。強い心を保つためには、目標が必要だ。それが、30歳。そこまでに結婚するという思いが、眞子さまを支えてきた。そう思うと、すごく腑に落ちる。

目標達成はもう目の前。これからが眞子さまの、「私はだれ?」を見つける本当の旅が始まる。そこから先の人生は眞子さまのもので、その成り行きを他人がとやかく言う筋合いではないと思っている。だけど早く30歳になりたかった元女子として、こう思っている。眞子さまの旅が、幸多いことを。心からの願いだ。

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矢部 万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長。著書に『笑顔の雅子さま 生きづらさを超えて』『美智子さまという奇跡』『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』がある。

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(コラムニスト 矢部 万紀子)

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