「自分は不良でいなければ」突然売れたミュージシャンが暴行やドラッグにはしる根本原因
プレジデントオンライン / 2021年10月7日 10時15分
※本稿は、ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話〔新版〕』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の一部を再編集したものです。
■誰がカート・コバーンを殺したのか
1994年4月8日の早朝、シアトルのすぐ北、ワシントン湖を見わたす高級住宅に、新しい防犯システムを設置しにやってきた電気工が、遺体を発見した。この家の持ち主のカート・コバーンは、血の海となった温室の床に倒れていた。致死量のヘロインを摂取していたが、さらに始末をつけようと意を決して、12口径のレミントン散弾銃で左側頭部を撃ち抜いたのだった。
コバーンの自殺が報じられたとき、ほとんど誰も驚きはしなかった。なにしろ「アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・ウォント・トゥ・ダイ(自分が嫌いだ、死にたい)」という曲を残した人物なのだから。1990年代のおそらく最も重要なバンド、ニルヴァーナのリーダーとして、コバーンの一挙一動はメディアに追われていた。以前起こした自殺未遂は大きく報じられた。
遺体のそばに置かれていたメモにはたいした解釈の余地はなかった。「だんだんに消えていくより燃え尽きるほうがいい」。それにもかかわらず、彼の死は少数ながら陰謀説を生み出した。誰がカート・コバーンを殺したのか?
■カウンターカルチャーなのに人気になってしまった
ある意味では答えは明白だ。カート・コバーンを殺したのはカート・コバーンだ。だが犯人であると同時に被害者でもあった。誤った考えの──カウンターカルチャーの思想の犠牲者だった。自分はパンクロッカーだと、「オルタナティブ」音楽の担い手だと思っていながらも、彼のアルバムはミリオンセラーとなった。主にコバーンのおかげで、かつては「ハードコア」と呼ばれていた音楽が「グランジ」と看板をかけ替えて大衆に売られた。
しかし、この人気はコバーンにとって自慢の種になるどころか、つねに困惑のもとだった。自分はオルタナティブを裏切って「メインストリーム」になったのか、との疑いが脳裏につきまとった。
アルバム『ネヴァーマインド』でブレイクし、マイケル・ジャクソンを上回る売上げを記録しだすと、ニルヴァーナはわざとファンを減らそうと努めた。次のアルバム『イン・ユーテロ』は明らかに難解だった。だが努力は実らなかった。このアルバムはひきつづきビルボードのチャートの第1位を獲得した。
■本物であるためには人気を落とさねばならない
コバーンはオルタナティブ音楽へのこだわりとニルヴァーナの商業的成功の折り合いをつけることが、どうしてもできなかった。結局はこの袋小路から抜け出すために自殺した。誠実さがことごとく失われる前に、完全に裏切り者になる前にいま終わるほうがましだと。そうやって「パンクロックこそ自由」という己の信念を堅持することができた。
すべては幻想かもしれないとは考えなかった。オルタナティブもメインストリームもない、音楽と自由との関係も、裏切りなんてものもない。ただ音楽を創造する人間と音楽を聴く人間がいるだけだ。そして素晴らしい音楽を創れば人は聴きたがるものだ、とは考えなかった。
では「オルタナティブ」という発想はどこから生じたのか? 本物であるために人気を落とさねばならないという、この発想の源は何なのか。
■ヒッピーすら“生ぬるい”と感じていた
コバーンは彼の言い方で人生の「パンクロック入門コース」の卒業生だった。パンクの精神の多くは、ヒッピーを象徴していたものの拒絶に基づいていた。やつらがラヴィン・スプーンフルを聴くなら、おれたちパンクはG・B・Hを聴く。あっちにはストーンズがいたが、こっちにはヴァイオレント・ファムズが、サークル・ジャークスが、デッド・オン・アライヴァルがいた。向こうが長髪なら、自分らはモヒカン。連中がサンダルなら、ミリタリーブーツを履く。ヒッピーが無抵抗主義なら、パンクは直接行動だ。おれたちは「非(アン)ヒッピー」なんだ。
なぜヒッピーにこんな敵対心を燃やしたのか? ヒッピーが過激だったからではない。過激さが足りなかったからだ。あいつらは寝返った。コバーンいわく「偽ヒッピー」だ。映画『再会の時』がすべてを語っている。ヒッピーはヤッピー〔都会に住む若いエリートビジネスマン〕になったのだ。コバーンは口癖のように言っていた。「おれが絞り染めのTシャツなんかを着るとしたら、そいつがジェリー・ガルシア〔ヒッピー文化を代表するバンド、グレイトフル・デッドの中心人物〕の血染めの場合だけだ」。
1980年代の初めには、ロックンロールは、かつての自分自身の色あせた拡大再生産と化していた。スタジアム・ロックになってしまった。『ローリング・ストーン』誌はくだらないアルバムの宣伝ばかりで、独りよがりな企業のセールス媒体になりさがった。コバーンの姿勢に鑑みるに、『ローリング・ストーン』の表紙に出てくれと頼まれたときの、きまりの悪さは想像もつかない。
■コバーンがはまったカウンターカルチャーの落とし穴
妥協した結果が、「やっぱメジャーなロック雑誌はむかつく」とプリントされたTシャツ姿で撮影に臨むことだったのだ。そうすることでコバーンは、自分は裏切り者じゃない、敵地に潜入してるだけだと己に言い聞かせた。
「敵の一員になりすまし、体制の組織内に潜入し、内部から腐らせていくんだ。やつらのゲームに参加してるふりをして帝国を破壊し、やつらが手の内を見せてくるぎりぎりのところまで迎合する。そして毛深くて、汗臭くて、マッチョな性差別主義の脳たりん野郎どもは、もうじき、革命児の蜂起から生まれた剃刀の刃と精液の池で溺れることだろう。武装し、洗脳を解かれた十字軍は、ウォール街のビルのあちこちに革命の残骸をまき散らす」(カート・コバーン『JOURNALS』)。
コバーンをはじめ、おれたちパンクは、ヒッピーのカウンターカルチャーに発する考えのほとんどは拒否したかもしれないが、すっかりうのみにした要素が一つだけあることが、ここにはっきりと見てとれる。これはカウンターカルチャーの思想そのものだということ。つまり、ヒッピーが知らずにしていたのとまったく同じことを、おれたちもいつのまにかしていたんだ。ただし違うのは、連中とは違っておれたちは絶対に裏切らない、ちゃんとやると、そう思っていた。
■神話に政治上の意味合いを持たせるようになった
あっさりとは廃れない神話がある。ヒップホップでも同じことのくり返しが見られる。ここではカウンターカルチャーの思想は、スラム生活とギャング文化へのロマンチックなまなざしという形をとる。成功したラッパーは巷の評判、つまり「本物であること」を保つために苦闘しなくてはならない。「スタジオ限定のギャング」ではないと示すだけのために銃を携帯し、服役し、撃たれることも辞さない。だから死んだパンクとヒッピーに加えて、いまや偶像化した死んだラッパーも着実に増えてきている。
世間では、2パック(トゥパック・シャクール)が現実に体制の脅威だったとして「暗殺」されたとうわさする。エミネムは武器を隠し持っていたかどで逮捕された件について、世間の評判を落とすよう仕組まれた「まったく政治的なこと」だったと主張する。同じことがくり返されている。
これが音楽業界だけのことだったら、さほど重大ではなかったはず。だが残念ながら、カウンターカルチャーの思想はこの社会への僕らの理解に深く組みこまれており、社会および政治生活のあらゆる面に影響を与えている。
最も重要なことには、それが現代のすべての政治的左派の概念のひな型となった。カウンターカルチャーはラディカルな政治思想の土台として、ほぼ完全に、社会主義に取って代わった。だから、カウンターカルチャーは神話にすぎないのだとしても、それは数知れない政治上の結果をもたらして、莫大な数の人を誤らせた神話である。
■「人とあえて違うことをせよ」という罪
カウンターカルチャーの反逆──「主流」社会の規範の拒絶──は大きな差異のもととなった。個人主義が尊ばれ、順応が見下される社会では、「反逆者」であることは新たなあこがれの種類となる。「人とあえて違うことをせよ」と、しきりに言われたものだ。60年代には、ビートニクかヒッピーになることが、自分は堅物でも背広組でもないと訴える方法だった。
80年代には、パンクやゴシックの服装が、プレッピーでもヤッピーでもないことを示す手だてだった。それは主流社会の拒絶を目に見える形で表明するやり方だったが、同時に自分の優越性の再確認でもあった。「おれはおまえと違って、体制に騙されたりしない。愚かな歯車ではない」というメッセージを送る手段だった。
むろん問題は、誰もが上品にはなれないし誰もが趣味のよさを持てないのと同じ理由で、誰もが反逆者になれるわけではないことだ。みんながカウンターカルチャーに加わったら、カウンターカルチャーが単一文化になってしまう。
■一般化されてはモデルチェンジを繰り返し…
そこで反逆者は差異を回復するために、新しいカウンターカルチャーを創出しなければならない。カウンターカルチャーの様式は非常に排他的なものとして始まる。それは「アンダーグラウンド」になっていく。独特のシンボル──愛の象徴のビーズネックレス、安全ピン、ブランドの靴やジーンズ、マオリ族のタトゥー、ボディピアス、車の車外マフラーなど──は「通人」間のコミュニケーションの核心となる。
だが時の経過にしたがって、そうした「通人」の輪は広がっていき、シンボルはどんどん一般化する。必然的に、これらの標識が与える差異はすり減っていく──ナシメントがバーバリーブランドを安っぽくしたのと同様に。「クラブ」はだんだん選良ではなくなる。そのため反逆者は新しいものへ移行しなければならない。
このように、カウンターカルチャーは絶えずモデルチェンジしつづけることになる。これこそ反逆者が、ファッションに敏感な人がブランドをどんどん取り替えるのと同じくらい速く、スタイルを選んでは捨てる理由である。
■反逆者なのに消費文化の核心になってしまった
こんなふうにして、カウンターカルチャーの反逆は、競争的消費の主な駆動力になった。政治評論家のトマス・フランクはこう書いている(Thomas Frank, “Alternative to What?”)。
「『反逆』は『オルタナティブ』へのモデルチェンジによって、経済が加速させる一方の陳腐化のサイクルを見事な手際で正当化するという、従来の機能を果たしつづける。購買品でクロゼットをいっぱいにしたいという意欲は、見せびらかす商品が永久に変わりつづけることと、新しいものは古いものよりもいいとずっと思わされることに依存しているから、われわれは何度も何度も『オルタナティブ』は既存のものや以前のものより価値があると説得されなければならない。
1960年代以降は、『反体制』が、古い所有物を捨てて今年提供されることになったものを買うよう説きふせる惹句だった。そして年月を重ねるうち、反逆者はおのずとこの消費文化の核心をなすイメージとなった。目標も方向も定まらない変化と、『支配者層』──いや、もっと正確には『支配者層』に去年買わされたもの──を永久に許さない気持ちとを象徴して」
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1967年生まれ。哲学者。トロント大学哲学部教授。同大学ムンク国際問題・公共政策大学院教授。同大学倫理学センター元所長。著書に『ルールに従う』『資本主義が嫌いな人のための経済学』『啓蒙思想2.0』など。
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1970年生まれ。トロント大学で哲学の博士号を取得。「オタワ・シチズン」紙の編集長を務めた後、現在マギル大学マックスベル公共政策大学院准教授。著書にThe Authenticity Hoaxなど。
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(トロント大学哲学部教授 ジョセフ・ヒース、ジャーナリスト アンドルー・ポター)
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