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「勉強時間が確保できそう」弁護士を目指して"夜勤のタクシー運転手"に転じた男性の現在

プレジデントオンライン / 2021年9月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TommL

奈良県大和高田市に法律事務所を開いている射場守夫さんは、かつてはタクシー運転手だった。高校卒業後、職を転々としていたが、「弁護士になりたい」と思って、夜勤のタクシー運転手となった。5年間、勤務しながら勉強を続け、弁護士資格を取得した。射場さんは「勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強できる環境だった」という――。

※本稿は、栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

■雲一つない星空を見て、弁護士になることを決意

多種多様な生き方が許容される。

それがタクシー業界の変わらぬ不文律でもある。

夢の実現のために一時的に身を置く若者もいれば、紆余曲折を経て、終の住み処として選ぶ者もいる。一方、ドライバーから弁護士に議員、外資系企業のマネージャーといった一般的にいう“社会的地位が高い”職業に転身した者もいる。

そんな人々の軌跡を追ってみた。

タクシードライバーから弁護士に転身を果たしたのは、射場守夫さん(55歳)だ。

現在は奈良県大和高田市で法律事務所を開設している射場さんが司法試験受験を志したのは、30歳の時だった。

大分県の高校を卒業後、「親元から離れたい」一心で、何の当てもない岡山県で一人暮らしを始めた。岡山を選んだのも、「大都会は怖いから適度に栄えている町に行こう」という程度の理由だったという。

栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)
栗田シメイ『コロナ禍を生き抜く タクシー業界サバイバル』(扶桑社)

その後、宅配の運転手、ガソリンスタンド、せんべい屋などのアルバイトを転々とし、食いつないだ。仕事は全て面白かったと当時を回顧する。だが、どれも高収入と呼べるものではなかった。

既に結婚し、3児の父でもあったこともあり、漠然とした将来への不安を抱えていた。家族でのドライブ帰り、ふと見上げた空の星を見て、どういうわけか突然弁護士を目指そうと決意したというのだ。

「当時は、大卒や専門資格などの肩書が大嫌いだったんです。そこに安住している人が滑稽に思えて。資格で評価されるという仕事だけはしたくなかったので、常に努力や工夫が重視される道を歩んできた。その信念の対極ともいえる弁護士資格に、あえて挑戦しても面白いんじゃないか……と雲一つない星空を見て、なぜか思ったのです」

■夜勤のタクシー運転手と司法試験の勉強を両立

大卒資格がない射場さんにとって、当時は司法一次試験(大卒程度の一般教養試験)から受験する必要があった。これまでの仕事をキッパリと辞め、岡山市内でタクシードライバーとして働き始めたのもこの時期に重なる。

驚いたのは、尾道市の出身である妻かよ子さんも同じくして、司法試験の勉強を始めたことだ。そして共働きをしながら子育てをし、揃って合格している。射場さんが述懐する。

「私が司法試験を受けると言うと彼女も『それなら私もやりたい』と言い出しまして。彼女もパートで家計を支えながら、空いた時間は勉強。育児も協力しあいました。共倒れになるわけにはいかないので、私がフルタイムで働いてまず彼女に試験に集中してもらった。

結果、妻は2000年に合格し、私は2003年に合格しました。彼女が先輩弁護士になったわけです。よく『大変だったでしょ』『不安はなかったの?』と聞かれますが、人生と違って答えがあるわけですから。もともと勉強は得意でしたし、答えがあるのならば合格できるだろう、と。

当時は年に700人の合格者を出していましたし、頑張ればなんとかなるだろうと(笑)。もちろん小さな子供もいる中で時間を作るのは苦労しましたが、ただの資格の勉強と割り切っていた。特別苦しかったということはないですね」

なぜ一時的にタクシー会社を選んだのかと訊ねると、座り仕事で、勉強の時間が確保できると判断したからだという。

岡山では2つの勤務体系を経験している。はじめは隔日勤務で働き、月に25万円程度の収入を得ていた。だが、朝8時~翌3時までという勤務時間は勉強に適さなかったため、効率性を考慮して夜勤のみに変更した。

■「勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強ができる」

当時は今ほど業界が高齢化しておらず、40~50代のドライバーが中心だった。それでも働いた事業所では、20代の新卒1人を除けば射場さんが2番目の若さだったという。

先輩ドライバー達は、誰も詮索や干渉をしてこなかった。その雰囲気が心地よく感じた。

「『お兄ちゃん何でここに来たの?』と聞かれて、実は司法試験合格を目指してますと答えても『へー』くらいのものでしたから。基本は個人商店に近いので、勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強ができるわけです。

お客さんが乗ってない時間は講義のテープを流し、停まっている時間や休憩中は一問一答の択一問題、論文を解く。睡眠時間以外は極力勉強に充てていました。そういう意味で、タクシーを選んだことは正解だったと思います」

出雲市に引っ越しするまでの間の約5年弱、射場さんは変わらずタクシードライバーを勤めた。2003年に司法二次試験に合格するまで、日々街を走っては、猛勉強という険しい生活を続けたことになる。

「起きている時はほとんど勉強していて、費やした時間は正確に覚えていない」とあっけらかんと話すが、この言葉だけでも、仕事をこなしながら弁護士という狭き門を突破することの難しさが窺い知れる。

■『弁護士は成功者だ!』は恥ずかしい

タクシー運転手から弁護士に転身した的場守夫さん。キャリアをジャンプアップしたつもりも、実感もないという
写真=一法律事務所
タクシー運転手から弁護士に転身した射場守夫さん。キャリアをジャンプアップしたつもりも、実感もないという - 写真=一法律事務所

司法試験に合格した後は、2005年から米子市の弁護士法人で働き始めた。出雲市で働く妻と法廷で争うことがないよう、1時間かけて隣県に通勤している。長い時間を要したが、弁護士になっても特別感慨深いものはなかった。

「みなさんの感覚は違うかもしれませんが、私は単にタクシー業界から弁護士業界に転職したに過ぎませんから。『弁護士はすごい! 成功者だ!』と扱われることもありますが、そう思うほど恥ずかしいことはないですよ。

賢そうな人が、賢そうな試験に受かって仕事をしているというだけです。そう見られないように、ずっとこだわってきたつもりです。

埼玉県で行われた新規登録研修のときは、周りは東大生や有名大学を卒業した立派な人ばかり。彼らは若い頃から素直で賢いわけですよ。でもね、そうでない弁護士がいても面白いじゃないですか。確か私の年、司法一次試験からの最終合格者は3人だけでした。

改めて自分の経歴に誇りを持つようになりましたね。それに外側にいた時はわからなかったけど、法曹界には、思っていたよりもいい人が多かった。それが一番の気づきでしたね」

弁護士として働き始めて6年半が経つ頃、勤めていた弁護士法人を退職。子供の成人に合わせて、出雲市からも離れた。結果的には独立という形で、2012年、大和高田市に自身の法律事務所を開業した。

■根底にあるのはサービス業「予想の斜め上をいきたい」

家族と離れての奈良県への移住。ここもまた、縁もゆかりもない土地だが、その理由は射場さんの趣味と関係していた。弁護士になってからは睡眠時間を削り、朝から晩まで働き詰めだった。

少しずつ仕事に慣れ、余暇を楽しむ時間ができたことで、小学校時代からの趣味である遺跡巡りに時間を使いたいと考えた。単純に遺跡が好きだから。本当にそれだけの理由で、奈良の地で事務所を開業したというのだ。

「奈良を選んだのは少し歩けばそこらじゅうに遺跡があること。それだけですね(笑)。奈良県には実に数千の遺跡があり、質、量ともに群を抜いている。死ぬまでにその全てを見たいという欲求が抑えられなかった。たぶん10年かかっても難しいでしょうが、それが今の夢です」

奈良県に拠点を移してからは、主に民事裁判で相続や借金問題など身近な事案を取り扱うことが多くなった。土地柄、高齢者からの相談も少なくない。当初の想像よりも何倍も弁護士の仕事を楽しめているという。

その最大の理由は、多種多様な人間模様を見ることができるからだ。その感覚を持てたのはタクシードライバーとしての経験があったからだと射場さんは続ける。

「弁護士とタクシーに共通するのは、人間の複雑さに触れる仕事ということです。世の中には本当にいろんな人がいると改めて感じます。私の根底にあるのは、サービス業に従事してきた経験。

手を抜かないだけではなく、何かの付加価値をつけると人って喜ぶ生き物だと思う。その予想の斜め上をいきたいな、というのは常に考えています。そういった配慮は、タクシーの仕事をしていたからやれている部分も大きいと今は理解できる。

もし仮に大学を出て、素直に弁護士になっていたとしたら、仕事に対しての意味や意義を見いだせなかったでしょうね」

事務所のモットーは、相談者と同じ目線に寄り添うことだ。

コロナ禍の今でも、射場さんの事務所を訪れる相談者は減るどころか、増加の一途を辿っている。

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栗田 シメイ(くりた・しめい)
ノンフィクションライター
1987年、兵庫県生まれ。広告代理店勤務、ノンフィクション作家への師事、週刊誌記者などを経てフリーランスに。南米・欧州・アジア・中東など世界40カ国以上でスポーツや政治、経済、事件、海外情勢などを幅広く取材する。

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(ノンフィクションライター 栗田 シメイ)

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