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「国民の声なんて関係ない」自民党が平然と世論を無視して首相を決めてしまうワケ

プレジデントオンライン / 2021年9月30日 17時15分

自民党総裁室の椅子に座る岸田文雄新総裁=2021年9月29日午後、東京・永田町の同党本部(写真=時事通信フォト)

自民党総裁選は9月29日に投開票が行われ、岸田文雄前政調会長が河野太郎行革担当相との決選投票を制して新総裁に選ばれた。岸田氏は第100代首相となる。国民や党員を対象とする調査では河野氏が圧倒的な人気を誇ってきたが、自民党は国会議員中心の決選では、それとは違う結論を選んだ。なぜそうなったのか――。

■河野氏があえて「国民の審判」と語った理由

29日午前。決戦の日を迎えた各候補の発言や表情からも、結果はある程度予測できた。

午前11時過ぎ、東京赤坂の議員宿舎でマスコミの取材を受けた岸田氏は「勝利を確信している」とゆっくり語った。ダークスーツに青のネクタイ。8月の出馬表明の時と同じ服装を選んだのは、総裁選の運動が順調に完了した満足感があったからだ。

一方、河野氏は、記者団に「あとは国民の皆さまの審判を受けるだけです」と語った。党所属国会議員と、党員・党友のみで決める総裁選を前にあえて「国民」という言葉を使ったのは、国民の支持が圧倒的に高い自身こそ総裁にふさわしいということを、党所属国会議員あてに訴えたのだ。

午後1時から両院議員総会で投票が行われるのを前に、各都道府県から党員票の開票結果が伝わってきた。予想通り、河野氏が多くの県で1位を獲得したが、岸田氏も自身の地元である広島だけでなく、香川、山形、山梨、島根など8県で1位に立った。「できれば5割以上。最悪でも岸田、高市の両氏の足した数を上回る党員票を獲得する」としていた河野陣営だったが、得票率は40%台にとどまり目標には届かなかった。

議員票では河野氏を大きくリードしている自信を持つ岸田氏は、この段階で勝利を確信していた。おおかたの予想では1回目の投票では党員投票の「貯金」で河野氏が1位になるとみられていたが、1票差ながら岸田氏が1位に。決選投票では岸田氏が257票、河野氏が170票。大差で岸田新総裁の誕生が決まった。

■2012年の再現となった総裁選

世論調査では圧倒的に1位で、党員投票でも優位だった河野氏は、なぜ、いとも簡単に敗れたのか。言い換えれば自民党の国会議員は、なぜ「世論」に反して河野氏を引きずり下ろしたのか。11月には衆院選を控えることを考えると、人気の高い総裁を担いだ方が有利という判断が働きそうなものだが、そうはならなかった。

その理由は大きく分けて2つある。1つは自民党の文化。そしてもう1つは河野氏個人の問題である。

自由民主党本部
※写真はイメージです。(写真=iStock.com/oasis2me)

「自民党の文化」を語る前に2012年に行われた総裁選のことを振り返っておきたい。

9年前、野党時代の自民党の総裁選は、当選した安倍晋三氏のほか、石破茂氏、石原伸晃氏、町村信孝氏、林芳正氏の5人の乱立となった。

当初は現職総裁の谷垣禎一氏が再選を目指していたが、勝利が見通せないということで出馬を断念。5人で争う構図が固まったころは、幹事長だった石原伸晃氏が優勢とみられたが、総裁を支えるべき幹事長が出馬表明し、総裁の谷垣氏を不出馬に追い込んだことから「明智光秀」に擬せられて失速。その後、国民的に人気の石破茂氏が優位との見方が有力となったが、最終的には1回目の投票で1位だった石破氏と2位の安倍氏の決選投票に進み安倍氏が大逆転勝ちした。

■当時の安倍氏は「終わった政治家」と受け止められていた

当時の安倍氏は、2006年に首相に就任しながら1年で政権を投げ出した印象が強く残っており「終わった政治家」と受け止められていて「民意」と違った決断をした自民党には疑問の声が上がった。しかし自民党は、安倍総裁のもとで政権復帰し、安倍氏は7年8カ月に及ぶ長期政権を築いた。

ここまで読んで気づいた人もいるだろう。今回の総裁選と非常に似ているのだ。まず、当初本命視されていた現職総裁が出馬辞退した点(今回は菅義偉首相が不出馬を表明した)。

そして情勢が目まぐるしく変わった点(今回は当初、河野氏が有力とされ、岸田氏が迫った。途中では、高市氏が急追する局面があった)。そして、党員投票で1位となった候補が負けたこと。どちらも「世論」に反した決断が下された。

2012年の総裁選が長期安定政権を築いた「成功」だと考えれば、今回の総裁選でも同じ道を歩むことに抵抗感は少なかったのではないか。

■自民党総裁選は「2位、3位連合」の歴史

もちろん「党内世論を議員がひっくり返すというのは正統性が問われる」という指摘はあるだろう。ただし、2012年の石破氏は1回目の投票で1位、党員投票では全体の過半数を取ったのに負けた。今回の場合、岸田氏は投票では1票差とはいえ1回目から1位だった。9年前に安倍氏が勝った時よりも、今回の岸田氏の方が、はるかに正統性があるといえよう。

そもそも自民党総裁選の歴史は決選投票での逆転の歴史だ。結党間もない1956年12月の総裁選では1回目で2位だった石橋湛山氏が決選で逆転、総裁の座を射止めた。その時からの文化なのだ。

河野氏が、安倍氏、麻生太郎副総理兼財務相ら党実力者から敬遠されている話は、9月25日に配信した「『これぞ腐ったリンゴの大逆襲』なぜ河野、石破、小泉の3氏は古い自民党から毛嫌いされるのか」で詳しく紹介しているのでそちらを参照いただきたい。それに加え、選挙戦でのある失言から、中堅若手議員からもそっぽを向かれたという点を指摘したい。

その「失言」とは21日に行われた若手議員との意見交換会での「(自民党の)部会ギャーギャーやっているよりも、副大臣や政務官チームを非公式に作ったらどうか」という発言だ。

■「部会でギャーギャー」で若手にも嫌われた河野氏

若手議員たちとしては毎朝8時から自民党本部で行われる各部会に出席し、専門家や官僚と意見交換することで政策を積み上げているという自負がある。これを「ギャーギャー」と雑音のように表現されるのは不快な話だ。

さらに「副大臣や政務官のチーム」を優先させようという発想は、党よりも政府の方を上に見ている証拠。安倍、菅の両政権では「政(府)高党低」と言われ首相官邸がすべてを牛耳り、党にとどまる若手議員や、メインストリームから外れている中堅、ベテラン議員たちは疎外感を持っていた。河野政権になって継続、強化されるとなれば、「長所は人の話を聞く力」と強調する岸田氏の方になびくのが人情だ。

いずれにしても河野氏は、安倍氏ら実力者から嫌われただけでなく、中堅、若手議員からも敬遠され、そして自民党の文化の中からも居場所を失ってしまった。自民党内においては、ここ数年、石破氏が非主流派の役割を一身に背負ってきたが、今後は河野氏が「第2の石破氏」への道を歩んでいくことになるのか。

「ノーサイド。全員野球」と言っていた岸田氏は、河野氏を党広報本部長に起用した、広報本部長は確かに党役員ではあるが、重要閣僚を歴任した河野氏としては明らかに軽いポスト。「全員野球という名の冷遇」であるのは明らかだ。河野氏は党内で主流から外れていく道を歩み始めた。元祖「自民党の異端児」らしいといえば、それまでではあるのだが。

(永田町コンフィデンシャル)

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