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「高齢の親の容態が急変しても119番通報してはいけない」上野千鶴子がそう力説する理由

プレジデントオンライン / 2021年10月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

高齢の親の容態が急変したとき、子供はどうするべきか。社会学者で東京大学名誉教授の上野千鶴子さんは「間違っても119番通報をしてはいけない。こんなはずではなかったと後悔することになる」という。上野さんの著書『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)より紹介する――。

■かつては自宅で死んでいた日本人

いまでも日本人の多くは「死に場所は病院」と考えているようですが、病院死以前には、日本人は在宅で死んでいました。

病院死と在宅死の割合が逆転したのは1976年、そんなに昔のことではありません(図表「病院死と在宅死の割合」参照)。死にかけている年寄りを病院に担ぎ込むことを、日本の家族はながいあいだ「常識」だと思ってきました。

ですが、病院は死なす場所ではなく生かす場所。

とりわけ119番すれば延命治療は専門職の必須の使命です。ふしぎでしかたがないのは、年寄りの容態が急変したら119番し、場合によってはすでに絶命していても119番をダイアルしてしまう家族の行動です。これでは延命治療をしてくれ、蘇生処置をしてくれ、と頼んでいるのと同じ。その後で、こんなはずじゃなかった、と悔いることになります。最近ではようやくその「常識」に疑いが持たれるようになりました。

若い人が感染症や事故に遭う場合には、病院に駆け込むことには効果があるでしょう。ですが、死が予期された高齢者に無理な延命治療をしてどうなるでしょうか。「最期は病院で」という考え方には、医療が稀少資源だった過去の名残りがあるような気がします。いまわの際に一度でいいから、オヤジを医者に診せてやりたかった、と。

ですがもうそんな時代ではありません。このところ、病院死の割合がようやく減少に転じて、代わって在宅死と施設看取りが徐々に増えてきました。施設ですら、かつては終末期の年寄りを病院にかつぎこんだものですが、ようやく施設のなかで看取りを実践するようになってきました。

病院死と在宅死の割合

■日本人の死因のほとんどは加齢による疾患

この在宅死の流れは、決して過去に戻る動きではありません。なにしろ「在宅」と言っても、そこにもはや家族はいないか、家族介護力をあてにすることができなくなっています。それに現在の「脱病院化」は、「病院化」が一周したあとの、新しい在宅死です。というのは、地域の医療・看護資源が、かつてなく充実してきたからです。

日本人の死因からわかることは、大量死時代の大半の死が、加齢に伴う疾患からくる死だということです。すなわち、予期できる死、緩慢な死です。幸い介護保険のおかげで、多くの高齢者がケアマネージャーにつながります。

介護保険の要介護認定率は高齢者全体では平均2割程度ですが、加齢と共に上昇し、80代後半では5割、90代では7割から8割に達します(国立社会保障・人口問題研究所、2012年)。つまり多くの高齢者は死ぬまでの間に要介護認定を受けるフレイル期間を経験しますので、たとえのぞんでも、ピンピンコロリなんてわけにはいかないのです。

要介護認定を受けた高齢者は、ケアマネがつくだけでなく、疾患があれば訪問医と訪問看護師につながります。在宅のままゆっくり下り坂を下って、ある日在宅で亡くなる……ためには、医療の介入は要りません。医療は治すためのもの、死ぬための医療はありません。医師の役目は、介入を控えること、そして死後に死亡診断書を書くことです。

■救急車で運ばれてくる高齢者が増加

では、年寄りの容態が急変したり、死にかけの現場を発見したら、どうすればいいか、ですって? まちがっても119番しないことです。

都内の病院で救命救急医療に30年以上携っている浜辺祐一医師と対談したことがあります。救急現場という人生が一瞬のうちに凝縮したような現場に身を置いて、そのエピソードを洒脱なエッセイで綴ったシリーズが人気の、腕も立つし筆も立つドクターです。

交通事故などで一刻を争う瀕死の患者を、切ったり貼ったりして救命する現場で、自分のやっていることがたったいま求められる価値ある行為であることに、強烈な使命感を感じるとのこと。その快感が、彼を現場につなぎとめてきました。ドーパミンとアドレナリンが大放出するこんな緊張感あふれる現場に、アディクトする(病みつきになる)気分もわからないではありません。

救命救急現場の近年の急激な変化は、救急車で運ばれてくる高齢者が増えたこと。保(も)たせて数日から数週間の延命を施しながら、これが絶対に求められているという確信を持つことが難しくなり、へたに延命治療を施したばっかりに、あとから家族に恨まれることもあるとか。

気管切開され、人工呼吸器が取り付けられた患者
写真=iStock.com/PongMoji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PongMoji

そんなら最初から119番しなきゃいいんですが、気も動転した家族がつい119番してしまうんだそうです。それというのも、これまで119番する以外の選択肢を、家族が知らなかったからでしょう。

■救命救急の医療現場が機能麻痺に陥る

浜辺さんは、多死時代を前にして、このままの勢いで高齢者の救急搬送が増えたら、救命現場が機能麻痺してしまう。何歳以上は救急車の出動を受け付けないとか、決まりをつくる必要があるんじゃないか、とすら言いそうでしたが、それでは年齢で生命の選別を行うトリアージになってしまいます。

東京都内では区内の救急病床が埋まっていれば、互いに融通し合う連携システムができあがっているそうですが、そのため各区をたらいまわしされて、病院に到着する時間が遅れる傾向があるとか。救命救急現場を機能麻痺させないためにも、利用者の側の自制が必要でしょう。

119番する前に、家族がまずすべきことは、訪問看護ステーションに連絡することです。

訪看ステーションは24時間対応を義務づけられていますから、状況を聞いてどうすればいいかを判断してくれます。必要なら主治医に連絡してくれたり、夜間の訪問もしてもらえます。ときどき耳にするのは、夜間に連絡した主治医が119番するように指示することもあるとか。もちろんそれが必要な場合もあるでしょうが、自分の出番を避けたいばかりに、安易に119番につなぐ原因を、医師が作っていることもあります。

実際にあった例では、訪問看護師が主治医に連絡したところ、どうしても連絡がつかず、代わって24時間対応を謳(うた)っている地域の別の在宅医に臨時の対応を要請し、夜間に往診したとのこと。後から主治医に「余計なことをしてくれた」と文句を言われたとか。いろんな医者がいるものですね。

■緊急時の連絡先のメモを貼っておこう

訪看ステーションにつながらないことはまずありませんが、それがだめなら主治医に、それからケアマネに、そして訪問介護事業所の緊急対応窓口へ、順番に電話をかければOKです。もしご本人にその余力が残っていたら、自分で携帯電話で連絡すればよいだけです。らくらくホンで、ワンタッチダイヤルの1から順番に連絡先を入れておきましょう。

わたしと共著で『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』(上野千鶴子・小笠原文雄、朝日新聞出版、2013年)を書いた日本在宅ホスピス協会会長の小笠原医師は、患者さんのお宅の枕元に、緊急時の連絡先として以上の電話番号を優先順位をつけて大きな数字で記したメモを貼りだしておくとのこと。

もうひとつ、わたしが不思議でならないことがあります。

それは自分で電話をかけられる力のある高齢者が、緊急時に遠く離れて住んでいる子どもに電話することです。駆けつけるのに何時間もかかる距離にいる息子や娘に知らせるより、15分で来てもらえる訪問看護師や介護職の方が緊急時にはもっと役に立つと思うのですが。

電話をかけるシニア
写真=iStock.com/sakai000
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sakai000

子どもたちだって医療や介護についてはしろうとです。にわかに判断はつきません。それに親が利用者になっている事業者の連絡先を知っているともかぎりません。途方に暮れるだけでしょう。そのうえ、昔なら夜中に連絡があっても、電車の始発まで動けない、ということもあったでしょうが、自動車で移動できる今日、その言い訳はききません。

親から緊急の電話があるたびに、4時間かけてクルマを走らせる孝行息子の話を聞いたことがありますが、なんでご近所のプロに頼まないのか、と釈然としません。

■「そろそろですね」を受け止めよう

自治体によっては、緊急コールボタンを配布しているところもあります。

ですが、それも申請のあった高齢者だけです。その緊急コールボタンさえ、敷居が高くて押せない、だから子どもに連絡してしまう……という年寄りもいます。緊急コールボタンがそのまま119番に連動しているところさえあって、笑っちゃいました。

庶民感情としては119番するのってハードルが高いもの。そんな気軽にダイアルするわけじゃありません。それよりハードルが低いからと、自治体の緊急コールボタンがあるのに、それが119番につながっているようでは何のためにあるかわかりません。

上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)
上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)

視察に訪れた北欧では、訪問介護につながる在宅の高齢者には、事業所が緊急コールボタンをわたしていました。それもトイレや風呂場で倒れたら手が届かないことを配慮して、首から下げるペンダント式でした。

あるひとり暮らしの男性高齢者をご自宅にお訪ねしたときには、ペンダントはデスクに置いてあり、たまたま訪問していた娘さんが、「首にかけておいてって言っても、言うこときかないのよ」と嘆いておられましたが。

心配いりません。加齢に伴う死は、穏やかなゆっくり死。「そろそろですね」という医療や介護職の予測は、ほぼ当たります。119番したばっかりに火事場の大騒ぎのような死に目に逢わなければならないことは、避けられます。そのためには、大量死時代の死の臨床像が変わったことを、もっと多くの人が知ること、そして病院死が決してのぞましい死ではないことを、学ぶことです。

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上野 千鶴子(うえの・ちづこ)
社会学者
1948年富山県生まれ。京都大学大学院修了、社会学博士。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で40年間、教育と研究に従事。女性学・ジェンダー研究のパイオニア。

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(社会学者 上野 千鶴子)

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