「殴られるかもしれない恐怖で職場に行けない」児童養護施設を出た男性の"その後"
プレジデントオンライン / 2021年10月22日 9時15分
※本稿は、大藪謙介・間野まりえ『児童養護施設 施設長 殺害事件』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■「医療的な支援」を求める当事者の声
社会的養護出身者の集まる場を提供する取り組みは、各地のNPOなどの支援団体が始めているが、都市部での活動が中心となっていて、全国どこにいてもこうした集まりに参加できるとは限らない。今後、自治体でこうした取り組みをサポートする体制も必要となるだろう。
そして、当事者の声を国に届けることも大きな意味を持つ。2021年度から、社会的養護自立支援事業に追加されたメニューの一つに、「メンタルケア等医療的な支援が必要な者が適切に医療を受けられるよう、医療連携に必要な経費補助」がある。新たにメニューが追加された背景には、医療的な支援を求める当事者の声が大きかった。
■虐待の後遺症などで抱える「生きづらさ」
声をあげた一人、山本昌子さんは、関東を中心に支援活動をしている団体、「ACHAプロジェクト」の代表をつとめている。自身も親のネグレクトによって乳児院や児童養護施設で育ち、数年前から、社会的養護出身者が費用面から諦めてしまいがちな成人式の振り袖の前撮りをプレゼントする活動を行ってきた。さらに、コロナ禍で社会的養護出身者の孤立が深刻化する中で、新たに食料支援や、オンラインでの交流会を始めたところ、メンタルケアの必要性に改めて気づかされたのだという。
「コロナをきっかけに当事者の子たちとたくさん関わりをもつ中で、虐待の後遺症などが理由で精神面に生きづらさを抱えてしまって、入院にいたっている子もいることがわかってきました。食料品を送ろうとしたら、『実は入院していて受け取れません』という子がいて、どうしたのかたずねたら、『虐待されていたころの記憶がフラッシュバックしてしまって、死にたい気持ちが強くなってしまった』と話してくれたんです」
山本さんが、インターネットを通じて社会的養護出身者およそ116人にアンケートをとったところ、虐待の後遺症で「生きづらさ」を感じていると答えた割合は65%にのぼった。現在治療を検討していると答えた割合も40%にのぼり、医療的支援のニーズの高さも見えてきた。
■施設を出たあと、心身に異変が起き始めた
アンケートに答えた一人、20代の健太さん(仮名)に話を聞かせてもらった。
健太さんの母親には精神疾患があり、父親は怒りっぽい性格で、常に夫婦喧嘩をしていて、居心地の悪さを感じていた。父親から時折暴力を受けていた健太さんは、家を飛び出して、近くの祖母の家で過ごすことも頻繁にあった。その父親が癌で亡くなったあと、母親が一人で子育てをすることは困難となり、健太さんは小学生のときに児童養護施設に入所することになった。
施設で過ごしていたころは、精神的な不調を感じることはなかった。しかし、専門学校へ進学するために18歳で施設を出たあと、心身に異変が起き始めた。当初は教室にいたときにお腹の調子が悪くなっただけだった。しかし、徐々に症状は悪化していった。わけのわからない恐怖を感じるようになったり、動悸が激しくなって息切れをしたりするようになった。学校に行くのが怖くなり、休んでしまうことが増えた。思い切って病院にいったところ、「うつ病」「閉所恐怖症」「パニック障害」とさまざまな病名が告げられた。
自分も母親と同じように病気になってしまった。どうすればいいのだろう。健太さんは不安になって施設の職員に相談しようとしたが、職員は、今いる子どもたちの世話で忙しそうにしていた。ゆっくり話を聞いてもらうことはできず、孤立は深まっていった。
■早くから精神的なケアを受けていれば……
専門学校はなんとか卒業して就職したものの、職場で苦手な人と接するときにかつての虐待の記憶がフラッシュバックするようになった。動悸や殴られるかもしれないという恐怖感に悩まされ、職場に行くことができなくなり、休職を余儀なくされた。医師からは、「幼いときの養育環境が原因で発達に偏りがあるのではないか」と指摘された。
みずから支援団体を探してつながることで、ようやく自分の話を聞いてもらえる居場所を見つけたが、早くから精神的なケアを受けていればという後悔が拭えないという。
「自己肯定感も低くて、よく自分を責めてしまうし、薬飲んでいないとだめなんです。まわりの同級生たちは、薬とかも必要なくて、一生懸命頑張って暮らしているのに、なんで自分だけと、常にまわりと比較してしまいます。自分は情けないなと、こんなんで生きていけるんだろうかと、幸せに育てられてないのに結婚とか幸せな家庭を築くことができるのだろうかと感じてしまいます。世の中にはいろんな生い立ちの人がいて、こういう傷で悩んでいる人もいるっていうことを理解してほしいし、施設を出てからもカウンセリングを受けられたり、相談機関を紹介してもらえたりできればいいなと思っています」
■心の傷と向き合うためには、息の長い支援が必要
山本さんは、さまざまな当事者とつながり、話を聞く中で、見えない心の傷と向き合い、前に進むためには、息の長い支援が必要だと感じてきた。
「トラウマのメンタルケアや治療は、完全に治るというわけではなくて、物事の捉え方とか、感情のコントロールが少しずつ上手にできるようになっていく、向き合い方を学ぶということなんです。本人たちのつらさや苦しみが完全に消えるということは難しいと思いますが、少しでも生きづらさを軽減してきちんと前を向いて歩いていけるようにするという視点が必要なのかなと思っています」
ただ、こうした心の傷は、必ずしも医療的なケアだけで癒やされるわけではない。まわりの大人のささいな行動の積み重ねが、子どもの心を癒やすこともあると言う。
■「生まれてきてよかった」と感じられるようになった
「私自身も、施設を出てから自分の生い立ちを受け止めるのがとても辛くて、一人で考え込んでマイナス思考に陥っていたこともありました。でも、施設の先生やボランティアの方が寄り添い続けてくれて、親から愛されなくても、まわりに大事にされて、たくさんの人に愛されているということを実感する中で、自分が生まれてきてよかったと感じることができた。専門的ケアも必要ですが、誰かに気にかけてもらえたり、愛情をたくさん伝えてもらえたり、そういうことが大切なのではないかなと感じています」
山本さんのように、当事者の声を届けようという取り組みは徐々に広がっているが、それを国や自治体側がどういかしていくのかがこれからの大きな課題だ。社会的養護下にある子どもたちや施設を退所した社会的養護出身者に関わる取り組みの方針を示す「社会的養育推進計画」の策定などに、当事者が関わっている自治体は2020年の時点で半数にとどまっている。子どもたちや社会的養護出身者の声に耳を傾け、取り組みを改善し、発展させていく、その絶え間ないプロセスが、今まさに求められているのだ。
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NHK報道番組ディレクター
1985年、京都府生まれ。2008年、NHK入局。名古屋放送局を経て、2013年から報道局政経・国際番組部で政治番組の取材・制作を担当。日曜討論、国会中継のほか、クローズアップ現代「“政治を変えたい”女性たちの闘い」、目撃!にっぽん「政治家 野中広務の遺言」、NHKスペシャル「永田町権力の興亡・最長政権その光と影」、「パンデミック激動の世界・問われるリーダーたちの決断」などの制作を担当。
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NHK社会部記者
1988年、愛知県生まれ。2011年、NHK入局。京都放送局・甲府放送局を経て、2018年、報道局社会部へ。警視庁クラブや厚生労働省クラブで事件・社会福祉を取材。NHKスペシャル「#失踪 若者行方不明3万人 座間9人遺体事件」、クローズアップ現代+「徹底追跡! “アポ電強盗”本当の怖さ」、「幼保無償化 現場で何が」、「“新たな日常”取り残される女性たち」などの制作を担当。
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(NHK報道番組ディレクター 大藪 謙介、NHK社会部記者 間野 まりえ)
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