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「男性は青、女性は赤」その前提を疑わない人が根本的に誤解していること

プレジデントオンライン / 2021年10月22日 15時15分

当初、市民投票で選ばれた公衆トイレのデザイン案。男性用が青色、女性用が赤色だった - 提供=明石市

■Twitterには「行きすぎたポリコレ」という批判が…

兵庫県明石市で公園のトイレについて、外壁の色を5つのデザインの中から市民による投票で決めたところ、1位になったのは208票を獲得した「男性側の壁が淡い青色、女性側の壁が淡い赤色」という案であった。

明石市がこれを公表したところ「『男性が青、女性が赤』という決めつけは性的少数者への配慮が足らない」というような意見が2件寄せられた。

明石市はこれらの意見を尊重し、全体を茶系統で統一し、性別による壁の色分けのないデザインに変更したという。

性別による色分けをしない案。再協議で採用された
提供=明石市
性別による色分けをしない案。再協議で採用された - 提供=明石市

僕がこのニュースを最初に知ったのは、「たった2件の意見で、市民の多数決が無視された!」という、いささかヒステリックな内容のツイートに貼られたリンクからだった。

Twitterを検索してみると「(変更は)バカバカしい」「行きすぎたポリコレ」「少数への配慮で、多人数が使いづらく」などという、批判的な意見が数多く述べられていた。

たしかに2件の意見だけでデザインが変わるのはおかしい。そこで記事をしっかり読んでみたところ、Twitterでの反応はかなり度の強い色眼鏡がかけられていることが分かってきた。

■日本のトイレでは「男性用は青、女性用は赤」が当たり前だが…

青と赤に色分けされた案が市民投票で1位であったことは間違いないのだが、一方で、変更後の全体を茶系統で統一する案は2位で、票数も200票を獲得しており、1位と2位の差はわずかに8票と僅差であった。どちらも十分に支持を得ているデザインであることから、1位の意見を取りやめ、2位の意見を採用したことは、決して市民の意見をまるっきり無視したものとは言えないだろう。

そして、Twitterで怒っていた人の多くが勘違いしていると思うのだが、このデザインについての市民投票は、あくまでも「壁の色」に関する投票であって、トイレの入り口に使われる男女のピクトグラムの形や色といった部分の投票ではなかった。

Twitterなどで一騒ぎあった後、NHKがこの問題を取り上げている。明石市の担当者は、決まったのは外壁のデザインだけであり、入り口部分には青赤で色分けしたマークをつけるなど、誤解がないような工夫を検討している、などと話していた。

僕は、今回の件で騒いでいる人たちは、基本的に「ポリコレ」や「性的少数者への配慮」を嫌う人たちなのだと考えている。

その嫌うための理由として今回の件をわざわざ持ち出し「色分けしないと緊急時に間違える」「間違えたら逮捕される」「弱視などの人を軽視している」「大多数に使いづらい」などと騒いでいる。

では、彼らの言い分を聞くとして、男性は青、女性は赤と区分すれば、大多数にとって使いやすいトイレになるのだろうか。

日本のトイレでは「男性用は青、女性用は赤」というデザインが基調になっていて、僕を含めた大多数の人は、それが当たり前だと思っている。

■性的少数者への配慮以前の問題

しかし世界を見ればこうした色分けは決して一般的ではなく、男女ともに同じ色であることが多いという。では何で区別するかと言えば、ピクトグラムの形やMENやWOMENといった言葉で区別している。

バリアフリーを意識する海外の公共施設では、男女とも同じ青色の背景に、男性は三角、女性は丸形の白いピクトグラムが使われていることが多いようだ。色覚に異常を持つ人にとって、青は見やすく、赤は見づらい色であることが多い。このため青地に白という色づかいが選ばれている。

今回の投票で1位になったデザイン案は、男性が淡い青色、女性が淡い赤色だったため、色覚に異常を持つ人からは似た色に見えてしまうのだという。

つまり、1位となった淡い青色と淡い赤色の組み合わせは、バリアフリーという観点からは望ましくないデザインだったと言えるのである。

■人は複合的な情報で判断をする

さらにもう1つ。

騒いでいる人たちは「色分けをしないと絶対に間違える!」と、さも色分けこそが男女の区別をするための絶対的な方法であり、色分けしなければ大多数の人にとって使いづらいトイレになると主張しているが、それは本当だろうか。

では、少し思考実験をしてみよう。

男とも女とも書かず、ピクトグラムもなく、ただ青と赤の入り口があるとして「青い方は男子トイレだ」と断言できるものなのだろうか。

もし自分がそのような状況になったら、たとえ青い入り口だとしても躊躇すると思う。そこには色以外の判断材料がないからだ。

私たちがトイレを発見して、それを「男子トイレだ」「女子トイレだ」と認識できるのは、そこに至るまでに複合的な情報を目にしているからである。

ピクトグラムや文字、そして色などの情報から、そこが確実に「男子トイレ」であることを確認するのである。

もし、色分けがされていないことで男子トイレと女子トイレを間違える人が多いとすれば、それは色分けがされていないからだけではなく、もっと複合的に情報が足りていなかったり、誘導のどこかに間違いのあったりする可能性が高いのである。

■分かって当然という認識が生んだ罠

2019年12月に浜松科学館で、女子トイレに正当な理由がなく入ったとして60代の男性が建造物侵入の罪に問われるという事件があった。21年1月、静岡地裁浜松支部は男性に無罪を言い渡している。

男性は腹痛と便意のある状態でトイレに駆け込んだが、そこが女子トイレだった。女子トイレの入り口の壁は赤色で、入り口の手前には女子トイレを示す赤いピクトグラムが掲示されていた。

公衆トイレ
写真=iStock.com/Onzeg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Onzeg

ところが、入り口のところに「このトイレは従業員も使用させていただきます」という旨の文字と共に、男女がならんで立っているピクトグラムが貼られていたのである。

男性はこれを見て、男女共用のトイレと勘違いして、女子トイレに入ってしまったと主張しており、これが地裁で認められたのである。

僕はこの事件は「分かって当然という認識が生んだ罠」であると考えている。

この事件で浜松科学館側は、ピクトグラムはあくまでも「従業員が使うことを告知するための掲示」であると主張した。そこには嘘はないのだろう。

しかし、浜松科学館に勤めている職員にとって、そのトイレが「女子トイレ」であることが当たり前すぎたのである。

その場所は以前から女子トイレに決まっているし、赤いピクトグラムもあるし、壁も赤だから間違いようがない。

だからこそ、そこに男女のならんだピクトグラムを貼っても、科学館に初めて来た人が、男女共用のトイレと間違える可能性があるということに考えが及ばなかったのである。

■男女の色分けは世界的に見て標準的な区別方法ではない

これは色分けされたトイレに対しても同じことが言える。

先ほど述べたように、海外の人にとってはトイレの青と赤の色分けは決して一般的ではないし、色覚に異常を持つ人も間違える可能性がある。

しかし、「色覚障害のない日本人」は、色分けされたトイレを「男女の別が分かりやすいトイレ」として扱ってしまう。その結果、ピクトグラムや文字といった他の視覚情報や、音声アナウンスなどの視覚のみに頼らない情報をぞんざいに扱ってしまいかねないのである。

実際、Twitterで明石市に怒っていた人たちは、トイレの外壁が色分けされなくなったというだけで「男女の別が分かりにくいトイレになった」と判断し、その多くはどのようなピクトグラムや文字が掲示されるかということは、まったく考えていなかった。すなわち、現に他の情報をぞんざいに扱っているのである。

そもそも、それほどまでに「トイレの男女を間違えるリスク」を問題にするなら、それこそ日本国内で今後作るトイレのピクトグラムにおいては、青と赤という色分けはやめたほうがいいはずだ。

なぜならすでに記しているが、男女の色分けは世界的に見て標準的な区別方法ではないからだ。

われわれ日本人は、色を頼りに男女のトイレの区別を付けているが、海外ではそれが通用しない。青と赤の色分けに慣れていると、海外で「青い色の女子トイレ」に入ってしまわないとも限らない。

トイレの男女を間違えたときのリスクは、言葉が通じる日本よりも通じない海外の方が高い。海外で警察を呼ばれてしまえば、その国の言葉に堪能でなければ自己弁護すらままならない。

ならば、日本国内でも安易に色で男女トイレの別を判断しないことを習慣にするべきであろう。

■単純に多数決のみで決められるべきことではない

結論だが、トイレにおける男女の色分けというのは、あくまでも判断材料のひとつに過ぎず、決して他の材料に比べて秀でているということではない。

色分けをしなくても区別の付きやすいトイレはできるし、色分けをしても区別しづらいトイレはできてしまう。

単純に青と赤の色分けがされていないというだけで、多くの人が男女を間違えて入ってしまうということにはならないのである。

もし多くの人が間違えるとすれば、それは色分けをしていないからだけではなく、他に十分な判断材料が存在していないという問題である。

公園のトイレというのは公共の施設であり誰もがお世話になる施設だからこそ、多くの人にとって分かりやすいデザインである必要がある。

そのためにはさまざまな立場の人からの意見を取り入れるべきであり、単純に多数決のみで決められるべきことではない。

僕は明石市の判断は、市民の意見を受け入れながら、少数者への配慮のある、より正しい判断であったと評価している。

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赤木 智弘(あかぎ・ともひろ)
フリーライター
1975年栃木県生まれ。2007年にフリーターとして働きながら『論座』に「『丸山眞男』をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」を執筆し、話題を呼ぶ。以後、貧困問題などをテーマに執筆。主な著書に『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』などがある。

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(フリーライター 赤木 智弘)

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