「"家で死にたい"という母の願いをかなえられた」2カ月の介護を振り返って次男が涙するワケ
プレジデントオンライン / 2021年9月23日 11時15分
■「悲しいのではなく、もう話せないことが寂しい」
2016年10月2日午前1時すぎ、がんを患っていた柿谷厚子さんは自宅で亡くなった。穏やかな死に顔だった。
亡くなってすぐ、次男の徹治さんが訪問看護師の小畑雅子さんに電話で知らせると、小畑さんは30分程度で柿谷家まで駆けつけてくれた。
訪問看護は24時間態勢であるのが通常で、看取り以外でも深夜に“呼び出し”がかかることが少なくない。きつくないのだろうか。
「もちろんきついこともあります」と、小畑さん。
「でも、お看取りの場合は患者さんの様子をみながら、だいたい今日あたりかなと察知しているので、体も心もスタンバイOKで。車に乗って走り出すと、仕事スイッチがオンになっています。ご遺体と直面した時? 寂しいです。悲しいのではなく、もう話せないことが寂しいですね。ご家族ほどではないですが、病になってからの時間を共有していますから。それが思い出されて涙がこぼれます」
■体はやせ細っていたが、「床ずれ」は皆無だった
小畑さんは厚子さんの体をきれいに拭き、事前に本人と決めていた着物をきせていく。徹治さんも手伝うと、母親のやせ細った体が目に入った。
「母親といえども女性ですから、裸になるようなことは兄嫁に任せていたんですね。ですから亡くなって母の裸を見て、こんなに痩せていたんだと改めて悲しくなりました」(徹治さん)
その時、小畑さんは、厚子さんの体に褥瘡が一つもできていないことに気づいた。褥瘡とは、寝たきりなどによって体重で圧迫されている場所の血流が滞り、皮膚の一部が赤味をおびたり、ただれたりすることで、「床ずれ」ともいわれる。小畑さんは徹治さんに向かってこう言った。
「2カ月間寝たきりだったのに、褥瘡がない。これはご家族がしっかりケアしたという結果ですよ」
家族は日常的な世話をし、精神的なサポートはできる。でも治療はできず、具体的に何かをしてあげられているわけではない、という思いがあった徹治さんは、この一言で“救われた気持ち”になったそうだ。
「家で看取れてよかった。父親がいて、休職した僕がいて、兄夫婦も子供もよそに家がありましたが、亡くなる直前は実家に寝泊まりして……母は寂しくなかったと思うんです」
■「見なくていいものまで見える」というつらさがある
夫の嘉規さんも「女房は『満足した』と言っていましたよ」と明かす。
「僕の母親、女房にとっての義母の7回忌ができた、それに孫の入学式も見られた。息子二人と嫁にも介護してもらって、幸せやったと思います」
葬式で号泣した徹治さんだが、6年経った今も当時を思い出すと涙が出るという。この取材にも時折声を詰まらせながら、言葉を選んで話してくれた。
「振り返ると、母が死に向かうのを受け入れられない自分がいつもいました。信じられない、信じたくない。でも在宅では四六時中、見ているので弱っていく姿が見える。見なくていいものまで見えてしまうというつらさがありました」
2カ月という“短期間”だからこそ、疲弊せずにできた面もあったかもしれない。
「母が在宅を希望し、それをやりきった感はあります。また家族だけではこうはいかなかったと思います。訪問看護師の小畑さんの存在は母だけでなく、家族にとっても重要でした」
■「母が生きていたら喜んでくれただろうなって思う」
余談だが、徹治さんは母親の死後、看護師の小畑さんが引き合わせてくれた女性と2018年、結婚した。現在は実家を出て、二人で結婚生活を送る。
「私が訪問看護に通う時に厚子さんに『心残りはありますか?』とたずねると、『てっちゃん(徹治さん)の結婚』と言っていて。知り合いの医療事務をしていた方を紹介しました。そうしたらその方は、偶然にも徹治さんの同級生で。厚子さんもご存じの人だったみたいで、私が紹介すると言った時、厚子さんは目を輝かせてニコニコだったんです」(小畑さん)
「だから母が生きていたら喜んでくれただろうなって思う」と、徹治さんは言う。その顔に悲しみはあるが後悔や寂しさはなさそうだ。
実は、柿谷家には厚子さんが亡くなった翌年にも取材したが、この記事を書くにあたって4年ぶりに話をうかがった。最初の取材では厚子さんが亡くなったご実家を訪ねたのだが、まだ一周忌を迎えておらず、家全体が重苦しい雰囲気に包まれていたと思う。4年後の今は、結婚後の新居にお邪魔した。「こんなコンパクトな母の仏壇を買ったんですよ」と私に見せてくれた。遺影を見つめる徹治さんの表情は柔らかい。
柿谷家の在宅看取りは、本人の希望で病院から自宅へスムーズに移り、心ある訪問看護師と出会って、安らかな最期を迎えられた成功例だと思う。
誰もがこんなに良いサポート者に出会えるわけでもなく、また看護する時間とパワーのない家族もいるだろう。それでも母親が大好きで、最期は涙が止まらなかった徹治さんの今の笑顔を見るたび、家で死ぬのも悪くない、と思えるのだった。
■「もう一週間ももたないと思うから」と緊急入院
終末期を病院で過ごそうとしたのに追い出され、サポート者に恵まれず、“通い”で母親を家で看取った人もいる。
都内在住の小平知賀子さんの母、鈴子さん(享年84)は2016年10月に白血病を患っていることが発覚した。
「手がしびれるというか、母は自分で『脳梗塞』を疑い、かかりつけの病院に行ったんですね。そこから近所の大きな病院にまわされて一週間入院しました。退院後、脳梗塞というより脊髄に問題がありそうだとなり、今度は大学病院の受診を勧められたのです。
そして11月の初めに白血病と診断され、医師から『もう一週間ももたないと思うから』と、緊急入院。この時、家族はもしかするともう自宅に戻れないかも、と思いました」
2週間の入院を経ると、いったん容体が落ち着いたため、退院が可能になった。だが、その直後から下痢がひどくなり、12月中旬に再入院になってしまう。
■担当医からは「早く退院して家で看取ってほしい」
「再入院の際、抗がん剤の副作用を母が訴えていたこともあり、担当医から『早く退院して家で看取ってほしい』というニュアンスのことを言われたんです」
知賀子さんは担当医に詰め寄った。
「体制が整っていません。いきなりそんなことを言われて、家で看取れると思いますか」
医師は黙って顔を背けた。
その後、表立って「退院」を求められることはなかったものの、病院側と意思疎通がとれなくなったという。退院を求めた医師はあとから病院の副院長であることがわかり、知賀子さんが病院に行った際に挨拶をしても無視されてしまった。
「私が病室をたずねると、完全看護なのに母の分の料理だけ出されていないことがありました。指摘すると、『あら一つ残っていておかしいと思ったのよ~』という具合で。母は耳は遠かったですがボケているわけではない。次第に『この病院はいやだ』と言うようになりました」(知賀子さん、以下同)
■病院選びや病名告知については、長男に主導権
母には白血病とは言わず「血液の病気」とだけ告げていた。“余命わずか”であることも知らせない。
知賀子さんの弟の強い希望だったという。
母(鈴子さん)には、長女、そして次女の知賀子さん、弟(長男)の3人の子供がいる。夫はおよそ30年前に心疾患で亡くなっている。
「朝食の時間になっても起きてこなかったので、母が様子を見にいくと、父が亡くなっていたのです。突然死ですね。私はすでに実家を出て一人暮らしをしていたのですが、母から『すぐ戻ってきて。お父さんが息していない』と電話がかかってきました」
夫の生前、実家は二世帯住宅に建て替えられ、やがてそこに長男夫婦が住むようになる。1階が母、2階が長男夫婦の住まいとして、この20年間は暮らしてきた。
そのため、母の病院選びや病名告知については、長男が主導権を握っていた。その長男が「(母に)病名を伝えない」と言ったら、知賀子さんは黙って従うしかない。
■問題は「訪問医探し」と「看護の割り振り」
片親がすでに亡くなっていて、もう片方の親の看取りをする時、子供が複数人いると、誰が物事の決定権をもつのかが難しい。
「年末年始は家で過ごしたい」という母の希望もあり、2016年12月下旬に退院した。無事年越しはできたものの、年明けにインフルエンザを発症して緊急入院。しばらくして退院するものの、今度はふとしたきっかけから鼻血が止まらなくなった。病院を受診させようとすると、母は「あの病院はいやだ」と言い、病院側も「来るな」という態度。しかし症状が進んだ白血病の患者を診てくれる病院がほかにない。
「もう家で診るしかないだろう」
2017年1月末、長男がそう決断したため、次女の知賀子さんも、長女もそれに従った。
問題は「訪問医探し」と「看護の割り振り」だった。
その頃、長男の同級生の身内が、実家から近くの場所で訪問医をしていることを知ったという。「白血病患者でもOKか?」と問い合わせると訪問医から了承を得られたため、何度か入院していた病院からの引き継ぎをお願いする。
■「記憶が飛んでいる」というほど大変な日々
続いて看護の分担は、3人でシフトを組んだ。仕事が多忙な長男夫婦は週末、自営業の知賀子さんが週3~4日、パート勤務や子供の世話がある長女が残りの担当。しかし知賀子さんは、母の不安を感じとったことと、また長男嫁の負担を軽減したいという思いから、シフト以外の日もしばしば母のもとを訪れたという。
そのため、ここから3月10日に母が亡くなるまでのおよそ1か月半、知賀子さんは「記憶が飛んでいる」というほど大変な日々だった。
「24時間いつでもお電話ください、いつでも来ます」と言っていた訪問医が夜間に来ることは一度もなく、訪問医と一緒にやってきた看護師も医師のそばに立って見ているだけ。母もそれをひどく嫌がる。
「別に契約をしていた訪問看護師の方が一番寄り添ってくれた」と知賀子さんは言う。
■緩和ケアを家族に丸投げされ、母も苦しんでいた
長男や長女の看護に対する考えに違いがあり、身内の気持ちがうまく一つにまとまらない。加えて母本人に病名、病状は知らされない。もちろん本人も嫌がる病院に戻ることはできないし、いつ亡くなるかわからない白血病患者を受け入れてくれる病院もない。
「訪問医と看護師の言うことも違っていたりして、もう誰を信じていいのかもわかりませんでした。緩和ケアを家族に丸投げされ、母は苦しんで、体も心も変わっていく。何もできない自分が情けなく、途方にくれる日々でした」
手探りの中で、知賀子さんはこれまで育ててくれた母に対する「恩返し」のつもりで、母の“在宅ケア“をがんばった。最後の1カ月は驚くほど母とふれあったという——。(続く。第3回は9月24日11時公開予定)
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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