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「三代住んでも"よそ者"扱い」山梨の田舎に移住して直面したしんどい人間関係

プレジデントオンライン / 2021年9月28日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Takshi Iwai

都会から田舎に移住するとき、どんな点に気をつけるべきか。小説家の樋口明雄さんは「私が移住した山梨の田舎は、三代住んでもよそ者扱いされるような排他的な土地だった。地元民と距離を縮めるため、とにかく挨拶と笑顔を絶やさず、根気よくコンタクトをとり続けた」という――。

※本稿は、樋口明雄『田舎暮らし毒本』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■徹底して内外を区別する山梨

山梨ではよそ者のことを“きたりもん”という。

よそから来た人間という意味だが、いかにも排他的な言葉だし、どうしても好きになれない。私自身は、それを地元の人から面と向かっていわれたことがない。しかし私の周囲ではそういい放たれたという知人が何人かいる。

何しろ、“三代住んでも、きたりもん”といわれるそうだ。

そこまで内外の区別が徹底されるということだろう。

では、山梨以外のよその土地はどうかというと、それぞれの土地で事情が違う。

たとえば富山県には釣りの師匠にあたる知人夫妻が住んでいて、彼らを頼ってよく長期滞在したものだが、あちらの人間はかなり印象が異なる。どこかのんびりしているのである。

車の運転ひとつ見ても、双方の違いは明らかだ。山梨のドライバーは“甲州ルール”あるいは“山梨ルール”という言葉があるように、身勝手な人間が多く、粗暴でせっかちだ。だから一般道を走っていても、しばしば後ろからあおられたりする。

もちろん富山にもよそ者をさす言葉があるが、あちらでは“旅の人”といわれる。そのほうが言葉が柔らかだし、親しみがこもっている気がする。いかにも相手を突き放したような“きたりもん”とは、あまりにニュアンスが違う。

■挨拶を返されるまで三~四年ぐらいかかった

私はこの土地に移住してきた当初から、猟友会や他のハンターたちと戦ってきた。

あいつはマスコミを連れてきたと地元民からいわれたが、それは事実である。そのおかげで我が家の周囲は銃猟禁止区となった。

ここらの田畑が荒らされるのはお前のせいだ――と面と向かっていわれたことはないが、そんな噂が流れていたということは知っている。

とにかくよそ者が地元で、勝手に目立つことをするのが嫌いなのである。

私はサルの群れの生態調査をボランティアでやったり、愛犬とともにモンキードッグの訓練を受け、市内各地で野生ザルの群れを追い払う活動をしてきた。その土地その土地で農家の人々から感謝の言葉を投げられたが、ついぞ地元からの出動要請は一度もなかった。

仕方なく自主的に活動し、サルたちが山を下りてくるたびに出動して、私と犬とで追い払った。そのため、地元の圃場でサルによる農業被害はきわめて少なくなったはずだ。つまり、訓練された犬とハンドラーのペアがいれば、里の農地は守れるのである。

当初、地元の人たちはなかなか受け入れてくれなかった。

里を散歩して挨拶して、ちゃんと返してくれるまで三年から四年ぐらいかかった。いつだって無表情でぶっきらぼう、たまに言葉を交わせばタメ口である。

――あんた、どこから来た。何をしてる人だね?

そんないい方が日常だった。

■挨拶と笑顔を絶やさず、根気よくコンタクトをとる

中には当初から心を開いてくれる地元民もいたが、明らかに少数派だった。

毎朝、子供をスクールバスのバス停に送っていた。その道すがら、毎度のようにすれ違う人がいた。明るくおはようございますと声をかけても、まったく返事をしてもらえない。目を合わせることすらしない。

それでも子供といっしょに元気に声をかけ、挨拶を続けていると、ようやく地味ながら返事をくれるようになった。そのうちに少し笑顔も見せてくれるようになった。

今では道端で立ち話ができる間柄である。

あきらめて、こちらから縁を絶ったらそうはならなかっただろう。

とにかく挨拶と笑顔を絶やさず、根気よくコンタクトをとり続けることだ。

かなりしんどいが、他に方法がないのである。

■葬儀で働いても「お疲れ様」の一言もない

ここらでは行政の最小単位は「区」といわれる。

町や村はいくつかの「区」でできている。その「区」はさらに住民単位である「組」に分かれる。数軒から十数軒ぐらいの家がひとまとめにされて、それぞれ割り振りが決まっている。

区で行われる催しや行事、作業などは、「組」単位で輪番制の当番となる。

この土地で暮らし始める前、仮住まいをしていた八ヶ岳南麓の村では、地元の「組」に入らないとゴミ出しができなかった。

その「組」に入ってじきに近所の老人が亡くなり、葬式の手伝いにかり出された。

朝から晩まであれやこれ汗水流して働いて、無事に葬儀を終えてホッとしたが、「お疲れ様」のひと言もない。翌日から、また元通り、無愛想な顔を向けられるばかりだった。

地元の人たちとの関係って、こんなもの? と、さすがにがっかりした。

■移住者たちも変人ぞろい

ところが今の土地は、そこまで深い付き合いを強要されない。

逆に、よそ者をあまり村内に入れたくないような印象があった。

ゴミ出し当番にはくわえていただき、資源ゴミつまりリサイクル供出の手伝いをしたり、ゴミステーションのカギ開け当番をするぐらい。区費もとられないが、地元消防団の消防負担金だけは徴収された。それぐらいの関係である。

そんな中で、「あいつは愛護団体だ」とか「あいつがマスコミを呼んだおかげで、田畑が獣に荒らされるようになった」などという噂が流れた。それでも、直に何かをいってこられたことはなく、むしろ互いの関係はドライなままだったといえる。

それはひとえに我が家が地元民の集落からかなり離れた場所に位置していたからだろう。もしも集落の中に家族と住んでいたら、きっと周囲からの視線や陰口に耐えられなかったはずだ。

一方、私が住んでいる地区の移住者たちは、自分も含めて変わり者が多く、きわめて変人ぞろいである。私が移住してくる前の話だが、彼らは地元から「組」という単位でまとめられることを嫌った。

そうすると「組外」と呼ばれるようになって、さらに臍を曲げた。

そんなわけで自分たちをどういうわけか、「チロリン村」といい、その「村民」といっていたが、いつの間にか代替わりをして、私がこの「チロリン村」の「村長」に押し上げられてしまった。

■移住者は自然を求め、地元民は便利を求める

村八分にされたという話は、今でもたまに聞く。

意味としては、葬式と火事以外の八種類の交際を断つ――だから村八分なのだそうだが、真相は定かではない。

しかし、それはそもそも村内のことで、よそから来た部外者を村八分というのは妥当ではない。もともとのアウトサイダーを仲間に入れないのであれば、単純な拒絶である。

この国の村落では当たり前のようになされることだろう。

よそ者はやっぱりよそ者なのである。

郷に入れば郷に従えという諺があるが、いくら従っても、あちらは本心から自分たちを信じてくれるわけではない。だいいち、何でもかんでも地元に従うなんてやり方のほうが無理がある。

考えてもみてほしい。

たとえば自然豊かなこの土地。我々はその自然を求めて都会から移住してくる。ところがもともとここに暮らしていた人々にとって、自然とは不便さの代名詞なのである。

紅葉
写真=iStock.com/Panuwat Dangsungnoen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Panuwat Dangsungnoen

彼らと話していて、「近くにスーパーができたから良かったね」とかいわれる。つまり、常に地元民は“便利”を求めているのである。

たしかに二十年前、物流が今のように発達していなかった頃、ここらで魚といえば冷凍庫の蓋を開けてカチンコチンに凍り付いた魚を買っていた。それが今、地元のスーパーの食品棚には新鮮な刺身がずらりと並び、ときとして“マグロの解体ショー”までもが行われている。

時代が変わったといえばそれまでだが。

■お互いの間にある壁の原因

ここで必要なのは、お互いの“距離感覚”の維持である。

すなわち――近づきすぎても離れすぎてもダメ。適度な距離を保って適度に付き合う。

しかもその距離はTPOによって調整する。そこが大事。

旧住民たちの気持ちもわかる。

自分たちの先祖が開拓し、さまざまな艱難辛苦を経て、必死に守り、生き抜いてきた土地である。そこにのほほんと移住者がやってくる。嬉しいはずがない。

斜にかまえた態度を取られたり、いやな顔で見られるのは仕方ないことなのだ。

たいていの場合、お互いの間にある壁は、お互いのことを知り合えないのが原因だということ。

だから、じっくりと膝を交えて話し合う機会を持つことが大事。

また、新旧住民はどちらもけっして一枚岩ではなく、いろんな人がいる。少しでもこちらのことに理解を見せてくれる旧住民も少ないながらもいて、よくお酒を持ち込んで、夜中まで話し合いをしたものだった。

実際、そういう人たちがお互いの間の緩衝材として動いてくれたことはたしかだろう。

■子供という共通項目が互いの壁を低くしていった

我が家と地元集落の距離感が少し縮まったのは、地元の子供会のおかげだった。

お子さんらを持つ親御さん同士が集い、いっしょにイベントをする。子供会の親子レクレーションをやったり、通学のバス停の刈り払いを親同士で行ったりする。

最初はお母さんたちが仲良くなり、参加するお父さんたちも交流ができる。

子供という共通項目で、新旧住民が分け隔てなくひとつの行事をする。それが互いの間にあった壁を少しずつ低くしていったような気がする。

私の住む地区では、毎年恒例の行事として子供神輿がある。

樋口明雄『田舎暮らし毒本』(光文社新書)
樋口明雄『田舎暮らし毒本』(光文社新書)

小さな神輿を子供たちが担ぎ、「わっしょい、わっしょい」と声を合わせながら、地区を回ってお賽銭を集めるのである。それを毎年やっているうちに、地元の人たちから「お疲れ様」「ご苦労様」と声をかけられるようになった。

地元との親子レクでも、昔はボウリングとか、ありきたりのイベントばかりだったが、私たちが参加するようになって、フライフィッシング教室をしたり、体験イベントでカヤックに乗ってみたり、そんな試みをやってきた。

旧住民の親御さん方にとっては、かなり新鮮な体験だったようだ。

私たち移住者との付き合いがなければ、きっと一生経験できなかったことだろう。

地元のお母さんがお子さんとふたり、楽しそうにカヤックをこいでいた光景は、今でも忘れられない。

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樋口 明雄(ひぐち・あきお)
小説家
1960年、山口県生まれ。雑誌記者、フリーライター等を経て小説家に。山梨県北杜市在住。作家業のかたわら野生鳥獣保全活動に従事。趣味は渓流釣りと登山。松濤館流空手初段。2008年『約束の地』(光文社)で第27回日本冒険小説協会大賞および第12回大藪春彦賞。13年『ミッドナイト・ラン!』(講談社)で第2回エキナカ書店大賞を受賞。代表作は『南アルプス山岳救助隊K‐9』シリーズの他、『サイレント・ブルー』(光文社)、『還らざる聖域』(角川春樹事務所)、『ストレイドッグス』(祥伝社文庫)など。同じくアウトドアや田舎暮らしの悲喜こもごもを描いた『目の前にシカの鼻息』(フライの雑誌社)がある。

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(小説家 樋口 明雄)

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