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「200kgの車体を引いて毎日20km以上走る」最年長52歳の人力車夫がこの仕事にこだわるワケ

プレジデントオンライン / 2021年10月27日 15時15分

撮影=小林禎弘

日本全国の観光地では20年ほど前から「観光人力車」を見かけるようになった。200kg超という車体を引いて走る「車夫」は、力自慢の20代が中心だ。そのなかで、52歳という最年長の男性が、京都・嵐山にいる。彼はなぜこの仕事を続けているのか。連載ルポ「最年長社員」、第15回は「車夫」――。

■己の肉体一つが資本となる人力車の車夫

数ある京都の観光地のなかでも、その豊かな自然と古色蒼然とした町並みの美しさで知られる嵐山。桂川にかかる渡月橋から望める風光明媚な景色を求めて、国内外から数多くの観光客が訪れる。そして、嵐山にやってきた観光客たちが必ず目にする、当地の「名物」の一つが、日に焼けた車夫たちが引く「人力車」の姿だ。

【連載ルポ】「最年長社員」はこちら
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嵐山の車夫たち全員が所属する企業「えびす屋」は、約30年前の1992年に嵐山で創業した。いまでは京都の他に、函館、浅草、鎌倉、由布院など国内10の観光地に支店を持つ、観光人力車のリーディングカンパニーである。

そのえびす屋発祥の地、嵐山總本店のなかで「最年長車夫」として働くのが、中山大督(なかやま・だいすけ)さん、52歳だ。中山さんが車夫になったのは、28歳のときのこと。それから20年以上が過ぎた。

車夫という職業は、己の肉体一つが資本となる。体力がみなぎる20代の若い車夫たちのなかで、50歳を超えてもなお現場の第一線で人力車を引き続けるのは、並大抵のことではない。中山さんが車夫という仕事に長年、惹かれ続ける理由は何なのか。この仕事の先に何を見いだそうとしているのか。話を聞いた。

■操る人力車はブレーキ付きの特注車

車夫の一日は、毎朝9時30分の朝礼から始まる。えびす屋が保有する人力車が格納された車庫に、この日勤務する15名ほどの車夫たちが集まった。全員が浅黒く日焼けし、目には力強い光をたたえている。目を奪われるのはその肉体だ。血管の浮いた手足は何本もの縄をよったような筋肉に覆われ、陸上競技で鍛え上げた選手にも似た空気をまとっている。

朝礼
撮影=小林禎弘

「今日の中山さん担当のご予約は、11時に東京からのお客様2名です。女性のお二人連れになります」

社員がその日の予約を確認し、注意事項を伝達したあとで、車夫の一人が前に出て、壁に貼られた文字を唱和する。

「えびす屋グループは、徹底的にお客様第一主義を貫く」
「各エリアに来てくださる観光客には、えびす屋の従業員である前に、地域の観光大使であるという認識を持ち、その姿勢を貫く」
「見られていることの意識を強く持ち、親切でやさしく、かっこ良い車夫であることを貫く」

10項目以上ある車夫の心構えを、仲間とともに唱和し終えた中山さんは、朝礼が解散してすぐに自分専用の特注人力車である「山水」号のところへ向かった。

「毎朝、出発前に不具合がないか必ず点検します。自動車と違って車検があるわけではないので、お客様の安全で快適なご乗車体験のためにも、タイヤのスポークにゆがみや折れがないか、ガタツキがないかを入念にチェックします」

点検
撮影=小林禎弘

人力車のメーカーは現在、岐阜県に一つしかない。近年、乗り心地をよくするためにサスペンションなどが装着されたが、明治大正期から基本的なデザインは変わっていない。山水号がほかの人力車と違うのは、ブレーキが付いていることだ。人力車の重量は約80kg、体重60kgの大人2人を乗せると総重量は200kgを超える。そのため引いて走らせることよりも、速度がついた車を「止める」ことのほうが難しいのだという。

「若いときは問題ありませんでしたが、40を超えてから膝に負担がかかるようになって、ブレーキ付きの車にしてもらいました。これを引くようになってだいぶ体は楽になりましたね」

ブレーキ
撮影=小林禎弘

■けがでバイクレーサーの夢を諦め仕事も辞めた

中山さんは1969年、滋賀県の大津市に生まれ、高校生まで同県の栗東市で育った。小中高時代は運動が好きで、バスケットボールに夢中になった。もう一つ、中学生の頃に中山さんの心を捉えたのが「バイクのレース」だった。

中山大督さん
中山大督さん(撮影=小林禎弘)

「ちょうどその頃に、角川映画で『汚れた英雄』というバイクレースを題材にした作品がありましてね。主演の草刈正雄のカッコよさに衝撃を受けて、『こんな世界があるのか。自分もレースに出てみたい』と憧れたんです」

バイクのレーサーになる夢を抱いた中山さんは、高校を卒業後、本田技研工業に就職し、先輩に誘われて社内にあったモトクロスバイクのクラブに入る。それから鈴鹿の工場で自動車の生産ラインで組立工として働きながら、年間10戦ほどのレースに出場するようになった。

「ところがレースでけがをしましてね。あまり良い成績も残せず、結局、9年間でレーサーで食べていく夢を諦めることにしました。レーサーになることを断念した以上、会社に残る意味も見いだせなくなり、仕事も辞めてしまいました」

■デートで訪れた嵐山でやってきた人生の転機

会社を辞めた中山さんは、実家に戻ってアルバイトをしながら、しばらくブラブラ過ごしていた。ところがある日、当時の交際相手と、京都の嵐山を観光に訪れたことが、中山さんの人生を変えることになる。

中山さん
撮影=小林禎弘

「嵐山に来たのは初めてでした。渡月橋の近くを2人で歩いていたら、突然、真っ黒に日焼けした兄ちゃんから、『人力車に乗ってみませんか』と声をかけられたんです。当時は今と違って、人力車で観光することがまったく一般的ではなかった。それで『なんじゃこの人』とびっくりして、返事もせずにそのまま通り過ぎました」

そのとき中山さんは28歳。青春時代を通じて打ち込んできたバイクレースの夢を諦め、「何か打ち込めるものを見つけたい」と考えていたときだった。たまたま目にした人力車だったが、家に帰ってからも、日焼けした車夫の楽しそうに話しかけてきた姿が、脳裏から離れなかった。

「人生で初めて人力車を見たとき、『これに乗って観光するより、自分でお客さん乗せて走ったほうが、おもろいんちゃうか?』と思ったんです。それで、京都市役所に電話して、『あの人力車を引く人には、どうやったらなれるんですか?』と聞きました」

役所の職員から、市の観光営業所に電話を回され、そこで教えてもらったのが、唯一京都市内で観光人力車の事業を営んでいる、えびす屋の存在だった。後日、交際相手に「自分も人力車を引いてみたくなった」と伝えると、「絶対そう言うと思ったわ」と言われた。きっと彼女にも、中山さんが人力車に出合ったときのインパクトの大きさが、伝わっていたのだろう。

ちょうどそのとき、えびす屋では京都・平安神宮の前に新店舗の立ち上げを企画していた。採用された中山さんは、その新店舗の車夫として働くことになった。

車庫
撮影=小林禎弘
車庫には人力車が所狭しと格納されている - 撮影=小林禎弘

「いまから24年前のことで、会社もまだできて間もなく、研修なども今よりずっと簡単でした。とりあえず先輩について何度か走ったら、後はもう自力でやるしかありません。観光人力車は街を知らなければ仕事ができません。周辺の道路や平安神宮の観光スポットについて、必死で勉強しました。いまでは一から十まで全部教えるので、だいぶ新人は楽になったと思います」

■重い車を引きながらハーフマラソンを走るような仕事

いざ始めてみると、車夫の仕事は想像以上にきつかった。7月に研修を受けて働き始めたのは8月1日のこと。京都の夏の「えげつない暑さ」のなかで人力車を一日引くと、体からは塩がふき、10日間で体重が5キロも落ちた。

「モトクロスのレースをやったり、体を使う人生を送ってきましたが、それでも最初はきつかったですね」

先述のように、お客2名を乗せた人力車の重量は200kgを超える。一組のお客を乗せて走る距離はコースによって変わるが、平均して1.2kmを12〜13分で走る。紅葉や桜のきれいな季節には、1日に十数組のお客を乗せて走り、「全走行距離が20kmを超える日が、何日も続きます」という。炎天下や厳寒の季節に、重い車を引きながら、連日ハーフマラソンを走り続けるにも等しい。そんなきつい車夫の仕事だが、中山さんは始めてすぐに「夢中になった」と言う。

日差しの強い道を走る人力車
撮影=小林禎弘

「多くの観光客にとって、人力車に乗って観光地を巡るという行為は、『非日常の時間』なんです。わずか15〜30分ぐらいの時間ですが、私たち車夫がその時間をどんなふうに演出するかによって、お客様の土地に対するイメージは大きく変わります。お客様の旅の記憶がすごく良いものになるか、ありきたりなものになるか、自分たち車夫はとても強く影響を与えることができる。それに気づいたんですね」

■演出によって自分を出しすぎてしまった失敗も

もともと人と話すことが嫌いではなかった、という中山さんは、乗客とのコミュニケーションに自分の仕事の意義を見いだしていった。

「人力車に乗るお客様の多くは、車夫にその土地のことや、観光名所について聞きたいと思われています。こちらは提供できる情報を持っているので、コミュニケーションを間違わなければ、だいたいはギクシャクすることはありません。だからこそ、よく『記憶に残るお客さんはいますか?』と聞かれるんですが、うまくいったときより、ご案内に失敗してしまったお客さんのほうが、いつまでも忘れられないんです」

中山さんによれば、昨年11月に嵐山をご案内したお客様に対し、「演出に酔ってしまって、必要以上に自分を出しすぎてしまった」ことを、今でも折に触れて思い出し、後悔の念がこみ上げるという。

「お客様にとって、嵐山を訪れるのはそれが最後になるかもしれません。旅先の記憶として、一つでも良いものが残るお手伝いをすること。お客様のために自分の表現があることを、忘れてはいけないんです」

観光地のパネルを見せる中山さん
撮影=小林禎弘

■最新のスマホもばっちり使いこなす

ここまで話を聞き終わったところで、中山さんが案内する観光客の予約時間となった。

中山さんがJR嵯峨嵐山駅のロータリーに山水号を止めて待っていると、間もなくして母と娘の親子連れが、中山さんの人力車に目を留めた。予約していた鈴木佐知子さんと、小学校3年生の穂佳さんだ。

「はじめまして」と中山さんが声をかける。

「今日はどちらから来られましたか」
「東京の港区です。私も娘も人力車は初めてなので、とても楽しみです」
「そうですか、ぜひ楽しんでいってください。少し揺れるので、お荷物やスマホを落とさないように気をつけてくださいね」

中山さんに促され、2人は人力車に乗り込んだ。いよいよ人力車による観光の始まりだ。町中を抜け、嵐山名物の「竹林の小径」をゆっくりと歩きながら、中山さんは各所の歴史や文化遺産について、わかりやすく解説をしていく。

竹林を進む人力車
撮影=小林禎弘

「この神社は平安時代から続いていて、源氏物語のなかにも出てくるんです。恋愛成就にご利益があるそうですよ」
「あちらの寺は天龍寺といって、足利尊氏が作ったことで知られています」
「竹林の囲いの下に、ところどころ穴が空いているでしょう。小動物が通り抜けられるように、わざと空けてるんです」

途中の撮影スポットでは、母の佐知子さんからスマホを借りて、2人が楽しんでいる様子を写真に収める。中山さんは最新のスマホの扱いにも慣れており、iPhoneの広角カメラ機能を最大限に活用して、さまざまな角度から2人を撮影した。写真を見た佐知子さんは、「すごい! どうやったらこんな写真が撮れるんですか?」と驚きの声を上げた。

乗客にスマートフォンの写真を見せる中山さん
撮影=小林禎弘

■嵐山という舞台で観客を沸かせるエンターテイナー

時折冗談も交えながら苦しい顔一つ見せずに人力車を引く中山さんを見ているうちに、だんだん中山さんの姿が、嵐山という世界屈指の観光地を舞台に、人力車に乗った「2人だけの観客」を楽しませようとするエンターテイナーに見えてきた。

中山さんが語った、「自分の案内一つで、お客様のその土地に対する印象がまったく変わってきます。だからこそ責任も重いのですが、『乗って良かった』『楽しかった』という声をいただくことが、何よりうれしいんです」という言葉が、質感を持ってよみがえってくる。

人力車を引く中山さん
撮影=小林禎弘

30分にわたる人力車観光を終えて、佐知子さんに感想を聞くと、「初めて乗りましたが、こんなに楽しいとは思いませんでした。嵐山の歴史や文化についても深く知ることができて、娘もとても中山さんの話を楽しんでました」と満足そうに語ってくれた。

■「要領のいいリーダータイプは車夫には来ない」

そもそも車夫を志す人は一体どういう人なのか。

えびす屋の本部営業企画部で働く笹井啓行さんに、「やはり車夫になりたいと言ってえびす屋に応募してくる若者は、体力に自信があって、人とコミュニケーションを取るのが好きな人が多いんですか?」と尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「まったくその逆です。車夫のうち7割は専業で、3割はアルバイトですが、どちらの応募者も学校のクラスで目立つリーダータイプだったり、要領よく立ち回るタイプの子は、一人も来ないですね。車夫の仕事をしたいと言ってくる子には、うまく言葉が出なかったり、赤面症だったりする子が少なくありません。二十数年前の中山も、ある意味、そういうタイプだったと思います。彼らはみんな、『自分を変えたい』と願って、車夫という仕事をそのきっかけにしたくて応募してくるんです」

観光案内
撮影=小林禎弘

笹井さんによれば、車夫のアルバイトを数カ月続けると、学生たちは驚くほど成長するという。観光客に話しかけて、人力車に乗ってもらい、初対面のお客様を楽しませながら土地を案内する経験で、人を相手にする仕事に必要なこと、すべてが学べるというのだ。

「その後の就職活動は百発百中で、名前を聞いて驚くような立派な会社に就職していきます」

実は中山さんも車夫になってから3年目のときには、「社員にならないか」と声をかけられ、実際に管理職としてのキャリアに就きかけたこともあった。だが中山さんは、「車夫道」を貫きたいという意志が強くなったことから、数年後にまた専属契約の車夫に戻った。

中山さんの人力車「山水号」
撮影=小林禎弘
中山さんの人力車「山水号」 - 撮影=小林禎弘

24年前、渡月橋で初めて人力車を見たときに隣にいた彼女とは2007年に結婚し、食事や健康管理などの面で車夫の仕事を日々サポートしてもらっている。休日には、生まれて4カ月になる孫の顔を2人で見に行ったり、車夫仲間がいる観光地への旅行を楽しんだりもしている。

■人力車が走る土地そのものが「職場」

えびす屋など「観光人力車」のサービスを提供する企業の尽力によって、人力車を観光地で見かけることは珍しいことではなくなった。しかしその一方で、人力車に対して「交通の邪魔になる」「車夫の客引きを不愉快に感じる」などのネガティブな印象を持つ人も一定数存在する。

東京・浅草では一部の人力車の強引な客引きなどに周囲から苦情が出たことから、見かねた地元の商店連合会とえびす屋が他の人力車業者に呼び掛けて「浅草車夫連絡会」を発足させ、秩序維持に取り組んでいる。現在加盟する20の事業者には、強引な客引きの禁止や、道路を通行するときに他の車両や歩行者を優先すること、コースと料金を事前に明示すること、などを求めている。

中山さんは「『車夫として恥ずかしくない振る舞いをしているか』と常に心の奥で意識している」と話す。

道の掃除
撮影=小林禎弘

「地元に貢献するために車夫全員が毎日取り組んでいるのが、嵐山の掃除です。人力車が走るルートを中心に、社屋の周辺を毎朝掃除し、ゴミが落ちていれば必ず拾う習慣が車夫全員に染みついています。私は嵐山の近くに住んでいますから、地元の人は私の顔を見れば『車夫のおっちゃんや』とわかる。迷惑行為をすることは考えられません」

竹林の小径
撮影=小林禎弘

えびす屋は、観光人力車のメインルートの「目玉」とも言える「竹林の小径」を数年前に自社で整備し、歩いて竹林を見る観光客の邪魔にならないよう、人力車専用の道を作った。他にも地域のイベントやボランティア活動には積極的に車夫や職員が参加し、地域に人力車という存在を受け入れてもらい続けるための努力を続ける。

「私たちの仕事は、嵐山というこの土地と、地域の人々の応援がなければ絶対に成立しません。デパートで働く人にとって売り場のフロアが職場であるように、私たちにとっては嵐山の地域そのものが、かけがえのない職場なんです」と、職員の笹井さんは語る。

■若い人への「手本」ではなく「見本」に

車夫の仕事の魅力とは何なのか。最後に改めて尋ねると、中山さんはこう述べた。

「この仕事をしていると、毎日毎日、本当にぜいたくな場所で働けているな、と感じるんです。嵐山はご覧のとおり、本当に自然が美しい場所です。四季折々に姿を変化させる景色と、日本文化の真髄ともいえるような歴史に触れ合いながら、毎日働けるんです。20年以上この土地で人力車を引いてますが、そのぜいたくさには、今も感動しています」

コロナのあおりを受け、嵐山も例外なく観光客が激減した。中山さんが1日に担当する客数も以前より減ったが、その分、一組一組のお客さんに対してより丁寧な案内ができる余裕が生まれた。

「コロナ前は予約のお客様だけで一日中埋まっていて、ちょっと異常なほどの忙しさでした。ある意味、コロナがあったことで、自分の『車夫人生』が延びたような気もしてるんです。自分のようなおっちゃんより、若い車夫に案内してもらいたいというお客様もいると思いますが、嵐山で20年以上車を引いてきた経験が、自分の強みだと思っています」

車夫の姿でポーズをとる中山さん
撮影=小林禎弘

以前は体が動く限り、車夫の仕事はずっと続けると考えていた。しかし最近は、膝の靭帯に故障を抱えるようにもなったことから、「来年にはもしかすると引退している可能性もある」とも考えるようになった。だがそれでも、「走れる限りは、車夫として走り続ける」と決めている。

「自分は若い人にとっての『手本』にはなれないと思いますが、『見本』にはなれるかもな、と思うんです。手本、つまり誰かの模範となる人生は素晴らしいけれど、『こんなに長いこと車夫を続けた男がいた』と、一つの生き方の見本として記憶されることにも、意味があるんじゃないか。僕の一番の取りえは、人力車を誰よりも好きなことです。その気持ちだけは、誰にも負けません」

中山さんは笑顔で言い終えると、渡月橋のたもとへ客待ちに戻っていった。今日も明日も明後日も、中山さんは嵐山を訪れた人に忘れられない旅の記憶を残すために、人力車を引き続ける。

背中の「嵐」の文字
撮影=小林禎弘

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大越 裕(おおこし・ゆたか)
ライター
1974年茨城県生まれ。出版社での勤務を経て、2011年に独立。起業家や小説家のインタビュー、大学研究者のサイエンス記事を多数執筆。「何かを作る人」に興味がある。理系ライターズ「チーム・パスカル」の一員。

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(ライター 大越 裕)

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