骨折で入院しても…98歳「世界最高齢の薬剤師」が75年以上薬局に立ち続ける深い理由
プレジデントオンライン / 2021年10月15日 8時15分
■紛れもない現役の薬剤師
2年前に骨折をして入院生活を送った榮子さんは、リハビリの末、店頭にカムバックし、ヒルマ薬局の“看板娘”として仕事を再開した。
ギネスに載った看板娘といっても、決して単なる看板ではない。パソコンを操って常に薬に関する最新の情報を仕入れ、オンラインで薬剤師の勉強会にも参加している。紛れもなく、現役の薬剤師なのである。
榮子さんがヒルマ薬局の伝統である顧客との相談業務を75年以上もの長きにわたって継続してきた秘訣は何なのだろうか。
榮子さん流の「人との距離の取り方」を物語る、興味深いエピソードがある。
■店内に響いた怒声
それは、ヒルマ薬局がひどく混雑した、ある夕方のことだった。
処方箋の中には調剤に手間のかかるものがある。たとえば難病などで、数十種類もの薬を飲む場合、朝・昼・夕の1日3回分をまとめて用意すると受け付けてから手渡すまでに長時間かかってしまうのだ。待つのが嫌な人の場合、午前中に処方箋を出して夕方取りに来ることもあるが、夕方は夕方で受け取りの人で混雑する。
「何ですぐに出せないんだ!」
店内に怒声が響いた。
榮子さんが声の主に目を向けると、それは高齢の男性だった。男性は一声怒鳴ったかと思うと、プイと店を出て行ってしまった。
普通なら「怒らせてしまったな」で終わりだろうが、榮子さんの対応はまるで違った。
■男性が語りだした意外な事情
事前に記入してもらう問診票で男性の住所を確認すると、閉店後、その男性を訪ねることにしたのである。男性の住居は、都営三田線の終点近くにある団地であった。
「もう暗くなってしまってお部屋を探すのが大変でしたけれど、なんとか探し当てて、ドアを開けてもらいました。申し訳なかったって謝ろうと思ったら、言い訳はいいってドアを閉められそうになったんで、ちょっと待ってくださいって、杖を挟んで閉まらないようにしたんです(笑)」
榮子さんが、お詫びを言いながらお店の状況を縷々説明すると、男性の怒りは徐々に収まっていった。そして、意外な事情を話し始めたのである。
「さっきは済みませんでした。実は、数カ月前に妻を亡くしまして、それまで妻がみんなやってくれていたこと、台所だ、買い物だ、掃除だ、洗濯だって、全部自分でやらなくてはならなくなって、薬の受け取りも自分で行かなくちゃならない。そういうことが重なって、ついカッとなっちゃってね」
独居の男性は、追い詰められていたのだ。
「怒った私のところに、わざわざ謝りに来てくれて嬉しいよ」
最後は感謝の言葉までもらって、榮子さんは引き上げてきた。
「私も気持ちがせいせいしたし、行ったかいがありましたよ」
■こんなことでお客さんを怒らせてはいけない
「ちょっとしたおせっかい」を超えるようなことはしないはずの榮子さんが、なぜこの時は、これほど大胆な行動に出たのだろうか。
「ちゃんとわかってほしいという思い、それに、お店とお客様を大切にしたいという思いですね。過去にはもっとたくさんいろいろなことがあったけれど、こんなことでお客様を怒らせちゃいけないと思ったら、必ず出向きましたよ」
恐れずに自分の思うところを相手に伝え、過干渉の一歩手前まで相手の人生に踏み込むことが、相手の孤独を癒やす場合もある。
ヒルマ薬局の暖簾をくぐる人たちが求めているのは、あるいは、そんな“適度な干渉”なのかもしれない。
■孫とともに2号店に立つ
一緒に薬局を経営する家族とも、うまく関係を築いてきている。
実を言うと、榮子さんの長男は、2号店に当たるこの小豆沢店をオープンした直後、脳溢血で倒れている。集中治療室で1カ月にわたる治療を受け、なんとか一命はとりとめたものの、以来、池袋にある本店の階上の自宅で寝たきりの生活を送っている。倒れたとき、ふたりの息子(榮子さんの孫)は、まだ中学生だった。
そもそも榮子さんは本店の仕事をしていたが、長男が倒れてしばらく経った後、小豆沢店を担当するようになり、本店は長男の妻の公子さんが見ることになった。心理的な葛藤を引き起こしそうなシチュエーションではある。
「公子とはたまに行ったり来たりはしていたんだけど、ある日、孫たちが学校から帰ってきて、ただいまーって言うのを聞いて、ああ、私が本店にいちゃいけないんだなって思ったんです」
どういう意味だろう?
「だって普通だったら、ただいまーの後、お母さんは? って聞くでしょう」
その一言がないことに気がついて、榮子さんは本店と支店を入れ替わることにした。それも面と向かって相談をして取り決めたことではなく、自然にそうなっていったのだという。
「公子と孫の健太郎が本店を見て、康二郎が私とこっちにいますけれど、あんたあっちに行きなさい、こっちに行きなさいって言ったことはないんです。相談してどうこうってことじゃなくて、うちは自然にこんなふうになってますね。思えば、何かにつけて強く主張をするようなことはしてこなかったですね」
■応援したくなるおばあちゃん
一緒に仕事をしている康二郎さんは、榮子さんのことをどんな人物だと思っているのだろうか。
「家族の応援がなかったら、さすがにこの年まではやってこられなかったと思います。じゃあ、なぜ応援したくなるのかといったら、おばあちゃんの、死ぬまで仕事をしたいという軸がまったくブレないからだと思います」
なぜ、死ぬまで仕事をしたいのか。榮子さんの人生観が聞きたい。
「人生観なんて……あんまり深く考えてない(笑)。ただ毎日毎日をこうやって過ごせることが一番幸せじゃないですか。何か、出来事があって暮らしているほど恐ろしいことはないですからね」
「出来事があって暮らしている」というのは、不自然な言い回しだと思った。しかし、後になって、「出来事」が「戦争」を意味するのではないかと気づいたとき、榮子さんが大切に守り続けてきたものがはっきりと見えた気がした。
----------
ノンフィクションライター
1963年、富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』 (朝日文庫)、『東京湾岸畸人伝』『寿町のひとびと』(ともに朝日新聞出版)などがある。
----------
(ノンフィクションライター 山田 清機)
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
女性薬剤師に“急に大声でキレた”60代の老人。ガタイのよい男性に注意され「そそくさと退店」するまで
日刊SPA! / 2024年7月20日 8時54分
-
<映像作家・佐々木昭一郎さんがのこしたもの>中尾幸世…人の心を調和へと導く「音」
読売新聞 / 2024年7月19日 11時0分
-
「もしかして私、臭いのかも?」トップ成績から転落。50歳女性、距離を置かれていたワケは他人は教えてくれない【加齢臭】
OTONA SALONE / 2024年7月16日 17時0分
-
近藤真彦、長男芸能界デビューは?「今は空手ばっかり」怒ったのは1回だけ「もみくちゃにした」
日刊スポーツ / 2024年7月15日 13時1分
-
「このままだと死ぬ」糖尿病の50代が改心した結果 医師に激しく怒られ涙、やっと反省し生活改善
東洋経済オンライン / 2024年7月10日 10時0分
ランキング
-
1「脱ママチャリ」電動自転車がここへ来て人気の訳 10万超でも高性能化、小型化で「1人1台」に?
東洋経済オンライン / 2024年7月23日 10時0分
-
2「地方に多いホームセンター」が都会進出を狙う訳 人口減少が進む中、大手を軸に再編が進行
東洋経済オンライン / 2024年7月23日 8時30分
-
3円安は、バイデン大統領と共に撤退か
トウシル / 2024年7月23日 10時31分
-
4日本製鉄、中国宝山鋼鉄との自動車鋼板合弁解消へ
ロイター / 2024年7月23日 17時19分
-
5ユークス、脚本家の野島伸司氏が社外取締役を辞任 一身上の都合
ロイター / 2024年7月23日 16時55分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください