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「高1で退学」した男子が予備校もない山間部の高校に入り直し"逆転東大合格"を果たすまでの全記録

プレジデントオンライン / 2021年11月2日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

東京大学工学部のAさんは神奈川県出身。地元の県立高校に入ったが、1年の冬に留年が決定。失意の中、約800kmも離れた西日本の山間部にある寮付き高校に入学し直した。当初は大学へ行くつもりがなかったにもかかわらず、3年後に“赤門”を突破した。田舎での生活で起きたミラクルとは――。

※本稿は、ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■高校で留年をした

高校1年生の冬、Aさんは大きな岐路に立たされていた。期待に胸を膨らませて入学した神奈川県の公立高校で、2年生に進級できないことが確定したのだ。夏休み明けから学校に行ってない。高校1年生で取るべき単位を落としていた。

選択肢は2つ。1年生をやり直すか、あるいは退学するか。

「もう1年、同じ環境でやり直してもなにも変わらないだろうなと思っていました。自分としては朝起きられない生活を立て直したほうがいいと思っていて、環境を変えようと思いました」(Aさん)

見つけたのは、寮を併設し、県外に住む生徒を積極的に受け入れている西日本にある高校だった。

「これだ」と直感したAさんは、その県には土地勘がなかったのにもかかわらず、2週間後には1人で学校見学に行き、そこで暮らす決意をしていた。

この県で人に恵まれ、この地域ならではの経験をして、3年後、Aさんは東京大学に入学することになる。

Aさんが一発逆転できたのはなぜなのか。それを説明する前に、なぜ神奈川の高校で留年をすることになったのかお伝えしよう。

■勉強することの意味を見失った

高校受験で、理数系に特化した高校に合格することができたAさんはこれから自分のやりたい勉強が自由にできると目を輝かせていた。ところが現実は考えていたものと違った。

「もっと科学に特化した授業や実験があるのかと思っていたのですが、想像していたものとは違いました。理系特化といってもカリキュラムは座学中心。高校受験で勉強に燃え尽きてしまったこともあって、座学中心の勉強をすることに抵抗感が出てきたんです」

入学して1カ月くらいたってAさんは宿題をやらなくなった。やがて午前中、学校を休むようになり、次第に授業についていけなくなった。1学期の途中から休みがちになり、夏休みが終わってからはまったく学校に行かなくなっていた。

「当時は自分の気持ちがうまく言語化できなかった。そして自分だけがこんな状態に陥っているような気持ちで、孤独感もありました」(Aさん)

母親は最初の頃こそ「学校に行ったほうがいいよ」と促したり「学校を休んで何をしたいの?」と聞いたりし、病院に連れていったこともあったが、途中からは見守っていた。Aさんの場合、家に引きこもっているわけではなく、図書館や本屋など昼間はあちこちに出かけてはいたからだ。

「きっと自分の道を探っているんだろうなと思ったんです」(母親)

■学校外で得られることが大事だと思った

Aさんはまさに自分を探っていた。高校1年生の夏休み、つまり学校を休みがちになった頃からは、学生限定の格安のバスツアーを使って泊りがけで震災ボランティアに参加し始めた。

「東日本大震災が起こったとき、僕は北海道に住んでいて大きな影響を受けることはありませんでした。だから、横浜に引っ越して友達からそのときの様子を聞いて驚きました。『知らなかったで済ませていいのか』と自問自答するなかで、震災ボランティア募集の告知を見つけたんです」(Aさん)

訪ねたのは宮城県石巻や岩手県陸前高田。震災から4年半経っていたが、想像より復興が進んでいないことにショックを受けた。地元のお祭りの手伝いをしたり、仮設住宅に新聞を配って話し相手になったり。そうやって何度も被災地に足を運ぶなかで、同世代の高校生たちがつらい経験を抱えながらも自分の道を進もうとする姿を目にした。

そんな経験をするうちに、「まちに出ていろんな人と向き合うことのほうが、学校での勉強よりも大事だ」と思うようになっていく。そして、座学中心の高校にはますます足が向かなくなっていった。

ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)
ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム『ドラゴン桜「一発逆転」の育て方』(プレジデント社)

そして冒頭のように、高校1年生の1月に留年が決まり、西日本にある公立高校に見学に行き、Aさんはその学校で新しいスタートを切ることになった。

親元から離れて新しい生活を始めようとする息子を両親はどのように見ていたのだろう。母親が言う。

「聞いたときは、そんな遠いところに行くの? と思いました。寂しいし、やっぱり心配ですよね。本人の気持ちを尊重したいけれど、素直に行ってらっしゃいとは言えなかった。でも、教頭先生や先生方と電話でお話しすると温かさが伝わってくる。『Aくんはしっかり考えて行動しているから大丈夫ですよ』と言ってくださったので、安心して預けようと思いました」

■「失敗してもいい」と考える父母

Aさんが選んだのは西日本の山間部にある小さな町の唯一の県立高校だ。1人で土地勘のない学校を見に行き、そのまま3年間を過ごす学校を決めてしまったAさんの行動力や決断力もすごいが、それを許した親もすごい。

なぜ、1人でこの学校に行かせることになったのか。

Aさんが育った家の子育てで一貫していたのは、「自分の意思で決めたらやらせてみる」ということだ。

「親が止めて失敗させないよりも、たとえ失敗してもやらせたほうがいい。その失敗もまたよい経験になると考えていました」(母親)

Aさんの家ではAさんが1人で遠出することは、この頃が初めてではなかった。母親には忘れられない出来事がある。

「小学校高学年のときだったと思います。地元の高専(高等専門学校)の科学教室に1人で参加させたことがあったんです。私は外で用事があって付いていけないから、会場までの地図やバス代などを息子に渡しておきました。用事を済ませて帰ると、家の前に子供のお財布が落ちていて、地図も入っている。財布を落として行けなかったのかなと思いながらも、高専に電話をしたら、『参加してますよ』って。お金がないので家から5〜6kmの距離を歩いていったそうなんです。あとから『場所はどうやって調べたの?』って尋ねたら、コンビニで聞いたと言うんです」

鉄田大社駅の市端バスのバス停
写真=iStock.com/Koshiro Kiyota
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Koshiro Kiyota

さらに中学2年生のとき、横浜の家から北海道の富良野にある祖父母の家に、青春18きっぷを使い、一人旅したこともあった。夜行列車と普通列車を乗り継いで2泊3日かけて向かった。

「最初は中学生が1人で? と思いましたが、こういうとき息子はプレゼンをするんです。時刻表で経路を調べて、何時にどこに着いて、ここで乗り換えてと細かく書いた計画表を作って、説明するんです。こちらとしてはそれだけされたらダメとは言えなくなる。そのときも『やってごらん』と、送り出しました」(母親)

思えば小学校低学年のときから祖父母の家に行くのに1人で飛行機に乗せたこともある。中学時代には友達と箱根に1泊の自転車旅行をする計画を立てて実行したこともある。こうした遠出の積み重ねがあったので、Aさんの家では息子が遠方に1人で出かけることにあまり抵抗がなかったのだ。

■都会から田舎の山の中へ

Aさんが入学した高校では学校と地域社会を結ぶ「高校魅力化コーディネーター」が常駐するほか、同じ地域に暮らすさまざまな人たちが学校生活をサポートしている。地域の人たちが指導役となり、地元のことを実践的に学べる仕組みがあるのも魅力的だった。

「高校のある地域にも心惹かれました。城下町としての長い歴史を持ち、日本の文化や伝統が身近にある。畑や田んぼの景色も広がっていて、いいまちだなと思いました」(Aさん)

そして4月。2度目の入学式を終えたAさんの新生活が始まった。県外から入学した“留学生”は15人。学校の隣にある寮では1〜3年生が寝食をともにする。寝起きをするのは2段ベッド2つの4人部屋。朝6時40分に点呼があり、7時に朝食を取った後に登校。夜は20時半の点呼の後、就寝時間は基本的に自由だ。昼夜逆転の生活はすぐに規則正しい生活に改善された。

変わったのは生活だけではない。進路に対する考えも横浜にいたときとは変わった。

「入学した高校の卒業生は高校を出て専門学校に行ったり就職したりする人もいて、大学進学する人は4割くらい。卒業生の進路は多様です。僕自身も、当時は大学に行くつもりはなく、地域に触れながら自分の世界を広げることに力を注ぎたいと思っていました。だから勉強もほどほど。数学と英語はやっておいたほうが役立つかなと思って、少し力を入れたぐらいですね」

■大学に行く気はなかったが…

そんなAさんの心境に再び変化が起きたのは、「グローカル・ラボ」という部活動を始めてからだ。地域系部活動と言われるように、部員は地域に出て行事や畑仕事などに加わり活動する。興味を持ったことに取り組めるのが大きな特徴だ。発足時に入学したAさんは部長を務めた。

横浜の両親とはたまにメールでやり取りをする程度。父親は、グローカル・ラボでの活動が始まってから、Aさんが元気になっていくのを感じた。

そのなかで掘り下げたテーマが「竹林」だ。

「高校のある地域では放置された竹林が増え、景観や生態系に悪影響を及ぼす危険があることを知りました。雪の重みで線路内に張り出した竹が、列車の運行を止めた“竹害”も出ています。竹林の問題を解決する方法を考えるため、竹林を貸してもらって自分たちで管理することにしたんです。たけのこ掘りなどのイベントのほか、地元の子供と竹に触れる機会をつくるために竹の飯ごうでご飯を炊いたり、竹馬をつくったり。一方で、竹林が放置されることになった歴史を学び、竹林が及ぼす周りの生き物や植物への影響を知るために大学教授に話を聞きに行ったこともあります」(Aさん)

竹林
写真=iStock.com/35007
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/35007

■高2の時に“東大建築”へのあこがれが強くなった

自分の生活とつながったところに疑問があり、それを学ぶことで新たな課題も生まれる。

「大学で勉強してみたい」。

Aさんの心のなかに、大学進学を目指す気持ちが芽生えた。高校2年生のときである。当時の志望校は理系や文系の垣根がない国立大学の文理融合学部だ。得意な理系分野をまちづくりや地域コミュニティにつなげたいと考えていた。その一方で、建築にも興味が湧き、関連する本を読み漁った。

単に、竹や木材、石などさまざまな素材でできたかっこいいデザインの建築物が載っている本を見るのも好きだったし、建築がその町に住む人々に影響を与えることも面白かった。そんななか、気が付いたことがある。

「著書のプロフィールを見ると、多くを東大出身の先生が書いているということに気が付きました。歴史を調べても東大が日本の建築界を背負ってきたことがわかったんです。日増しに、“東大建築”へのあこがれが強くなり、東大で学べたらいいなと思うようになりました」

東京大学・本郷キャンパス内の通路
写真=iStock.com/Cedar_Liu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cedar_Liu

■僕も東大を受けてもいいんだと思えた

とはいえ、Aさんには心配事があった。学校外の活動や建築の勉強に力を入れていたため、各教科の得点が求められる東大の一般入試を目指す自信がなかったのだ。そこで浮上したのが東大の推薦入試。グローカル・ラボでの経験を活かすこともできるし、何より大学で学びたい意思を伝えることができる。

チャレンジしたいと思いながらも心は揺れていた。何しろ学力が、東大を目指すと口にするのもはばかられる状況だったからだ。

気持ちが固まったのはそれから約半年後。思い切って東大のオープンキャンパスに行ってみることにした。東大の本郷キャンパスを訪れたとき、人の多さに驚きながらもこう思った。

「たくさんの人が歩いているのを見てたら、多くの人はこんなにライバルがいるなら止めておこうと思うかもしれません。だけど僕は『こんなにたくさんの学生がいて、こんなにたくさんの受験生が東大を目指しているなら、その中に自分も紛れ込んでもいいのかもしれない。僕も東大を目指していいんだ』と思ったんです」

それからは、目標に向かって準備をする毎日になった。

「書類作成や面接対策にも、学校や地域の方々が協力してくれました。高校のある地域活動をする慶應大学の研究員など経験豊富な大人が周りにいたので、アドバイスもたくさんもらいました」

ただし、高校のある地域にはいわゆる大学受験予備校はない。だから、スマホでWEB授業が受けられる「スタディサプリ」を活用した。学校内にある町営塾のほか、学校の教師にも数学や英語の添削指導を受けていた。1人ではモチベーションが保てなかったため同級生を巻き込んで一緒に受験勉強の環境を作った。

合格発表の日、自分の番号を見つけたAさんはすぐに両親にメールを入れた。

「私は家でメールを見たのですが、びっくりの一言でしたね。東大に入れるなんて、地方の高校に送り出したときは考えてもいませんでしたから」(母親)

■尊重して見守る

想像してもいなかった進路をたどり、「東大」に行きついたAさん。それは、成功しようが失敗しようが、息子の挑戦を尊重する両親があってこそ実現したことだ。

母は心配をしながらもAさんの意思を尊重し見守った。父親は温かく冷静にAさんを見ていた。

「高校の先生や地域の方など周りの方々に育てていただいたので、私たちがエラそうに言えることはないんです」(母親)
「本人が東大に行きないなら目指せばいいけれど、親として思っていたのは、元気でいてくれて、自立してくれたらいいなということだけですね」(父親)

Aさんによれば、入学当初は一般入試で入った学生との学力差を痛感し、「この大学に自分はいてもいいのか」と悩んだそうだ。「自分の強みってなんだろう」。そう思い巡らせると、高校で寮生活を送りながら地域のなかで学んだことだと確信できた。都会の進学校ではできない経験だ。

大学3年生になった現在、高校のときのように自分らしく自分だからこそ歩める道を、力強く進んでいる。

( ドラゴン桜「一発逆転」プロジェクト&東大カルペ・ディエム)

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