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「人生にアタリやハズレはない」岩井志麻子が"親ガチャ"という言葉に覚えた強い違和感

プレジデントオンライン / 2021年10月1日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Atiwat Studio

自分の親は選べない。それをおもちゃ売り場やソーシャルゲームの「ガチャ」にたとえた「親ガチャ」という言葉が話題を集めている。作家の岩井志麻子さんは「妹は私とは真逆の良妻賢母だが、世間には有名人になった私のほうを当たりとする人もいる。ガチャと人生はあまりに違いすぎる」という――。

■私は「当たり」を引いたことになるのか

はやり言葉に疎い私も、「親ガチャ」なる言葉はなんとなく目にしたり聞いたりするようにはなっていた。子どもは親を選べない、というのを表す流行語らしい。

通常の自販機は自分で商品を選ぶものだけれど、カプセルに入った玩具のそれは、何が入っているか何が出てくるかは、運任せ。自分では中身を選べない、通称ガチャ。

ソーシャルネットゲームのキャラクター入手になぞらえている、という説もあるが、私はポケモンGOしかやらないので、こちらはあまりピンとこない。私も観光地やドライブインなんかで見かけると、お土産代わりに親ではなく本物のガチャはついやってしまう。

いずれにしても、親ガチャなる言葉は流し読み、聞き流していた。

それ自体、私が親ガチャで恵まれていたということなのか。親ガチャは当たりではなく、はずれはずれと思っている子ども側から語られがち、だそうだから。社会的地位の高い金持ちの親がいれば、もっと楽に暮らせるのに。あんな毒親でなきゃ、自分はこんなふうに落ちぶれはしなかったのに。みたいに。

■とっくに成人しておいて親のことをいうのは…

現世の不幸がすべて「前世の因縁」などといわれてしまえば、こちらは何もいい返せず、思考停止に陥るが、親ガチャだと因果や敵が目に見えるので、真面目な論争にもなる。

世間一般の公約数というのだろうか。

それでいうと、うちの親は決して当たりではない。社会的地位も金もない。

しかし、私は親ガチャではずれた、なんて思ったこともない。

私はたかが岩井志麻子の分際で、妙なプライドが高い。

不遇や不幸を誰かのせいにするより、自分のせいにしたほうが楽なのだ。

ましてやとっくに成人しておいて、いまだに親のせいにするなんて幼すぎないか、とまで感じてしまう。

念のために書いておくが、成人してもずっと親との葛藤に苦しむ人たちを否定も責めもしない。

ひき逃げされただの通り魔に刺されただの、人間関係がなくて完全にこちらに落ち度もない場合は除き、むやみにかわいそうとか、一方的に被害者扱いされるのは大変な屈辱だ。

私がバカだったからだと、私は自分を責めるほうが救われる。

そう、私は親に限らず誰かのせいにしないほうが救われるという、主義や思想ではなくたぶん性癖なの。

ただ、すべて自己責任で、という考えはまったくない。

本当に被害者としかいいようのない人はいるし、他者の救済が必要な人もたくさんいる。そして、本当にひどい親の下に生まれてきてしまった、と同情せずにはいられない子どもたちもたくさんいる。そこは社会が対応する必要があると思う。

■韓国では「ガチャ」ではなく「スプーン」

この概念は、わが国だけでなく、二度目の夫の生まれ育った韓国にも似た言葉と考えがある。

昔から育ちの良さを表す際に、生まれながらに親にくわえさせられているという匙(スプーン)になぞらえ、親が富裕だったり高位だったりする家の子を「金匙」と呼んでいた。

金と銀のスプーン
写真=iStock.com/Yuliia Sihurko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuliia Sihurko

今では、金の上には財閥子女などのダイヤモンドスプーンが、土の下には糞スプーンがあるそうだ。

元々は欧州の「金持ちの子は銀のスプーンをくわえて生まれてくる」という慣用句にちなんだものだろう。

つまり親ガチャ、洋の東西を問わず昔からあったのね。

確かに、これも洋の東西を問わず、昔はどんな親の下に生まれるかで、ほぼ子どもの人生、将来は決まっていた。今現在も、途上国と呼ばれている国はそのまんまだ。

しかし現在の日本は、貧困層の出でも金持ちになれたり、華麗な経歴はなくても成功者になれたり、というチャンスはいろいろあるし、実際にそうなった人もたくさんいる。

なれない人は努力不足、といっているのではない。これは「社会ガチャ」と呼ぶべきか。

あと自分の中で行われる、「自分ガチャ」も影響しているだろう。あまり深く考えず、まさにガチャ気分でやってしまったことが、良くも悪くも重大な結果を招くことがある。

私も、学歴も美貌も才能も金もなく、それこそ有力な親もおらず、離婚してすべてゼロになって上京してきて、おかげさまでテレビに出させてもらったり本を出してもらったりで小銭には恵まれているが、ひとえに社会ガチャ、自分ガチャで当たったからだ。

良きこと、幸せだといえることは、すべて自分の努力、自分の才能、だなんていえない。それらはみんな、出会ってきた皆さんのおかげです……。と、ここまで書いてきて、私って偽善者か妙な宗教の信者か、一周回って立派な人かとも迷ったが、これらの考えで生きることが、とにかく自分にとって楽だからにすぎない。

親ガチャにはずれたといっている人たちだって、社会ガチャ、自分ガチャすべてにはずれることはないのだ。

■「当たり」「はずれ」はすぐにはわからない

こういっちゃなんだが、今の韓国人夫は複雑な家庭に生まれ育ち、親は早くに離婚、彼は高校だけ出て繁華街でその日暮らしのバイト生活をしていたら、プチ有名な日本オバサンに見初められてしまったのだ。

思えば夫は、当たりはずれで判定できない、とんでもないガチャを引いてしまったものだ。ポケモンのガチャをしたら、カプセルから本物の怪物が出てきてしまったのか。

あくまでも金銭的なことだけをいえば、夫は明日をも知れぬ貧乏暮らしから、ちょっとした贅沢や娯楽がある生活になれた。ただし、18歳も年上の妻はあちこちで顰蹙を買い、時に韓国にまで悪名が轟くという、もらい事故や延焼からも逃れられなくなっている。

このように、当たりはずれも後になってわかる、評価が分かれる、しばらくして結果が変わることもたくさんある。実は自分の親は当たりだったと、死後にわかることもある。

■思いがけないものとの出会いが楽しい

さて、親ガチャなる言葉があるとすれば、子どもガチャもあるはずだが、こちらはさらに反発や反感を招く言葉、概念である。

ちなみに私の妹は、私とは真逆の良妻賢母だ。しかし世間の見方は、分かれてしまう。

うちの親に対し、「妹さんはまともなのに姉はあんな変になって」と、はずれた姉を持ったことに同情する人もいれば、「妹は一般人だが、姉はちょっとした有名人になった」と姉のほうが当たりとする人もいるのだ。

うちの親は子に当たりはずれなんて言葉は使わないが、妹のほうは予想した通りのものが出てきた、と見ているようだ。姉である私は、まさかこんなものが出てくるとは……。と自分らの中に装填されていた思いがけないものに驚いているようではある。

私にも息子がいるが、大学は出ても定職に就かず三十近くになってもふらふら夢のような夢を追っている子だ。

なんというか、わが親とはちょっと違う感じで、自分の中にストックされていた変なものがガチャガチャッと合わさってポンと出てきたのがこれか、意外といい仕上がりじゃないか、なんておもしろがっている。

そうだ、私がガチャをするのは、思いがけないものとの出会いが楽しいからだ。

草原で遊ぶ母親と娘
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

■日々を楽しくするために

欲しいものが必ず出てくる通常の自販機と違い、何が出てくるかわからないそれの醍醐味って、はずれと思ったものが案外いいものだった、となることじゃないのか。

福袋も、欲しかったものが入っていたときの喜びはいうまでもないが、意外とそれまで興味なかったものが良くて、気がつけば長く愛用するようになったりもする。負け惜しみに近いかもしれないが、酸っぱい葡萄で生きるよりは日々を楽しくしてくれる。

ちなみにうちの息子にとって私は、子どもガチャにはずれた、といわないだけでもう、当たりらしい。私も、息子が親ガチャにはずれたといわないだけで、当たりといえる。

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岩井 志麻子(いわい・しまこ)
作家
1964年、岡山生まれ。少女小説家としてデビュー後、1999(平成11)年「ぼっけえ、きょうてえ」で日本ホラー小説大賞受賞。翌年、作品集『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に『でえれえ、やっちもねえ』(角川ホラー文庫)がある。

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(作家 岩井 志麻子)

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