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「なぜアフガニスタンはずっと揉めているのか」その本質は"民族問題"にある

プレジデントオンライン / 2021年9月29日 15時15分

アフガニスタンの首都カブールの混雑した市場を歩く人々(2021年6月21日撮影) - 写真=AFP/アフロ

■ほぼ7割を占める「イラン系」の2民族

2021年8月15日、アフガニスタンのタリバンが首都カブールを制圧して以降、同国は混乱の中にあります。アフガニスタン人とはいったい、どのような人たちなのでしょうか。その民族の歴史を紐解いていきます。

アフガニスタンには、パシュトゥーン人やタジク人などのイラン系民族が多く居住しています。アフガニスタンの最大民族はパシュトゥーン人で、全人口の約4割を占めます。タリバンもパシュトゥーン人の出身者がほとんどです。逃亡したガニ元大統領やカルザイ元大統領もパシュトゥーン人です。「アフガン」はパシュトゥーン人の別称で「山の民」を意味します。「スタン」とは「~の土地」を意味するペルシア語です。

タジク人はパシュトゥーン人に次いで多く、全人口の3割弱を占めます。タジク人はアフガニスタンの北側の隣国、タジキスタンにおける最大の民族です。

パシュトゥーン人やタジク人はかつてのソグド人などの、古代イラン系民族の血統を引いていると考えられます。元の時代の中国では、ウイグル人やチベット系タングート人などの中国西域に住む人々とともに、「色目人」と呼ばれまていました。

■アレクサンドロス大王の正妃になった豪族の娘

紀元前4世紀、未知の地への夢と野望に駆られてギリシアからアフガニスタンにやって来たアレクサンドロス大王は、この地域のイラン系民族と激しく戦い、苦戦の末、ようやく平定しました。大王は彼らを懐柔するため、アフガニスタン北部バクトリアのイラン系豪族の娘ロクサネを正妃に迎えています。

インド遠征の足場となるアフガニスタンは戦略的に重視され、アレクサンドロス大王は数万人のギリシア人兵士を置いています。彼ら兵士と現地のイラン系民族との結婚が奨励されて、この地域をギリシア化しようと試みました。

大王の武将であり、後にセレウコス朝の創始者となったセレウコス1世もまた、現地のイラン系豪族の娘アパメーと結婚しています。結婚がさかんに行われたのは、こうした戦略上の理由からだけでなく、アフガニスタンの碧眼(へきがん)の女性たちが極めて美しかったということも、大きな理由の一つだったでしょう。

■入り組んだ山岳地帯に点在する部族社会

上記のパシュトゥーン人、タジク人に加え、後述するバルチ人と呼ばれる人々(米中央情報局の2013年の推計で人口の約2%、以下同)などを含むイラン系民族は、アフガニスタンの人口の8割近くを占めています。それ以外の少数派として、トルコ系のウズベク人(ウズベキスタン最大民族、人口の9%)やトルクメン人(トルクメニスタン最大民族、3%)、民族的ルーツとしてはモンゴル系だがイラン系の言語を話すハザーラ人(9%)などが存在しています。

アフガニスタンの谷
写真=iStock.com/christophe_cerisier
アフガニスタンの山岳地帯 - 写真=iStock.com/christophe_cerisier

アフガニスタンは入り組んだ山岳地帯であり、各地域が孤絶された中にさまざまな部族が点在し、それぞれが独立勢力を形成していました。同じパシュトゥーン人やタジク人の中でも、多数の部族に分かれていたわけです。

パシュトゥーン人はアフガニスタン南部のカンダハルを本拠にしています。パシュトゥーン人勢力のタリバンもやはり、カンダハルを本拠にしています。タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ師はカンダハルに生まれ育ったとされます。タリバンの報道官は「(アクンザダ師は)カンダハルにいる、最初からずっとそこに住んでいる」と述べています。

「カンダハル」は「アレクサンドロス(Alexandoros)」の「Ale」が落ちて「xandoros」が転訛(てんか)したとの説がありますが、これは俗説の類いでしょう。仏教が隆盛したことで有名な「ガンダーラ」が転訛したとする説もありますが、これも俗説です。ガンダーラ地方はカンダハルよりもずっと東北のパキスタン北部を指し、地理上の位置に合いません。

■戦いには強いが統治は苦手

歴史的に、パシュトゥーン人は精強な民族として知られます。そのほとんどの期間は各部族同士で対立していましたが、ひとたびまとまれば、強大な力を発揮しました。

1709年、パシュトゥーン人のホータク族が各部族をまとめ、カンダハルにホータキー朝を樹立します。王はイラン流の「シャー」を名乗りました。ホータキー朝はイランのサファヴィー朝に侵攻し、1722年、王都イスファハーンを占拠します。イランに200年以上君臨したサファヴィー朝を滅亡させたのはパシュトゥーン人でした。

ところが、パシュトゥーン人は行政執行などの統治能力をほとんど持たず、イランで略奪・虐殺を行うのみでした。行政能力を持たないのは今も同じで、タリバン政権はパキスタン人の有能な官吏を招聘(しょうへい)し、行政を執行させていると言われています。イランで人心を失ったパシュトゥーン人は1729年、「ペルシアのナポレオン」と呼ばれたナーディル・シャーに敗退し、イランから撤退します。

■18世紀に初の統一王朝が誕生

その後、アフガニスタンで、1747年、ドゥッラーニー族がパシュトゥーン各部族をまとめ、ドゥッラーニー朝を樹立します。これがアフガニスタン全域を支配した最初の王朝です。ただし依然、有力部族が割拠する状況が続いており、王は部族長たちの取りまとめ役にすぎませんでした。

アフマド・シャー・ドゥッラーニーの肖像画
アフガニスタン全域を支配した最初の王朝、ドゥッラーニー朝を興したアフマド・シャー・ドゥッラーニーの肖像画(1757年頃制作。フランス国立図書館蔵。)(写真=フランス国立図書館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

当初、王都はカンダハルに置かれていましたが、1776年にカブールに遷都されます。カブールが本格的に都市整備されはじめるのは、この頃です。

それまでは、パシュトゥーン人の本拠カンダハルのみを押さえていれば良かったのですが、アフガニスタン全土を統治する王朝として、インドや中央アジア、さらに中国をつなぐ交通の要衝カブールの戦略的地位が重視されました。

1826年、王家が分裂し、分家が王位を簒奪(さんだつ)する形で、新たにバーラクザイ朝が成立します。1834年、国名を「アフガニスタン首長国」として、「アフガン」の呼称が初めて使われます。このバーラクザイ朝が1973年まで続く長期王朝となります。

■ソ連を追い出した後に2大民族が激突

1973年にバーラクザイ朝の王政が崩壊した後は混乱状況が続き、1978年、アフガニスタン人民民主党による共産主義政権が成立。1979年、ソ連軍が人民民主党政権を支援するために軍事介入すると、アフガニスタンのイスラム主義者たちが各地で、反政府ゲリラを組織します。

彼らは「ムジャヒディーン」と呼ばれていました。「ムジャヒディーン」は「ジャヒード」つまり「ジハード(聖戦)」を行う者「ムジャーヒド」の複数形です。ムジャヒディーンはアメリカによる武器支援などもあり、ソ連軍を追い詰め、遂に撤退させます。

ムジャヒディーンは一つにまとまっていたわけではありません。大きく、タジク人とパシュトゥーン人の二つの派閥に分かれていました。タジク人を率いたのは、日本でもよく知られているアフガニスタンの英雄アフマド・シャー・マスードです。パシュトゥーン人を率いたのがグルブッディーン・ヘクマティヤールです。

彼らは協力して、人民民主党政府を駆逐し、1992年、ムジャヒディーン政権を樹立します。しかし、政権内部で、すぐに利害対立が表面化し、内戦となります。マスード派は、数の上で圧倒的多数であったヘクマティヤール派と互角に戦いました。マスードはタジク人を一致団結させていたのに対し、ヘクマティヤールはパシュトゥーン人をまとめ切れていませんでした。

■パキスタン当局の工作で生まれたタリバン

このアフガニスタンの混乱の状況に介入したのが隣国のパキスタンです。パキスタンは一枚岩でなかったパシュトゥーン人勢力に接近し、切り崩し工作を図ります。パキスタンの宿敵は建国以来、インドです。1947年、イギリスの支配から、インドとパキスタンが分離独立して以来、印パ戦争を起こし、対立は今でも続いています。パキスタンはインドと対抗するために、背後のアフガニスタンに親パキスタン勢力を構築する必要がありました。

パキスタンの諜報部は若いパシュトゥーン人を支援し、彼らを軍人として訓練・養成します。彼らは学生の年代であったため、「タリバン」と呼ばれます。パシュトゥーン語で「学生」は「タリブ (Talib)」であり、「タリバン」は「学生たち」という意味になります。

■パシュトゥーン人とタジク人の終わりなき争い

パキスタンの支援によって生まれたタリバンは、1992年以降アフガニスタンで急速に勢力を拡大させていきます。部族間の争いに明け暮れていたムジャヒディーンは人々の支持を失い、代わって、タリバンが支持を集めます。ヘクマティヤール派のパシュトゥーン人も、タリバンに合流した者が多くいたとされます。

北部のタジク人はマスードを中心に、タリバンに対抗するため、北部同盟を結成します。しかし、彼らもタリバンの勢いを止めることができず、1996年、タリバンはカブールを占領。政権を掌握しました。ちなみに同年、タリバン政権はアルカイダのオサマ・ビンラディンを国内にかくまい、同組織と連携していきます。

2001年9月9日、マスードはジャーナリストを装った人物の自爆テロで暗殺されます。その2日後、アルカイダによる9.11同時多発テロ事件が発生。それを受けたアメリカを中心とする「有志連合」の攻撃によって、第一次タリバン政権は同年12月に崩壊しました。

タリバンが再び政権を掌握した現在、マスードの息子アフマド・マスードJr.がタジク人勢力を率いて、カブール北部のパンジシール渓谷でタリバンに徹底抗戦していると伝えられています。パシュトゥーン人とタジク人の争いは終わりが見えません。

■13世紀半ばのイル・ハン国の末裔であるハザーラ人

さらに、この対立構図の中に、アフガニスタン中央部に居住するハザーラ人が加わります。ハザーラ人はモンゴル系で、チンギス・ハンの孫フラグが13世紀半ばに建国した、イル・ハン国のモンゴル人の子孫と考えられています。

ハザーラ人の子どもたち
学校に通うハザーラ人の子どもたち(2019年6月29日撮影)(写真=Temorhamid2019/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

イル・ハン国は現在のイランとその周辺地域を本拠としていたため、ハザーラ人はイランの影響を強く受け、イスラム教シーア派を信仰しています。そのため、スンナ派が多数のアフガニスタンではたびたび差別や迫害の対象になり、タリバンによっても弾圧されています。

イランは以前からハザーラ人に人道的・軍事的支援を提供しており、今後もハザーラ人を通じてアフガニスタンに影響力を及ぼそうとするとみられています。一方で、かつて対立していたタリバンとも、近年はタリバン幹部とイラン要人の接触が報じられるなど、関係構築に向け動いているようです。

■中国の介入にも民族問題が関連

7月28日、タリバン幹部と中国の王毅外相が天津で会談を行いました。この動きの背後にも、アフガニスタンの民族問題が見え隠れします。

パキスタンはインドに対抗するため、中国と友好関係を構築しています。今回、パキスタンが支援するタリバンが再びアフガニスタンの政権を握ったことで、パキスタン・中国・アフガニスタンの三国協調関係が成立する見通しです。

タリバン幹部と王毅外相の会談では、中国がタリバンを支援する代わりに、中国国内のウイグル人問題にアフガニスタンは介入しないという相互密約が交わされたと考えられます。

アフガニスタンはワハン回廊を介して、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区と接しています。ウイグル人の中国からの分離独立を目指すイスラム主義組織、東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)が、タリバン政権に今後どのようにコミットするかが注目されます。その行方次第によっては、中国とアフガニスタンが対立する可能性もあります。

■「三国協調」の不安定要因となりうるバルチ人

ウイグル問題に加え、今後アフガニスタンと中国との関係で鍵を握りそうなのが、パキスタン西部からアフガニスタン南西部に居住するバルチ人の存在です。バルチ人の住むエリアは「バルチスタン」と呼ばれます。

バルチ人もやはり、イラン系です。彼らはかつてカラート藩王国(1638年~1955年)を形成し、インドのムガル帝国とイランのサファヴィー朝の間に挟まれながらも、巧みな外交を展開し、両勢力に屈服しませんでした。

1947年、イギリスのインド統治が終了すると、バルチ人は元々インドに属していなかったとして、その後独立したインドやパキスタンに組み込まれるのを拒否。パキスタンも当初は、バルチスタンの独立を認めていました。

しかし、その後パキスタンは方針を転換。バルチスタンに軍事侵攻し、1955年には一方的に併合してしまいます。バルチスタン州には石炭や天然ガスなどの豊富な資源があり、それらが狙われたのです。バルチ人はバルチスタン解放軍を結成し、独立運動を活発化させます(ちなみにパキスタンでは、インド・アーリア系のパンジャーブ人が最大民族です)。

■バルチスタンの中国権益を狙うテロも発生

パキスタンは中国との協調の中で、バルチスタン州における中国資本の進出を容認しています。中国は、バルチスタン州のグワダル港を40年間借り受ける契約をパキスタン政府と結んでおり、バルチスタンの資源を買い込んで、この港から運び出しています。

8月20日、グワダルで中国人を狙った爆弾テロが発生し、中国人1人が負傷。事件直後にバルチスタン解放軍が犯行声明を出しました。この件にみられるように、バルチ人はバルチスタンへの中国の進出に激しく抵抗しています。

アフガニスタンと同様にパキスタンも多民族国家であり、国全体が親中の一枚岩で一致しているわけではありません。こういう複雑な民族間の事情が、中国・パキスタン・アフガニスタンの三国協調にほころびをもたらす可能性もあります。

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宇山 卓栄(うやま・たくえい)
著作家
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家。テレビ、ラジオ、雑誌、ネットなど各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。近著に『朝鮮属国史――中国が支配した2000年』(扶桑社新書)、『「民族」で読み解く世界史』、『「王室」で読み解く世界史』(以上、日本実業出版社)など、その他著書多数。

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(著作家 宇山 卓栄)

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