「世界一速い男にコネなしで突撃面会」元カゴメ社員がケニア人を箱根駅伝に送り込む仕事に転身したワケ
プレジデントオンライン / 2021年10月22日 11時15分
■正月の箱根駅伝本選への通過枠「10校」をめぐる熾烈な戦い
10月23日に行われる箱根駅伝予選会。正月の本選への通過枠「10校」をめぐる戦いは熾烈を極めている。
昨年は専修大が7年ぶりの通過を決めた一方で、本戦に18年連続出場中だった中央学院大が落選。一昨年26年ぶりの突破を果たした筑波大もボーダーラインに18秒届かない。1人あたり2秒差が明暗を分けたことになる。
少子化が続くなかで、入学者が定員に満たないケースも増えている私立大学では生き残りをかけたバトルが激化している。その状況下で箱根駅伝が果たす役割は大きい。25%以上の視聴率を誇る国民的超人気番組に“出演”することで大学の知名度とブランド力をより高めることができるからだ。
大学にとってみれば、いわば宣伝マンとなってくれる長距離部員の活躍は生命線のひとつ。現在、40校ほどがスポーツ推薦を充実させるなど、箱根駅伝を目指して本格強化を図っている。
だが、それはそう簡単に成しえるものではない。有望な人材は、優勝争いをする有名大学に行ってしまうことが多いからだ。そこで、その他の大学は智恵を絞ることになる。例えば、戦力アップとして留学生ランナーを起用することだ。
■激選必至の予選会に過去最多12人のケニア人留学生が出走
箱根駅伝の予選会に出場する大学でいうと、今季は専大と大東文化大が初めて留学生を招聘(しょうへい)。流通経済大も13年ぶりに留学生を入学させた。他にも拓殖大、国士館大、山梨学院大、駿河台大、日本大、平成国際大、日本薬科大、武蔵野学院大、桜美林大が留学生をエントリー。今年の予選会には過去最多12人の留学生ランナー出走が予想されているのだ。12人すべてケニア人である。
ケニアは言わずと知れた世界一のマラソン大国であり、速い長距離ランナーの宝庫だ。そのケニア人留学生が箱根駅伝に初登場したのは1989年。花の2区で7人抜きを演じてトップを奪った山梨学院大のジョセフ・オツオリの快走は衝撃的だった。その後、同大は1992年に初優勝を飾り、1994年、1995年には連覇を達成した。
そして、アフリカ勢は高校陸上界にも旋風を巻き起こすことになる。1992年、仙台育英高にケニア人留学生が入学。ほどなく日本各地に留学生ランナーが現れるようになったのだ。その破壊力は抜群で、インターハイの男子5000mはケニア人選手が28大会連続で優勝中。高校駅伝でも留学生パワーが圧倒的だ。
高校、大学とも「駅伝」という人気種目で、学校名をPRしたい経営者側の思惑が吉と出た形だが、来日するケニア人留学生はどのようにしてやってくるか。そこには“仕掛け人”がいる。
■カゴメ社員がコネなしで「世界一速い男」を訪ねてケニアへ
現在はさまざまなエージェントがいるが、近年、その存在感が際立っているのは、「株式会社ChiMa Sports Promotion Japan」で代表を務める柳田主税(ちから)さん(37)だろう。
![柳田主税さん](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/e/250/img_0e6194f689bdbcafb41af8efaa307ffb437726.jpg)
10月10日の出雲駅伝で東京国際大を初優勝に導き、箱根駅伝2区と3区の区間記録保持者でもあるイェゴン・ヴィンセント(東京国際大)を筆頭に10人の留学生ランナーを柳田さんは自社を通じて日本のチームに送り込んでいる。
実は柳田さんはかつて大手食品メーカー・カゴメの社員だった。そこからどのようにケニア人留学生のエージェントになったのか。驚きの転職ストーリーとケニア人留学生のキャリアを考えた新戦略を紹介しよう。
海外で仕事をしたい、という目標を持っていた柳田さんは大学卒業後、カゴメに入社。フルマラソンを2時間30分ほどで走るトップクラスの市民ランナーであったこともあり、海外駐在員としてインドにいた頃、世界的な長距離ランナーを量産するケニアに行きたくなったという。陸上関係の仕事をしよう、という思いがあったわけではなく、純粋な好奇心だった。
「本物を知らないと判断基準ができません。一番は世界で最も速い人の生活を近いところで見てみたいと思ったんです。世界で一番速い人はどんな練習をして、何を食べて、どんな生活をしているのか。また今後アフリカでフードサービスのビジネスをするとなったときにどんなチャンスがあるのか。食品メーカーの営業マンとしての視点もありました」
■約束の時間より6時間遅れて…キプサングはレストランに現れた
柳田さんは2013年の12月ごろに、休暇を利用して、ケニア・イテンへ飛び立った。イテンにはいくつものキャンプ(長距離チーム)があり、世界トップクラスの選手たちが練習拠点にしている「マラソンの聖地」と呼ばれる特別な場所だ。
現地でリサーチすると、「キプサングが一番成功しているランナー」という声が強かったという。キプサングとは、ロンドン、ベルリン、東京などのメジャー大会を制した元男子マラソン世界記録保持者であるウィルソン・キプサングのことだ。「その人に会えば世界で一番速い人に会ったことになる」と思った柳田さんは、思い切った行動をとる。キプサングが経営しているホテルに宿泊して、本人が登場するのをひたすら待ち続けたのだ。
「書類チェックなどがあるため経営者キプサングは毎日ホテルにやってくるという話をスタッフから聞きました。スタッフに会いたいことを告げると、幸いアポがとれたんです。当日、レストランで待っていると、約束の時間から6時間後、本人に会えました(笑)」
よく考えてみると、全く知らない外国人に「会いたい、待っている」と言われたキプサングも怖かっただろう。しかし、柳田さんはひとつの突破口を開いたことで、新たな人生が始まることになる。
柳田さんは世界各地のレースに出場するキプサングと親交を深め、多くのケニア人ランナーとも交流が生まれた。福岡国際マラソンなど国内レースに出場するケニア人選手をサポートするようになると、2015年にカゴメを退社。その後、ケニアでネットワークを作り、2018年に現地で会社を立ち上げた。
■U20のジュニア選手を育成して、日本へ送り込む
ケニア人留学生を召集する場合、現地のエージェントが数人の選手を選び、日本のチームに紹介。そのなかから1人を採用するというパターンが多い。柳田さんもこれとほぼ同じ方式だったが、現地で、ある画期的なシステムを作り出した。スポーツと教育を無償でサポートするU20のキャンプ(長距離チーム)を作ったのだ。
20歳未満というのがポイントだ。ケニアのキャンプはシニア選手がメインになるため、現地のエージェントが日本の高校・大学に選手を紹介するのは簡単ではない。しかし、柳田さんが運営するキャンプにはセレクションを通過した15~18歳の有能なランナーが40人ほどいて、プラスして19歳以上の選手も20人ほど所属しているのだ。
![元カゴメ社員の柳田さんが代表を務める「ChiMa Sports Promotion Japan」](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/670/img_2fb041d882994946a45b10c5a7f1372b501952.jpg)
「実業団チームは駅伝で確実に活躍できる選手を獲得したいので、近年はマネジメント会社と契約をしている選手に声をかけるケースが多いと思います。でも、高校・大学の場合は学校に行き、勉強もしないといけません。そのため監督・コーチ・教員が現地に来て、性格、人間性なども判断して決めるかたちが増えています。それにランニングフォームも重要なポイントで、監督さんの好みのタイプがけっこうあるんです。速くても勉強嫌いだとパフォーマンスに影響しますし、日本に来て初めて雪を見る選手もいます。日本の高校・大学で成功するにはメンタルが強く、真面目な性格かどうかが重要になるんです」
■「狩猟民族のカレンジン族より農耕民族のキクユ族が日本に向いている」
なお柳田さんがキャンプを構えているのが、リフトバレー州にあるニャフルルという都市だ。標高は約2400m。都市部の人口は3万人ほどしかいないが、北京五輪の男子マラソンで金メダルを獲得したサムエル・ワンジルをはじめ、世界的にも著名なランナーを多く輩出している。そして現在、日本に来ているケニア人留学生の大半がニャフルル出身なのだ。
ケニアには42の民族が存在していると言われているが、世界の長距離界を席巻しているのがカレンジン族とキクユ族になる。男子マラソンの世界記録保持者であるエリウド・キプチョゲはカレンジン族で、柳田さんが最初に訪れた都市イテンにはカレンジン族が多い。
一方、ニャフルルにはキクユ族が住んでいる。個人差はあるが、「農耕民族であったキクユ族は狩猟民族であったカレンジン族よりも忍耐強いため、日本の学校生活にも適応しやすい」という。
■なぜ、稼げる実業団ではなく、稼げない高校・大学を希望するのか
ケニア人にとって「走る」ことは一獲千金の夢につながる数少ない手段のひとつだが、稼ぐことができるのは一握りしかいない。しかも、コロナ禍などで大会が中止になると、出場料や賞金で稼ぐプロランナーは収入がなくなってしまう。その点、日本の実業団に入ることができれば、安定したサラリーを受け取ることができる。
しかし、ニャフルルに住む若者たちのマインドは近年変わりつつあるようだ。
「現在の実業団チームはケニア人選手だけでなく、日本人選手のレベルも上がっていることを選手たちも知っているんですよ。結果が出なければ、クビになります。その状態でケニアに帰国しても、なかなか仕事がありません。昔の生活に戻ってしまいます。でも日本の大学に進学すれば、競技をしながら学位も取れる。大学を卒業して実業団に行ければハッピーですし、日本語を話すことができて資格やスキルも身につけば、帰国した後も仕事の選択肢が増える。長期的なことを考えて、日本の高校、大学に行きたいと考えている選手は多くなっています」
日本の高校・大学に選手を送っている柳田さんはケニア人選手のセカンドキャリアについても考えるようになった。日本では出身地の徳島県阿南市の地方創生事業のひとつとして「外国人の雇用促進」の活動に従事し、ケニア人選手の就職先をあっせんできるような環境整備に力を注いでいるのだ。
「私の地元に来る外国人技能実習生は日本語をほとんど話せないケースが多いですけど、高校・大学を卒業したケニア人留学生は日本語をある程度話すことができて、文化や習慣も理解しています。実業団チームに入る走力がなくても、企業で手に職をつけることで、ケニア帰国後も大きな武器になります。徳島には市町村対抗駅伝もあるので、走ることで企業のPRにもなる。地元の子供たちに陸上教室を行うことで国際交流にもつながります。日本に送って終わりではなく、競技引退後のネクストキャリアまでサポートしたいんです」
好奇心からスタートして、アクションの連続が新たな仕事を生み出している。人生何が起こるかわからない。柳田さんの生き方は人生100年時代を生きるビジネスパーソンの“ネクストキャリア”の参考になるかもしれない。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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