「和菓子はすべて独学」1日3000個売れる"カラフルおはぎ"が大阪で誕生するまで【2021上半期BEST5】
プレジデントオンライン / 2021年10月1日 10時15分
※本稿は、川内イオ『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■行列のできるおはぎの店
大勢の人でにぎわう大阪駅から阪急電鉄宝塚線に乗り、25分。
岡町駅で降りると、そこにはのんびりとした空気が流れていた。駅前から豊中市役所まで続く、昔ながらの雰囲気の桜塚商店街。地方では閉店したお店ばかりのシャッター商店街が拡がっているけど、ここは小さなお店が肩を寄せ合い、地域の生活の場として息づいていた。
目的地は、商店街の一角に小さなお店を構える森のおはぎ。
ある日、たまたま手に取った『週刊文春』に「おはぎ春の陣」という特集ページがあり、いくつかのおはぎやさんが取り上げられていた。そのなかで、ひとめ惚れしたのが森のおはぎだった。小ぶりで品のある、カラフルなおはぎに惹きつけられた。
子どもの頃から今に至るまで、いわゆる普通のあんこと黄な粉のおはぎしか食べたことのない僕には、どんな味がするのか見当もつかなかった。
気になってググってみると、関西ではさまざまなメディアでたびたび取り上げられている行列のできる人気店で、豊中市にある本店のほか、関西一の歓楽街とも称される大阪の北新地にもお店を出していた。しかも、ひとりの女性が独学で始めたとある。
おはぎに行列⁉
北新地にも進出⁉
ますます興味が募った僕は、その女性、森百合子さんの話が聞きたくて、某日、大阪に向かったのだった。
その日は夏のような日差しで、商店街のアーケードを抜けると、気持ちのいい青空が広がっていた。スマホのマップを見ながら森のおはぎの店を探す僕のすぐ横を、ランニングシャツ姿のおじいちゃんが自転車で走り抜けていった。
訪問したのは月曜日で、森のおはぎの定休日。
森さんはお店の工房で、スタッフの皆さんとおはぎをつくっていた。
こんにちは! と挨拶をかわし、すぐ隣りのカフェへ。
白い割烹着のままの森さんに、「今も現場でおはぎをつくっているんですね」と尋ねると、「はい、そうです」とニッコリ微笑んだ。
■大阪芸大卒・元デザイナーの女性店主
1979年、大阪で生まれた森さんは、父親の仕事の都合で小学生の頃、奈良市に移った。父親は建築関係で、建物の設計やプロデュースをしていたそうだ。母親は同じ会社で、建築物のパース(完成予想図)を描いていた。
森さんは長女で弟がふたり。家族で映画『ネバーエンディングストーリー』を観に行った後、みんなでカレンダーの裏側に自分が一番印象的だったシーンを描いた思い出があるという。家族でサーカスを観に行った時にも、同じようにカレンダーの裏に絵を描いた。
森さん自身は「絵を描くのが好き」「モノづくりが好き」という感覚がないまま高校生になったが、進路を決める時に母親から「絵、描くの好きなんやから芸術系に行ってみたら?」と勧められた。
それで、なんとなく芸術系の大学に進むための専門学校に通い始めると、あっという間に絵を描く楽しさに夢中になった。さすが、母親は娘のことをよく理解していたのだろう。
1998年、大阪芸術大学に入学。自宅から電車通学しながら、工芸科でテキスタイルデザインを学んだ。生地を染色したり、生地のデザインをしたり、繊維を使って立体的なオブジェをつくるような学科だ。
実はこの学生時代、おはぎづくりにつながるような経験をしていたが、それは学校ではなく、アルバイトしていた喫茶店の厨房だった。そこは和菓子と洋菓子、軽食まで出すお店で、森さんは4年間、厨房で寒天からあんみつをつくったり、シュークリームの生地を焼いたり、カスタードクリームを炊いたりしていた。
■アルバイト先でお菓子づくりに熱中
そこである日、「同じ材料を使っているのにつくり手によってカスタードの味がぜんぜん違う」ことに気づいた。
クリーミーで甘さあっさりのものもあれば、固くて絞り袋に入れても出てこないもの、口のなかでべたーっとして甘ったるくなるものもある。なぜそうなるのか、どうやればおいしくつくれるのか、バイトながらも熱心に試行錯誤した。
「火加減が一番大事やったんかなあ。強火で炊くのが大事で、しっかり素早く混ぜるとクリーミーで甘さあっさりになるんです。そこで混ぜる手が追い付かないからといって弱火にすると、もたーっとする。人によってぜんぜん仕上がりが違うから、そのうち、クリームを舐めただけで、これは宮本さんのや、これは鈴木さんのやとわかるようになりました(笑)。自分が担当してうまく炊けた日には、大学の友達に『今日はおいしいカスタード炊けたわ』って報告してたみたいですね」
そのこだわりはおいしくつくるだけにとどまらず、盛り付けにしても、できる限りおいしそうに、かわいらしく見えるように気を使った。大学4年生の頃には最古参のアルバイトになっていたので、雑につくったり、適当に盛り付ける後輩にはしっかりと指導した。
「自分なりにすごくこだわり持ってつくってたんで、4年間、楽しかったですね」
■大きな会社で働いて感じた疑問
ここまで真剣にお菓子づくりと向き合っていた森さんだが、「仕事にしよう」という感覚はなかったという。
特にこれがしたいという希望もないまま、周囲に流されるように就職活動を始めて、京都の寝具メーカーを受けたらたまたま採用されたので、就職。大阪の本町にデザイン室があり、テキスタイルデザイナーとして、そこで寝具の生地のデザインを考えたり、ベビー布団の柄を描く仕事をしていた。
この会社を5年で辞めることになったのは、いくつかの事情があった。
まず、繊維業界が不況になり、本町のデザイン室を京都の本社に集約することになったこと。自宅から京都に通うのは遠かったし、それなら京都に住もうという気持ちも湧かなかった。
自分の仕事を「歯車の一部」と感じるようにもなっていた。
会議で決まった内容を、その通りにデザインする。そこには創造力を発揮したり、工夫を凝らしたりする余白がなく、お客さんの顔も見えない。次第に「これって、お客さんが本当に喜んでくれてんのかな」という疑問が募っていた。
とはいえ、イチ社員にはどうすることもできないというもどかしさを感じていた。
その頃、同じくデザイナーをしていた彼と結婚したことが最後の決め手となり、退職を決意。2007年、28歳の時に大阪の岡町で新生活をスタートした。
■そうだ、私はおはぎが大好きだったんだ
岡町に引っ越した後は、同じ繊維業界で週3日のパートタイムの仕事を始めた。
寝具メーカーから染色の依頼を請けて、適切な色を指定し、染色工場にオーダーするという会社で、働いていた寝具メーカーと一緒に仕事をすることもあったそうだ。
ところが、やはり繊維不況で週3日の仕事が週2日に減り、手持ち無沙汰に。そこで夫に「なんかできることないかな?」と相談したところ、話の流れでこう言われた。
「アルバイトとかではなく、パティシエとか自分でなにかしてみたら?」
パティシエ……確かに、アルバイト時代はお菓子づくりが楽しかった。「それならマカロンはどう?」と尋ねたら、首を横に振られた。
これはどう? あれはどう? といくつかアイデアを出しても、バッサリと切り捨てられる。当時、企画の仕事に携わっていた夫は、森さんの案にも妥協がなかった。
うーん、どうしたものか。ふと、仕事帰りにいつも、おはぎとわらび餅を買って食べていることを思い出した。夏の間はわらび餅、春秋冬は黄な粉のおはぎ。特にシーズンが長いおはぎは、どこのおはぎがおいしいか、いろいろなお店を巡っては食べ比べしていた。そうだ、私はおはぎが大好きだったんだ。
「おはぎやさんってどうかな? 自分が食べてて体に優しかったら嬉しいし、雑穀を使ったおはぎって良さそうじゃない?」
それまで、なにを言ってもピンとこなそうだった夫が、少し驚いた様子で言った。
「おはぎ、いけるんちゃう? もう明日からあんこ炊き!」
■独学で始めたおはぎ作り
翌日、森さんは書店に走って料理本、レシピ本を何冊も購入した。実は、一度もあんこを炊いたことがなかったのである。その日から、毎日あんこを炊く日々が始まった。
それから、友人や知人、初めて出会う人にも「私、おはぎやさんするのが夢やねん」と伝えるようになった。それは、森さんの人生において、とても大きな変化だった。
「子どもの頃から、これがしたいっていうものがあまりなくて。基本的に流れに身を任せてる感じだったから、これがやりたいっていうものがある人とか、しっかりと自分を持っている人をみると、すごいな、羨ましいなと思ってたんですよね」
自分でも驚くほどはっきりと自覚した、「おはぎやさんをやりたい」という意志。この気持ちを大切にするためにも、恥ずかしがったり、躊躇したりすることなく、言葉に出すようにした。
するとある日、友人の知り合いで初めて会ったばかりの人から「イベントみたいな感じでおはぎ売ってみたら?」と言われた。
以前の森さんなら「やってみようかな」「やってみたいですね」と曖昧に答えていたかもしれないが、その時は「やります!」と即答。すると、とんとん拍子で心斎橋のカフェでイベントを開催することに決まった。
■納得がいくまで試行錯誤を重ねる日々
スピーディーな展開に舞い上がった森さんだが、すぐに我に返った。
世の中に溢れているあんこと黄な粉のおはぎのイベントをしても、誰が食べに来てくれる? 食べたことない、見たことないおはぎをつくらなきゃ、誰も来てくれへん。帰宅した森さんは、それから思いつく限りのおはぎの案を書きだし、試作を始めた。
頭のなかであれこれ考える前に、手を動かした。見た目の目新しさだけじゃなく、あんこの味も研究を重ねた。
例えば、おはぎはあんこともち米にかなりの砂糖を入れるのだが、それはあんこを日持ちさせるため、もち米の柔らかさを保つためという理由がある。そういうつくり手側の都合ではなく、素材の風味や香りがいきる、自分がおいしいと納得できる甘さを出すために、試行錯誤した。
たくさんの人に来てもらいたいからと、夫婦でイベント告知のハガキ(DM)もデザイン。自分がいつも通っているショップに「私、おはぎのイベントしようと思ってて、DMを置かせてもらえませんか?」と訪ね歩いた。
■イベントと路上販売で大人気に
2009年12月、初めてのイベント。自分で食べても「おいしい」と自信を持って提供できるおはぎを用意した。
定番のあんこと黄な粉に加えて、みたらし、くるみ、ほうじ茶など新作を加えた計8種類。どれもひとつ百数十円。雑穀を使い、甘さは控えめにして、彩りを鮮やかに。女性でも食べやすいようにと、赤ちゃんのこぶしほどの大きさにまとめた。
オープンと同時に友人、知人、たくさんの人が来て、200個用意したおはぎが見事に完売。そのうえ、DMを置かせてもらったお店の店員さんが森さんのおはぎを一瞬で気に入り、天神橋にあるカフェでイベントをしませんか? と誘われた。
もちろん、返事は「やります!」。
年が明けて1月31日に天神橋で開催されたイベントも、大盛況。320個のおはぎと、小さなどら焼き50個が売り切れた。この時もDMをつくり、それを置かせてもらったショップのスタッフさんが買いに来てくれた。
そこで今度は、神戸でアクセサリーを販売しているショップの店員さんから、「年に2回、マルシェやってるんですけど、出店してもらえませんか?」と声をかけられた。
まさに、数珠つなぎ。しかも、森さんはそのショップのアクセサリーが大好きで、結婚指輪もそこでつくったものだ。
そこのマルシェに出店できることが嬉しくて、新しいDMを持って夫婦で挨拶に行った。その時、もともと顔見知りだったショップの社長が、DMを眺めながらこう言った。
「目をつぶったらお店が見えるから、早くオープンしたほうがいいよ」
■「お客さんと距離が近い仕事ってこんなに楽しいんだ」
お店はまだ先の話と思っていた森さんは、「ええ⁉」と驚いた。実は、店を開いたほうがいいと助言されるのは2回目だった。
最初にイベントした日の夜、関係者と打ち上げをした大阪・新町のバーのオーナーにも「雑穀使ったおはぎなんて、もう数年後には誰かにまねされるで。とにかく早く店出し。場所代とかいらんから、うちのお店の前で売り」と言われたのだ。
オーナーの言葉に背中を押され、「物は試し!」と、2010年4月から 毎週月曜の昼間にバーの店頭でおはぎの販売を始めた。
路上販売は、あらかじめ周囲に告知できるイベントと違う。買ってくれる人がいるのかなと不安と期待を抱きつつ、自宅でつくったおはぎをクーラーボックスに入れて電車で運び、店先に小さなテーブルを出して、販売を始めた。毎回4種類、60個以上のおはぎを持って行った。
昼間はそれほど人通りの多い場所ではなかったが、すぐに毎回完売するようになった。毎週買いに来てくれる人もいた。
「イベントってやっぱり知り合いが多いけど、路上販売のお客さんはほとんど知らない方じゃないですか。だから、自分がつくったものがこんな喜んでもらえるという反応を直に感じられて、すごく嬉しかったですね。お客さんにとっても、つくった人が売ってるってわかりやすいし。お客さんと距離が近い仕事ってこんなに楽しいんだなって思いました」
その4月の末に神戸のアクセサリーショップが主催するマルシェがあり、この時は父母、弟ふたりと家族総動員でおはぎを400個用意。それも飛ぶように売れていき、1時間半でなくなった。
実はこの時、まだ週2日のパートタイムの仕事を続けていたのだが、「ほんまに早く店をオープンしなあかんかな……」と考えるようになっていた。
■背中を押した女将さんの言葉
店を開きたいと家族に話すと、父親や弟たちは応援してくれたが、母親だけは「ええ⁉ そんなんやめとき! 商売できんの? やったこともないのに!」と心配そうだった。
それでも森さんの決意は変わらず、それから急ピッチで準備を進めた。
店を開くためには、まず場所を決める必要がある。最初は大阪のなかでも繁華街に店を出そうかと考えていたそうだ。ただ、ひとつ百数十円のおはぎを売る店にしては家賃が高く、やっていける自信がなかった。
岡町在住の森さんは、地元の桜塚商店街にある行きつけの居酒屋で、女将さんに相談した。すると、「うちの前のお店、ちょうど空いたで。ひとりで始めるにはちょうどいい大きさや」。
灯台下暗し。考えてみれば、自宅から近いほうが楽に違いない。森さんはその物件に興味を持った。ただ、母親の反対だけが気になっていた。それを女将さんに打ち明けると、女将さんはこう尋ねた。
「今、自分の周りにいろんな人のパワーが集まっているように感じない?」
「感じます」
「それなら、今しかないわ。そういうことが人生で一度も起きない人もいるのよ」
この言葉に背中を押され、翌日、すぐに不動産屋に連絡して、物件を見に行った。その瞬間、「ここや!」と直感。その日のうちに契約することを決めた。
■商店街に馴染んだ店……200個がわずか3時間で完売
お店のデザインは、「ちょっと変わったおはぎだからこそ、親しみのある風景にしよう」と考えた。古道具屋で仕入れた水屋箪笥を店先に並べ、扉には大正・昭和に使われていたゆらゆらガラスをはめ込んだ。
すると、外装、内装工事をしている時に、通りがかりのおじいさんが「懐かしいなこれ! 水屋やん!」と声をかけてきたり、レトロな雰囲気に惹かれた若い人が「いいですね、これ!」と話しかけてきた。
オープン前から下町の商店街に馴染んだようで、森さんはホッとした。
母親も、ここまで来たらもう後戻りできないと思ったのだろう。森さんが店先につるす品書きを頼むと、素敵に仕上げてくれた。看板は、金属工芸の作家になった末弟に頼んだ。
プレオープンは2010年7月1、2日。
両日、11時の開店前から大勢の人が並び、200個のおはぎが、わずか3時間で完売した。ひとりで販売を担当した森さんは、写真を撮る暇もないほどてんてこ舞いだった。
その数カ月前に知り合って以来、親しくしていた大阪・箕面(みのお)に本店を構える和菓子処「かむろ」の店主、室忠義さんは「ほら言ったやろ、売れてまうやろ! 人雇わなあかんで」と言いながら、開店祝いにレジを差し入れてくれた。
プレオープンの2日間、電卓で計算していた森さんにとって、大きな助け舟だった。
■「すぐ閉まるお店」が話題になる
正式オープンは、7月7日。
この日はプレオープンよりも長蛇の列ができて、2時間で350個以上のおはぎとわらび餅が売り切れた。この勢いは、なんと4日間続いた。
当時、森さんは基本的にひとりでおはぎをつくり、お店を運営していたので、おはぎがなくなると店じまい。オープンから1週間もすると「すぐ閉まるお店」と言われるようなった。
「この頃は、もうむちゃくちゃでした。11時から店を開いたらすぐに売り切れて、店を閉める。午後は16時からで、それまでに必死でつくるんですけど、すぐにまた売り切れて、その日は閉店。営業が終わってから次の日の分を仕込んでましたけど、もう時間足りひん! ってなってました」
「すぐに閉まるお店」はあっという間に話題を呼び、立て続けにテレビに取り上げられて、さらにお客さんが押し寄せてきた。
いくらつくってもおはぎが飛ぶように売れていくので、夫も自分の仕事を終えた後に自宅であんこを炊いて、必死にサポートした。森のおはぎの2010年は、怒濤の勢いで過ぎ去った。
■北新地に店を出した理由
年が明けてもこの流れは変わらず、行列ができる、メディアで話題になる、また行列ができるというサイクルが続いた。
百貨店から催事のオファーも届くようになり、あちこちで出店するようになった。そこで、ひとり、ふたりとスタッフを増やしていき、たくさんお客さんが来てもすぐに品切れしないように、生産体制を強化した。2013年には、夫も仕事を辞めて森のおはぎに加わった。
「もともと、いつかなにかふたりでやりたいよね、ゆくゆくは一緒にできたらいいよねと話していたんですよ。夫も私も想像以上にハードな生活になってしまったんで、辞めるべくして辞めたっていう感じですね」
夫婦で森のおはぎに携わるようになったことでようやく心と時間に余裕が生まれ、次のステップに進むことができた。
2014年1月、大阪を代表する歓楽街、北新地に2店舗目となる「森乃お菓子」をオープン。ここでは、岡町の本店にはないおこしやかりんとうも用意した。下町の岡町と北新地ではギャップがあるように感じるが、話を聞いてみれば、森さんらしい選択だった。
「もともと都心部に店を出したかったのは、会社勤めしていた時、私自身が仕事帰りにおはぎを買ってたから。自分へのご褒美だったり、手土産として気軽に買える場所にしたかったんです。私が小さい頃、父親が買って帰ってくるお土産にワクワクした思い出があって。そのワクワクが、私のお菓子やったらいいなっていうのもありました。実際、仕事帰りにすっと寄りやすいところなんで、お客さんにはすごく喜んでもらってます」
北新地のお店は、会社帰りの時間に合わせて16時30分オープン。こちらもすぐに、毎日完売するような人気店になった。
■森さんが大切にするもの
それから6年が経ち、現在。2店舗を営む経営者になり、スタッフも20人まで増えて、子どもも生まれた。2010年の開店当初とは異なる質の忙しさに追われるようになったが、森さんの「おいしいおはぎをつくって、お客さんに届けたい」という想いは揺るがず、スタッフと一緒におはぎを握る。
「自分が食べておいしい、嬉しい、って思うものこそ、お客さんも『また食べたい』っていう味になると思うんです。うちはあんこを3種類炊き分けていたり、見えないところでいろいろこだわっているんですけど、現場にいれば、ちょっともち柔らかいんちゃうとか、あんこ柔らかいでとか、なにかブレがあった時にすぐに気づけるじゃないですか。スタッフとみんなで楽しくつくっていると自分も元気もらうし、ぜんぜん苦ではないかな」
森さんにとって「自分が食べておいしい」は絶対的な基準で、だからむやみに新作を出さないし、変わり種のおはぎもつくらない。
季節の変わり目などに店頭に並ぶ新作は、森さんが何度も試行錯誤して「むっちゃおいしい!」と感動したものだけ。例えば、夏に登場する「焼きとうもろこしもち」は、その厳しい審査をくぐり抜けてきたものだ。
■話題作りには興味がない
最初はもち米をあんこで包む形で、外側のあんこにとうもろこしを混ぜた。でも、「なんぼやってもおいしくならへんわ」と数年間、眠ったままだった。
ところがある日、あんこをもち米で包む形に変えて、もち米にとうもろこしを混ぜてみようと閃き、試してみたら「あれ、めっちゃおいしいんですけど!」。
さらに遊び心を加えて、夏祭りのように醤油を塗って軽く焼いてみたら、びっくり仰天の味に。これをお店で売り始めると、とうもろこし? と半信半疑でひとつ買った人のなかには、次に来た時に「衝撃やったで!」と10個買って帰った人もいたという。
今では、お客さんから「トウモロコシ、そろそろ出る?」と尋ねられるような人気商品になった。
近年、華やかな見栄えだったり、珍しい素材を使った「創作おはぎ」を売りにするお店も増えているが、森さんは話題づくりに興味はない。
「おはぎってもち米との相性が大事なおやつやし、しみじみおいしいって思えるものを出すっていうのは、譲れないところで。いくら見た目がかわいくても、もう一回食べたいって思ってもらわないと、ずっと続けていけないし。使う素材にしても、こだわりすぎると価格も上がっちゃう。私にとって、おはぎは家庭のおやつで、やたら値段が高いっていうのは違うなっていうのがあって。東京の人には安すぎるって言われることもあるけど、高くなりすぎないところでベストのおいしさを出すことを大切にしたいんです」
■効率や生産性では測れない大切なもの
「また食べたい」と思ったら、気軽に立ち寄れるお店でありたい。そう考えている森さんは、できる限り店頭にも立つ。
その時は、お客さんに対していらっしゃいませ、ありがとうございました、というお決まりの接客ではなく、「こんにちは」の挨拶から始まり、帰り際には「お気をつけて」と声をかける。この言葉遣いも、お客さんとの距離感を大切にする気持ちの表れだ。
森さんは、お店に来るお客さんとよく話をする。時には、森さんと話をして、おはぎを買わずに帰るお客さんもいる。店先で、プライベートのディープな相談をされたこともある。森さんは、それが嬉しいという。
効率とか生産性を考えれば無駄と切り捨てられそうな時間だが、そうすることでたくさんのお客さんと顔見知りになり、仲良くなった。
森さんがお客さんとの雑談で「銀行で両替すると手数料がかかる」と話したら、それ以来、自宅で貯めた1円玉をどっさりとビニール袋に入れて、定期的に持ってきてくれるおばあさんがふたり(!)もいるそうだ(そのうちのひとりが最近亡くなってしまったと、森さんは悲しそうにしていた)。
この話を聞いた時、僕は昭和の下町を描いた映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を思い出し、「今の時代にそんなお店があるのか!」と驚いた。
■「日常に溶け込んだ」1日に3000個のおはぎが売れる店
そして、ハッとした。
森さんのおはぎは、確かにかわいらしく、なによりおいしい。それが人気の理由だと思い込んでいたのだけど、流行り廃りがジェットコースターのようにスピーディーな現代、話題になった商品はすぐにコピーされ、消費され、いつの間にか忘れ去られていく(パンケーキブームはどこへいった? タピオカの行く末は?)。
かわいくて、おいしいだけなら、すぐに飽きられてしまったに違いない。森のおはぎはきっと、たくさんのお客さんたちの「日常」に溶け込んでいるのだ。
ふとした瞬間に「また食べたいなあ」と思い出したり、近所を通りかかった時に「あ、ちょっと寄っていこうかな」と思われる存在なのだろう。
毎年、お彼岸になると長蛇の列ができるという。
昨年のお彼岸も、1日で3000個のおはぎが売れていった。森さんはその日もスタッフとお喋りを楽しみながらおはぎを握り、店頭に立って、こんにちは、お気をつけて、と言い続けた。
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フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。
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(フリーライター 川内 イオ)
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