「あいつだけは許せない」ベテランタクシー運転手が見た有名コメンテーターの"裏の顔"
プレジデントオンライン / 2021年9月26日 11時15分
※本稿は、内田正治『タクシードライバーぐるぐる日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■銀座にはタクシーに乗ってはいけない場所がある
銀座は日本でもめずらしい特別地区で、区域と時間によって指定の場所以外ではお客を乗せることができない。
同僚の中には、銀座のお客は長距離の紳士が多いからと好んでいる人もいた。私はその複雑なルールがあいまいだったので近づかないようにしていた。でも、よその場所で乗せたお客から「銀座並木通り」と言われれば行くしかない。
このあたりはタクシーセンター(東京のタクシーの登録、指導、研修などを行っている公益財団法人)の係員による巡回が頻繁に行われていた。万一、指定場所以外でお客を乗せているのが見つかれば、乗務停止処分や、2日に及ぶ研修を受けなければならなくなる。
銀座でお客を降ろすと、私はすぐ表示板を「回送」に切り替え、ドアもロックして逃げるようにその場から移動していた。某大学の学長を乗せて、赤坂、銀座と丸々一日同行したことがある。
夜9時すぎに銀座のあるクラブ前で降りると、「戻ってくるまで待っていて」と言う。しかし、夜の銀座に路上駐車で待機する場所などない。
どうしようかと困っていると、学長は「ひと回りして、5分ほどしたらまたここに戻ってきてくれればいい」と言う。言われたとおりグルッとひと回りして戻ってくると、ポーターと言われる駐車管理人によって、公道にもかかわらず、私のためのスペースが確保されていた。公道なのにこのような暗黙のルールがあるのも銀座ならではのことであり、学長はそのルールを使えるほどの常連客なのであろう。
■「あのハゲ、また触ってきたね」
男性が私のタクシーに手をあげた。銀座の外れ、乗車禁止地区内ではない京橋付近でもあり「空車」で走っていた。60代で頭髪はかなり薄くなっていたが、恰幅(かっぷく)の良い紳士だった。
彼自身は乗らず、タクシーチケットを手渡してきた。「これで彼女たちを送ってやって」そう言うと、後ろに控えていたホステス風の3人の女性に、「おう、俺がタクシーを見つけてやったぞ」と大声で呼びかけた。
ホステスたちはその紳士に「おかげでタクシーで帰れます。ありがとうございました」と口々に礼を言いながらクルマに乗り込んできた。クルマが走り出すと、上機嫌で外で手を振る紳士に、にこやかに手を振り返しながら、「あのハゲ、また触ってきたね」「あいつ、いっつもそうだから」さっきとは打って変わった口調で言い合っていた。
彼女たちには私の存在など眼中にないのであろう。お客の悪口合戦はそれぞれの家に着くまで延々と続いた。銀座での仕事はそれほど多くなかったが、こうしたキツネとタヌキの化かしあいを見られるのも、この地の醍醐味(だいごみ)だった。
■理不尽に怒鳴り散らす有名女性コメンテーター
班長のひとり、50代で痩身(そうしん)に丸メガネをかけた篠崎さんは誠実な人柄で私も尊敬していた。あるとき、その篠崎さんが私に「客の中で一人どうしても許せない奴(やつ)がいましてね」と話しかけてきた。
ふだんの篠崎さんは紳士然とした人物で、お客ばかりか同僚の悪口を話すのを聞いたこともない。彼がそこまで言うのならよほどのことがあったのだろうと、興味津々でその話の先を聞いた。
「奴」とは有名な女性コメンテーターだった。篠崎さんは無線で呼ばれ、「奴」の住むマンションに行った。都心の大規模なタワーマンションだったという。そこで彼女を乗せて目的地に向かう。タワーマンションの地下駐車場は広く、複雑なところが多い。篠崎さんは出口がわからず、彼女に「出口はどこでしょう?」と尋ねた。
「そんなこと私が知っているわけないでしょう!」
彼女は突然、大きな声で怒鳴りつけた。行き先は横浜市青葉区にある緑山スタジオだった。目的地付近に着き、念のため篠崎さんが「あの建物でしょうか?」と問うと、「初めてなんだから、私にわかるわけないでしょう!」と、また大声で怒鳴られた。
篠崎さんのクルマに乗っているあいだ、彼女が発したのはその二言だけだったという。篠崎さんは20年以上この仕事をしているが、酔客でもない客から、自分のミスでもないのに一方的に怒号を浴びせられたことなどないと悔しがっていた。
まるで奴隷か下僕にでも対するような言い方だったらしい。そんな「奴」がふだんは庶民の味方のような顔をしてテレビに出演している。タクシーという密室がそうさせるのか、ふだんなら絶対に見せないであろう顔をのぞかせることがある。それが彼女の本性なのかどうか。
それ以来、篠崎さんは「奴」が出てくるとテレビのチャンネルを替えるようになったという。テレビに出ている人がみなこのような仮面をかぶっているわけではないだろうが、私もこの話を聞いてから、テレビで彼女を見ると「あなたの美辞麗句はウソっぱちばかりで、どんなに偉そうなことを言っても説得力はないよ」と思うようになった。
■ドライバー役でテレビドラマに出演
テレビといえば、私もドラマに出演したことがある。エラソーにドラマに出演といっても、出演するのはクルマだけで私は映らない。ある女優をクルマに乗せるだけのドライバー役である。どういうわけか、たまたま私が会社から指名された。
会社から指示されたのは、撮影日当日、朝9時に江東区の夢の島公園で待機というだけであった。私は指示どおり、9時少し前に現地に到着して、その場にいた関係者にあいさつをした。
「ここで待っていてください」と言われたきり、何時間もそのままだった。そこからは撮影現場も見えない。いつ呼ばれるかわからないので、タクシーを離れるわけにもいかない。
昼すぎにADと思われる若者が弁当を届けてくれた。スタッフ用のものなのだろうか、いつも私が食べる弁当よりも少しだけぜいたくな仕出し弁当だった。弁当を食べ終わると、またすることがない。いつお呼びがかかるか、またどんなことをすればいいのか、なんの説明もないまま、不安な思いでひたすら待った。
無為に時間がすぎていくのを待つのはむなしい。こんなことなら文庫本でも持ってくればよかった。日が傾いてきたころ、ようやく撮影スタッフの集団がやってきて、あわただしくセッティングが始まった。
■汗だくになりながら車内で女優を待つ
リハーサルで主演女優が乗り込んでくる。私は運転席でドアを開け、無言でそれを迎える役のようだ。女優はタクシーに乗り込むと、「やだぁ、このタクシー、エアコン入ってるじゃない」と言って、すぐに降りてしまった。真夏だったこともあり、外から来るのは暑かろうと思い、設定温度は低めにしてあった。若いスタッフが飛んできた。
「運転手さん、すみませんけど、すぐエアコン切ってください。撮影終わるまでエアコンつけないでいてもらえますか」
女優に冷房はいけないものなのだろうか。そのドラマのスポンサーが、ある自動車メーカーだということで、私の乗務しているクルマのロゴマークが黒いテープで覆い隠された。その作業を車内で待つ。
エアコンの切れた車内はまたたくまに気温が上昇し、汗が噴き出してくる。いよいよ本番となる。車内に再びその女優が乗り込んだ。ここで私が外に出て、いつもどおり黒タク基準のドアサービスをしたら怒られるだろうな、などと余計なことを考えた。
■実質10分で3万円の日当が支給された
彼女が降りたあと、タクシーが走り去っていくシーンが撮影された。一発OKだった。撮影はこの一回だけで無事に終了した。10時間待って10分ほどの仕事だった。会社がどのような契約をしたか知るよしもないが、通常の日当(3万円)を得た。実質10分だけで1日分の日当なので割のいい仕事といえなくもないが、ふだんの乗務のほうが充実感があった。
この撮影は私が帰った後も夜遅くまで続いていたらしい。何人もの若者たちがやぶ蚊の中で夜中まで働く姿は好きでなければできない仕事だと思った。それにしてもスタッフたちの主演女優とスポンサーへの気づかいは半端ではなかった。どこの世界にもその世界なりの気苦労があるのだろう。
後日、社報に「ついに黒タク、テレビドラマ初出演!」の文字が私の名前と写真付きで載った。しばらくのあいだ、それを見た同僚から「いい仕事したらしいね」とからかわれた。
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元タクシードライバー
1951年埼玉県生まれ。大学卒業後、家業である日用品・雑貨の卸業を継ぐべく専務として勤めるものの会社が倒産。両親と息子を養うため、50歳のとき、タクシードライバーに。以来、65歳で退職するまで15年間にわたり1日約300キロを走行。現在はコロナ禍による元同僚たちの苦境に思いを馳せながら、おひとりさま生活の日々。
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(元タクシードライバー 内田 正治)
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