イェール大学名誉教授「アメリカの幼稚園で気づいた日本低迷の根本原因」
プレジデントオンライン / 2021年10月15日 9時15分
■日本で報道されない根強いトランプ人気
米国は個人主義の国である。これだけ新型コロナウイルスが猛威をふるっており、しかもほぼ安全なワクチンが開発されていても、バイデン大統領のワクチンの強制的義務付けの方針には、共和党支持者およびワクチンを受ける子どもの親などから強烈な反対運動が起こっている。自分の体は自分で面倒を見るというのが合衆国憲法に保障された人権だと反対派は言うのである。ウイルスの伝播を防ぐマスク着用の強制についても同様で、米国は個人主義の行きすぎと科学への無知から、多くの人命が失われている。
日本だと一応、科学的知識として認識されていることは皆の行動の前提となるが、米国ではそうでない。旧約聖書の記述と違っているからとして、ダーウィンの進化論を認めない人もいまだに多い。また、今でも南部諸州を中心に共和党を地盤とする20数州の知事が、ワクチン接種の義務付けに反対している。もし日本で同様にワクチン接種を義務付けしたとしても、野党を母体とする地方の知事が、ワクチン接種強制に反対するとはとても考えられないだろう。
人が一緒に住むところでは、疫病は直接に伝播する。このように経済学でいう「外部性」のあるところでは、個人の自由に任せておいたのでは社会の福祉は達成できない。
「自分はワクチンなしでも大丈夫だ」と信じている人が、仮にその人自身については正しかったとしても、家族や友人そして群衆を通じてほかの人々に、場合によっては死の病をもたらしているのである。
米国では、科学的真理を認める人々と、いまだ影響力の強いトランプ前大統領が唱える“自分に都合のよい世界”を信じて科学を軽視する人々の間で、認識の対立が政治的対立につながっている。ペロシ下院議長の言葉によれば、「ドナルド・トランプはクレイジー、つまり正気の沙汰でないのです」ということであるが、大統領選挙に敗北しても根強い人気がある。
共和党の下院議員の多くや共和党擁立の州知事のほとんどは、このような非科学的な指導者の世界観を、本気でか政治的理由によってかはわからないが、支持しているのである。2021年9月14日に投票が行われたニューサム・カリフォルニア州知事のリコール——彼は幸いにリコールを免れた——も、トランプ前大統領の支持者によって出されたが、政治信条の違いを超えた文明の対立とさえ見える。つまり、我々の住む世界で何が現実なのかという認識間の争いとして闘われたように感じられる。
■古い教育が日本人の活力を奪っている
さて、ここまではいわば“個人主義の行きすぎ”の話であって、読者は、日本の教育は子どもや学生に自分勝手を許さないよう教育しているから安心だと受け止めるかもしれない。しかしながら、日本では、逆に個人主義の 欠如(・・)が経済の活力をそいでいるというのが、実は本稿の強調したい点である。ワクチンがアメリカで先に開発されて、日本ではそうでないといった科学の進歩の差が、実は個人のインセンティブ不足に関係しているかもしれないのである。
日本の教育の第一の特徴は、基礎的学力、特に記憶と計算能力の強調である。日本の技術が世界のフロンティアに近づいた今、記憶と計算だけでは前に進めない。漢字、人名や歴史を忘れても、スマートフォンが教えてくれるし、計算もスマートフォンがやってくれる。
今の技術革新に大きく役立つのは、ITに代表される技術革新を前提としたところで、いかに多数の人々に利便を与えるようなネットワークのある構想ができて、それをビジネス化できるかである。アップル、アマゾン、グーグル、フェイスブックなどが多大の利益を得るのは、インターネットの存在を前提として、世界中に散らばっている隠れた需要と供給をうまく結びつける技術である。
日本の教育の第二の特徴は、知識を学び理解するという情報摂取(インプット)に偏り、自らの発信(アウトプット)が限られていることである。明治以降に世界に追いつこうとした日本の経済発展の歴史に根づいているものであるが、お互いに意見を言い合って、その中から新しいヒントを得ることがフロンティア開発のためには不可欠である。
個人主義と対比される日本の教育の第三の特徴は、画一的なところである。「不得意なところをなくせ」というのが、私の中学の校長先生の口癖だった。これに比べ娘の通った(ハーバード大の近くにある)幼稚園の園長さんは、入園式で「“子どもは一人ひとりそれぞれ違う”ということを理解するのが教育のはじめです」と入園式で述べた。
したがって、有能な子どもには飛び級が許されたり、能力差に応じて特別のクラスを設けたりすることも、米国では当然である。
そういうふうに教育されると、優秀な子どもが育つのは良いが、その子どもが鼻高々になって社会になじめなくなるのではないかと心配する人もいると思う。確かに、生意気な秀才がアメリカにはたくさんいる。そこで、日本であれば「謙虚であれ」「能ある鷹は爪を隠す」と抑制的な教育が行われるところである。
しかし、米国では、違った経路をたどる。才能のままに抑制されず育った“村一番”の秀才たちも、中学から高校、大学と向かう過程で、他校からの一層優れた秀才たちに会うことになる。身をもって自分の能力の限界を認識させられるのである。
■うまく褒めて意欲を引き出す社会
誰でも自分の優れたところや上げた成果を褒められたい、という自己顕示の本能がある。自分が目立ちたいという本能もある。うまく褒めることによって、褒められたものは意欲が高まって、社会により大きく貢献できる。日本経済が一層活気を持つためには、「出る杭は打たれる」というような抑制的な画一化や、優秀な人への妬みが支配する社会でなく、相手の優れたところを褒め合ってお互いに意欲を引き出す社会をつくる必要がある。
私のイェール大での指導教官ジェームズ・トービン教授は、褒め上手だった。しかし、その褒め言葉もあとでよく考えてみると、私の足りないところを言外に指示していることもあり、研究意欲を掻き立てるものであった。
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イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。
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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一 写真=AP/アフロ)
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