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支那そば、中華そばでは不正解…日本で最初の「ラーメン」はなんと呼ばれていたか

プレジデントオンライン / 2021年10月13日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ahirao_photo

日本人の大好きなラーメンは、当初、なんと呼ばれていたか。慶應義塾大学文学部の岩間一弘教授は「『南京そば』と呼ばれていたようだ。日本の印刷物に初めて登場したのは、1884年、函館の外国人居留地にあった『養和軒』という洋食屋の広告であるとされている」という――。

※本稿は、岩間一弘『中国料理の世界史』(慶応義塾大学出版会)の一部を再編集したものです。

■日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門ではない

日本のラーメンの歴史について見ると、すでに多くの優れた論著が知られている。だが、ラーメンの呼称変化が20世紀の国際政治情勢と深く関わっていることは、これまで十分に整理して論じられていないようである。ここでは、ラーメンの近現代史について、呼称変化の政治的背景を中心に振り返りたい。

その前にまず確認すべきことに、日本で最初にラーメンと餃子を食べたのは、水戸光圀(1628~1701年)とする有名な説がある。水戸家の家臣の間で、光圀の麵好きは有名であり、1665年頃、うどんを自ら作って、明からの亡命儒学者・朱舜水(1600~82年)をもてなし、逆に朱舜水は光圀に、レンコン澱粉(藕粉)を使った平打ち麵と、豚肉の塩漬け(火腿)で作ったスープのラーメンをふるまったとされる。

しかし、この説は、朱舜水が中国麵を直伝し、光圀が僧や家臣にふるまったという「水戸藩ラーメン会」による説を聞いて、著名な食文化史研究者の小菅桂子が書き、それにもとづいて横浜ラーメン博物館が紹介して広まった俗説である。

たしかに、『朱氏談稿』(安積覚著、水戸の徳川博物館に陳列)を見ると、餃子や餛飩(ワンタン)のほかに冷淘(冷し麵)、温麵、索麵などの記載がある。だが、これらはいずれも、今日のラーメンのような麵ではなく、うどんであるという。

そもそも、レンコン澱粉と小麦粉では、手延べの麵を作ることができない。

しかも、明の儒学者である朱舜水に、料理の経験があったとは考えづらい。それゆえ、水戸光圀が、ラーメンの発明者でも、日本へのラーメンの紹介者でもないことは、ほぼ間違いない。

■日本の印刷物に初めて載った「ラーメン」の呼び方

1871年、日清修好条規が結ばれて、日本の開港都市に住む華人は、法的承認と領事による保護を得た。

「南京そば」が、日本の印刷物に初めて登場したのは、1884年、函館の外国人居留地にあった「養和軒」という洋食屋の広告であるとされる。

西洋式食堂で働いていた中国人料理人が、鶏汁そばを作り、それがラーメンの先駆けに位置づけられる。

19世紀末には、横浜の華人たちも、麵を濃厚な肉のスープに入れて食べる料理を作っていて、それも現在のラーメンにつながる。

南京そばが条約港以外の日本各地へと広がったのは、1889年の治外法権と外国人居留地の撤廃、内地雑居の許可からである。

「南京そば」の「南京」は、江戸時代初期の1644年に滅亡した明国初期の首都である。

明は、漢族の最後の王朝であったので、滅亡後にも、儒者をはじめ多くの日本人が敬意や憧憬を抱き続けた。

「南京そば」のほかにも、「南京豆」「南京錠」「南京玉すだれ」「南京虫」「南京町」など、江戸・明治時代に中国から渡来したものの呼称に「南京」が付けられたのは、こうした理由による。

■政治的背景により呼称が「支那ソバ」に変化

しかし、1910~20年代頃までに、「南京そば」の呼称が、「支那そば」へと移り変わったと考えられる。

例えば、浅草では、1900年代、日本人が支那そばを売る屋台が進出した。1920年代初めまでには、映画館の後に支那そば屋台に行くのが定番になっていたという。

そして、横浜の南京町の中国料理店に足繁く通っていた税関職員の尾崎貫一が脱サラして、1910年、浅草に來々軒を開いた。浅草の來々軒は有名になり、全国に同名の店ができた。

近代日本でよく用いられた「支那」の呼称は、中国を下に見るようなニュアンスを含むことも多かったので、中国では現在でも使用がはばかられる言葉である。

江戸幕府の公文書では、たいてい「唐」という表現が用いられていたが、19世紀以降の書物では、王朝名による「清」「清国」、総称の「唐」「漢」などのほかに、「支那」という語がしだいに多く用いられるようになった。

明治維新後には、「唐国」「漢土」の語が減って、「清国」「支那」が一般的になった。明治初期の台湾出兵(1874年)や琉球処分(1872~9年)によって、日中関係が悪化した頃、新聞では8割方、「支那」の語が用いられていた。すでに日清戦争以前に、「支那」の語は、日本国民の間で定着していたといえる。

19世紀中頃、開国した清は、しだいに国名として「中国」を使い始め、1898年の戊戌の変法の後には、満族の王朝ではない近代国家の自称として、「中国」を用いる風潮が強まった。

そして1912年、省略すれば「中国」となる「中華民国」が成立する。だがそれにもかかわらず、日本文の公文書では、正式国名として「支那共和国」、その略称として「支那」を用いることが決まるなど、日本では「中国」よりも「支那」の呼称が多用され続けた。

■在日中国人留学生から上がった「支那」の使用禁止

中国人の側からは、留日留学生を中心に、1915年の対華21カ条要求によって反日感情が高まって以降、日本の「支那」呼称使用に反省を求める声が起こる。

そして、1930年5月、南京国民政府の外交部が、「支那」の語を使用した日本の公文書の拒否を指示した。すると、同年10月、浜口雄幸内閣が、中国の正式呼称を「中華民国」に変更することを閣議決定する。

さらに翌年1月、国会で幣原臨時総理代理兼外相が、「支那」を一切使わず、「中華民国」「民国」「日華」を使う画期的な演説をした。だが、議場の松岡洋右から非難されると、幣原はその後すぐに軟化して、答弁に「支那」も使用するようになった。

1932年の満洲国建国にともない、外務省は、既存の条約の適応範囲の問題から、国名としては「支那国」や「支那」の使用禁止を促し、それらを地理的呼称に限定しようとした。だが実際には、公文書でも徹底せず、軍部を含めて日本社会一般では、「支那」が広く使われ続けた。

「支那そば」の呼称は、こうした1910~30年代の政治・社会情勢のなかで広まっていった。それは、たとえ多くの人々が、その呼称自体に侮蔑の意味合いを含めず、一般名称として用いただけだったとしても、在日華人や中国の人々からすれば不本意なものであった。

■ラーメンの語源は広東風の汁麵という説

他方で、浅草の來々軒(1910年創業)などでは、「ラーメン」という呼び方もされていた。

1928年、東京・上野の「翠松閣」の日本人料理長・吉田誠一が、『美味しく経済的な支那料理の拵え方』(博文館)を刊行し、日本の料理書として初めて「拉麵(ラーメン)」を掲載した。

小麦粉にかん水を加えて手延べする「拉麵」は、明清時代までに山東省で発展し、西方・南方へと広がったと考えられている。

ただし、日本語のラーメンの語源は、この山東式「拉麵」ではなく、広東系の細い汁麵である「柳麵(ラウミン)」であるとする説が有力である。

東京のラーメン店のオーナー
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

さらに、札幌では第2次世界大戦前からいち早く、「支那そば」よりも「ラーメン」という呼称が、一般的になっていたと考えられる。

というのも、王文彩という山東出身の料理人は、シベリアのニコライエフスクで店を開いていたが、1920年の尼港事件に遭って、樺太経由で札幌に逃げてきていた。

1922年、北海道大学の正門前に「竹家」という食堂を開いた大久昌治・タツ夫妻は、留学生の紹介で王文彩に会うと、食堂を「支那料理竹家」とすることにした。

竹家では、糸のように細く切って油で揚げた豚肉を具とする「肉絲麵」が一番人気になった。しかし、客たちはそれらを、「チャンそば」「チャン料理」という中国人を侮蔑する言葉で注文した。

それを見かねた大久タツが考案したというのが、日本の「ラーメン」という呼称の始まりの一つである。

竹家による「ラーメン」の呼称は、麵を「拉(ラー)」(引き延ばす)からではなく、「好了(ハオ・ラー)」(出来上がったよ)という掛け声の「了」から命名されたものであった。

■GHQの勧告により「支那そば」は「中華そば」に

さて、日中戦争期、日本では「支那」が、侮蔑的意味・侵略対象としての語感を強くもつようになった。

他方、中国では「支那」こそが、日本の対中蔑視の象徴として敵視されて、戦後を迎えることになった。

戦後の日本では、国民政府の代表団が、「支那」の語の使用禁止を要求した。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、「支那」の語について調査して、「支那」が軽蔑の意をこめて使われてきたことを指摘し、「中華民国」「中国」が相応しい呼称であると勧告した。

さらに、1949年に中華人民共和国が成立すると、新政権に対する「新中国」という呼称が広く用いられるようになり、それに伴って、日本で「支那」の呼称がようやく使われなくなっていった。

そして第2次世界大戦後、アメリカの占領期に、「支那料理」「支那そば」「シナチク」ではなく、「中華料理」「中華そば」「メンマ」という呼称が広まった。

1960年代までには、「そば」というと「中華そば」のことを指すことも多くなり、それに伴って「日本そば」という言い方もできた。なお、メンマは、中国語の「麵碼」(麵のトッピングの意味)に由来するものと考えられる。

中華そば屋の暖簾
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

■「冷やし中華」はいつ始まったか

また、「冷やし中華」についても見ると、1929年刊の『料理相談』が、「冷蕎麦」としてレシピを記載している。それは、「支那焼きそば」をゆでて、皿盛りし、酢・砂糖を加えた汁で味つけし、氷をかけて提供するものである。

同様のものは、第2次世界大戦前から中国料理店が、「涼拌麵」「涼麵」などとして出していた。例えば、神田・神保町の「揚子江菜館」(1906年創業)は、1932年に「雲を頂く富士山の四季」をイメージして具材を山高に盛り付ける「五色涼拌麵(ごもくひやしそば)」を考案して、冷やし中華の一つのスタイルとして定着させている。

しかし、「冷やし中華」「冷やし中華そば」という呼称は、戦後にできたものと考えられる。

■「ラーメン」の呼称を日本中に広めたある製品

さらに、「ラーメン」の呼称が全国的に広まっていくのは、1958年、日清食品(当時はサンシー殖産)が、即席麵の「チキンラーメン」を発売し、それが爆発的に売れてからであった。

同じ頃に普及し始めたテレビのコマーシャルでも、「インスタントラーメン」が頻繁に宣伝されたことによって、ラーメンの呼称が日本全国に広まった。くわえて、それ以前のラーメンは、中華料理屋のメニューの一つや、餃子屋の添え物にすぎなかったが、1960年代頃から、ラーメンの専門店が、全国にできていったという。

■韓国でラーメンと言えばインスタントラーメン

ちなみに、韓国では、ラーメンを「ラミョン(라면)」と呼ぶ。なぜならば、日韓関係の正常化が模索された1960年代、インスタントラーメンが、日本から韓国へと伝わったからである。

1963年、サミャン(三養)食品は、日本の明星食品から無償技術供与を受けて、インスタントラーメンの生産を開始した。それは発売当初、明星食品の日本人向けの味のままであったが、3年間の試行錯誤を経て、麵やスープが、韓国人の嗜好に合うものに改良された。サミャン食品は、韓国で市場占有率首位の代表的なラーメン製造業者になった。

ただしその後、1965年にロッテから独立して86年に辛ラーメンを発売したノンシン(78年にロッテ工業から農心に社名変更)に首位を明け渡した。

このように韓国スタイルのラーメンは、インスタントラーメンとして始まったので、韓国では現在でも「ラミョン」といえば、インスタントラーメンのことを指す。

さらに、韓国に限らず、日本以外の国々では、「ラーメン」といえばインスタントラーメンを指すことが多い。中国ですら、現在では「拉麵」といえば、即席麵がイメージされることが多い。

■日本の国民食から世界食へ

世界インスタントラーメン協会によれば、2020年に世界中で1年間に消費されたインスタントラーメンは、1165億6000万食にのぼる。

岩間一弘『中国料理の世界史』(慶応義塾大学出版会)
岩間一弘『中国料理の世界史』(慶応義塾大学出版会)

国別に見ると、中国・香港が463億5000万食で首位、2位のインドネシアが126億4000万食、3位がベトナムで70億3000万食、4位がインドで67億3000万食、5位は日本で59億7000万食、6位がアメリカで50億5000万食、7位がフィリピンで44億7000万食、8位が韓国で41億3000万食、9位がタイで37億1000万食、10位がブラジルで27億2000万食である。

日本のインスタントラーメン消費量は、2018年にインド、20年にベトナムに抜かれて世界第5位に転落している。

このように、中国・台湾をルーツとして、日本から発信されたインスタントラーメンは、国民食から世界食への発展に成功した代表的な食品である。

※出典を示した注については再編集にあたり省略しました。詳細は書籍をご覧ください。

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岩間 一弘(いわま・かずひろ)
慶應義塾大学文学部 教授
1972年生まれ。専門は東アジア近現代史、食の文化交流史、中国都市史。2003年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。千葉商科大学教授などを経て2015年より現職。おもな著書に、『中国料理と近現代日本――食と嗜好の文化交流史』(編著書、慶應義塾大学出版会、2019年)、『上海大衆の誕生と変貌――近代新中間層の消費・動員・イベント』(東京大学出版会、2012年)などがある。

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(慶應義塾大学文学部 教授 岩間 一弘)

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