「なぜワクチンのデマが拡がるのか」接種のメリットを人間が合理的に判断できない理由
プレジデントオンライン / 2021年9月29日 9時15分
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 8杯目』の一部を再編集したものです。
■コロナワクチンは理論上、“いいとこ取り”である
そもそもワクチンとは何か。千酌教授の解説はこうだ。
「人の体には、もともと病原体――細菌やウイルス――に対する免疫力が備わっています。ワクチンは、病原体そのもの、あるいは病原体の破片を与えることで人の免疫系を刺激して、病原体に強い体にする働きを持っています」
病原体そのもの、あるいは病原体の破片を入れると聞いて、ドキッとする人がいるかもしれない。しかし、過剰な心配は不要だ。
「病原体そのものを入れるタイプは“生ワクチン”といいます。病原体といっても、使うのは何代も培養して弱毒化された病原体であり、安全性は高い。一方、病原体の表面にあるタンパク質の破片を入れて人体を反応させるタイプは“不活化ワクチン”。病原体そのものではないので、弱毒化された生ワクチンより副反応はさらに少ない」
安全性は不活化ワクチンに軍配が上がるが、効果は逆だ。生ワクチンの多くは、子どものころに1回打つと効果がほぼ一生続く。
それに対して、不活化ワクチンは免疫をつけるのに複数回接種する必要があり、免疫力もいずれ落ちていく。安全性と効果の両方を考えると、生ワクチンと不活化ワクチンは一長一短といえる。
では、新型コロナウイルスワクチンはどちらか。実は今回ファイザーやモデルナが開発したワクチンは、「核酸ワクチン(mRNAワクチン)」という新しいタイプになる。
「核酸ワクチンは、生ワクチンと不活化ワクチンの中間をイメージするといいでしょう。入れるのは、病原体の破片の重要なところとなる設計図(遺伝子=mRNA)。これを接種すると、設計図(mRNA)に従ってタンパク質が、体の中で作られます。入れる過程では生ワクチンに近いと考えられます。入った後は不活化ワクチンのように働きます。
ただ、免疫力は理論上、生ワクチンと等しい。また、遺伝子情報をすべて入れないので、不活化ワクチンと同じく病原体が増えることもない。両方のいいところを取ったワクチンで、今回がヒトに実用化された初のケースとなります」
理論上優れていても、実際に効かなければ意味がない。気になるのは臨床での感染予防効果だ。
■「コロナ禍でワクチンを打たないのはとても危険」
第III相臨床試験の中間報告によると、ファイザー社製の有効率は95.0%(16歳以上)、モデルナ社製は94.1%(18歳以上)。
ちなみに有効率90%は、「100人打てば90人はかからない」という意味ではなく、「非接種のグループの発症率に比べて、接種したグループは発症率が90%低い」という意味となる。
一方、リスクはどうか。
発熱などの副反応が起きることはよく知られている。しかし、重篤な有害事象が起きたのは、ファイザーの臨床試験では接種群が0.6%、対照群が0.5%、モデルナの臨床試験では両群が0.6%で、差がなかった。
mRNAワクチンは有効率が高く、重篤な有害事象が必ずしも多いわけではない。理論だけでなく臨床上でも優れたワクチンといっていい。
デルタ株など変異株への効果など未知の部分はある。しかし、千酌教授は、力強くこう語る。
「現時点で新型コロナウイルスに対抗するベストの手段はワクチンです。ワクチンを打たずにコロナ禍の中で生活するのは、とても危険です。普通に考えればこれに頼らない選択肢はない」
■ベネフィットが明らかでも合理的に判断できない理由
一般的に私たちが何か治療を受けるのは、治療を受けたことで得るベネフィット(利益)が、受けたことで損失が発生するリスクを上回ると判断するからだ。
たとえば抗がん剤治療は吐き気がしたり、髪が抜けるなど副作用のリスクがある。しかし多くの人は、それらのリスクより、がんが寛解するというベネフィットが大きいと考えて抗がん剤の治療を受けている。
mRNAワクチンでは、感染予防率が高いこと(ベネフィット)、重篤な有害事象は非常に頻度が低いこと(リスク)を天秤にかければ、ベネフィットがリスクを上回る。
ところが実際にはこの天秤がうまく働かず、ワクチンを忌避する人もいる。それを非合理的と批判するのは簡単だが、千酌教授は「人間は計算機ではなく、つねに合理的な判断ができるわけではない」と優しく諭す。
「新型コロナウイルスは新しい感染症であり、罹患するとどれだけ大変なのか、一般の方からはわかりにくい。それはすなわち、発症や重症化を防げるというベネフィットが見えづらいことを意味しています。ベネフィットが見えないので、リスクばかりに目が行くのです」
人間はベネフィットが明白でも、合理的な判断を下すのは難しい。
唐突だが、目の前に札束があったとしよう。何もしなければ100万円が手に入るが、コインを投げて表が出たら200万円、裏ならお金は1円ももらえない。このとき、みなさんはコインを投げるだろうか。
理論的な期待値は同じなので、どちらを選んでも間違いではない。しかし、実際はコインを投げずに100万円をもらう人が圧倒的に多い。得する局面において、人は不確実性を回避する傾向が強いのだ。
■ワクチンを忌避する人の不安を軽くする“声かけ”
すでに損失を抱えているときの選択も興味深い。200万円の借金があったとして、何もしなければ借金は100万円に減額、コインを投げて表なら借金はチャラ、裏なら借金はそのまま200万円だとしよう。
人間が不確実性を嫌うのなら、何もしないで少しでも借金を減らす選択をするはずだ。しかし、実際に多いのはコインを投げる人のほう。損失を前にすると、それを回避するため、むしろ積極的に不確実性を選ぶ。
こうした人間の性質は行動経済学の「プロスペクト理論」としてまとめられていて、理論構築したダニエル・カーネマンはノーベル経済学賞を受賞している。千酌教授は、この理論を踏まえて次のように解説する。
「ワクチンを忌避する人の行動も同じです。打てばベネフィットがあると頭でわかりつつ、副反応リスクを過剰に意識するし、逆に副反応という損失を避けるためなら、ワクチンを打たずに罹患するリスクを取ってしまう」
問題は、非合理な判断を下しがちな人にどのようにアプローチするか。
「まずリスクよりベネフィットを強調して伝えることが重要です。もちろんリスクがあることも隠さずに伝えるべき。ただ、それと同時に有害事象が起きたときの対応法なども教えれば、不安を軽くしてあげられるのではないでしょうか」
■子宮頸がん予防のHPVワクチンに対する「誤解」
mRNAワクチンを忌避する人がいる理由は他にもある。背景の一つとして考えられるのは、HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの定期接種でつくられた、ワクチンに対する誤ったイメージだ。
HPVは子宮頸がんの主な原因となるウイルスで、性的接触によって感染する。感染しても多くは自然に消失するが、持続感染すると子宮頸がんに進行するケースがある。
日本で子宮頸がんになる人は年間約1万人で、約2800人が亡くなっている(2017年)。婦人科腫瘍科長の佐藤慎也講師は次のように解説する。
「HPVの約200種類の型のうち、ハイリスクな型14種類が判明しています。14種類の中でもっとも危険な2つに対して抗体をつくるのが2価ワクチン。他に4つに対する4価ワクチンがあります。さらに20年7月に、90%以上の子宮頸がんを予防すると推定されている9価ワクチンが日本でも承認されました」
HPVワクチンの効果はどの程度か。新潟県で行われた調査(NIIGATA STUDY)では、2価ワクチンの有効率は91%、性交経験などを調整後の有効率は93.9%。新型コロナウイルスワクチンの有効率が90%台で相当に優秀と指摘したが、HPVワクチンも負けず劣らずベネフィットがある。
厄介なのはリスクのほうだ。実は、日本は2013年4月からHPVワクチンの定期接種を始めていた。
ところが接種後に広範な疼痛、運動障害などの多様な症状が認められたことが定期接種化の直後から繰り返し報道され、わずか2カ月後には接種の積極的勧奨の一時差し控えが発表された。
これは実質的な定期接種停止であり、7年経過した現在も時は止まったままだ。接種率は諸外国と比べて極めて低い。
ならばHPVワクチンは、リスクがベネフィットを上回るのか――。
これは完全に誤解である。接種差し控え後、調査が重ねられたが、これまでHPVワクチンと接種後の多様な症状の因果関係を科学的・疫学的に示した報告は一つもない。佐藤先生は、憤りを込めてこう語った。
「HPVワクチン接種後の多様な症状は、機能性身体症状――ワクチン接種後、検査では異常が見つからない様々な症状――と解釈されています。定期接種の対象は小学6年生から高校1年生の女子。若い世代はセンシティブで、注射のストレスで症状が出ることは珍しくない。それが過大に報道されて不安が増幅されてしまった」
■「自分の体を守りたければ自ら動く」
先に指摘した通り、人間はベネフィットよりリスクに目を奪われる傾向がある。ただでさえそうなのに、リスクを煽る報道が加わったら、合理的な判断ができなくなるのも致し方ない。
このときメディアによって植えつけられた誤ったイメージがいまも根強く残り、mRNAワクチンへの不安となって表れているのだ。
ただ、ここにきて風向きは変わりつつある。女性診療科の千酌潤助教は「ベネフィットが世間に認識され始めてきた」と明かす。
「2021年1月、日本国内で、2名の小児がん患者の肺がんが、母親の子宮頸がんが移ったことによるものだったことが報告されました。この症例は一般紙に載るくらいインパクトがあった。ニュースを聞いて、HPVの感染予防には大きなベネフィットがあると気づいた人は多かったはずです」
日本産科婦人科学会は、HPVワクチンの積極的勧奨の早期再開を求める要望書を厚労省に提出している。いまのところ厚労省に具体的な動きはないが、近年の風向きの変化を考えると、積極的勧奨が再開される可能性は十分にある。
気になるのは、そのタイミングだ。HPVワクチンが予防効果を発揮するのは、感染前に接種した場合に限られる。性的接触で感染することを考慮すれば、性交を経験する前あるいは活発になる前に接種することが望ましい。
厚労省のアクションを待っていたら手遅れになりかねない。現時点で積極的勧奨されていない以上、自分の体を守りたければ自ら動かなければならない。
■年頃の子を持つ保護者に送るメッセージ
現在も定期接種に分類されているため、対象である小学6年生から高校1年生までの女子は、自治体の契約医療機関で接種すれば無料。対象年齢外でも有料の任意接種ができる。
15歳までなら小児科に、それ以降は婦人科に相談するのが一般的だが、10代の女性が婦人科にいくのは心理的なハードルが高い。やはり保護者の支えが必要だろう。
千酌潤先生は、年頃の子を持つ保護者たちにこうメッセージを送ってくれた。
「保護者の方が、リスクを心配してワクチン接種に慎重になる気持ちはわかります。ただ、ワクチン接種は子どもの権利です。子宮頸がんやHPVワクチンについて知ることは性教育にもなります。ぜひお子さんを信頼して、正しい情報を与えて一緒に考えてほしいですね」
新型コロナウイルスの感染拡大は世界中に脅威を与えたが、ワクチンのベネフィット面に光が当たる契機にもなった。これまでリスクが強調されがちだったことを思えば、今回が良いターニングポイントになるかもしれない。
今後も未知の感染症が現れ、人類は新たなワクチンを開発して対抗しようとするだろう。そのとき直感やイメージでワクチンを評価するのはやめにしたい。ベネフィットとリスクを科学的にとらえて判断する姿勢が大切なのだ。
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ジャーナリスト
ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、法律問題など、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間50本を超える。
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(ジャーナリスト 村上 敬)
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