「37歳で死ぬまでに159本の映画に出た」昭和の名優・市川雷蔵が馬車馬のように働いたワケ
プレジデントオンライン / 2021年10月22日 15時15分
■セルフ・プロデュース能力に長けた稀代の役者・市川雷蔵
映画黄金時代の1954年に歌舞伎界から映画界へ入り、またたく間に人気スターとなった市川雷蔵は、当時はそんな言葉すら日本にはなかった「セルフ・プロデュース」能力に長けた俳優だった。
自分を冷静に、第三者の視点から見つめることができ、会社(大映)と交渉する能力もあったのだ。
その雷蔵は、37歳の若さで、映画不況の只中にある1969年に亡くなった。
今年(2021)は市川雷蔵の生誕90年でもある。
■「精神的にも肉体的にも、大変苦しい」
雷蔵が活躍した1950・60年代は、日活・松竹・東宝・大映・東映の5社(1961年までは新東宝も含む6社)が毎週2本の新作を製作・公開していた。
その大半がプログラム・ピクチャーと呼ばれる娯楽映画で、こんにちでは大半が忘れられている。
スター俳優からみると、「週に2本の新作」の量産体制は、月に1本の主演映画があるということになる。
同時代のスターである、石原裕次郎や中村錦之助、勝新太郎らは、みな年に10本から15本に出演していた時期が15年前後続いたため、生涯に150~200本に出演している。
この量産体制に、大映の大スターとなっていた市川雷蔵が異議を唱えたのは、デビュー5年目の1959年のことだった。
雷蔵は後援会を持っており、その機関誌に自らエッセイのようなものを書いていた。それは没後、『雷蔵、雷蔵を語る』(飛鳥新社、朝日文庫)としてまとめられている。
その機関誌に、こう書いている。
〈現在の会社機構の中にあっては、情熱を燃やしてゆくというのではなくて、才能をすりへらしているといったほうがいい状態なのです〉
〈これではいい仕事ができるはずがありません〉
〈現在のような月一本半というペースは、とても人間の才能として消化しきれるものではないと考え、しかも実際はやってゆかねばならぬという矛盾した立場へ私を陥れ、精神的にも肉体的にも、大変苦しいわけです。〉
当時は映画会社と大半の俳優は専属契約を結んでおり、雷蔵も大映と専属契約を結んでいた。契約の詳細は不詳だが、年に10前後に出演することが互いに義務付けられていたと思われる。
雷蔵はその現状に、とても無理だと訴えているのだ。
■さらに映画会社に異議を唱える
さらに大映の永田雅一社長と、松竹の城戸四郎社長とが話し合い、六社協定(映画会社6社が、各社専属の監督や俳優の引き抜きを禁止、また貸し出しの特例廃止を約束したもの)を一段と強化して、俳優と監督の交流(他社出演)を行なわないと発表したことについても、雷蔵は異議を唱える。
まず、永田が日頃言っている「一に企画、二に監督、三に俳優」というモットー、「企画第一主義」と矛盾すると指摘している。
永田が言うのは、まずいい企画を生み出し、次にそれにふさわしい監督を起用し、三番目にその役にふさわしい俳優を当てるべきだということだ。
スターである雷蔵自身はこの「企画第一主義」には賛成できないと考えている。
〈一つの立派な企画が生まれたとしても、それはスターなくしては浮草のようなものだ〉と言い切るのだ。
たとえば日活の石原裕次郎の映画は、裕次郎というスターがいて初めて成り立つもので、同じ内容・ストーリーの映画を大映で企画しても、裕次郎がいない大映では実現しない。その逆に、日活にはできないが大映にはできるものがある。
つまり、その会社ごとにスターがいて、そのスターに合った企画を考えないことには実現できないではないか、というのが雷蔵の主張だ。
■大映・永田社長の企画第一主義の矛盾をつく
永田の企画第一主義は、その企画のその役にあった俳優を配役するという意味になる。大映で立ち上がった企画の主人公が、石原裕次郎が適役であれば、裕次郎に出てもらうのが、企画第一主義だ。
それなのに、永田は松竹をはじめ他の映画会社とともに、協定を結び、専属俳優や監督の他社の映画への出演を禁止している。俳優の他社出演を禁止しようとするのであれば、企画第一主義は成り立たない。永田は矛盾していると、雷蔵は指摘している。
雷蔵のエッセイは、新聞や雑誌に発表したものではなく、自分の後援会の会報誌に載せた文章なので、広く読まれるわけではない。
だが、関係者の目には触れるだろうから、かなり大胆だ。それだけの度胸が雷蔵にはあり、また当時の映画界は言論の自由があったということでもある。
■ダーティーヒーローが主人公の「眠狂四郎」に出演
市川雷蔵は生涯に159作(カメオ出演4作含む)の映画に出た。
そのうちの12作が柴田錬三郎原作の、ニヒルなヒーローを主人公にした「眠狂四郎」シリーズだ。
雷蔵の人気シリーズは他に「忍びの者」「若親分」「陸軍中野学校」があるが、いちばん早いのが『忍びの者』で1962年12月1日に封切られた。
その翌年1963年11月2日公開の『眠狂四郎殺法帖』から「眠狂四郎」シリーズが始まる。69年1月11日公開の『眠狂四郎悪女狩り』まで第12作まで作られるのだから、第1作の評判がよほど良かったのだろうと思うが、そうでもない。
この第1作は「眠狂四郎」の性格付けが曖昧なところがあり、ニヒリズムやダンディズムの要素が薄いとされ、大映社内では失敗だとみなされたのだ
■後援会会報につづられた雷蔵の反省
雷蔵自身も後援会会報誌に〈残念ながらこの第一作は失敗だったといわないわけにはいまいりません〉と書いている。
〈試写を見て私は驚きました。狂四郎という人物を特徴づけている虚無的なものが全然出ていないのです。映画の中の狂四郎は何か妙に明るくて健康的でそれは狂四郎のイメージとまったく相反したものでした。これまでの私にたくまずして出ていた虚無感や孤独感といった一種のかげりが今や私の肉体的、精神的条件の中からほとんど姿を消していたのに私ははじめて気がついてハッとしました。〉
雷蔵は、自分が演じる狂四郎が虚無的ではなかった理由を、
〈私自身が家庭を持った一種の安らぎあるいは充実感といったものが無意識のうちに、にじみ出ている結果〉と分析する。
雷蔵は前年に結婚し、『眠狂四郎』の撮影が始まった頃に第一子が生まれ、幸福の絶頂にあったのだ。その、いまでいう幸福オーラが狂四郎にもにじみ出てしまったと、雷蔵は反省する。
〈もちろん演技者としては、これは弁解になりませんし、そんなことではいけません。この次こそは厳重な注意の目をくばりながら狂四郎の役作りを大きな課題としなければならぬと戒心しています。〉
■勝新太郎が舌を巻いた雷蔵の孤独と虚無の演技
眠狂四郎はオランダ人の転びバテレンが、自分を転ばした大目付に復讐するために、その娘を犯したことで生まれた子という設定だ。
そうした暗い出生の秘密があるためか、女を犯し、人を切り捨てることもためらわない、ダーティーヒーローである。
一方、雷蔵も、出生の謎があり、生後すぐに生母と別れ、親戚の歌舞伎役者の養子となり、実の両親のことは知らされずに育ったという過去がある。
歌舞伎の世界に入っても、脇役の子だったのでいい役がつかない不遇な時期が長かった。その後、名優の養子となることで芽が出た。
こういう経歴からか、雷蔵は虚無感、孤独感のある役が合っていた。だが、それは生まれ育った環境によって自然と作られただけではなく、俳優としての「役作り」の努力の結果、生まれたものなのだ。
素顔の雷蔵については気さくで明るい人だったと共演者や撮影所の関係者は語っている。それがカメラの前に立つと、孤独で虚無的な男になる。決して地でやっているのではないと、雷蔵は言いたいのかもしれない。
同時期、同じ大映にいた勝新太郎は、雷蔵の孤独と虚無が演技であることを知っていた。そして勝新は、自分にはそこまで完璧に創ることはできないと自覚し、それとは別の方法で俳優として生きていく。
雷蔵は完璧に演じきるが、勝はスクリーンの中でその人物として生きる究極のリアリズムを志向するのだった。
■人気シリーズとなった「忍びの者」に出演
1963年12月28日、雷蔵の「忍びの者」シリーズ第3作『新・忍びの者』が封切られた。
このシリーズは、大泥棒で知られる石川五右衛門が実は伊賀の忍者だったという設定だ。もちろん、雷蔵が五右衛門である。
第1作『忍びの者』では、信長によって伊賀の忍者の里が壊滅する。
第2作『続・忍びの者』では、五右衛門は信長に復讐し、本能寺で殺す。だが秀吉が五右衛門の妻を含めた仲間を壊滅させたので、次は秀吉を暗殺しようとするが、失敗して捕らえられ、釜茹での刑になるところで終わる。
村山知義による原作の小説も、そこで終わるのだが、第2作もヒットしたので、大映は、五右衛門は実は生きていたという設定で、第3作『新・忍びの者』を作った。
五右衛門は釜茹でになる前に替え玉と入れ替わっており、生きていた。
助けたのは徳川家康配下の服部半蔵で、五右衛門に「秀吉を殺さないか」と持ちかけ、さまざまな謀略を仕掛け、秀吉を精神的に追い詰めていく。
秀吉が死に、天下を獲った家康は、服部半蔵を通じて五右衛門に仕官をすすめたが、五右衛門は断った。
「家康は俺を使って天下を取ったが、俺は家康のおかげで妻子の仇をとった」と言い残して、関ケ原の朝霧の中に消えていく。
こういうストーリーで、さらに続編も可能なようになっている。
■自分を封じて会社のために映画に出る
雷蔵はこの映画について後援会誌にこう書いている。
〈五右衛門は『続忍びの者』においてすべての努力を秀吉暗殺に傾けたものの、ついに成就することなく捕われました。しかし、彼の人生観は死によって最愛の妻や子にめぐり逢える喜びを抱いている。そんな悟りの心境に達していたのです。その同一人物が今さら再び秀吉を狙う復讐鬼になるのは演ずる側からいえば大変やりにくくなります。〉
〈会社は儲けるためには五右衛門個人の心理なんか構っていられないのでしょう。ですからこれは大きな力に押し流されてしまうという点でいかにも忍者の映画らしいし、私の境遇もまた忍者の運命に似ているような気がします〉
命じられた仕事を淡々とこなす――忍者の生き方と映画俳優の生き方が同じだと雷蔵は達観しているのだ。
そう思わせるほど、この年の雷蔵は自分のしたいことを封じて、ひたすら会社の命じるままに映画に出ていた。
〈私はこの一年間少し大袈裟にいえば俳優としての自分を犠牲にしても会社再建のために馬車馬のように、ひたすら突っ走ってきたつもりです。俳優としての私だったら、やりたくない作品も少なくありませんでした。しかし、会社を健全な姿に戻すために会社の企画するもの、私の出演を依頼されたものには、一応建設的な意見交換はしても結局すべてに出演してきて、決して破壊的な行動には出ませんでした。〉
それは全て会社のためだったが、その純粋で一途な気持ちが会社には分かってもらえていないとの不満も抱いていた。
そこで来年度は自分にも会社にもきびしくなると宣言している。
■37歳で亡くなった雷蔵が本当に作りたかった作品
雷蔵は年に10本前後のプログラム・ピクチャーに出続けた。前半は単独の作品が大半だったが、後半は4つのシリーズに交互に出ていた。
そのなかでも、強く希望し、年に1本は文芸作品にも出ていた。
吉川英治原作の『新・平家物語』(溝口健二監督)、三島由紀夫の『金閣寺』を原作にした『炎上』(市川崑監督)、山崎豊子原作『ぼんち』(市川崑監督)、島崎藤村原作『破戒』(市川崑監督)、三島由紀夫原作『剣』(三隅研次監督)、有吉佐和子原作『華岡青洲の妻』(増村保造監督)などである。
雷蔵はこれらの作品を作るのと引き換えに、眠狂四郎や忍者を演じていたとも言える。
1967年、大映の勝新太郎は勝プロダクションを設立し、映画製作に乗り出した。
三船敏郎、石原裕次郎、中村錦之助もプロダクションを作っていた。
だが雷蔵は劇団を創立した。新しい演劇を作るためで、雷蔵は新作戯曲を依頼し、自分で配役も決めて出演交渉し、準備した。
しかし、6月に稽古が始まった直後に体調を崩して入院、演劇の公演は中止になった。
7月に退院した後、2作の映画に出たが、1969年2月にまた倒れ、1969年7月17日に37歳で亡くなった。
その2年後の1971年12月、大映は倒産した。
雷蔵の死、つまり雷蔵出演作がなくなったことは、瀕死の大映にとどめを刺したと言える。
スターの存在がいまとは比べ物にならないほど大きかった時代、市川雷蔵は、会社に命じられるまま、おびただしい数のプログラム・ピクチャーに出ながらも、自分を見失わなかった。
その意味では、稀有な俳優、稀有な大スターだった。
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作家
1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、2014年まで代表取締役編集長として雑誌『クラシックジャーナル』ほか、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手掛ける。クラシック音楽はもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博している。
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(作家 中川 右介)
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