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論理思考力は草野球レベルなのに、私が周囲から「ロジカルですね」とやたら評価されるワケ

プレジデントオンライン / 2021年10月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

「あなたは論理的か、感覚的か、どちらだと思いますか」。そう聞くと多くの人は「どちらかといえば論理的」と回答する。しかし、「その根拠はなんですか?」と問いを重ねると答えられない。経営コラムニストの横山信弘さんは「何かを結論付ける前に、いったん立ち止まって考える。そして根拠を探そうとする。そういう思考のクセを身につける必要がある」という――。

※本稿は、横山信弘『絶対達成する人は「言葉の戦闘力」にこだわる』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■自分のことを「論理的だ」と感覚的に言う人たち

「横山さんはどうやって、そのように論理的に物事を考えられるようになったんですか」

横山信弘『絶対達成する人は「言葉の戦闘力」にこだわる』(PHP研究所)
横山信弘『絶対達成する人は「言葉の戦闘力」にこだわる』(PHP研究所)

と、尋ねられることがある。私が何かを主張する際、必ずそのための根拠をあらゆる面から集めてきて提示するからかもしれない。

たとえば、「やる気が出ないときは、どうすればいいのか」と質問されたら、「やる気を出すためには、やるしかありません」

と私は主張する。そのための根拠はこうだ。

手足を動かし、脳の「側坐核」という部位に刺激を与えると「側坐核」が活性化され、神経伝達物質・ドーパミンが分泌される。ドーパミンが分泌されれば、やろうとする気持ちがだんだんと湧き上がってくるものである。

つまり、何かをやる前に「やる気」という感情は存在せず、何かをやった後にしか「やる気」という感情は生まれない。だから、やる気を出すためにはやるしかないのである。

東京大学の脳科学者、池谷裕二教授の「そもそもやる気という言葉は、やる気のない人間によって創作された虚構である。だから、やる気を出すための方法を考えることほど無駄なことはない」という言葉も添えてこの根拠を説明すれば、誰も反論できないだろう。

何を主張するにしても、「なぜそうなのか?」「なぜそうする必要があるのか?」を考えるクセが私にはある。そのため、客観的に見たら私は論理思考力が高そうに見えるかもしれない。

しかし、残念ながらその点における自己評価はとても低い。なぜなら、今でも論理思考力をアップするための講座を受講したり、その手の書籍をずっと読んで勉強しているからだ。

しかも情けないことにロジカルシンキング系の書籍を1回読んだだけでは、私はすぐに理解できないことが多い。同僚のコンサルタントに説明してもらわないと、文脈を理解できないこともある。だから、「横山さんってロジカルですね」と言われると強い違和感を覚える。

野球選手にたとえれば、草野球のレベルだろう。

私がすごく驚かされるのは、自分を「論理的だ」と捉えている人が非常に多いということだ。

■主張は常に根拠とセットであるべき

私はよくセミナーの冒頭に、「自分は論理的か、感覚的か、どちらだと思いますか」という質問をする。私のセミナーには、だいたい経営者か中間管理職(90%以上が男性)が参加するのだが、その答えの大半は、「どちらかというと論理的」というものだ。私はすかさず、次のような質問を足す。

「その根拠を教えてください」

すると、ほとんどの参加者は答えに窮する。なぜ自分が「どちらかというと論理的だ」と思ったのか。

「前田さんは、どうしてご自身を論理的だと思われたのですか」「木村さんはどうですか。どちらかというと論理的と判断された根拠は何でしょう?」――このように質問すると、ほとんどの人は腕を組み、考え始める。おそらく、その根拠はないのだろう。

つまりこれは感覚的に自分を論理的だと認識している、ということだ。非常に矛盾した言い分ではないかと思う。

また野球選手でたとえてみよう。

「あなたはプロ野球選手になれそうですか?」と質問されて、感覚的に「はい」と答える人はいるだろうか。これまでの実績や客観的な評価を引き合いに出し、「……このような理由で、私はプロ野球選手でもやっていけると思います」と主張するだろう。

主張には根拠が必要だ。正しいかどうかは別にして、常に根拠をセットに主張すべきなのだ。にもかかわらず、「なぜ?」と質問されて口を閉ざしてしまうようでは、まったく論理的ではない。

論理思考力の「思考」というのは、まさに「思考プログラム」のことだ。

思考のクセが感覚的だから、自分を「論理的だ」と何となく感覚で表現してしまう。だから矛盾している。

■なぜ、働き方改革で残業を減らさないといけないか

歯止めの利かない人口減少と、価値観の多様化により、以前にも増して生産性の高い仕事が、どの企業にも求められる時代となった。

生産性を高めるには、個人よりも組織マネジメントの精度を上げることだ。マネジャーの力量が成否を決めると言ってもいい。

しかし限られた資源で大きな結果を出すには、論理思考力が不可欠だ。ロジカルに物事を考えられないマネジャーに組織運営を任せたら、いつまでたっても不必要な業務はなくならない。解決すべき問題も、積みあがっていくばかりだ。

それでは、論理思考力の高いマネジャーを選任すればいいという意見もあるだろう。しかし悲しいかな、総じて日本のマネジャーは論理思考力が低いのだ。

なぜ、日本人は論理思考力が低いのか?

学校教育において、ほぼ「答えのある問題」にしか触れてきていないからである。したがって「答えのない問題」を解決するために、筋道を立てて推論し、自分なりの言葉で主張することに多くの日本人は慣れていない。

だから社会に出ると「答えのない問題」に直面し、混乱してしまう人が増えるのだ。特に問題解決能力が求められるマネジャーは大変だ。「答えのない問題」しか身の回りに起こらないからだ。

たとえば、あなたがマネジャーだとして、部下から「働き方改革の時代だからということで、どうして残業を減らさなくちゃいけないんですか」と質問されたとき、どのように答えるだろう。

言葉に詰まったり、以下のように返答したら、まるで論理思考力がないと言える。

「そりゃあ、そういうもんだろ」
「会社が取り組んでいる方針なんだ。社長が言ってただろう」
「俺に聞かれても知るか」

■思考プログラムは体に馴染むまで繰り返す

それでは、論理思考力を身に付けるにはどうすればいいのだろう。

論理思考力を身に付けるには、本を読んだり、研修を受講するだけでは身に付かない。

思考プログラムというのは、再三申し上げているが、過去の体験の「インパクト×回数」でできあがっている。したがって、スポーツと同じように体に馴染むまでトレーニングを繰り返すことが大事だ。

特に私が重要だと感じているのが「絶対論感(※)」だ。論理に対する感覚と言おうか。論理的かどうかを瞬時に認識するスキルである。

私は「ロジカルシンキング」の専門書を執筆できるほどのレベルではないが、その物事が「理に適っているかどうか」ぐらいの判別は瞬時にできる。

誰かに何かを主張したいとき、「絶対論感」がある人なら、

「主張を裏付ける根拠が必要だし、そのデータも見つけておきたい」

とすぐに思いつく。大事なことは、そうしなければ説得力ある話し方にならないと感覚的にわかるかどうか、ということだ。

しかし「絶対論感」がない人は、何かを主張したいとき、立ち止まることなく、まず主張する。そして、主張してから「その主張を裏付ける根拠」を探しにいく。

「あなたは感覚的か、論理的か」と質問されて「どちらかというと論理的だ」と答えてから、なぜそう主張するのか、その根拠を後付けで考え始めたら、もうその時点で「絶対論感」がないと判断しよう。

いつも「根拠ありき」で発言しているのか、それとも「結論ありき」かを自己分析してみるのだ。

※「絶対論感」とは、「絶対音感」からインスパイアされた造語

■思考のクセさえ修正すれば、必ず身に付くスキル

「根拠ありき」の習慣を身に付けるには、何かを結論付ける前に、いったん立ち止まって考える。そして根拠を探そうとするのだ。

このプロセスにおいて、因果関係のある根拠が見つからなければ、主張するのを思いとどまるといい。「衝動的にこう思ったが、よく考えてみると、思い込みのようだ。言わなくてよかった」となる。

また、「おそらくこうだろうが、データを集めてみないと、そうとは限らないかも」と思い、データを使って分析してみると、「そうか。そうなのか。統計データを見ると、私が主張しようとしていたことが必ずしも正しいとは言えない」と、このように思い直すことができる。

モニターをチェックする男性
写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs

論理思考力は「思考のクセ」さえ修正すれば、必ず身に付くスキルだ。感覚的に判断してしまうクセのある人は、衝動をコントロールし、立ち止まる習慣さえ体得すれば問題ない。

一方「結論ありき」の態度は、マネジャーとして失格だ。すでに主張した後に「根拠」を探すわけだから、バイアスがかかった根拠を引っ張り出すことになる。このような悪いクセは、早急に直そう。そうでないと説得力のない主張を繰り返すことになる。

人が言い訳するときの思考プロセスと同じだ。「結論ありき」の態度だと、相手から信頼を得られない。

■ただ2つ「全体と部分、部分と部分の関係」を捉える

それでは「絶対論感」があると何がわかるのだろうか。「絶対論感」とは、細かく分析する前の、瞬間的に判断するスキルなので、

①全体と部分の「包含関係」
②部分と部分の「因果関係」

この2つだけだ。

①の「包含関係」とは、物事の全体像を捉え、全体と、全体を構成する部分とが網羅的になっているか(もれなく、重複なくの関係となっているか)である。そして②の「因果関係」とは、部分と部分との関係が飛躍していないか(正しくつながっているか)である。

この2つのことが感覚的に知覚できれば、だいたい事足りる。ロジカルシンキング研修で勉強する事柄のほぼすべてが、この2つの要素の応用だからだ。

たとえば、誰かの話やコメントを聞いただけでも、

「なんかつじつまが合わない」
「そうとは言い切れないのでは?」
「それだけではない気がする」
「必ずそうなるのかな。偶然では?」
「抽象的すぎる」
「それは手段であって、目的じゃない」
「その順番でいいのかな」

という疑問をもつことができる。違和感を覚えることで、考える機会が得られる。考える機会があれば、検証するための行動をとることができる。

ここがとても大事なポイントだ。

なぜなら検証行動を繰り返すことで、論理思考力が鍛えられるからだ。

そしてロジカルシンキング研修などを受講し、理論武装すると、以下のように言語化できるようになってくる。

「それは結果であって、原因ではない」
「論点の異なるテーマが交じっている」
「前提条件が違うから、噛み合わない」
「仮説が論点とズレている」
「論理が飛躍している」
「偶然の必然化だ」……等々。

■ロジカルな人ほど柔軟である理由

このように訓練によって「絶対論感」が身に付くと、いろいろなメリットがある。

説得力のある主張ができる。意思決定する際に迷いがなくなる。

仮説の精度を上げて挑戦できるし、失敗しても次に生かすことができる。

また、意外にも「絶対論感」をもっている人は「素直」になる。そして「柔軟」にもなる。「結論ありき」ではなく「根拠ありき」という思考プログラムが手に入るからだ。「根拠ありき」の態度であれば、自分が間違っているとわかると訂正する。

自分の主張を撤回するのは、誰でも気が引けることだろう。しかし論理思考力が高い人は、論理的でない態度をとり続けることのほうがしっくりこない。だから間違いは間違いだと言って撤回するのだ。

しかし論理思考力が低い人は「結論ありき」なので、自分の主張を曲げない。たとえ「つじつまが合わない」「一貫性がない」と指摘されても、都合のいい根拠をもち出して、自分の主張を通そうとする。このような人を、周囲は信頼しないだろう。マネジャーであれば、なおさらだ。

グーグルが開発した人工知能(アルファ碁ゼロ)が、囲碁の世界で人間を超えることができたのは、論理的なプログラムが搭載されていたからではない。

最初はでたらめに指し手を続けていたAIだが、膨大な失敗体験を通じて学び、囲碁のルールで「どうすれば勝つことができるか」を学習していったからだ。間違っていた自分を素直に認め、アップデートを続ける姿勢は、私たち人間も学ぶべきである。

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横山 信弘(よこやま・のぶひろ)
アタックス・セールス・アソシエイツ 代表取締役社長
企業の現場に入り、目標を絶対達成させるコンサルタント。支援先は、NTTドコモ、ソフトバンク、サントリー等の大企業から中小企業にいたるまで幅広い。ベストセラー「絶対達成シリーズ」の著者であり、メルマガ「草創花伝」は3.8万人の経営者、管理者が購読する。コラムニストとしても人気で、日経ビジネスオンライン、Yahoo!ニュースのコラムは年間2000万以上のPVを記録する。著書に『絶対達成マインドのつくり方』『「空気」で人を動かす』など。

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(アタックス・セールス・アソシエイツ 代表取締役社長 横山 信弘)

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