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「自粛を求め続ける政治家にこそ責任がある」"気の緩み"に怒る人たちに考えてほしいこと

プレジデントオンライン / 2021年9月24日 12時15分

記者会見する菅義偉首相(左)。右は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長=2021年9月9日、首相官邸 - 写真=時事通信フォト

政府は今年1月以降、新型コロナウイルス対策として緊急事態宣言の延長を繰り返している。しかし東京五輪の前後では感染拡大が続いたことから、さらに厳しいロックダウン(都市封鎖)を求める声もあがった。立命館大学の美馬達哉教授は「罰則や法律を付け加えれば感染防止が図れる、という発想そのものをいま一度見直すべきだ」という――。

■そもそも「ロックダウン」とは何なのか

ロックダウンについて、政治の世界でいろいろ議論が盛り上がっている。

だが、改めて「ロックダウンとは?」と問い直してみると、正確に答えるのは難しい。

というのも、新型コロナの流行前にロックダウンが先進国で大規模に行われたことはほとんどなく、その方法や範囲も国によってさまざまで、実ははっきりした定義は存在しないからだ。

大きく分けて、ロックダウンには2つの事柄が含まれている。

一つは、多くの人々が近い距離で集まることを避ける趣旨のもので、大人数での集会の禁止や施設の利用制限、生活必需品の販売や必須サービス業以外の営業の禁止、休校などである。

もう一つは、人々の動きを全般的に差し止める趣旨のもので、必要不可欠な業務以外の在宅勤務、生活必需品の入手や通院以外での自宅待機、ほかの地域との交通遮断などである。

これらが、世界各国でのロックダウンで共通する内容で、人から人に伝染する呼吸器感染症の防止の基本となる。

ここで挙げた措置の中で、どれを重視するかには国ごとの違いがあり、その方法としても、たんなる推奨、経済的な優遇、罰則をつけた禁止など強弱がある。

「必要不可欠」の定義もフレキシブルで、ヨーロッパでは、罰則付きの厳しい自宅待機であっても、飼い犬の散歩は必要不可欠な外出として認められる。

つまり、ロックダウンを考える上では、罰則の有無という方法にこだわる近視眼的な見方ではなく、国ごとの文化や慣習を尊重しつつ、普通の人々の生活を守って新型コロナを抑え込むという目的の達成には、どういう手法をミックスすべきかという柔軟な思考が必要なのだ。

ここでは、ロックダウンを理解して是非を考えるため、まずは医学的な感染症予防の中での位置付け、次に感染症予防という公益と個人の人権のバランスという点を見た上で、最後に法制化の利点と欠点を整理しよう。

■医薬品では解決できない感染症を抑える4つの方法

公衆衛生の専門用語でいえば、ロックダウンは「非製薬的介入(NPI)」の一部に含まれる。

感染症対策の中でも、治療薬やワクチン、つまり医薬品を使って新型コロナを抑え込もうとするのが「製薬的介入」だ。

有効な医薬品があるなら、新型コロナは医療従事者に任せることができて、一般市民が特別に心配しなくてもよいのだが、現在のところ、そうはなっていない。

そこで必要となるのが、治療薬やワクチン以外の感染症予防であり、まとめて非製薬的介入と呼ばれる。

非製薬的介入には、①個人の対策、②環境対策、③ソーシャルディスタンスの対策、④移動の制限対策の4つが含まれる。

まず、個人の対策は、個人が個人の責任で実行できる清潔習慣のことを指しており、マスクや手洗いや手指消毒などのことだ。

次の環境対策というのは、公共の場所やテーブルなどをこまめに消毒したり、人が多く集まる場所での換気をよくしたりするなど、感染症対策として個々人ではなく生活環境を清潔に保つということだ。

三つ目のソーシャルディスタンスの対策とは、感染者(感染の疑いのある者)と非感染者の間で距離(ディスタンス)を作って感染症の拡大を予防することだ。日本でいう「三密」回避はもちろん、隔離や検疫、休校、リモートワーク、保健所が行う接触者追跡の聞き取りも、集会禁止や外出禁止なども含まれる。

四つ目の移動の制限は、個々人に対する制限というよりは、感染症の蔓延している地域を対象として旅行の制限や国境閉鎖などをすることだ。

■ロックダウンは想定外の選択肢だったが…

この分類から見れば、いわゆるロックダウンは、ソーシャルディスタンス対策の中でも大規模で厳しいもの、およびロックダウンされた都市や地域との移動制限ということになる。

パンデミック中のタイムズスクエア
写真=iStock.com/Leo Cunha Media
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Leo Cunha Media

少なくとも先進諸国では、新型コロナまでは、感染症は治療薬やワクチンによって解決済みか、近々解決可能と考えられていた。

つまり、緊急避難の一時的な場つなぎに過ぎなかった非製薬的介入が大規模化・長期化することは想定外だったことになる。

また、新型コロナに対する製薬的介入の切り札であるワクチンの効果は、短期的で何度も接種しなければならず、しかも接種後も感染することがあると分かり始めている。

こうして、非製薬的介入を重視せざるを得ない手詰まりという事情が、ロックダウンの論じられる背景にある。

■隔離や検疫とはステージが異なる「人権制限」

ロックダウンでの公益と人権のバランスを考える上で大事なのは、どれだけの人数の人々が、どの程度の不自由や不利益を耐え忍ばなければならないのか、というところだ。

まず、どれだけの人が影響を受けるのかを考えるため、隔離と検疫とロックダウンを比べてみよう。

隔離と検疫は言葉の使い方でブレはあるのだが、症状のある感染者を病院に収容して、ほかの人との接触を断ち切るのが隔離である。

感染しているかどうか正確にわからなくても、感染の疑いのある人を、一定期間(たとえば2週間)区切って、ほかの人との接触を断ち切るのが検疫である。

そして、ロックダウンとは、健康な人も含めてすべての住民を対象として、ほかの人との接触を断ち切ろうとするものである。

つまり、行動制限の対象が、感染者という少数者への措置から始まって、感染の疑いのある者を含むようになり、その地域の全人口まで拡大していくのがロックダウンということになる。

ある種の人々(感染者や疑い者)だけに限定するのではなく、全員に行動制限するという点で、ロックダウンは隔離や検疫とは違うステージにあるといえる。

いいかえれば、住民の誰もが感染疑いというレベルにまで状況が悪化していない限りは正当化できないほどに、思い切った人権制限ということだ。

■「目的達成に真に必要とされなくてはならない」

次に、そうした行動制限で、どの程度の不自由や不利益が生じるのかとの点を考えよう。

具体的にどういう措置がロックダウンに含まれるかは最初に説明したとおりだ。だが、問題は、行動制限の厳しさそのものではなく、感染症の予防や制圧という公益と、基本的人権である集会の自由や移動の自由や自由な経済活動などの制限との相対的なバランスだ。

この是非を判断するうえで役立つのが、1985年に国連の人権委員会で正式に認められた国際基準である「シラクサ原則」の、人権の制限が認められる場合の5つの基準である。

(1)制限の内容は法に規定され,法に基づいて行使される。
(2)制限は公共の利益にかなうものでなくてはならない。
(3)制限は目的達成に真に必要とされなくてはならない。
(4)同じ目的を達成するのに、より侵襲や制限の少ない代替手段がない。
(5)制限は科学的証拠に基づかなくてはならず、理不尽だったり差別的だったりしてはならない。

■ロックダウンは科学的に「有効」なのか

まず、考えておきたいのはシラクサ原則の(3)と(5)、つまりロックダウンは人権を制限してまで断行しなければならないほどに、感染症の制圧という目的達成に本当に必要な手段で、科学的根拠に基づいているのかどうか、というところだ。

短期的に見れば、ロックダウンのようなソーシャルディスタンスの手法で新型コロナの流行を一時的に抑え込むことはできる。

これは事実だが、ただし「短期的に」であって、ロックダウンを永久に続けることはできない。

つまり、一時的なロックダウンによって、感染者数のピークをなだらかにしたり、そのピークを二つの感染増の山に分割して長引かせたりしているだけで、長期的に合計を見れば感染者の総数には大差ないとの推計もある。

そして、厳しい見方をすれば、感染者数がピークになったとき、医療資源が逼迫して助けられる命が失われるのは、その国の医療体制の不備、つまり人災であって、新型コロナそのもののウイルス毒性とは別問題だともいえる。

この点で、ロックダウンの「有効性」は過剰な期待にならないよう割り引いて考えなければならないし、文化や医療制度の違う国々の間で安易に国際比較することはできない。

■感染拡大の原因は“気の緩み”という議論の危うさ

お願いと自粛と忖度によるロックダウンもどきを1年以上にわたって断続的に行ってきた日本社会において、ロックダウンと法律について議論する傾向が出てきたことは好ましい変化だ。

国家や自治体からのお願いや指導とその自発的な受け入れや世間を忖度した自粛では、どこまでソーシャルディスタンスを徹底すべきか、どこまで公的に補償すべきなのか、開始と解除のタイミングを誰が判断するのか、どこ(誰)に責任があるのか、があいまいな無責任システムになってしまう。

外部プレゼンテーション
写真=iStock.com/Yusuke Ide
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yusuke Ide

明確な法の枠組みがあって、その明文ルールに従って社会が回ることは、権力者による恣意的な命令を許さないことにつながり、法治主義や立憲主義の基本だ。

これは、先に紹介したシラクサ原則の(1)と相通ずる。

だが、ロックダウンと法律についての議論の実際は、そういう方向ではないように見える。

新型コロナが繰り返す波のようになったのは、人々の気の緩みに原因があり、人々がソーシャルディスタンスを守らないことが感染症を拡大させている、だから法律で罰則を付けることで人々を従わせる必要がある、という上から目線の議論の声が大きい。

こうした発想は、ロックダウンの有効性に関する誤解に基づいている。

■厳重な監視社会でないと実効性は上がらない

ここでは三点にまとめてみよう。

一つは、ここまでロックダウンの中身として解説したとおり、ロックダウンは一時しのぎに過ぎないので、新型コロナ対策として過剰に期待するのは禁物だという点だ。

ロックダウンよりも大事なのは、ロックダウンでの時間稼ぎの間に何を優先して次の流行に準備するかの明確なロードマップである。

第二に、ロックダウンの対策としての実効性が、現在の「お願い」に比べてどの程度あるのかという点も疑問だ。

ほんとうに強制するのなら、スマホのGPS機能の利用、監視カメラの顔解析、街中での職務質問、身分証の常時携帯などがなければ不可能だ。

セキュリティカメラ
写真=iStock.com/PhonlamaiPhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PhonlamaiPhoto

違反者をもれなく処罰するには、生活の隅々にまで監視を行き届かせて、だれがどんな目的でどれくらいの頻度で外出したかをチェックできるように、きめ細かな監視網を必要とするだろう。

少なくとも私は、いくら健康のためでも、そんな監視社会は願い下げだ。

強権的な独裁国家ではない欧米などでもロックダウンが可能だったのは、人々がロックダウンの趣旨を理解し、すべての住民が公平に行動制限に従うことで納得し、公益のために協力していたからだろう。

罰則があるから従うというのは、ごく一部のことに過ぎない。

日本では、既に、公益のために感染症予防に協力することは、おおむね、これまでも行われてきた。

この経緯を踏まえれば、さらに罰則や法律を付け加えることが、どれだけ現状にプラスした実効性をもつかどうかは疑わしいと思う。

■感染拡大を制圧できるのは強制力でなく現場の智慧だ

第三に、ロックダウンの法制化の是非という論点に見え隠れする「これまで法律がないため、対策ができなかった」という理屈は、政府の弁解のように見える点だ。

「ルールがないので、できません」というのは、官僚的に硬直化した大企業やお役所仕事で頻繁にみられる言い訳だ。

ルールや前例がないからこそ工夫して何とかやりくりするのが、臨床も含めた現場の智慧だ。

知り合いの医療者からは、新型コロナの患者の自宅放置(自宅療養ともいう)に対して、ケアの現場で不安を鎮め、急変を察知するためのさまざまな工夫があった事例を聞く。

新型コロナ以外でも、持病のある高齢者が自宅待機を続けることで足腰が弱ったり、社会的な刺激が減って認知症が進行したりするのをどう防止するかの努力が、小さいながらも一つひとつ積み重ねられている。

今後、流行が再発しロックダウン的なことが必要となったとき、感染症を制圧するためのソーシャルディスタンスの徹底を実行可能にするのは、紙切れに書かれた法律でも警察力でもなく、ソーシャルディスタンスのしわ寄せを受ける人々をサポートする現場の智慧の共有とそれを支える政策である。

ロックダウンありき、法律ありき、ではなく、人々が健康に暮らす権利を守るために国家には何ができるかという根本に立ち返っての議論が肝要だ。

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美馬 達哉(みま・たつや)
立命館大学 先端総合学術研究科 教授、脳神経内科医師
京都大学医学部卒業、博士(医学)。脳神経内科の臨床を行うと共に、社会学を中心とした手法で、医療や生きることに関わる人文学的研究を行っている。著書に、『生を治める術としての近代医療』(現代書館、2015年)、『リスク化される身体』(青土社、2012年)、新型コロナを論じた『感染症社会』(人文書院、2020年)など。

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(立命館大学 先端総合学術研究科 教授、脳神経内科医師 美馬 達哉)

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