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法医学者は見た…「現場にいただけで殺人犯に」日本から冤罪事件がなくならない根本原因

プレジデントオンライン / 2021年9月28日 11時15分

西山美香さんの再審判決で無罪が言い渡され、垂れ幕を掲げる弁護士=2020年3月31日、大津市 - 写真=時事通信フォト

なぜ冤罪事件は起きてしまうのか。東京大学名誉教授で法医学者の吉田謙一さんは「日本では警察や検察が“見立て”に従って捜査を進めるため、冤罪が起きやすい状況にある。警察にとって都合のいい証言をする専門家も少なくない」という――。

■「死因不詳の死」を究明することが法医学者の使命

法医学者の使命は、解剖を通して「異状死」の死因を究明することである。

異状死とは、事故、中毒、傷害、熱中症等の「外因死」及び救急搬送後の診察と検査によって確実に病死・自然死と診断できなかった「死因不詳の死」を指す。

異状死を診た医師は、所轄警察署に届け出を求められる。例えば、心不全と診断されて通院中の患者が、容態が急変して搬送された後、心不全の悪化によって死亡した場合、医師は自然死として死亡診断書が交付できる。

しかし、同じ患者が心肺停止状態で救急搬送され心拍が戻らないまま死亡した場合などは、医師が異状死として警察に届け出ることになる。警察は、異状死のうち、犯罪や業務上過失を疑う事件については、法医学者に司法解剖を嘱託し、法医学者は鑑定書を提出する。

本稿では、筆者が、再審弁護団の依頼を受けて、再鑑定を行った「湖東病院事件」を例に、警察主導の死因究明と法医学鑑定の問題点について述べる。

なお、本稿の内容の多くは筆者が出した『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』に基づいている。

■無実の罪で懲役12年の実刑判決を受けた看護助手

平成15年5月、滋賀県東近江市にある湖東記念病院で、人工呼吸管理中の高齢者が心肺停止状態で発見された後、当直の看護助手が呼吸器のチューブを外したとされ殺人罪で懲役12年の実刑判決を受けた。

この高齢者は事件の7カ月前に、原因不明の体重減少、摂食困難が進行している中、呼吸異常が出現したため、救急搬送された。そして、入院直後に心停止し、心拍再開後に人工呼吸管理となっていた。

本件のように心停止・蘇生後、延髄の呼吸中枢が障害されると、人工呼吸器管理される。患者の気道に痰が貯まり1~2時間毎の吸引を要したが、これを怠った当直看護師が患者の死後、警察に「人工呼吸器のチューブが外れていた」と(真偽不明の)供述をした。

これを受けて、取り調べ担当警察官が、「誰かがチューブを抜去した」という“見立て”に従って関係者を追及していくなか、被告人が「チューブを抜いた」と供述したため起訴され、有罪判決を受けた。その後、再審となり2020年3月31日に無罪判決が下った。

■単なる病死が殺人事件に仕立て上げられた

本件を解剖したベテラン法医学者は、鑑定書の記載から丁寧な解剖・鑑定を行ったことがわかる。

特に、血液電解質を測定し、鑑定書に低カリウム血症と記したことが、冤罪解決の端緒になった。鑑定書には、延髄を含む脳全般の軟化と小脳プルキンエ細胞の脱落を認めたと記されていた。

私は、呼吸中枢と心臓血管運動中枢がある延髄の脳軟化が進行すると、自然な流れで心肺停止すること、小脳プルキンエ細胞は、心停止後蘇生により脱落することを指摘した。そして、「低カリウム血症」は、死亡前2~3週続いた血圧低下傾向、長期の利尿剤・下剤の持続投与によって生じ、不整脈死や呼吸停止の原因となりえたと指摘した。

いっぽう、鑑定書には「気道末梢に痰が貯留(ちょりゅう)している」と記され、解剖直後の調書にも「痰貯留による窒息死の可能性がある」と供述していた。

つまり、解剖直後の解剖医は、チューブ抜去による窒息死の可能性を指摘していないのである。

ところが、法廷で解剖医は、「(チューブ抜去による)酸素欠乏による窒息死である」、「小脳プルキンエ細胞は、チューブ抜去により脱落した」と鑑定書とは異なる証言をした。

病院の患者のための機械換気装置
写真=iStock.com/TAO EDGE
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TAO EDGE

■普通の病死が殺人事件に仕立て上げられてしまった

私は、医療事故が社会的な注目を集めたのに対して、医療関係者が激しく刑事司法の医療への介入を非難した時代を東大法医学教室で過ごし、多数の医療関連死を司法解剖した。

そのため、医療専門家の意見を聞き、文献を読んで診療経過を分析する習慣があり、本件のような容態急変例では、診療経過を慎重に分析してきた。

裁判では、直接、心肺停止につながった低カリウム血症、痰貯留(たんちょりゅう)による窒息等の「直接死因」が争点となった。しかし、本来、法的責任を判断する根拠となる「原死因(げんしいん)」は、一連の病的事象の起因となった疾病・損傷の状況である。

本件では、入院後の最初の心停止につながった体重減少と摂食困難の発生原因が不詳である以上、原死因は「不詳」という他ない。

結局、本件は、診療経過を分析して「原死因」を究明すべきところ、取り調べ警察官の「犯人捜し」が重視される死因究明制度のため、普通の病死が、殺人事件と取り違えられた冤罪事件だったのである。

■冤罪事件を生んでしまう背景

冤罪事件の法医学鑑定を見ると、ベテランなのに杜撰な鑑定をした事例、本件のように確かな解剖をしたのに警察に誘導されて結論を誤った事例、鑑定が正しいのに警察官・検察官が自らの「見立てに従って作文」した例等、様々な要因が冤罪を生んでいる。その背景を考える。

本来、死因は、第三者が公正・客観的・科学的に決定した上で、その死因に基づいて罪状を認定しなければならない。ところが、日本では、医療や法医学の知識の乏しい警察官や検察官が、自らの犯罪に関する「見立て」に従って死因や犯人を決めている面がある。

そして、多くの法医が、警察・検察が説明する犯行状況等の「見立て」の内容と、鑑定内容が矛盾しないとする供述調書の求めに応じている現状があると感じる。

ビジネスマンは成長する会社の事業計画を立てている
写真=iStock.com/greenleaf123
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/greenleaf123

■捜査の意図に合う供述調書を書かせる警察

私自身は若いころ、警察が他の法医の問題のない鑑定書を持参し、異なる意見を求められた経験、そして、自分の鑑定例について、警察の意図に合わせるように「言わされる」感じの供述調書に抵抗を感じたことから、その後、供述調書の求めには応じないできた。

いっぽうで、司法解剖に当たっては、警察に死体の発見状況や背景を詳しく聞いた上で、問題点をリストして解剖してきた。

例えば、首絞めであれば、自分の手や紐を首にあてがって、どこをどの指でどのように圧迫して損傷が生じたかを考えながら詳しく所見を記載し、写真を撮影する。所見の記載事項と写真を比べると、鑑定の正誤を評価できる。

解剖中には、解剖助手、立ち合い検察官・警察官と議論しながら、観察し、理解・整理しながら文章化し、当日中に鑑定事項や独自の問題リストに沿って暫定鑑定書を書き上げ、薬物検査等の結果を待ちながら見直した後、できるだけ早く鑑定書を提出してきた。

なぜなら、時間が経つと、所見等を忘れ、関心が薄れる上、警察・検察に見立てに合う意見を求められる傾向があったからである。

■英米圏では事実認定を重視し、日本では犯人捜しを重視する

医療事故の多くは、個人の過失よりも、病院内の運用上の問題点からエラーが発生し、チェック機構をすり抜ける「システムエラー」から発生するといわれている。

日本の冤罪や誤鑑定は、一般に、法医学者の人材難と解剖件数の少なさから生じると考えられているが、刑事司法に従属する死因究明制度のシステムエラーによると考えられる。英米法圏諸国の死因究明制度と比較してみよう。

英米法圏諸国では、各地域の法曹(コロナ―)、または、法医病理医(メディカルイグザミナー、米国都市部)の主任が死因究明全般を指揮している。そして、コロナ―は、鑑定や捜査の情報が揃うと、公開法廷で、関係者に証言させつつ、「事実を認定する」。

そして、事実に基づいて、死因と死の態様(自他殺、事故死、病死などの別)を評決し、死亡証明書(日本の死体検案書)を発行する。全ての死因究明情報は、公開が原則である。

これら、死因究明担当の行政官は、終身職で専従であり、その直属の捜査官も、看護師、救急隊員の経験者を多数含む終身・専従者である。このように、英米法圏諸国では、経験を積んだ専門家が「公の場で事実を認定し、事実に基づいて死因を究明する」。

この原則が、日本にはないため、日本で冤罪や誤鑑定が発生しやすいのである。

■専門家とのコラボとデータベースで死因究明に取り組むオーストラリア

死因究明には、医療の知識・経験、そして、日常的に医療専門家に客観的な意見を聴けるシステムが求められる。

オーストラリアのビクトリア州(州都メルボルン)では、コロナ―事務所と法医学研究所(検案・解剖機関)が同じ建物の中にあり、異なる部局の多職種の職員たちが一緒に死因を究明している。

人口450万人ほどで年間1000件ほどの救急・医療関連の全死亡例のカルテ等を、この施設に常駐する看護師・医師のチームがチェックし、週1回の検討会において、コロナ―、法医と議論をし、各々の実務に活かしている。さらに、ここで得た警鐘事例の情報を、常時、医師にフィードバックしている。そして、コロナ―は、事故の再発防止策を関係機関や社会に提言している。

なお、オーストラリアには、全国的な法医解剖データベースがあり、上記の関係者に加えて、登録した学術関係者がアクセスし、実務・学術の向上とともに、事故の再発防止に体系的に利用している。

これに対して、日本の死因究明制度は、「事実認定より犯人探し」が優先される制度である。具体的には、死因究明の統括責任者がおらず、関係諸部署間のコミュニケーションが分断されており、担当者の専門性が担保されておらず、日常、医療専門家の意見が十分聴取できない。

■「事実認定」を軽視して“見立て”を優先する裁判官

湖東病院事件は、メルボルンであれば、多くの医療関係者、法医、コロナ―が、診療経過と解剖所見を基に議論・検討し、その結果に基づいて法医病理医や法曹(コロナ―)が正しく死因を診断できるので、事件にはならない。

しかし、日本では、医療専門家がカルテをチェックすることもなく、一警察官の見立てに従った作文(供述調書)が積み重ねられて「事件がつくられた」のである。

そして、英米法圏諸国では公開される死因究明情報も、日本では検察官が刑事法廷で公開する以外には公開されず、法医鑑定や捜査情報も、関係者や専門家の目に触れない。そのため、誰も、鑑定や起訴の誤りに気づくことがない。

そのうえ、検察官は、いったん起訴すると、協力する専門家を使って有罪判決に導き、判決を維持しようとする。多くの裁判官は、医療や死因究明に関する知識・経験が乏しいのに、検察官の主張する「事実」の正否をチェックしないで、自らの「心証」(見立て)に合う判決を書ける。そして、誰からもチェックされないのである。

死因究明は、刑事捜査と切り離して、医療の一環として行うべきである。ビクトリア州のアプローチが理想的であるが、簡単に法改正はできない。そこで、法改正せずに実施できる事例検討会の有効性について最後に紹介する。

私は、以前、多数の法医、救急医と一緒に、医療を経て司法解剖となった50余りの事例について検討会を行ったことがある。次のパチンコ屋事件のように、冤罪防止に役立った事例もある。

■傷害事件の5カ月後に被害者が死亡した事例

本件では、60歳台の男性2名が、パチンコ台を取り合って殴り合いをし、5分も経たないうちにAが倒れ、大学病院に救急搬送された。CTにて脳梗塞が見つかり、救急医は、その原因を、外傷性頚動脈解離と診断した。

パチンコ
写真=iStock.com/Mlenny
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mlenny

そのため、喧嘩相手のBは、5カ月後、刑事裁判において、傷害罪で有罪の判決を受けた。

ところが、Aは判決の翌日、死亡した。診療経過を見ると、死亡の約1カ月位前から肺炎の病状が悪化し、食事を口から摂取できなくなったので、頚部の静脈にカテーテルを挿入したが、直後、急速に容態が悪化したのだという。

担当検察官が、被害者の死が暴行に起因するか否かの判断に依って、傷害致死で起訴するか否か、拘留期限(20日間)中に決めたいので、司法解剖を担当した私に早く判断して欲しいと要望した。そこで、解剖の翌週、事例検討会において検討した。

外傷性頚動脈解離とは、頚部の打撲により頚動脈の中膜が裂け、そこに血栓が生じる病態である。この血栓が脳動脈を詰まらせ脳梗塞を生じる。そして、脳梗塞患者は、意識障害のため、肺炎を起こしやすい。

このように、暴行の最中、あるいは、暴行後間もなく容態急変が急変した場合、暴行と容体急変との間に、実際には因果関係はないのに、裁判では因果関係が認められることが多い。しかし、解剖してみると、暴行と無関係の原因によって容態が急変していたと判明する事例が少なくない。

■検討会を実施したことで冤罪を防ぐことができた

本件では、診療に当たった救急医が外傷性頚動脈解離と診断した部に、解剖・組織検査上、そのような損傷を認めず、亀裂を伴う強い動脈硬化を認めた。このように、解剖は、臨床上の誤診を訂正することが少なくない。

なお、本件では、死亡当日、カテーテル挿入後間もなく容態が急変したので、医療行為と死亡の因果関係も問題となったが、診療経過の分析により、肺炎の病状の悪化と判断された。

Aが入院した直後のMRIを脳外科医に見せると、喧嘩の際に発生したと考えられる新鮮で大きい急性梗塞に加え、少し前に発症していた亜急性梗塞の存在を指摘された。時期の異なる脳梗塞の反復は、共通の血栓源の存在を示唆する。

その原因として、Aの心房細動の既往から、心房内の血栓が、喧嘩の最中、急性脳梗塞を生じさせたこと、亜急性梗塞も心房由来の血栓によるものと衆議が一致した。つまり、Aの死因はBとの喧嘩とは無関係のものだったのである。

検討会に参加した担当検察官は、議論を聞いて理解し納得した様子であり、Bを傷害致死罪で起訴することを止めた。

本件では、診療を担当した有名大学病院の救急医が、外傷性頚動脈解離が脳梗塞の原因であると断定し、検察官・裁判官がこの意見を受け容れた。その結果、傷害と脳梗塞の間の因果関係が認められ、喧嘩相手の被告人Bは傷害罪の有罪判決を受けた。

ところが、事例検討会において、脳梗塞の原因が心房細動であると衆議が一致したことから、Bは傷害致死罪を問われず不起訴になったのである。

■冤罪を防ぐためには「検討会アプローチ」を実現すべき

本件において、検討会を行わなければ、検察官が、当初の救急担当医の結論を追認して起訴し、Bは傷害致死の罪を問われた可能性が高い。

吉田謙一『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』(岩波書店)
吉田謙一『法医学者の使命「人の死を生かす」ために』(岩波書店)

なぜなら、警察官や検察官は、専門家に意見を聞く時、一人ひとり、最初の見立てを前提に聞くので、「○○大学の救急医がいうなら、ありえない事ではない」と答えた可能性が高いからである。

この事例に関する検討会の経験から、一流病院や大学の専門家や権威の意見を妄信して法的判断することの危険性が痛感される。

そして、客観的・公正な医学的判断のためには、複数の経験豊富な救急医と法医が先入観なく、容態急変を含む診療経過、既往症、画像、解剖所見を自由に議論しながら検討しなければ、正しい医学的結論を導けないことが明らかである。

現状では、司法解剖の情報公開を禁じる法の壁に阻まれているが、冤罪を防ぐためには、事例検討会のアプローチの実現が求められる。

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吉田 謙一(よしだ・けんいち)
東京大学名誉教授、大阪府監察医務監
1953年生まれ。愛媛大学医学部卒業。医学博士。専門は、法医学、研究分野は、虚血・ストレス・中毒の病態生理学・生化学。山口大学医学部教授(1992~1999年)、東京大学医学部教授(1999~2014年)、東京医科大学教授(2014~2019年)を歴任。主な著作に、『法医学の使命 人の死を生かすために』(岩波新書、2021年8月刊)、『事例に学ぶ法医学・医事法〔第3版〕』(有斐閣、2010年)がある。

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(東京大学名誉教授、大阪府監察医務監 吉田 謙一)

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