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「共産党と組めば政権交代も夢ではない」そうした立憲民主党の発想は根本的に間違っている

プレジデントオンライン / 2021年10月19日 15時15分

「ニコニコ動画」の党首討論会で、自民党総裁の岸田文雄首相と公明党の山口那津男代表を挟んで討論する日本維新の会の松井一郎代表と立憲民主党の枝野幸男代表。右端は共産党の志位和夫委員長=2021年10月17日、東京都中央区のドワンゴ本社[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

衆議院が解散した。総選挙での政権交代を目指して、立憲民主党と共産党は野党候補の一本化を進めている。文筆家の古谷経衡さんは「野党共闘で勝てる選挙区があったとしても、それは数字上のマジックにすぎない。野党に必要なのは、じっくり支持を広げていく忍耐力だ」という――。

■思想信条の修正すら図るケースも

2009年、麻生自民党から鳩山民主党への政権交代が実現した。しかしその民主党政権は、鳩山→菅→野田と約3年3カ月で瓦解。以降、第2次安倍政権が憲政史上最長の内閣として君臨し、菅義偉内閣、岸田新内閣と自民党支配が続いている。

政治的リベラルが多いとされる野党支持者は、この状況に対して暗澹たる感情を抱いている。「民主主義を軽視し、官邸主導の強権を発動させてきた第2次安倍以降の自民党政権が有権者に支持され続けるのは、われわれリベラル側にこそ問題があるからだ」と。このようなリベラル側からのリベラル批判が、特に第2次安倍政権の後期から盛んになってきた。

衆参の国政選挙を経ても自民党が勝利し続けるので、いよいよリベラルは自分たちがダメだと自虐に走るようになり、このままでは大衆に支持されないと思想信条の修正すら図るケースが散見されている。なぜこのようなことになってしまったのか。

リベラルからのリベラル批判といった言説に、私は幻滅する。結論から言えば、たかが一時期の政権交代に成功したぐらいで、その成功体験にしがみついて二度目があるはずだ、と思っているその魂魄の矮小さである。

思い出してみれば、55年体制を崩壊させた1993年の細川連立政権は、自民党から離党した小沢一郎氏らの勢力が細川護熙を首班に祭り上げた連合政権に他ならなかった。細川内閣の本質とは、自民党Aから自民党A'(ダッシュ)が分派して数合わせで作った非自民政権で、とどのつまりは自民党の亜種であった。

■09年の民主党政権誕生は、真の政権交代ではない

翻って09年からの民主党政権はというと、これも鳩山由紀夫氏、小沢一郎氏は元自民党の政治家で、草の根市民運動家として完全に純然たる非自民の出自を持つのは菅直人氏だけであった。09年時点では、小沢氏の影響力は現在よりも比較にならないほど顕著であり、そのような要素を加味すれば09年の自民から民主への政権交代も、「50%の政権交代」と言えなくもない。

つまりは55年体制以降の戦後日本政治で、真の意味で政権交代が起こった瞬間など、いまだかつてなかったのである。ここが第一の齟齬(そご)である。93年の細川連立政権はともかく、09年の民主党政権誕生によって真の政権交代が実現したと思っているからこそ、「二度目がある」という夢想にたどり着くのである。

しかし09年のそれですら、完全な政権交代ではないことを前提とすれば、そもそもリベラルは、「いまだかつて一度も自民党に勝利したことがない」のであり、これを既定方針として戦略を立て直さなければならない。

■政権交代は野党側の努力「だけ」で達成されたものではない

戦後日本政治の局面は、高度成長を経て中産階級が拡大し、都市人口が増大したため都市部の無党派が増えた。彼らの多くは当初社会党や日本共産党(あるいは公明党=後に自公連立)、つまり野党支持であった。

それに対し自民党は伝統的に農村郡部や大都市周辺の中間団体(建設、医療、郵便、地元商工会など)を支持基盤としていたが、01年の小泉政権を皮切りに、疲弊し続ける中間団体で最大のもののひとつ=郵便関係を切り、大都市部の中産無党派層への支持に訴求することによって衆院選で大勝利した。自民党はその支持基盤を農村郡部から大都市部の中産無党派層に切り替えたのである。

このような自民党の支持基盤の変遷が、21世紀にとりわけ顕著になった。それは2000年の森内閣を嚆矢(こうし)とする清和会内閣の特色でもあったが、すなわち自民党はカメレオンのように、時代の趨勢に合わせてその支持基盤と“同じような”保護色で自身を擬態させる能力に長けている大衆政党である。

よってこの自民党を突き崩すのは、初手から容易なことではない。09年の民主党政権誕生は、リーマンショックによる大不況という時代背景が重なったものであり、すわ僥倖の一種で、決して野党側の努力「だけ」によって達成されたものではない。一度の成功が、二度あると信じること自体がどだいおかしい話である。

■リベラルが自己批判するのは間違っている

そもそも論を突き詰めれば、戦後日本の有権者自体が至極保守的にできているのだ。戦後民主主義を微温的に首肯しつつも、実際の社会生活は男尊女卑の家父長主義で、急進的な改良を嫌い、現状維持か微修正で留飲を下げる。ロッキード事件であれほど批判にさらされ、田中角栄が逮捕されても自民党がなんとか政権を維持したのは、戦後日本の有権者が権力に対する批判精神をあまり持たず、根が保守的にできている何よりの証左なのである。

マックス・ウェーバーによれば「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」(『職業としての政治』)である。

このような政治風土の国で、リベラル政党が既存の保守政党に取って代わるということ自体、非常な継続能力と困苦が伴う。

「簡単に自民党支配を打破できるはずだ」「打破できないのは有権者がばかか、あるいはリベラル自らの誤謬によるものである」という早合点と自己批判は間違っている。戦後日本の政治風土は、そもそもリベラル的価値観になじんでいないのである。言葉を悪くすれば、それほど戦後日本の政治風土や政治感覚は後進的なのである。

■野党共闘すればいいというわけではない

さて、岸田新政権が発足して直後、各種の世論調査によると支持率はおおむね45~55%であり、低調な船出となった。しかし同時期に行われた政党支持率調査では、自民党43%に対し立憲7%(21年10月4~5日、NNNと読売新聞社の全国世論調査)、同じく自民党41.2%に対し立憲6.1%(21年10月8~10日、NHK)となっており、どう判断しても野党の支持率は低落している。

小選挙区下における戦術では、09年の民主党大勝の時がそうであったように、最低でも自民党支持率と野党の支持率が同程度でないと政権交代は起こりえない。野党の前途は依然として厳しい。

このような情勢の中、野党共闘という掛け声が盛んになってきている。小選挙区における自民と非自民の候補の競い合いでは、額面的に自民候補が議席を獲得するが、その内訳を見れば非自民票が多い場合が少なくないことから、比例はともかく小選挙区では野党候補を一本化すれば議席を取れる、というもくろみである。

投票のイメージ
写真=iStock.com/bizoo_n
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bizoo_n

よって立憲民主党と日本共産党は野党共闘の道を模索するわけであるが、端的に言ってこの試みは怪しい。日本共産党と立憲民主党では、経済政策は近似しているが、天皇観、外交安全保障、憲法問題についてかなりの乖離(かいり)がある。国家観が最初から違う二者が連合するのは空中分解の予兆だ。

政党の思想信条の根幹が違うのであれば、無理をして共闘する必要はない。共闘しないと勝てないの実力であれば、最初からその支持基盤は微弱であり、いつでも自民党にひっくり返される。くり返すが、日本の政治風土は根が保守的にできているが故に、ただでさえリベラル政党に「デバフ」のかかる状況なのだ。数を合わせれば勝てる、という単純なものではない。

■野党共闘を行えば必ず「野合」という批判が起こる

こう書くと、自民党は政治信条のまったく違う社会党と大連立を組み村山富市を首班指名したではないか――。また、自民党とは必ずしも政策が合致しない公明党と長らく連立を組んでいるではないか(だから野党共闘のどこが悪いのか)――という反論が返ってくる。

前者については緊急非常事態で、自民党がなりふり構わず社会党と連立を組んで村山内閣を作ったことで、一方的に評価が壊滅したのは社会党の側である。後者に関しては、そもそも公明党の支持基盤の多くが農村から大都市部に出てきた都市下層の労働者を主体としており、政治的には保守的な傾向が強く、実は矛盾していないのである。

高度成長は終わったので、社会階層のダイナミズムな躍動は無い。その中で野党共闘を行えば、必ず「野合」という批判が起こる。つまりは数合わせである、という糾弾である。もちろん、いかに糾弾されても「野合ではない」だけの合理的結束が野党側にあれば表面上は問題がない。しかし実際は違っている。

■共闘してやっと勝てても、数字上のマジックにすぎない

東京8区に「れいわ新選組」の山本太郎氏が立候補すると表明したが、さまざまな事情があり山本氏は立候補を取り下げた。その過程で、立憲民主党との軋轢があったやに想像できる。「わいわ」の議席は参院2議席にとどまっており、国勢に対して大きな影響を持たないものの、立憲が野党共闘の相手とするには政策的には近似性がある。

しかしこの期に及んで、「内紛」が表面化しているようでは共闘への疑問符を有権者が持つのは必定である。もし仮に、野党第一党である立憲民主党が、人的齟齬、政策的齟齬を度外視して他政党と共闘するというのなら、それはやめた方が良いのではないか。共闘してやっと勝てる選挙区があったとしても、それは数字上のマジックであり、いつ奪還されるか不明である。そんなものに政党生命の全てをなげうって共闘するのはリスクが大きすぎる。

■リベラルは自虐に走る必要はない

野党がやるべきなのは、ただ愚直にリベラルの価値観を有権者に伝播し、それに共感した人々を一人でも多く投票所に向かわせることで、数の上での共闘ではない。何度も繰り返すが、市民革命を経験していない日本の政治風土は基本的に保守的で、リベラルが劣勢であることを前提としているため、既存保守政党に勝つことが難しいのである。これを踏まえたうえで、リベラル的価値観を地道に、それこそ地方議会の段階から波及させていくことが最も重要なのであって、09年の政権交代を「成功体験」として模範にする必要も実はないのである。

野党やその支持者にとって重要なのは、「私たちリベラルは間違っていたのではないか」という、近視眼的な自虐と自己批判をしないことである。ウェーバーのいうように「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」だとすれば、根が保守的にできている戦後日本の政治風土をリベラルに塗り替えていく作業は間違いなく難事業である。しかしその難事業を継続する情熱がなければ、新政権交代など起こりえない。

「リベラルは間違っていたのではないか」という自虐に走る必要はない。家父長制の批判、男尊女卑への批判、LGBTへの権利擁護の拡大など、所謂リベラル的価値観は永年の運動や啓発のかいがあって、着実に日本社会に定着しつつある。ただしその定着速度が遅いというだけで、実際には成功しているのである。

政治改革には時間がかかる。市民革命を経験したことがなく、漫然と民主主義を享受している戦後日本にあって、戦前から継続される保守的風土を突き動かすのは容易なことではない。しかしその風土そのものの土壌を改良することによってのみ、活路が開かれる。刹那的な票読みだけで野合するというのも間違いである。立憲民主党単独の力だけで少なくとも衆院で200議席を恒常的に維持できないと、共闘しても空中分解するだけである。

■じっくり支持を広げていく忍耐が足りない

では立憲民主党単独で200議席を達成するためにはどうすればよいのかというと、自虐をしないで己の思想信条を貫き通すことである。「リベラルは間違っていたのではないか」というリベラル側からのリベラル批判という薄っぺらい自己批判に惑わされることなく、自らの主張は正しいと堂々としていればよろしい。その堂々たる姿勢こそが有権者諸氏に、徐々にだが浸透していく。

焦るべきではない。時間をかけるべきである。「堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」は、慎重にノコややすりで板を削っていくべきだが、そこで一足飛びに「早いから、簡単だから」という理由でドリルを使うと、その板自体が破裂してしまう。野党共闘はまさにこの板にドリルを使うようなものだ。自虐に走らず、数合わせに走らず、じっくり地方議会や地方の良識的中産階級から支持を拡げていく。こういった忍耐が、野党には足らない。

結果は早くて15年くらいで出るだろう。急造肥料で育った目の前の作物を急いで収穫しようとするのは最大の愚である。まずは土壌の改良から始めよ。そうした地道な作業をしてなお野党に甘んじても、それが実力なのだから雌伏すればよい。そうやって、政治風土は醸成されていくのだ。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『愛国商売』(小学館)、『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)(自由国民社)など。最新刊に『敗軍の名将 インパール・沖縄・特攻』(幻冬舎新書)。

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(文筆家 古谷 経衡)

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