「肝臓・心臓・脳・胃・骨が壊れる…」"4人の親"をひとりで看た54歳女性が引きずり込まれた病魔の蟻地獄
プレジデントオンライン / 2021年10月10日 11時15分
■父の死
近畿地方在住の花田陽菜さん(仮名・54歳・既婚)は、魚屋や宅配、警備の仕事などを掛け持ちする父親と専業主婦の母親の間に生まれた。7歳上の兄とは仲が良かった。
花田さんは短大を卒業後、就職して経理として働き始める。
20歳のとき、友人の結婚式で夫と出会い、付き合い始めて約1年半後の1990年4月、花田さんが23歳になってすぐ結婚。その1年後には長女を、4年後には次女を出産した。
夫は車のディーラーで整備士として働いていた。結婚当初は、花田さんの両親が所有するマンションの一室で暮らしていたが、翌年に夫が転勤になったのを機に、夫の父親が経営する工場の上に二世帯住宅を建てることに。完成後に同居を開始し、2年後に夫はディーラーを辞め、父親の会社を継ぎ、花田さんも経理としてサポートをし始めた。
当時62歳になっていた義父は、明るく話上手で、とても優しく賢い人。嫁に来て以来、花田さんを本当の娘のようにかわいがり、花田さんも夫も尊敬していた。
2004年9月、花田さんの父親(当時76歳)に肝臓がんが発覚。手術の予定はまだ先だったが、父親が「体がかゆい」と言うため調べてみると、医師から「よく起きていられましたね」と言われるほど血糖値が高くなっていることがわかり、即入院となる。
詳しい検査をしたところ、胆管とすい臓が交わる部分に腫瘍があり、翌年1月、肝臓もすい臓も切除する手術を行うことに。
ところが手術後、動脈硬化もあった父親は、手術で切った部分をつなげようとするとすぐに壊死してしまい、なかなかつながらない。また、すい臓を切除してしまうとインシュリンが出ないため、糖尿病患者のようになり、一向に手術の傷が治らない。手術後の痛みも治まらないため、父親は、「早く迎えに来てほしいとお母(花田さんの父方の祖母)に言ってる」と見舞いに来た花田さんにつぶやき、悲しい思いをした。
2005年4月、突然高熱が出た父親は、集中治療室に運ばれる。花田さんは、「九州にいる兄を呼んだほうがいいですか?」と医師に訊ねたが、「治りますので大丈夫です」と答えた。しかし、その2日後に父親は亡くなった。77歳だった。
死因は肺炎とのこと。医師は、「解剖をさせてほしい」と言ったが、母親は断った。
■義父の介護と義母の胃がん
父親が亡くなって以降、一人暮らしになった70歳の母親が心配で、花田さんは毎晩、夕食後から22時ごろまで、隣町にある実家に母親の様子を見に行くようになった。
母親は骨粗鬆症のため腰が湾曲し始め、膝の関節痛などもあり、歩行に不安を感じていた花田さんは、通院時は必ず送迎するようにしていた。
2008年10月のある日、79歳になった義父が仕事で車を運転していると、目の前が真っ暗に。「まずい」と思った義父は、すぐに車を安全なところに止めて症状が治まるのを待ち、病院を受診。検査を受けたところ、心筋梗塞をおこしていたとわかる。
総合病院を紹介された義父は、心臓の血管が細くなっており、細くなっている部分にステントをはめる手術を受け、定期的に通院することに。
2009年9月、検査でまた別の血管が細くなっているのが見つかり、その部分の血管を、足の血管と付け替える手術を受ける。術後退院した義父は、家業から完全にリタイアすると言い出した。
翌日から義父は、毎日口癖のように「しんどい」と言い、夫や花田さんが「一緒に仕事に行こう」と誘っても外出を嫌がり、家にいることが多くなる。明るく社交的だった義父が笑わなくなり、花田さんも夫も心配した。
2011年1月、義父の心臓血管外科の診察日に付き添った義母が、義父の主治医に「最近、階段を上るとフラフラするんです」と言うと、「診てもらったらいいよ」と言ってすぐに内科の予約を取ってくれた。
義母が内科を受診すると、胃からの出血が発覚。それが原因で貧血になっていることがわかり、詳しく検査したところ、ステージⅢとⅣの間ほどの胃がんが見つかった。
「胃がんが見つかる少し前に、義姉が不倫して家出をしたり、義両親の元から医大に通っていた姪(義姉の長女)が何度も留年し、ついに退学処分になってしまったりと、義母のストレスはMAXだったと思うので、私はそれが原因ではないかと思っています」
■覚醒と衰勢を繰り返す義父
義母に胃がんが発覚すると、毎日のように「しんどい」と言っていた義父は、突然覚醒したかのように明るく元気になり、義母の負担を少しでも減らそうと家事をサポートするようになる。
義母は入院して手術を受け、胃の5分の4を摘出した。
しかし義父の覚醒状態は、長くは続かなかった。2014年、義父は徐々に脈拍が遅くなり、不整脈が出るようになっていたため、ペースメーカーの埋め込み手術を受けることに。手術自体は問題なく終わり、10日間ほどで退院したが、義父は、「誰かが上から見ている」「部屋に蝶々が飛んでいる」などとせん妄症状に見舞われるようになる。
義父のせん妄は一向に治まらず、家にいても落ち着きがなく、再び毎日「しんどい、しんどい」と言う状態に戻ってしまった。困り果てた義母は、花田さん夫婦に相談。夫が、「母さんの手に負えないなら、施設に入れるしかないか……」とポツリ。それを聞いていた義父は、また突然覚醒したかのようにシャンとし、以前のような明るく元気な義父に戻った。
「どうも義父は、ピンチになると覚醒するようでしたが、それでもだんだん『あれ?』と思うことが増えていきました」
2006年に医大を退学処分になった姪に、母親である義姉は、「もう諦めて働きなさい」と言ったが、義姉の元夫は「もう一度だけ頑張ってみなさい」と言ってチャンスを与えたところ、2007年に再度医大に合格していた。
2016年3月、そんな姪が無事大学を卒業し、引越しをすることになったため義父母が手伝いに行ったところ、義父はたった数時間の滞在の間に、トイレの場所を3回も聞いたと、花田さん夫婦は姪から聞く。以前から「怪しい」と疑っていた花田さん夫婦は、「やっぱりか……」と思った。
一方、花田さんの長女は、保育園の年少の頃に発表会でお芝居をして以降、ずっと舞台女優に憧れ、2014年に大学を卒業してから、劇団のレッスンに通っていた。だが、2015年3月、「ここではチャンスが少ないから」と言って単身上京。2016年の4月に上京後初の公演が決まると、花田さん夫婦は義両親とともに、観劇&浅草観光へ。浅草で夫が義父に車椅子を勧めると、嫌がることなくすぐに座った。プライドが高い義父はいつも断っていたため、花田さん夫婦と義母は驚いた。
ところが、東京から帰った翌日、義父が東京旅行のことを忘れてしまっていることに一同は唖然とする。
「義父は、東京旅行のあたりから、意識のオンオフが見られるようになりました。オンの日は明るく元気な様子で饒舌になり、大きな声で笑うことも多かったのですが、オフの日は家の中で静かにしています。以降、義母の様子がおかしいと気付くまで、義父のことは義母に任せていたので、私も夫も義父の変化に気付かずにいました」
■義両親の認知症進行と衰えていく母
2017年に入ると、義両親の様子がみるみるおかしくなってきていた。義父の物忘れについてはある程度把握していたが、義母まで東京旅行の記憶がなくなっていることがわかったとき、花田さん夫婦は愕然。かかりつけ医に相談し、簡易的な認知機能テストを受けると、30点満点中20点。義母はやたらと人に物をプレゼントしたがるようになっており、これも認知症の症状だと知った。
ペースメーカーが入っている義父は、MRIが撮れないため、CTのみの診断によると、前頭側頭型認知症とうつ病の疑いがあることがわかり、両方で経過観察することに。
やがて、うつ病の薬の効果が見られないため、前頭側頭型認知症であろうと判断される。介護認定を受けると、義父は要介護2、義母は要支援2。2人ともデイサービスに通い始めるが、義母が「お父さんの身支度や、持ち物などの用意が大変だし、あんなところは行きたくない! バカにされてる!」と言い出し、自分だけでなく義父の通所にも激しく拒否反応を示し、数回で通わなくなってしまう。
すでに義父は、自分で入浴できないまでに症状が進んでおり、義母も入れようとしないため、花田さん夫婦は訪問看護師に入浴介助を依頼。
ところがある日、義父の入浴後、訪問看護師がつけた浴室乾燥機を切らずに義母が入浴し、湿度が高かった影響で、浴室内で倒れてしまう。それ以降、義母も入浴介助をお願いすることにした。
2018年2月、83歳になった義母が腹壁ヘルニアを発症。手術を受ける前後に不在にするため、義父を初めてショートステイに預ける。すると義父は、「何も悪いことしていないのに、なんでこんな所におらなアカンねん」と悲しそうにつぶやいた。
一方、2005年に父親が亡くなって以降、1人暮らしをしていた75歳の母親は、「歩くと息苦しくなる」と訴えるようになり、2010年に病院を受診。すると、心臓の左心室から全身に送り出されるはずの血液の一部が、左心房に逆流してしまう「僧帽弁閉鎖不全症」を発症していることがわかる。母親は僧帽弁再形成手術を受けた。
これ以降、母親のことがますます心配になった花田さんは、病院の送迎だけでなく、診察にも付き添うことにした。
一方、母親は2015年の夏には「具合が悪い」と言って寝ている日が続き、花田さんは夏バテかと思い、かかりつけ病院に連れていき、点滴をしてもらっていた。だが、一向に良くならず、血圧の上が200を超える値にまで上がったため、救急で診てもらい、「おそらく熱中症でしょう」とのことで、そのまま入院することに。
翌年の夏も同様な症状が見られたため、すぐにかかりつけ医に相談し、点滴や入院で対処した。
2016年冬、突然母親から電話がかかってきた。花田さんが出ると、母親は「実家の前の坂道で転倒し、近くで工事をしていた職人さんに助け起こしてもらった」と言う。慌てて花田さんが駆けつけると、母親は額と、口元と鼻の部分にけがをしており、顔面血だらけになっていた。すぐに花田さんは、かかりつけ医に相談。総合病院に予約を入れてもらい、検査の結果、頭には異常がなかったが、上唇の裏側を数針縫い、額にばんそうこうを貼って帰宅した。
2017年2月、花田さんが夫と出かけていたところ、また母親からの電話が入る。「バスで買物に行った帰り、バス停に向かう途中で転んで、バスを待っていた人に起こしてもらってバスに乗り、自宅近くで降りたはいいが、痛くて動けない」と言う。
びっくりした花田さんは、「救急車を呼ぶから、私が行くまで待ってて!」と伝え、夫と共に母親の元へ急ぐ。実家の最寄りのバス停に到着したときには、すでに救急車が到着し、中に母親がいたため、一緒に受け入れ先の病院へ向かった。
母親は脱臼していた。外れた骨を入れてもらう際、母親はものすごい悲鳴を上げて痛がり、そばにいた花田さんは胸が傷んだ。
「私は母の姿を見るなり、『一人で出歩かないでっていったのに!』と叱ってしまったのですが、まずは、『大丈夫?』だったんだろうなぁ……と反省しました。母が言うには、私が出かけてばかりで、買物に行きたくなっても私がいないので、一人で出かけたんだそうです」
このことがきっかけで花田さんは、昼間に母親を一人にしておくことに不安を覚え、「母親を家に連れてきてもいい?」と夫に相談。夫は「ずっといてもらってもいいよ」と言ってくれたが、母親は花田さんの夫に遠慮し、朝晩は実家で寝起きし、昼間は花田さんの家で過ごすことに。義両親も何も言わず母親を迎え入れてくれた。
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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